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博士論文審査要旨

論文題目:アメリカにおける治安法制と国家の正統性―自由主義体制における正統性の確立と動揺
著者:木下 ちがや (KINOSHITA,Chigaya)
論文審査委員:中野聡・貴堂嘉之・吉田裕

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Ⅰ 本論文の構成

 本論文は、国家に対する敵対的・反抗的勢力を規制・抑制する機能をもつ治安対策と法の、国家装置における種差的性格(国家のあり方に対応した多様性)に注目し、具体的には両大戦間期と冷戦崩壊後のアメリカ合衆国における治安政策・治安法制の形成と確立の過程を検討することによって、自由主義国家における治安法の特殊な機能を明らかにするものである。とくに治安政策・治安法制が、自由主義体制においては国家の要請に直接的に対応するわけではなく、諸勢力間の政治力学と、国家の理念的正統性をめぐる諸分派間の抗争に強く規定されることに本論文は注目し、現代的支配関係が台頭した第一次世界大戦以降のアメリカ合衆国の治安法とその制定過程を論じ、その法的・イデオロギー的な機能の特殊な性格を論じるものである。本論文の構成は以下の通りである。


序論
1. はじめに─本稿の課題
2. 治安国家化あるいは監視社会化とネオリベラリズム
3. 国家の要請、資本の要請
4. マルクス主義国家論と治安法の構造的種差
5. グラムシからカール・シュミットへ
6. ニューディール期における治安法制と政治秩序─課題と視角

第1章 第一次大戦下の抑圧から「赤狩り」へ
1. 「戦時下」における市民的自由
2. 連邦政府による規制
3. 州による規制
4. 共産党の結成から「赤狩り」へ
5. 最初の連邦平時煽動法の提起と挫折
6. 「危険」の回避

第2章 煽動法をめぐる攻防
1. 一九二〇年代
2. 大不況と新たな抑圧の浮上
3. ニューディール体制下での政治的自由
4. マコーマック委員会と平時煽動法

第3章 「リベラル派主導」の治安政策の登場─スミス法の制定
1. 三八年選挙とダイズ委員会─スミス法案の登場
2. 「闘う民主制」と共産党の転換
3. スミス法の制定─「リベラル派型」取締体制の確立に向けて
4. スミス法─その後

第4章 アメリカのネオリベラリズム化から愛国者法の制定へ
1. はじめに
2. 愛国者法の構造とその特質
3. 愛国者法から九〇年代テロ法へ
4. アメリカ史における「周期(サイクル)」
5. クリントン政権のポリティクス
6. 九〇年代テロ対策の社会的要因
7. クリントン政権の包括的テロ対策法の構想
8. 反テロ法案をめぐる攻防
9. 政治的帰結

まとめ

参考文献リスト


Ⅱ 本論文の概要

まず序論において筆者は、20世紀後期の支配的システムである福祉国家体制がネオリベラルな再編を迫られる今日の先進資本主義国家における「治安国家/監視社会化」あるいは「排除型社会」の形成をめぐる分析枠組みが、<国家の要請>、<資本の要請>の直接的帰結として現代の「治安国家」「排除型社会」の形成を解き明かすという見方に傾きがちであるのに対して、ジョック・ヤングの所論などをふまえて、治安法制が<国家>あるいは<資本>と敵対分子の直接的な関係のみに規定されるわけではなく、当該<社会>の規範または<社会>の編成原理をめぐる社会的実践の競合に強く規定されるという視点を打ち出す。そのうえで、現代コーポラティズム論、福祉国家論をはじめとするレギュラシオン理論をベースとする資本蓄積論と結びついた現代国家の特殊な構造の解明に成果をあげてきたマルクス主義国家論の展開を整理し、その立論が対象としたヨーロッパ諸国家の性格を色濃く反映したものであること、それゆえにアメリカ合衆国とその治安法制を検討するうえで、マルクス主義国家論の系譜からは「例外」に位置すると思われるその「構造的な種差」に留意する必要があることを指摘する。
 このような視点を示したうえで、筆者は、アメリカ合衆国の治安政策と治安法制の展開を、国家に敵対する勢力に対する規制や弾圧という点で注目されがちな「赤狩り」・マッカーシズムの1950年代や「対テロ戦争」の2000年代ではなく、むしろそれに先立つ両大戦間期とりわけ1930年代と冷戦崩壊後の1990年代のふたつの時期に注目して論じていく。筆者は、フォーディズム(1930年代)、ポスト・フォーディズム(1990年代)の確立に向けた転換期であるこれらの時期こそが、合衆国の政治的・社会的統合の重大な転機であり、いかにその時代における社会的・経済的変動が国家と法の再編に結びついているのかを看取するうえでも最も妥当な時期だからであるとする。
そこでまず、筆者は、両大戦間期・1930年代について、リベラル派による社会統合・治安政策・治安法制の関係がどのように形成され、確立されたのかを検討する。第一次世界大戦期を扱う第1章は、19世紀後半以降、アメリカ合衆国において現代国家=国民国家を確立する経済的社会的条件が生じたこと、それに対応する行政的・司法的対応も駆動し始めていたことを指摘したうえで、大戦を契機として、総力戦体制のもとで政治過程に進出したリベラル派が、政治的・社会的権利の確立と拡大を主導するのと同時に治安法制がどのように展開したかに注目する。この時期のアメリカでは、治安法制・治安政策の領域に連邦国家が進出する一方、旧態依然の自治体・民間集団による治安政策の執行が混然一体となっていた。これに対して連邦司法省は、戦後を見越して、国家による法執行の独占と、それによる合理的な対応という治安政策の「近代化」を当初は目指した。しかしながら連邦議会を中心とした保守派の巻き返しとリベラル派の政治的力量の不足から、理念的にはリベラル派的立場をとるミッシェル・パーマー司法長官は保守派に妥協し、1919年に結成された共産党・共産労働党をはじめとする反体制勢力への弾圧は広範囲かつ非合理なかたちで展開することになる。他方でこの時期には、保守派とそれに妥協した連邦政府に対抗する、リベラル派―左派による「政治ブロック」が形成され、旧態的な治安法の執行に対決していくという、1930年代までの政治的対抗図がつくりあげられたと筆者は指摘する。
次に第2章は、1920年代の停滞期と大恐慌を経たのち、ニューディール政権期に入ったアメリカ合衆国において、新たな国民統合の要請が喫緊の課題として生じてくる時期に注目する。1920年代を通じて台頭する労働運動と共産主義勢力に対し、保守派は強力な治安政策と法の動員で対抗を試みた。これに対して、1930年代に台頭したリベラル派―左派の政治ブロック(人民戦線)はふたたび政治過程に進出し、連邦政府はかかる政治ブロックのリベラルな理念を国民統合上の正統性原理として設定し、保守派からの治安法の動員要請を斥けていったと筆者は論じる。
第3章では、共産主義勢力さらにはファッシズム勢力という新たな敵対勢力の様式と性格に対応した連邦平時扇動法の1940年における制定の意味を考察する。筆者によればそれは、独ソ不可侵条約締結によるリベラル派―左派の政治ブロックの崩壊と、来るべき総力戦体制の構築上の要請からなされたものであったが、旧態的な保守派の治安政策とは一線を画した。すなわち司法長官ロバート・ジャクソンは、新治安法の適用範囲を限定し、その発動よりも、むしろ同法によって、自治体・民間による法執行を抑制し、同時期に台頭した非米活動委員会の保守派を封じ込めようとした。こうして、連邦国家による治安法の執行の独占とそれによる自由領域の確保を通じて、自由主義国家が国民国家へと転換を遂げるうえで要請される治安政策と治安法制がここに確立したと筆者は指摘する。
次に1990年代を論じる第4章は、まず2001年の「9.11事件」後に制定された愛国者法から議論を説き起こし、1990年代の対テロ法の制定過程について論じていく。2001年愛国者法は、グローバル化とネオリベラリズムが合衆国内に浸透する一方、社会統合が弛緩するなかで、敵対的勢力に対抗することを目的に制定された。しかしながら同法は、2001年9月11日に発生した同時多発テロという「追い風」をうけながらも、<国家の安全>上要請される体系的な法規定としては不十分なものにとどまらざるを得なかった。その原因は1990年代の対テロ法の制定過程にあらわれていたのだと、筆者は論じる。
この過程では、1990年代初頭から政治化し、政治過程に有力な影響を与えるようになった新保守主義勢力と、1930年代以降一貫して合衆国における国民統合の担い手であったがネオリベラリズムの台頭によりその社会基盤が収縮していたリベラル派が、治安政策の正統性をめぐって激しく競合した。リベラル派は、1995年4月のオクラホマ州連邦ビル爆破事件に連なるような──急進右翼的傾向をもつ民兵・宗教運動などが起こした──国家に敵対的な複数の国内テロ事件の連鎖をうけ、<国家の安全>の要請から、国内テロ対策を名目に治安法制の強化を図った。これに対して──こうした諸運動と実践的・観念的に共感関係にあった──保守派は、連邦国家による公権力の介入の強化を敵視し、治安法制の強化にむしろ敵対した。1990年代における対テロ法制定の失敗は、この保守派の理念と運動を「異端」へと周縁化することに失敗した結果であり、1930年代以降のリベラル派の社会統合能力が本格的に低下したことのあらわれでもあった。このように、むしろリベラル派の正統性の不足と欠如による限界を内包していたがゆえに、このあと保守政権下で制定された愛国者法もまた、社会的経済的条件にもとづく国家の要請からすれば、不十分なものにとどまらざるをえなかったと筆者は指摘するのである。

Ⅲ 本論文の成果と問題点

筆者は本論文において、20世紀アメリカ合衆国の「治安国家」を検討する方法として、「赤狩り」・マッカーシズムの時代としての1950年代や「対テロ戦争」の時代としての2000年代ではなく、これらに先立つ1930年代と1990年代に注目した。その結果、筆者は、①ニューディール体制期アメリカにおける「リベラル派主導」の治安政策の検討を通じて、「リベラリズム」と「反共産主義」を基軸とする国民統合と国内支配秩序の「現代化」に対してリベラル派・民主党政権がはたした役割とその限界を究明するとともに、②1990年代の対テロ法制定失敗の検討を通じて、ネオリベラリズムの台頭により社会基盤が縮小したリベラル派と新保守主義が治安政策の正統性をめぐって激しく競合した構図を浮かび上がらせることに成功した。その研究成果は、現代国家の構造的性格の解明に成果をあげてきたマルクス主義現代国家論の視点と方法をふまえつつ、それらがまだ十分に解明してこなかった領域としてのアメリカ合衆国における治安国家・治安法制に対する取り組みとして高く評価されるべきものである。とりわけ「国家装置の種差性」をめぐって、筆者は、アメリカ合衆国では、最も古典的な自由主義の理念を背景として国家の介入や国家権力に十分な正統性が与えられていないがゆえに、「現代国家」の正統性をめぐる社会的競合が不可避であり、その結果、国家支配の正統性が、歴史性や所与の整合的な国家観・社会観に規定されることなく動的・実践主義的に確立・維持・後退を繰り返してきたとする筆者の議論は、現代アメリカ国家論として、「治安国家」論を超えた広がりをもつ視点として高く評価されるべきものである。
 しかしながら本研究においては、次のような課題も残されている。まず治安法制・治安政策の「現代化」を通じて多くの国家では、国民統合との関係から軍隊の治安出動が控えられ警察が治安を担うようになっていくのに対して、アメリカでは1950年代以降も公民権運動をめぐる騒擾や都市暴動に際して州兵や連邦軍の治安出動が繰り返されてきた。この点が筆者の展開したアメリカ「治安国家」の構造的種差性として理解し得るのかどうかについて、本論では必ずしも議論が尽くされていない。また通史的な構成・叙述をしないことで論点を明確化できた反面、1930年代と1990年代を論じる一方で、アメリカの「治安国家」を論じるうえできわめて重要である幾つかの時期や局面(マッカーシズムやベトナム反戦運動)について筆者の「治安国家」論から何を論じ得るのかについて見解が示されていないことは、やや物足りない感が否めなかった。もちろん、こうした問題点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、木下ちがや氏自身が十分に自覚しており、今後の研究によって克服されることを期待したい。

Ⅳ. 結論

 審査員一同は、上記のような評価と、2012年5月30日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2012年10月10日

 2012年5月30日、学位請求論文提出者木下ちがや氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「アメリカにおける治安法制と国家の正統性─自由主義体制における正統性の確立と動揺」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、木下ちがや氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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