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博士論文審査要旨

論文題目:現代に生きるグラムシ—市民的ヘゲモニーの思想と現実—
著者:黒沢 惟昭 (KUROSAWA, Nobuaki)
論文審査委員:加藤 哲郎・関 啓子・平子 友長

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1. 本論文の構成

 本論文は、すでに単行本のかたちで公刊されており、以下のように構成されている。

はじめに 

   第Ⅰ部 初期マルクスにおける疎外とその回復の思想
序 章 動態的疎外論への前哨
第一章 窮乏化理論と労働者教育
  1 「窮乏化理論」について 
  2 「自然発生性」と「意識性」
  3 労働者の学習・教育についての仮説 
  おわりに 
第二章 初期マルクスの人間=社会観について
  1 ギムナジウム時代
  2 「学位論文」時代 
  3 「具体的普遍」の展開 
  4 「ヘーゲル国法論批判・序説」
  5 「ユダヤ人問題によせて」

   第Ⅱ部 マルクスにおける疎外超克の問題点
はじめに 
第一章 マルクスの主体形成論の再審
  1 ドイツの無産階級の状況とその解放 
  2 マルクス理論の思弁性 
  3 マルクスの真意 
  4 歴史の現実 
第二章 ベルリンの壁の崩壊と市民社会
  1 市民社会と社会主義 
  2 プロレタリア独裁と市民社会のヘゲモニー 
  3 Zivilgesellschaft 
  4 ヘゲモニー 
付 論 マルクスのアソシエーション論
  1 初期マルクスの未来社会像 
  2 マルクスの「アソシエーション」をめぐって 

   第Ⅲ部 市民的ヘゲモニーの思想──グラムシ『獄中ノート』の再審
はじめに 
第一章 グラムシの「実践の哲学」とヘゲモニー
 一 問題の所在 
 二 「実践の哲学」と『唯物論と経験批判論』
 三 「実践の哲学」における「反映」の意味 
 四 「カタルシス」と「合理性」
 五 大衆の合理主義とヘゲモニー 
第二章 市民社会論と「歴史的ブロック」
 一 問題の所在 
 二 ヘーゲル・マルクスの市民社会論の再考 
 三 グラムシの市民社会論─ノルベルト・ボッビオの提言を手がかりとして─ 
 四 「歴史的ブロック」概念の背景 
第三章 「知的・道徳的」ヘゲモニーの実相
 一 問題の所在 
 二 グラムシの人間観 
  1 個体の実体化・批判 
  2 全体の実体化・批判 
  3 個体・全体の実体化主義の超克 
 三 知識人論 
  1 知識人と非知識人 
  2 有機的知識人 
  3 伝統的知識人 
  4 知識人の機能 
 四 知の等質化の構造 
第四章 ヘゲモニーの刷新と展開
 一 問題の所在 
 二 ヘゲモニー概念の拡大・深化 
 三 国家・市民社会論の刷新 
 四 「ヘゲモニーは工場から生ずる」の再審 
 五 「工場」以外のアソシエーションへの展開 
 六 ヘーゲルの「職業団体」
 七 グラムシにおける「職業団体」の展開 
 八 グラムシの未来社会像 
 九 政党─未来社会の構想 

  第Ⅳ部 市場原理主義と市民的ヘゲモニーの形成
第一章 資本主義の変貌と教育
 一 現代資本主義の修正と「先祖がえり」
 二 ポスト産業社会と教育 
 三 市場原理主義の復活 
 四 臨教審の改革構想と実相 
 五 教育における市場原理主義の展開
 六 市場原理主義の「虚偽意識」
 七 「ゆとり」教育の理念と現実
第二章 ポスト臨教審と構造改革
 一 安倍政権と教育改革 
 二 ポスト臨教審と格差社会
 三 教育の荒廃と「教育の再生」
 四 「美しい国」政策の内実
第三章 現代日本における市民社会論と主体形成
 一 高度経済成長と地域の問題 
 二 工場評議会運動の生成・展開と挫折 
 三 工場評議会の挫折とヘゲモニーの構想 
 四 ヘゲモニーと教育の関係 
 五 三池のたたかいと労働者のヘゲモニー
第四章  市民社会思想の古典と現代
 一 市民社会の思想と現実 
 二 現代市民社会の展開 
 三 ヘゲモニーとしての市民社会論
第五章  「現代市民社会」と主体形成
 一 持田教育理論の概要 
 二 持田教育論の功績 
 三 「批判教育計画」の検討 
 四 「批判教育計画」の意義と限界 
 五 自治体におけるヘゲモニーの創成──「批判教育計画」を超えて──
付論Ⅰ 現代に生きるグラムシ─その生涯と思想─
付論Ⅱ グラムシの教育論への序章

あとがき 
索  引 

2.本論文の概要

 本論文は、マルクスの疎外論を出発点にしながら、グラムシの現代性を市民的ヘゲモニーの思想と現実の追究において解明し、教育論として再構成したものである。著者は、グラムシが、工場評議会運動の生産点主義の限界を市民社会全域のヘゲモニー闘争によって克服しようと考えたこと、いわゆる土台・上部構造論を「歴史的ブロック」というヘゲモニー概念によって捉えようとしたこと、民衆の自主性に基づく市民社会のアソシエーションによって国家のヘゲモニーを弱め解体する新しい社会形成を「国家(政治社会)の市民社会への再吸収」と定式化したところに、その思想的特質を見ている。
 第Ⅰ部で著者は、人間は現世において疎外された受苦的な存在である事実から出発する。同時に人間はこの疎外(受苦)を意識しこれを克服しようとする情熱的な存在でもあると捉える。その問題意識の原体験は、三井三池労働者の「合理化」反対闘争で、そこにおける労働者の自己疎外(受苦)の実相とそれを克服していこうとする労働者の情熱に人間の本質を確かめることができたという。その回復の営為の中で、学習・教育が中核的位置を占めていることを現地調査によって確認したともいう。
 序章では、疎外とその回復の思想を、初期マルクスの諸著作において検証する。著者の疎外論は、内田義彦や向坂逸郎に学び、初期マルクスの労働過程論と『資本論』の蓄積=再生産過程を総合しようとするものである。第一章では、資本主義的蓄積の帰結として一方での巨大な富の生産、他方での窮乏化(疎外)を見出し、労働者階級はこの窮乏化の過程で訓練され結集され組織され、窮乏を克服していく力を生み出す。そのためには、知識人の支援による労働者の意識変革が不可欠であるという。第二章では、初期マルクスの思想の疎外論を、ギムナジウム時代の作文、学位論文、ライン新聞期の評論、「ヘーゲル国法論批判」「ユダヤ人問題によせて」等々で検証する。疎外回復の視点からとりわけ重要なものは、ライン新聞時代の第三論文で、ここでマルクスはライン州の貧民に着目し、彼らの枯枝に対する欲求は生活に根ざすから具体的・現実的であり普遍性をもつことを、ゲルマン法思想によって論証する。ここにマルクスは、疎外回復の主体としてのプロレタリアートの原型を見出す。「ヘーゲル法哲学批判序説」においてマルクスは、ドイツ革命の担い手を「人間の完全な喪失」であるプロレタリアートに定める。つまり後進国ドイツの特殊性の洞察からプロレタリアートの現在に着目し、それによる普遍的解放、人間的解放を展望した。著者はここで、マルクスがプロレタリアート(心臓)とドイツ哲学(頭脳)を結びつけることを提唱しており、労働者と知識人の協働による革命という視点を持っていると読む。
 第Ⅱ部で著者は、ヘーゲルの「具体的普遍」をプロレタリアートへと転成することよって新しい社会形成を志向するのが、初期マルクスの思想の要点であるという。しかしその後マルクスは、ヘーゲルの歴史哲学的構成に学び、唯物史観を練り上げ、自由の理念の展開と実現というヘーゲル的解釈による歴史観を、階級闘争による社会主義社会、コミュニズムの実現に置き換えたという。著者は、歴史の意味・目的は予め確定されていて、人間の実践はそれに向かって進む手段に過ぎないとみなされた結果、その目的を自覚化した少数エリート(知識人)が未だ無自覚な多数の大衆を啓発し教化するという定式が一般化したが、そのエリートとは、ヘーゲルにおいては普遍的身分としての官僚であり、マルクスにおいては意識の進んだプロレタリアート、レーニンにおいては党、つまり党官僚となった。そこで決定的に欠如していたのは、差異を持つ個々人が相互に討議しつつ共同性を拡げ、これによって未来社会を創り出そうとする大衆─—ふつうの人々の自立性と主体性であった、と著者はいう。著者は、これこそ1989年ベルリンの壁の瓦解以来の社会主義の崩壊によって明らかにされた教訓だと主張し、マルクスの最大の発見であるプロレタリアートがその後の経緯によって社会主義崩壊の主因となったとする。この点を著者は、第一章で、マルクスのプロレタリアートはそれが実現すると考えられたドイツ哲学と同様マルクスの思弁の産物であるとする森田勉の説を検討し、マルクスは、たしかに森田がいうようにヴァイトリングやプルードンをプロレタリアートの典型と考えたが、あくまで「典型」であって、多くのプロレタリアートはそれに向けて自らを「形成する」ことをも同時に提唱したという。第二章では市民社会と社会主義の関連を考察し、1960年代後半に当時の社会主義国家を「市民社会なき国家」と批判した平田清明の先駆性を評価して、付論でマルクスのアソシエーション論を扱う。
 第Ⅲ部は、著者によるグラムシ研究の総括で、グラムシの「実践の哲学」によると、人間はイデオロギーを媒介に構造(土台)の矛盾を意識するが、それは得手勝手なものではなく、合理的な「反映」でなければならない、この合理性とは人間の歴史的実践であるとする。そのさいグラムシは合理性の根拠を大衆の功利主義、有用性、つまり生活の拡大に求めた。こうしてグラムシは、客観性を神の意志や歴史的必然にではなく、人間の生活、より具体的には大衆の有用性にかかわる生活の拡大、そのためのヘゲモニーの実践に求めた、と著者は解釈する。
 グラムシの特色は、経済決定論へのアンチテーゼであるが、同時に集団意志の結集による新しい社会の創造を日常的に遂行していくことを提唱した。それは「国家—強制の要素は自己規律的社会(あるいは倫理的国家ないし市民社会)の要素が顕著になっていくにつれて、ますます衰退していく」という定式によく表われているという。ここでの「自己規律的社会」「倫理的国家」があるべき未来国家だと著者は主張し、「国家(政治社会)の市民社会への再吸収」というグラムシのテーゼの意義を見出す。また「歴史的ブロック」もグラムシに特有な概念で、「独裁・プラス・ヘゲモニー」または「国家イコール政治社会プラス市民社会、すなわち強制の鎧をつけたヘゲモニー」という独自な国家概念と密接にかかわっているという。著者はこうしたグラムシの思考の背景に、労働者大衆が広範に上部構造に進出して市民社会の諸組織(政党、組合など)に参加した歴史的事態を見出す。また、資本主義が帝国主義段階に至り、自由主義段階では消極的な存在として経済過程から疎外されていた国家権力が積極化し、土台と上部構造が不明確化して両者の相互作用のうちに社会が存在するかのように現象するようになったため、グラムシは土台と上部構造を統一的に捉えることができたという。
 著者がグラムシの主要な研究課題であったとする知識人論は、一貫して関係論的視点に立っているという。人間について「もっぱら個人的・主観的である要素と、個人が能動的関係を結ぶ大量の客観的または物質的である要素との、一つの歴史的ブロックとして考えられるべきである」とグラムシは述べ、この関係的人間観から、一方で「個体性」を実体化するカトリシズムへの批判、他方で「全体」を実体化するファシズムを批判したとする。グラムシはまた「すべての人間は知識人であるということができよう。だが、すべての人間が社会において知識人の機能をはたすわけではない」という知識人概念の転換を行った。ただし階級支配下の大衆は思考と行動へと世界観が分裂しており、知識人と大衆の知的・感性的交流によってこの分裂を克服しなければならない。ここで著者は、グラムシにおいて現実は「つつましい」大衆によって表現され、知識人はそれを「練り上げる」と強調されていることに注目する。知識人と大衆の絶えざる交流によって両者がともに同一の世界観を掴みとり、すべての人々が知識人になったとき新しい秩序による「歴史的ブロック」が創出される、と読む。
 ここから著者は、何故グラムシが知識人と大衆の統一にこだわったのかと問い、それは個体・全体実体化主義の超克のためで、グラムシはマルクスから関係的人間観を学び「歴史的ブロック」としての人間へと継承した。知識人—大衆も関係論的に把握し、「全ての人間は知識人である」という知識人論こそグラムシの教育論である、とする。
 この教育論の観点から、グラムシのヘゲモニー論が再解釈され、グラムシもはじめは「ヘゲモニーは工場から生ずる」と考え工場評議会運動を展開したが、その挫折の反省的考察から国家概念を「政治社会プラス市民社会、すなわち強制の鎧をつけたヘゲモニー」と刷新したという。そのさいグラムシが市民社会のなかで重視したのは、ヘーゲルの職業団体であった。ただしヘーゲルの職業団体では司法行政や福祉行政など国家の保護が支配集団の市民社会に対するヘゲモニーとみなされるが、グラムシは逆に国家に対抗する市民社会のヘゲモニーを捉えたという。グラムシはこうしたヘゲモニーが、より大きな同業組合、やがて政党の段階に至り、議会を通して国家へと展開することをデッサンする。ここでの国家と市民社会は実体的に区別できない。例えば自治体のなかに国家を、国家のなかに自治体を見据えて改革を志向するのがグラムシ的であるという。
 第Ⅳ部は、著者の見出したグラムシ教育論の観点から、市民社会における主体形成を日本の中で考察する。1970年代半ば以降の日本社会の構造変化とそれに伴う教育政策の大枠を「市場原理主義の具体化」として捉え、その結果は国民の顕著な格差の進展であり市民社会の崩壊だったことを、グラムシの「国家の市民社会への再吸収」の定式を手がかりに考察する。著者によれば、1970年代後半に日本はポスト産業主義社会へと移行し、社会構造が大きく変化した。これに対して戦後教育の転換を意図したのが、1980年代半ばの臨時教育審議会で、それは規制緩和による市場原理主義の教育への導入であった。従来の官僚による画一主義を打破することは歓迎されたが、競争の激化によって弱者切り捨てが強行され教育の格差は顕著になったという。そこに市場主義を推進する新自由主義が持ち込まれ、日本では小泉政権によって一層推進された。これによって進行した国民の分化を防ぐために愛国心教育が唱導され、安倍内閣による教育基本法改訂、それにもとづく新学習指導要領の実施に至ったという。
 他方で1960年代初めに三池闘争は労働者側の敗北によって終焉した。以来生産点を中心とする対抗ヘゲモニーは次第に弱まり、高度成長にともなって発生した公害による生活破壊に対する住民の反対運動が広がって、対抗ヘゲモニーの中心は労働者から市民に移った。これは、グラムシが『獄中ノート』で工場評議会運動の省察から見出した生産点にかわる市民社会のヘゲモニー、それによる社会変革の可能性が、日本において生じたことを意味すると著者は見る。臨教審改革は、一面で国家・官僚による教育主導を転換しようとしたが、その方法は教育の市場化であったために教育の格差が急速に進んだ。著者によれば、教育改革は市場に任せるのではなく市民社会のヘゲモニーによって、市民の共同事業によってなされなければならない。市民社会は「公と私の統一」ととらえられ、「私」を大切にしつつ「公」を考える人間が市民である、とされる。
 著者は最後に、そうしたグラムシ的教育論を先駆的に展開した教育学者として持田栄一を取り上げ、近代人の公民と市民への分裂を前提に、市民社会においてアトム化した私的個人が教育を受ける権利(教育権)を追求する論理を徹底して近代公教育の構造をトータルに把握した持田を再評価し、彼の「批判教育計画」という改革構想の中に、親—教師関係の社会化による地域教育共同体を見出す。同時に 持田理論の限界を、ナショナルな面の変革が第一義で自治体のそれは二義的と考えていた点にあるとし、グラムシのいうように両者は実体的に区分できないという。この点は、著者自身による地域教育の実践体験によって補足される。

2. 本論文の成果と問題点

 本論文の成果は、以下の三点にまとめられる。
 第一に、本論文は、マルクスの疎外論およびグラムシのヘゲモニー論の社会科学方法論としての内実と構成を解明しつつ、この二つの方法論を現代日本の教育の下からの変革活動に実践的に役立ててゆこうとする一貫した構想の下に書かれている点である。日本におけるグラムシ研究は、ヘゲモニー概念を論じる際に、それを主として政治の文脈の中で解釈し活用することが多かった。その意味で本論文は、グラムシのヘゲモニー概念の意義を教育の観点から解明した、貴重な研究成果である。
 第二に、教育学の理論的枠組みを論じた研究においては、しばしば著名な思想家ほぼ一人の著作に依拠して論じる場合や、複数の断片的な思想を接合し論じる場合が見られるが、本論文が現代日本の教育問題を、マルクスの疎外論およびグラムシのヘゲモニー論という複眼的視点を保持しながら考察していることは、評価することができる。しかも、マルクス、グラムシについてドイツ語、イタリア語の原文にあたり、『獄中ノート』については編集問題にも立ち入って検討されていることは、評価できよう。
 第三に、著者は、東京都小金井市、山梨県などの自治体における地域教育再生のための市民活動に参加し、そうした現場の活動の中からくみだされた問題意識を、マルクスおよびグラムシの諸著作を解読する切り口として生かしている。現場の教育実践と古典の解釈との間に適切な距離を保持しつつ、両者の往復運動を繰り返すことによって本論文は作られている。 
 本論文の問題点は、以下の二点である。
 第一に、著者自身の教育活動とそこから汲み出された現代日本における教育問題への教育学者としての著者の対応が本書を一貫しているモティーフであり、このことは本論文の成果をなすものでもあるが、このことに規定されて、マルクスおよびグラムシのテキストを論じる際に、世界の今日的研究水準や精緻な文献学的手続きをふまえて解読する上では問題点を残していることである。
 第二に、上記の指摘とも関連するが、現代日本の教育問題への関連を重視したことに規定されて、グラムシの理論と思想の意味をイタリア社会と歴史の文脈の中に位置づけ考察する視点が弱かったことである。
 しかし上記の問題点については、著者自身も十分自覚しているところであり、審査委員もまたそれらは著者の今後の研究において克服されるであろうと期待している。
 よって審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2009年12月25日、学位請求論文提出者、黒沢惟昭氏についての最終試験をおこなった。
 本試験においては、審査委員が提出論文『現代に生きるグラムシ—市民的ヘゲモニーの思想と現実—』について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、黒沢惟昭氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条3項に定める外国語および専門学術に関する学力認定においても、黒沢惟昭氏は十分な学力を有することを証明した。
 よって審査委員一同は、黒沢惟昭氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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