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博士論文審査要旨

論文題目:親密性の社会学:縮小する家族のゆくえ
著者:筒井 淳也 (TSUTSUI, Junya)
論文審査委員:平子 友長、町村 敬志、安川 一

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本論文の構成

 本論文は、いわゆる「親密な関係intimate relationship」を社会学的に探求した理論的・経験的研究である。
 本論文の前半(第1章から第4章)では、理論的考察に重点が置かれているが、第5章、第6章ではサーベイ・データを利用した実証が行なわれ、第7章ではそれらをふまえて再び理論的な考察が行われている。第8章では、親密な関係を経験的に研究することに伴う方法的問題が考察されている。
 前半の理論的考察では、親密な関係は組織における社会関係の副次的結果であること、親密な関係には選択の負荷、コミットメント継続、ホールドアップ問題という問題があり、そうした問題に対処するには純粋関係戦略と恋愛規範戦略があるということが示され、それぞれの戦略がカバーできる問題とできない問題が理論的に明示されている。
 家族が将来どういう形を取るにせよ、個人は経済的・感情的生活において必要な財をどこからか調達しなければならない。本論文では、主な財の調達先を家族、社会的ネットワーク、市場、政府に分けた上で、親密な関係から効率的に調達される財はメンタル・サポート等の「親密財」であり、親密財が市場や政府から調達される配分構造をつくることは難しいこと、そのため不公平な形ながら親密な関係は存続せざるを得ないことが論じられている。

はじめに

第1章 親密性研究の問題構成
第2章 社会関係資本としての親密性
第3章 親密な関係のモデル
第4章 親密な関係の市場
第5章 出会いとコミットメント
第6章 縮小する家族
第7章 家族の未来
第8章 親密性の調査と測定の問題

おわりに


本論文の要旨

 第1章では、親密な関係の概念上の整理および理論的な定義と、それに関する問題提起が行われている。親密な関係を実質的に構成するのは「情報の共有」と「相互行為の積み重ね」である。互いのパーソナルな情報を持ち合い、かつ相互行為を蓄積させていく度合いに応じて、親密性が深まっていく。
 親密な関係に関しては、社会学的には両義的な評価が存在してきた。ひとつは「疎外論」的見方であり、近代化に伴って強く緊密な人間関係が匿名的なシステム的関係に置き換わっていくという認識に基づき、こういった変化を否定的にとらえる立場である。もう一つは「私化批判論」的見方であり、親密な世界へと傾注する現代人の立場を「公共性」の面から批判する立場である。本論文では、こういった対立が親密な関係についての概念の錯綜に起因するとみて、親密な関係についての概念整理を行っている。
 親密な関係はたいていの場合、非自発的に投げ込まれた社会関係(家族あるいは脱埋め込みされたシステム的関係)のなかから生じる。家族から生じる親密性は非自発的なものであるので、近代社会においては、自発的親密性(友人関係や恋人関係)の源泉はシステム的関係であり、他の原理(市場原理など)に付随する二次的な関係である。
 近代人は、システム的関係を源泉として(それとは独立した)親密性を作り上げるだけではなく、システム的関係そのものに親密性を埋め込んでいく。こういった営みは組織上の効率性を生み出すこともあるが、コネや贔屓など望ましくない要素の原因ともなる。
 親密な関係の主な存在理由は、そこから得られるメンタルな満足にある。本論文ではメンタルな満足は「親密財」と呼ばれている。経済学でいう「公共財」が市場からは効率的にもたらされないのに対して、親密財であるメンタルな満足は市場や政府からは効率的にもたらされない。最も効率のよい親密財の調達先は相性のよい相手であると考えられるが、人々はそういった相手を探すコストを払うよりも、すでに身近にいる(必ずしも自発的に選択したわけではない)相手から実際の親密財を調達する。この場合システム的環境(企業や学校)における経験を共有するコストを減らすことができるから、このことには合理性がある。
 第2章では、社会関係資本論および社会的ネットワーク理論と親密な関係との関連を説明することにより、多様な社会関係(特に組織)の中に親密な関係がどのように位置づけられているかが、論じられている。
 1980年代以降、社会関係についての理論と経験的研究は「社会関係資本論」というラベルのもとで新たな展開を見せている。本論文ではこの流れを整理した上で、社会関係資本を集団や関係の集合的特性としてとらえる見方よりも、「社会関係に埋め込まれた資源」とみるN.リンの見方が採用されている。
さらに社会関係資本論や社会的ネットワーク理論と平行して登場したネットワーク分析の理論が検討され、これらのモデル(スモールワールド・ネットワークおよびスケールフリー・ネットワーク)にはヒエラルキー組織の視点が欠けているがゆえに、現実の社会関係のモデルとしては適切ではないことが批判される。現実の社会関係の多くは組織上の関係であり、そしてほとんどの組織はネットワーク型ではなくヒエラルキー型であるからである。
 総じて、アソシエーション型の組織とヒエラルキー型の組織との生成を同時に説明することができる理論が社会学には存在しないため、本論文では、新制度派経済学の理論が援用されている。「取引費用」の概念を導入することにより、相互行為が市場、アソシエーション、ヒエラルキーのどの形態に発展するのかが説明されている。
 既存の社会関係資本論に依拠している限り、親密な関係は「コネ」といったかたちで、効率性や公平性に悪影響をもたらすものとして、否定的にしか捉えられなくなってしまう。本論文ではこれに対して、親密な関係には独自の合理性があることが指摘されている。
 第3章では、親密な関係についてのモデル構築を試みている。この章で依拠したのは経済学および感情社会学のモデルである。これらを援用することにより、外的環境から相対的に独立した親密な関係の特性と、その関係内部のダイナミクスを説明できる理論モデルが提示されている。
 親密な関係、特に恋愛関係は「ホールドアップ問題」を生じさせやすい。親密な関係においては相手に深く関わることから効用が得られるが、このことは逆にお互いが機会主義的行動に走るインセンティブを与える。というのは、関係がうまくいかないときでも、その関係が深いものであればあるだけ、関係を解消して別の人との関係を一から構築するコストの方が、そこから得られるであろう便益を上回ることが多くなるからである。このように「情報の非対称性」に基づくホールドアップ問題のモデルは、親密な関係の問題をうまく説明するものの、他方でホールドアップ問題は、その他の社会関係においても生じるものであり(もともとホールドアップ問題は経済取引における非効率性を説明するモデルであった)、これだけでは親密性独自の特性を説明したことにはならない。
 そこで本論文では感情社会学に依拠しつつ、私的な場面での相互行為では「こういった場面ではこう振る舞う(感じる)べき」といった「レート」の共有が困難であること、レートの調整はコストの高いものになり、そのため(ギデンズの「純粋な関係」理論が示唆するのとは逆に)親密な関係においては外的基準に依拠するインセンティブが存在することが指摘されている。
 第4章では、前章のモデルを援用しながら、親密な関係においてどういう問題が存在し、それがどのように解決されるのかについて、理論的に考察されている。
 まず、親密な関係の満足がメンタル・サポートから得られるものであること、メンタル・サポートはコミットメントにより高められること、さらにサポートの価値は「同類性」すなわち社会的地位が近い相手との関係において高くなることが確認され、この出発点から、親密な関係においては、どのような問題がどのように解決されているのかが理論的に考察されている。
 第一に、親密な関係には「選択の負荷」の問題がある。つまり、親密な関係を結ぶことが時間的に継続した営みである以上、特定の相手を選択することの機会費用が膨大なものになる。さらにその機会費用を計算することも不可能であるので、このコストは「潜在的機会費用」として現に行った選択に心理的な留保を突きつけ続ける。この問題に対処するために人々が利用するのが恋愛規範であり、そこでは「好き」であることに理由を求める必要がなくなるため、現に付き合いのある「この人」と「もしかしたらつきあっていたかもしれないあの人」との比較をすることの意味がなくなる。
 第二に、親密な関係には「コミットメント継続」の問題がある。つまり、親密な関係からもたらされる満足が、そのコミットメントの深さに応じて決まるのなら、それは一時の不満足を乗り越えて継続していかなければならない。人々が純粋関係の原理(関係に満足している限りで関係を維持する)に忠実に行動する場合、コミットメント継続は難しくなる。現実の親密な関係は、組織上の関係に付随するものであるから、関係の継続はある程度自動的に行われる。しかしそれは、親密性市場のローカル性を高め、選択の負荷を大きくするというデメリットがある。
 第三に、親密な関係にはホールドアップ問題がある。親密な関係におけるホールドアップ問題を解消するには、契約を交わすこと、当事者の間で共有される「特殊的資産」を減らす方法が考えられるが、これらは親密な関係の満足そのものを低減するので、現実には難しい。
 以上の三つの問題については、恋愛規範を強調して関係から得られる具体的満足よりも個的な存在としての相手を重視するか、あるいは純粋関係を強調してあくまで関係から得られる満足を重視するか、という解決法があるが、これら二つの態度のうち、三つの問題に共通して効果のあるものはなく、また三つの問題のうち、これら態度のどれか一つによって解決されるような問題も存在しない。
 第5章では、結婚・出産に関する実際のデータを分析することを通じて、出会いとその後のコミットメントが結婚生活の質に与える影響が論じられている。計量的な分析の結果、早婚よりも晩婚の方がその後の結婚の質が高く、またよい配偶者をサーチすることよりも出産前の「二人だけの時間」を持つことでコミットメントを強化した夫婦の方が結婚の質を高めていることが示されている。配偶者サーチ期間が長く(晩婚)、また出産タイミングを遅らせる(晩産)方が結婚の質が高まるとすれば、結婚の幸せと子どもを持つことが矛盾することになる。つまり出生に関して個人的な合理性と社会的な合理性が矛盾することになるのである。
 最近の具体的な結婚と出産の動向をNFRJ03(『2003年全国家族調査』)の結果から見てみると、次のようなことが明らかになる。学歴の面で、低学歴カップルは極端に早婚か極端に晩婚であり、グループとして分離している傾向がある。夫の年収に関しても、年収による結婚格差が見て取れる。
 出産タイミングについては、若くして結婚したカップルにおける早期出産(場合によっては婚前出産)の割合が多く、また結婚から出産までの「新婚期間」については教育年齢が高いほど長い。とはいえ、婚前出産(いわゆる「できちゃった婚」を含む)は、10代結婚カップルだけの特徴ではなく、30代後半においても多くみられる。
 次に結婚・出産タイミングがその後の結婚生活に及ぼす影響について、記述レベルでの統計とモデル推計による分析が行われている。
 夫と妻の配偶者満足度については、夫の満足度の方が妻のよりも高い。子どもの数については、概して子どもの数が少ないほど夫婦満足度が高い。結婚年齢の効果は、20代前半結婚グループにおいて低い傾向が見られる。新婚期間が長いほど夫婦満足度が高く、できちゃった婚において最低である。この結果から、子どもがいる夫婦よりも子どもがいない夫婦の方が、子どもが多い夫婦よりも少ない夫婦の方が、そして結婚から出産までの期間が長い夫婦の方が、高い結婚の質を実現しているといえる。結婚年齢の効果はそれほど強くなく、ここから、よりよい相手を探すサーチの効果よりも、見つけた相手とよいコミットメントを達成することの方が結婚の質を高めるということが示唆されている。
 第6章では、少子化の問題をとりあげ、少子化がしばしば注目されるマクロな影響(社会保障制度の維持困難)に加えて、親族サポートの減退というミクロな帰結を持つことが示されている。
 世代間援助のミクロ形態である親子間サポートについて記述的に分析を行った結果、一人の親をサポートできる子どもの数がまだ2人程度確保できている現在でも、実質的に親をサポートしているのはそのうちの一人であることが示されている。
 少子化をきょうだいの変化という側面からみてみると、少子化に伴ってきょうだいに男性がいない家の割合が増えており(正確には男女混合兄弟の割合が減っており)ことが示されている。
 「家(姓)が途絶える」という現象がどのくらい生じているのかついて、データによって推計を行った結果、現代世代(1945〜70年生まれ)においてもすでに予想される継承率は60%〜80%であり、「家が代々つながっている」という価値規範は近い将来にかけて本格的に掘り崩されていくことが予想されること、また、姓の継承について言えば、現状ではきょうだい数の効果よりも無配偶の効果の方が大きいことが示されている。
 第7章では、より広い文脈(社会構造)の中に家族を位置づける作業が行われている。
 近代社会において個人が資源を調達する先を「家族」「社会的ネットワーク」「政府」「市場」に分けた場合、市場には財の効率配分が、政府には財の公平な配分が期待される。これに対して家族には、財の無条件の扶助が期待されている。経済的な扶助については法律上の規定があるが、インフォーマルには親密財(メンタルサポート)の提供も家族に期待されている。
 次に、成長と公平という二つの資源配分原理が矛盾することの説明が、少子化を例にとって行われている。
 公平性とは「自分で選んだわけではないことによって自分が影響を受けない」ことであるとすれば、家族が子どもの扶養義務を持つことこそが、近代社会に残る最大の不公平性であることになる。この不公平性は家族の機能を脱埋め込みすることによって軽減されるが、しかしこのことは完全には達成されないし、また親密財の効率配分を損ねるという副作用がある。この意味で、家族を現在の形で残していくことは公平性の面での問題を存続させるが、他方で親密財の効率性という面では望ましいということになる。公平性と効率性は家族においては完全に両立しないのである。
 第8章では、親密な関係や家族についての経験的な研究、主に計量的な研究を計画するにあたっての実際上の問題点が、実際の分析結果を踏まえつつ整理されている。
 まず現状の日本における社会調査の非効率性の問題として、官庁統計が原則非公開のため、同じ内容のデータを得るために大学研究グループが資金を調達する必要があること、そしてそのデータもまた非公開の伝統が続いたため、別の研究グループが重複内容の調査を行ってきたことなどが指摘されている。近年ではJGSS等の公開前提調査が蓄積されており改善が図られている。とはいえ、調査設計や分析手法をめぐる非効率性やトレードオフの問題が残っており、これらに対していかに対処すべきかは、調査研究者の大きな課題となっている。
 家族に関する調査においても様々な調査設計が考えられる。最も一般的なクロスセクション調査のほかに、代表的な調査設計としてはパネル調査とカップル調査がある。一般的に、パネル調査は回顧データのバイアス(および個体効果)を、カップル調査は夫婦のジェンダーによるバイアスを除去するという利点がある。とはいえ、もしこのバイアスが無視できるほど小さいのなら、わざわざコストの高い調査設計を採用する必要がなくなる。本論文では特に、カップル調査がバイアスを検出できるのかどうかが、通常調査との比較通じて実証されている。
 計量分析の手法に関わるトレードオフも存在する。計量分析の手法は調査設計にあわせて発達をみせており、パネルデータの分析にはパネル分析の手法(固定効果モデル等)が、階層的データの分析にはマルチレベル分析の手法が採用されるようになってきている。とはいえこれらの手法に関してはその複雑さやデータ上の制約などから、また別のレベルにおける困難が引き起こされている。
 また、親密な関係に関しては、調査に当たって調査対象者に多大な負担を強いることが多く、これをいかに軽減して効率的な調査を行うのかがこれからの課題となっている。
 本論文で提起される理論の多くは仮説であり、後の実証的研究において検証されることを念頭においたものである。しかし親密な関係についての実証は、計測の問題もあって多くの困難が伴う。このような文脈から、効率のよい親密な関係の実証のための条件を考察したのが最終章である。


本論文の成果と問題点

 本論文の成果は、第一に、私的でパーソナルな関係領域(親密性の領域)の存在とあり方の社会的合理性を、「親密財」の配分という着眼のもと、諸データの数量的分析に拠りながら考察-論証することを構想し、それが一定の成果をあげつつ実現している点である。とりわけそうした試みが、意思決定や制度形成にかかわる経済学的なミクロ分析モデルを積極的に取り入れながら、配偶者選択や家族形成を含む、親密性に関する統一的な分析モデルの構築を通じて行われた点は、本論文の最も優れた成果の一つである。
 これまでの社会学的研究には、対象が家族であれ夫婦であれ、それらが何らかの意味で独自な存在であるとする常識知を自明視し、そのことを前提に領域閉塞的な研究を行なう傾向があった。その結果として生まれた記述に生活実感を重ね合わせることは容易だが、これらの世界が公的世界と無条件に別個のものであるとする思い込みは、親密性についての理解をむしろ妨げてきた面が少なくない。それに対して筒井氏は、親密性を「情報の共有」と「相互行為の蓄積」という2点で操作的に定義したうえで、合理的選択という観点から、親密性の領域を公的世界と統合的に論じることを目指した。ここに、社会関係資本や、親密な関係の「交渉モデル」の検討をふまえ、3つの問題(「潜在的機会費用の問題」「コミットメント継続の問題」「ホールドアップ問題」)に対する合理的対処のあり方として「恋愛規範」と「純粋関係」とを両軸にすえた親密性にかかわる総合的モデルが提起されている。このような仕方で、「親密性・家族研究をその他の知的世界(経済学や社会学のその他の分野)と有機的につなげていく」指向性が理論的に基礎づけられ、その考察をふまえてあらためて親密性の領域の性格が再考されるとともに、実証・論証の道筋が示される。こうした一連の理論的・実証的試みの実行とその着実な成果が、まずはこの論文の大きな知的貢献である。
 成果の第二は、本論文が親密性に関わる既存の社会学的着想に対して、上記モデルをもとに更改方針を示した点である。筒井氏の研究の起点のひとつである「感情社会学」は、感情を首尾よく社会学的に主題化し、その社会的なりたちを指摘して満足して以後、停滞の感がある。たとえば、家庭内分業に伴う情緒的葛藤にせよ、感情労働の増大と劣悪化にせよ、私的領分への公的世界の論理の浸透を疎外論や抑圧論の文脈に当てはめ、感情ルールの破綻として語るだけの論述は、現状理解にも解決にも力をもたない。これに対して筒井氏は、感情のあり方を、たとえば家庭内相互行為の相互調整のあり方との関わりで捉えるべきことを主張する。つまり、家庭内分業の公平性にかかわる感情(的軋轢)は、公的世界の公平性をめぐる基準の変容と親密性の領域のそれとの調整の不調に関連づけて理解されるべきだという。しかもこうした連動は、親密性が「ホールドアップ問題」に関わるがゆえに解消されづらいという制約のもとで起こる。つまり、親密財の喪失のコストの見積もりとこれへの対処は、家庭内の感情的軋轢の増幅とも縮減とも関わり、かつまたネガティヴな関係性を持続させるというある種不合理な選択ともつながって、親密性の領域を維持しつづける。親密性の領域の独自性とは、むしろこうした連動のあり方の“効果”として記述できる。こうして感情社会学は、感情の社会性を、ある社会的場に伴ってこれを構成する感情ルールとの関わりにおいて説明するだけでなく、場に関わる人々の相互行為、その場と外的世界との連動、等々、幾重もの動的連関のなかで論じるべきだと、筒井氏は主張する。妥当かつ議論喚起的な提言である。
 成果の第三として、本研究が公開されている調査データ・アーカイヴ(JGSS、NFRJ、現代核家族調査、等)を活用した計量分析をふまえた実証的研究として遂行されたことを挙げたい。少なくない研究者が、同様な課題設定、同様な調査設計、同様なデータ収集を行ないつつ、それぞれ別個に研究を進める、という社会学的現実の非効率は、調査データの集積と共有、二次利用の推進に向かう動きの中で一定程度軽減し始めるかにも見えるが、実際のところ、データの二次分析を主たる方法とする研究の蓄積はそれほど多くない。そうした中で本研究は、公開データのみを用いて、理論モデルと計量的分析手法を工夫しつつ明確な結論に至っている、数少ない事例のひとつだといえる。「第8章 親密性の調査と測定の問題」には、そうした研究実践の現時点での総括・検討が記されている。そしてその結果、市場、政府、家族、社会的ネットワークという4つの社会的セクターによる資源配分の実際と相互関係にかかわる知見が導き出される。すなわち、資源配分の多くが市場と政府によって担われるようになった現代社会においても親密財は家族において配分され続ける、その理由は親密財の調達を家族に求めることが効率的でありそれゆえ合理的な選択だからである、そして、それはまた親密性と家族をめぐる不公平が維持され続けることでもある、という結論が導き出されている。一方でこれは、上述してきたように家族という親密性の領域をめぐる合理と不合理に対する社会学的表現として説得的である。他方またそれは、個人の行為分析と制度分析を接続するという理論的方法論的課題をめぐる実践が、一定の成功的事例をもたらしたということでもある。
 もちろん、本論文に指摘できる問題点も少なくはない。
 第一に、親密性の領域をめぐる理論モデルの構築に向けて、親密性を「情報の共有」と「相互行為の蓄積」という2点に限定して操作的に定義した本論文は、この題材を社会の諸セクターの相互連動を制度論的に論じることを可能にしはしたが、しかしこの操作的定義は、親密性の領域における関係性のあり方を形式的/外延的に表現することはできても、特定の関係性のあり方としての“親密性”を内容的に表現するようにはみえない。つまり、親密性とは親密性の領域に築かれる関係性の属性である、といった同語反復的な記述がなされている印象を拭えない。親密性の領域では親密財の配分がなされるというのも同語反復的で、親密財なるものの事例(“親密”なメンタル・サポート)は示せても、“親密”なることを限定的に記述することはできない。これらはもちろん議論の抽象化をめぐる戦略の問題だが、そうした戦略の選択自体の説明と、そのうえに築かれる社会学的議論の性格と見通しに関わる議論とが明示的になされるべきだったろう。
 第二に、経済学的諸理論との連動を念頭において描かれた研究の見取り図は、それゆえの弱さも含み持っている。社会学的想像力にとって公平性や権力という問題は言うまでもなく重要だが、あわせてまた、社会全体を捉える捉え方も重要な課題だった。つまり、社会を4セクター・モデルで把握することの成否とその限界について、自覚的な議論があってよかっただろう。
 もっとも、こうした問題点は、本論文の達成した成果を否定するものではなく、本論文で示された構想が概念的にも研究実践としてもいっそう整備されていくなかで解決されてゆく今後の課題というべきものである。本論文の構想と成果が示した方向に沿って筒井氏の研究が今後さらに精緻に展開されることに期待したい。
 審査員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与したと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2008年5月14日

 2008年04月24日、学位論文提出者筒井淳也氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「親密性の社会学:縮小する家族のゆくえ」に関する疑問点について審査員から逐一説明を求めたのに対して、筒井淳也氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条3項に定める外国語および専門学術に関する学力認定においても、筒井淳也氏は十分な学力を有することを証明した。
 以上により、審査員一同は筒井淳也氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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