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博士論文審査要旨

論文題目:オトは流れてヒトは往く―戦後日本の米軍基地と音楽1945-58―
著者:青木 深 (AOKI, Shin)
論文審査委員:落合 一泰、大杉 高司、多田 治、吉田 裕

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本論文の構成
 
 青木深氏の本論文は、戦後日本の米軍基地における音楽を対象に、経験科学が不可避的に直面する難題、すなわち言語と時間をめぐる難題―現実と言語との決定的な乖離、時間的で流動的である生に対して記述という固定的形式―に新たな角度から挑んだ実験的論文である。
 本論文は3部構成をとっている。第1部(1-2章)では方法実験としての問題提起がなされる。論文の中核たる第2部(3-4章)は、第1部で提起した問題関心と方法論を一貫した記述編である。最後に第3部(5章)において、本論文から得られる知見を記録面と方法面とに分けて考察し、全体が総括される。
 本論文の目次は以下のとおりである。なお、第3章は55の、第4章は59の小片の連鎖として構成されている。それらすべての題名を記すことは本要旨では困難なため、ここでは各章の最初と最後の3片について題名を記すに止める。
 
はじめに
第1部
 第1章 経験の時間性/瞬間性―問題提起
  第1節 来日した人々、演奏した人々―先行研究整理
  第2節 生きられた時間/瞬間―問題関心
  第3節 去来と交差―目的=方法
 第2章 「本土」の米軍基地、1945-58年、調査活動―研究範囲概要
  第1節 地理的・年代的範囲
  第2節 調査活動概要
第2部
 第3章 記述編A編―オトは流れてヒトは往く、人は流れて音は往く
  1 …鎌倉の「リビエラ」、東京海上ビル
  2 …宝塚歌劇団、箱根富士屋ホテル
  3 …有楽ホテル、札幌マックネア劇場
  <4から52までは省略>
  53 …横浜技術廠、キャンプ座間の米陸軍病院、キャンプ大宮
  54 …御殿場のバーでランチェーラ、米海軍横須賀病院
  55 …クイーン・シスターズとアリス・ヒガ
 第4章 記述編B編―人は流れて音は往く、オトは流れてヒトは往く
  1 …鎌倉の「リビエラ」、ジプシー・マーコフ、東京放送会館
  2 …ジョニー・ベイカー、東山ダンスホール
  3 …マリアノ・マウラウィン、京都ステイトサイド劇場
  <4から56までは省略>
  57 …戦死者の遺体が去来する
  58 …別府キャンプ・チカマウガと小倉R&Rセンター
  59 …小倉を去来したプエルトリコ兵たち
第3部
 第5章 記述の向こう岸―総括
  第1節 音楽に接触した人々
  第2節 文字と時間
  第3節 誕生した人々―今後の展望
資料
 戦後来日した米国慰問団一覧表(1945.10-58.2)
 取材協力者一覧
 参考文献一覧
 そのほかの参考資料


本論文の要旨

 第1部は第1章と第2章からなる。第1章ではまず先行研究―終戦後の日本、米軍、戦後日本のポピュラー音楽に関連する諸研究―をふまえ、本論文に独自な着眼点が抽出される。1945年8月28日以来、1958年までに日本「本土」を来訪した米軍将兵は、陸軍基地への駐留将兵に加え、空軍基地や海軍基地を去来した将兵、そのほか短期任務や戦時休暇の来日者、軍病院に搬送された傷病兵も加えれば数百万をくだらない。第二次世界大戦後の日本と米軍については多くの研究が蓄積されてきたが、こうした米軍将兵の滞日経験に関する研究は成されていなかった。本論文は、(1)数年間・数ヶ月・数日間を滞日した米軍将兵の経験、とりわけ音楽をめぐる彼/彼女らの経験(米軍将兵自身の音楽活動も含む)に着眼するものである。また、(2)日本の音楽・芸能関係者が行った米軍慰問のうち、首都圏だけでなく、北海道から九州にいたる全国各地に視線を向けるものでもある。以上2点において、本論文は既存研究の欠落を指摘し、それを埋める研究と位置づけられる。
 第1章第2節では方法的問題関心が提起される。青木氏は初めに、音楽という経験にとりわけ鮮明に見てとれるひとつの事実、すなわち、生きられる経験は常に時間的/瞬間的であるという事実を最大限に重視する姿勢を打ち出す。米軍クラブやキャバレーでのパーティー、基地近くのバーで鳴るレコード、基地内教会での礼拝、閲兵での軍楽隊演奏ほか、米軍将兵が音楽を経験したその時間には、彼以外の米軍将兵、日本のバンドや芸能斡旋業者、クラブや店の従業員ほか、複数の人々が同時的にその音楽を経験していた。一人の米兵が日本の複数地域を訪れることも多く、日本の音楽・芸能関係者も複数の米軍基地に出演した。戦後日本と米軍をめぐる従来の歴史的知識からは不可視の次元では、生死ある様々な人々が、無数の「音楽が鳴っている時間/瞬間」を経験しつつ流動していた。
 この種の現実を研究対象とする青木氏は、以下の方法的問題関心を提出する。すなわち、戦後日本の米軍基地で経験された無数の音楽つまり個々の具体的な時間/瞬間に接近することは、どのようにすれば可能か。現実の流動性・混在性を、それ自体は固定的な形式である記述において喚起する方法は、どのようにすれば可能か。この方法的問題関心を提起した本論文は、その方法を案出し、それを記述実践することそのものを目的としている。
 第1章第3節では、この問題関心の延長上に、第2部で実践する手法「細分化・拡散化・流動化アプローチ」が提示される。この手法は、青木氏と対象との出会いの過程、すなわちインタビュー及び文献調査の過程から導かれたものであり、現実の流動性・混在性に流される手法である。第3節では、青木氏はまず井筒俊彦が説く「縁起」的存在論とドゥルーズ/ガタリの「リゾーム状の思考」を並行的に論じ、この手法の存在論的性格を規定してそれを相対化する。「細分化・拡散化・流動化アプローチ」の具体的な説明は、この哲学的考察の後に続く。さらに青木氏は、方法的共通性が見られる先行研究として鶴見良行の『ナマコの眼』と山口昌男の「『敗者』三部作」を挙げ、それらと本論文との関係を論じる。「細分化・拡散化・流動化アプローチ」は、視線を個別具体的かつ多方向的に細分・拡散し、人やモノの流動につきしたがう手法である。すなわち、「特定の建物や地面を誰/何がどこから去来したのか。誰/何が演奏したのか。被取材者や文献に登場する人々は、どこで音楽を聞いた/演奏したのか。そこで誰/何と出会ったのか。何を経験したのか。誰/何とすれちがったのか」という具象的な問いに留まり続け、個々人やモノの交差―出会いとすれちがい―を連鎖的に辿る。米軍将兵、彼らの家族、彼らの恋人、彼らの「買春相手」、日本の演奏家や芸人、従業員、ダンス・ホステス、楽器、レコード、楽譜、土産物などの去来と交差につきしたがい、第2部の冒頭から「一筆書き」を延々と続ける。この記述では、地理的には分離した諸地域で生きられた様々な時間/瞬間が、また因果的・合理的には不連続の出来事が、時系列を跳躍的に「前後」しながら断続していく。ひとつひとつの人々・モノ・建物・地面は他から隔絶した凝固状態にあったのではなく、互いに遭遇し、すれちがい、音楽に接しながら流動していた。流動性・混在性に流されるこの手法をとおして、すなわち、記述自体が混在性・流動性・瞬間性を帯びることをとおして、現実のそうした相貌の効果的な喚起を狙う。
 第1部第2章では研究範囲の概要を示し、第2部へ進むにあたって必要な知識が明示される。初めに地理的範囲(「本土」の米軍基地)と年代的範囲(1945年8月末-1958年)の含意が述べられる。本論文は、「本土」から行政的に切り離された沖縄県は除外し、米軍基地が全国的に所在し多数の米軍将兵が来日した時期として、1958年までを年代範囲としている。占領終結は1952年だが朝鮮戦争は1953年まで継続しており、米軍地上戦闘部隊の「本土」撤退は1958年であった。これをふまえ、1945-58年における駐留将兵の数的変遷と大量の去来―朝鮮戦争の戦時休暇、傷病入院、軍務など―が、具体的な数字を挙げながら明らかにされる。また青木氏は、米軍基地・接収建物の全国的一覧(北海道から九州まで)を作成し、接収前の状況、接収時の用途や駐留部隊、接収時期、現状をまとめた資料を提示する。2章の後半では、2000-08年に実施した文献調査およびインタビュー調査(日本の音楽・芸能関係者と米軍退役者ら約150名への取材)の経緯と使用資料が報告される。最後に、本論文では戦争そのものを直接的には扱わないことに論及し、第2部への準備が固められる。
 第2部は記述編と位置づけられ、第3章と第4章からなる。青木氏はいずれの章でも上述の方法を展開し、2段組で計360ページ強(脚注も入れた文字数は約70万字)にわたり、すべてを「一筆書き」する。日米両国各地で行った合計130余名へのインタビュー成果、9名のEメール協力者からの情報、同時代の新聞7紙(米軍発行の日刊紙「星条旗新聞 Stars and Stripes 太平洋版」など)、雑誌19誌(Ebonyなど)、写真、地図、回想録など関係諸資料を検討しつつ、全国各地の米軍基地で経験された多数の音楽、様々な時間/瞬間の痕跡がひとつずつ辿られていく。「細分化・拡散化・流動化アプローチ」を実践しつつ、約1,000件の脚注(資料批判のほか、経済的・政治的・社会的背景の説明など)と3種類のコラムを各所に挿入しながら記述は進行する。3種類のコラムは、それぞれ以下の性格を持っている。コラム【間奏的挿話】では、青木氏と被取材者との遭遇を記述しながら、彼/彼女らが生きた濃密な時間/瞬間を喚起することを試みている。コラム≪拡大的割注≫では、米軍慰問団USO、芸能斡旋、米軍の人種分離と人種統合、フィリピン人バンド、米軍の生活物資など、幾つかの基礎的事項が説明される。コラム{記述編解説}では、第1章で提示した問題関心と方法論をふまえ、記述編について分析的に論じている。
 「細分化・拡散化・流動化アプローチ」の記述は「すれちがい」(交差)を多く含み、青木氏自身(及びおそらく読者)も交差の連鎖に巻き込まれる瞬間が何度か現れる。第3章は、青木氏が育った場所の近くが一時期は米軍向けダンスホール(鎌倉の「リビエラ」)だったという事実―すれちがい(交差)―で始まる。これに続いてそこで演奏した人物の記述へと移行し、「誰が、何が、どこで、いつ」という具象レベルの交差を辿る手法が展開する。約180ページをへて第3章は「リビエラ」に戻って終了し、そのまま第4章も「リビエラ」から始まる。「リビエラ」は米軍発行新聞に取材されており、第4章ではまず、取材した米兵記者が生きた別の時間が辿られ、同様の方法で記述が続く。戦後日本の米軍基地では、帰休兵、駐留した将兵、日本の米軍病院に入院した傷病兵、米軍慰問に回った日本の演奏家・歌手・芸人らが無数の音楽を経験していた。第2部の第3章および第4章は、具体的な建物や地面の上で生きられた様々な時間/瞬間のひとつひとつに光が当てられる、長大な記述となっている。
 第3部第5章では、第1部の問題提起と第2部記述編とを照応させながら全体が総括される。第2部で青木氏は、米国内各地(および米国外)から入隊した米軍将兵の滞日経験、および全国各地の米軍慰問活動を微細に記述し、戦後日本の米軍と音楽に関連する新たな諸事実を明らかにした。第5章では、本論文の記録としての意義を確認した上で、方法実験の効果と意義が考察される。その論点は以下の2点である。
 (1)1章で提示した方法的問題関心を振り返り、本論文は次のように位置づけられる。本論文は、現実の表象不可能性を了解しつつもその表象不可能な次元にこだわり、そこに向けて新たな角度からアプローチする試みであった、と。言語が経験を表象しえないことは事実だが、経験には、それを意識したり伝達したりするのとは異なる次元、すなわち時間的/瞬間的な次元―時間性/瞬間性―が存在する。言語から「自由な」経験は想定しがたいが、しかし、時間的かつ流動的なものである生を言語と等号(イコール)では結べない。本論文は、この事実に留まって新たな方法を試みたものだった。360ページ強の記述を続けた第2部では、断片的で厖大な言葉の積み重ねを通じて、逆説的に、重ねられたその言葉では到達しえない無数の時間/瞬間の存在を喚起した。記述された回想や同時代の記録は、他者にも理解できるように語られた言説ではあるが、しかしそれが表象しえない次元には、言語化されえない濃密な時間/瞬間が存在した。第2部では、音が鳴らされた楽器、実際に演奏された曲の名前、現実に存在した建物の名前、そして「この世」に生きていた人々の名前をひとつひとつ挙げながら、このことが示された。米軍が戦後日本に大挙して駐留したことは自明の歴史的事実であり、日本人バンドの米軍慰問に関しても、一定の知識は蓄積されている。しかし、歴史的事象として与えられる明快で滑らかな知識の不可視の次元では、生死ある様々な人が混在し流動しながら、無数の時間/瞬間を経験していた。本論文は、その要約しえぬ相貌を、具象性に徹する記述を通じて喚起した。経験された個々の時間/瞬間に接近する方法の模索という問題関心は、詩や文学など、芸術に属する問題と理解されがちである。しかし、音楽においてとりわけ鮮烈に現れるこの問題は人間の生において無視しえない局面であり、経験世界に留まりながらこの問題と格闘することも、人文社会科学に課せられた重要な課題と言える。現実の表象不可能性を前提に、しかしそこにどのように接近するか。個々の経験の時間性/瞬間性、現実の混在性や流動性を思想として語るのではなく、経験世界から出発した考察と記述において、それをどのように喚起するか。本論文はこの挑戦的課題に取り組み、それを完遂した実験的研究だった。経験対象を扱う歴史研究や文化人類学は、現実の表象不可能性という根本的問題を突きつけられて以降、この問題に苦しみつつも、時間的かつ流動的な現実への直接的アプローチを成しえてこなかった。本論文はその「解決策」を提示したものではないが、ひとつの突破口(への通路)は示したものと自己評価される。
 (2)さらに第5章では、第2部がもたらした新たな知見が考察される。青木氏自身が巻き込まれながら記述される第2部は、経験の時間性/瞬間性を最大限に意識した帰結として、自他の関係をまったく新しい視界のもとに浮上させた。合理的また「常識的」な観点から考えれば、青木氏や読者は、本論文で取り上げた個々の経験とは無関係である。しかし青木氏が(おそらく読者も)生きた幾つかの時間は、「一筆書き」で続く記述編のどこかで交差する。この事実は以下の知見を示した。すなわち、「私(たち)」が経験した幾つかの時間は、「私(たち)」とは無関係な人々が生きた幾つかの時間から、わずか数人・数個・数軒・数箇所しか離れていない。具体的な建物や地面を去来する人やモノの交差にしたがい続けることによって、時空間的に離れた出来事が、身体的・情動的な「近さ」の感覚を伴う瞬間的関係において把握される。「自己」「他者」いずれの範疇に入ろうとも、誰であれ人間は他から隔絶した凝固状態では存在しえず、生はつねに時間的かつ流動的である。第2部記述編において、自他をめぐる関係は、以下のような視界のもとに現れた。すなわち、時間性を捨象して抽象的に理解される「自他」の問題としてではなく、アナタとワタシが別々に生きた幾つかの時間が、跳躍的・瞬間的に遭遇する経験として浮上した。近代的時空間の座標軸を破るこの知見は、さらに次のような方法的可能性を示す。現実の人間の生においては、過去と現在は、身体的・情動的感覚を伴いつつ跳躍的に往来し続けている。研究者たる青木氏(やおそらく読者)や本研究の被取材者は、近代的時間意識を内面化してはいるが常に時系列を確認しながら生きているわけではなく、跳躍的で情動的な時間感覚をも生きている。この柔軟な時間感覚は、「記憶」や「時間意識」として論じられるだけのものではなく、経験世界を研究する方法として、自覚的かつ積極的に導入される価値を有している。本論文は、この種の時間感覚が方法化されうることを実践的に示している。本論文の手法「細分化・拡散化・流動化アプローチ」は、過去から未来へと単線的に進行する時間軸を何度も「前後」しながら、時空間の座標軸は維持しつつも、それを跳躍的に動いていくものである。青木氏はこの方法を徹底しつつ、インタビュー、新聞や雑誌など同時代の文書記録、写真、地図、「現存」するモノ・建物・地面、回想録などを多角的に検討し、「過去」の様々な時間/瞬間だけでなく、それらと接近しうる「現在」の時間/瞬間をも記述した。一貫して重視されたのは、理解可能なものとすべく集約された「歴史」ではなく、誰かがどこかで生きた具体的な時間/瞬間のひとつひとつである。もちろん、近代的時間軸の均質な連続性に忠実な歴史記述の意義は、今でも失われていない。しかしその相対性を積極的に受け止め、柔軟で跳躍的な時間感覚と学術論文とが接触することをとおして、より多様な方法的可能性も開けてくる。本論文は、これを実験的に展開したものである。
 以上2点の議論をさらに抽象化すれは、次のように総括できるだろう。本論文が提起すると同時に実践した方法は、言語と時間という問題に新たな角度から挑むものであった。経験対象に出会い何らかの記述をする人文社会科学の実践的営為は、言語と時間をめぐる難題―現実と言語との決定的な乖離、時間的で流動的である生に対して記述という固定的形式―を必然的に抱え込む。本論文はこの問題に正面から取り組み、その解消不可能性を受容しつつも、従来の手法を相対化しながら新たな方向を模索したものである。本論文で青木氏は、戦後日本の米軍基地における音楽という流動的で混在的な現実に導かれながら、独自に案出した手法を貫徹した。この意味で本論文は、経験対象を観察し考察する多様な研究の参照例となるだろう。


本論文の成果と問題点

 本論文の成果は次のようにまとめられる。
 第一に、日本史研究の立場からみた成果が挙げられる。青木氏の博士論文は、日本史研究でも見逃されていた戦後日本の米軍将兵に着目し、彼らの経験の多様な様相を明らかにした点に多大な成果が認められる。戦後日本と米軍に関連する従来の研究は、以下の3種類に大別される。対日占領政策をめぐる研究(GHQ高官へのインタビューを含む)、米軍基地が所在した/している地域における「基地問題」研究、アメリカナイゼーションすなわちアメリカの文化的影響と米軍との関係を考察する研究、以上の3種類である。本論文は、戦後に来日した一般の米軍将兵の経験を音楽に着目しながら緻密に洗い出した点において、極めて画期的な研究であった。米軍将兵は特定の基地に「駐留」していると想定されがちだが、本論文は、朝鮮戦争に関連した短期間の休暇来日をはじめ、戦後の東アジアで起きていた活発な人の移動を明らかにした。終戦後の日本と米軍を扱った従来の研究では人の移動が視野に入らず、人が動いていない印象を与えてしまう研究が少なくない。しかし青木氏の研究は、米軍将兵と日本人との「草の根」レベルでの交流や、多方向的な人的移動の存在を具体的に示した。本論文はこの点でも重要な問題提起となり、今後の研究のさらなる進展が期待される。
 第二の成果として、第2部の実験的記述が発する圧倒的な説得力を挙げなければならない。青木氏は2002年に地球社会研究専攻に提出した修士論文を拡大的に発展させ、精力的なインタビュー及び文献調査と哲学的省察とを往復しつつ、経験の表象不可能性という難題に真正面から取り組み、しかしシニカルな対応には陥らずに独自の方法を案出した。それを貫徹した帰結である本論文は、文化人類学をはじめ経験対象を扱う諸学に新たな視界を開いた研究として、高い評価を与えるにふさわしい。個々人・モノ・建物・音楽の微細な交差を驚異的な丹念さで辿り続けたその記述は、先行例の鶴見良行『ナマコの眼』や山口昌男の「『敗者』三部作」の手法を継承し、それらを一挙に発展させた作品となった。戦後日本の米軍基地で生きた個人・建物・地面などの名前をひとつひとつ挙げながら続く長大な交差の連鎖においては、筆者たる青木氏自身の交差も所々で現れる。9年間の調査過程はむろん、青木氏の人生そのものが記述に圧縮された印象すら与える。青木氏は、読者自身の交差も第2部のどこかに出現するだろうと述べている。一読者でもある審査員は実際に、本論文の対象と合理的には無関係であるはずの「わたし」が図らずも交差していたことに気づかされ、不意をうたれる瞬間が数回あった。瞬間的な交差、あるいは時間と時間とが遭遇する感覚をもたらすこの読書経験は、因果的・合理的・機能的認識が優位性を持つ人文社会科学や「常識」的な現実とは別次元の現実性を、たしかな説得力をもって示す。本論文は、この種の現実性を詩的表現や思想として表明したものではなく、厖大な資料を検討しながら実施した実証的記述において可視化した。この点も、本論文に独特の成果として評価できる。
 第三に、本論文が時間論として持つ成果にも論及したい。二点目の成果とも関連するが、青木氏は、人々が生きている経験の不可避的な瞬間性を喝破した。瞬間としての時間に徹底的に着目した本論文は、文化人類学の立場で成されたひとつの時間論としても新たな視界を開く。第2部から幾つかの記述を事例として取り出せば、人類学や哲学における時間論をふまえながら、さらに考察を深めていける可能性も宿している。時間論的観点から見ても、今後の研究の進展が期待される。
 もちろん、本論文にも問題点は幾つか指摘できる。
 第一に、本論文の対象は戦争と密接に関係しているにもかかわらず、それを直接的には扱わなかったことの問題性が挙げられる。青木氏は、戦争や軍隊に関する不用意な質問が元・米軍将兵や日本の戦争体験者の心身に及ぼしうる影響を考慮し、インタビューではそうした質問を控えたと述べている。この選択は一見すると賢明なものに思えるが、別の見方をすれば、戦争体験や軍隊体験の多様性をあらかじめ狭め、「悲惨さ」や「苦しみ」といった調査者の前提を彼/彼女らの経験に被せてしまっているとも考えられる。本研究の主眼は米軍将兵の滞日経験や日本の音楽・芸能関係者の米軍慰問だったため、戦争経験にまで調査を広げることは困難だった。とはいえ、上記の選択の妥当性は反省的に考察すべきものである。
 第二に、第2部の記述編と第1部及び第3部の方法論的・存在論的議論が説得的な一方で、第2部記述編から発生しえたであろう個々のテーマについては充分な議論や分析が行われずに終わっていることを指摘しなければならない。もちろん、本論文の問題関心及び方法の貫徹と個別事例に関する議論との両立は、本論文の特有な性格を考えれば不可能であろう。しかし、方法論にこだわりすぎている印象も否定はできない。方法上の先行研究として挙げられる『ナマコの眼』(鶴見良行)と「『敗者』三部作」(山口昌男)は、人文社会科学において理論的貢献を蓄積してきた研究者が、ともに60歳代の時期に、従来の科学的手法では見えずに終わる世界を可視化すべく挑戦的に著した作品である。一方の青木氏は、30歳代のいわば処女作である本論文において、科学的手法の盲点をつく実験的博士論文を発表した。今後の青木氏は、本論文の成果を既存の学問領域にどのように「戻し」、発展させてくれるのか。すなわち、本論文で提起し実践した実験的方法や詳細な記述から明らかにされた諸事実をふまえ、より限定されたテーマでどのような問題提起を行い、どのような議論を展開し、人文社会科学の諸領域にどのような「恩返し」ができるのか。これは容易には答えがたい問題だが、厳しく問い続けるべき問題といえよう。
 第三に、経験の時間性/瞬間性への接近という問題関心を一貫させたために、個人の経験を深く考察し記述する機会が失われてしまった点も指摘しておきたい。これも第二点目と同様に、本論文とは両立しがたい問題である。しかし青木氏も自覚するように、特定の経験に焦点を定めてそれを深く多面的に考察する知的営為も、素朴な実証主義とは異なり、経験の表象不可能性を了解した上で試みられるひとつのアプローチとして屹立しうる。これも、青木氏が今後の研究活動の中で立ち返って考えるべき問題として指摘したい。
 いうまでもなく以上の問題点は本論文の成果を否定するものではなく、青木氏自身も自覚するところであり、審査員一同は、これらを今後の研究でさらに深めていくことが期待される課題と考えている。

最終試験の結果の要旨

2009年5月27日

 2009年5月27日、学位論文提出者青木深氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文『オトは流れてヒトは往く―戦後日本の米軍基地と音楽1945-58―』に関する疑問点について審査員から逐一説明を求めたのに対して、青木深氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査員一同は青木深氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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