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博士論文審査要旨

論文題目:現代中国農村における権力と支配:新中国建国初期の土地改革と基層政権(1949-1954)
著者:田原 史起 (TAHARA, Fumiki)
論文審査委員:三 谷 孝、糟谷憲一、坂元ひろ子、渡辺雅男

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一、論文の構成
 本論文は、中華人民共和国建国直後の時期において新たな中央権力の「支配」がどのように地方農村社会に浸透したのかという問題について、新解放区の江西省における具体的な過程を分析したものであり、400字詰原稿用紙にして590枚(図表を除く)からなっている。その構成は以下のとおりである。

第1章 序論
 第1節 問題意識
 第2節 課題
 第3節 視角
 第4節 構成
第2章 政権形成の諸環境
 第1節 旧中国の基層権力空間
 第2節 基層権力空間の再編
 第3節 政権形成の制度的環境
第3章 県級政権の形成と変動
 第1節 「南下幹部大隊」
 第2節 「南下工作団」
 第3節 南下人員の社会的性格
 第4節 現地県城における幹部形成
 第5節 県級政権の変動
第4章 県級政権と農村社会  第1節 工作隊の作用
 第2節 工作隊の空間配置
第5章 基層政権の形成と変動
 第1節 区級政権組織の形成
 第2節 基層政権の形成の諸契機
 第3節 基層幹部の社会的位相
 第4節 基層政権の変動
第6章 基層政権と政策浸透
 第1節 階級区分政策の形成史
 第2節 政策実施の諸環境
 第3節 政策実施における「逸脱」
 第4節 「逸脱」の要因
第7章 結論
 資料・参考文献

 なお、本論文はアジア政経学会から現代中国研究叢書の1冊として今年度中に刊行されることが決定している。

二、論文の概要

 第1章において、著者は、本研究に関連する分野として現代中国の土地制度変革論・官僚制論・幹部人事制度論の研究史を概観した後、自らの研究課題を、1949年から1954年に至る時期の新解放区農村における政治変動(県・郷・村レベルでの政権機構の形成過程)と地方・基層幹部の動態の解明として設定し、その際に使用される「幹部」概念と「エリート」概念について説明する。そして、国家権力の浸透は、人事配置面においては、その「手足」として地方に派遣される「政治エリート」と現地社会から抜擢される「エリート候補集団」との「同化」の過程として現れるものとする。

 第3章以下のいわば本論の前提にあたるのが第2章であり、地方社会における政権形成の「諸環境」を論じている。まず第一に、歴史的視野から清末民国時期の中国における農村統治と基層権力の特徴について論及し、「地方エリート形成」に失敗したことからこの時期の国家の社会への浸透も限定されたものであったとする。第二に、建国前後における基層権力空間の再編作業について、匪賊の討伐(「剿匪」)に見られる「反革命勢力」の排除、政治統合を促進するためのインフラとマスメディアの整備、行政単位の再編という三つの面から検討する。そして第三に、政治協商会議・人民代表会議・郷農民代表大会等の設立に示される政権建設構想と幹部の人事管理制度についての法的・制度的背景を整理し、50年代半ばに至る時期にそれらの形が一応整えられたものとする。

 第3章では、新解放区における県級政権の形成過程の実態が検討される。1948年から49年にかけて旧解放区から新解放区に派遣された約10万人の「南下幹部」は、各省・地区・県の主要ポストに配置されていった。ここでは、まず華北の旧解放区の地方幹部からなる「南下幹部大隊」と天津の学生を中核とする「南下工作団」について、その計画立案・幹部抜擢準備作業の実情・幹部抜擢のパターン・幹部大隊の編成の実例・南下後のポスト・その教育程度と政治的素地・南下への動機付け等の諸点が検討される。そして、訓練期間を含んで半年近くの時間をかけて南下したこれらの幹部が、新たな任地である新解放区の県で実施した工作、すなわち現地社会において地下党出身者・旧政府からの留用人員・青年知識分子らを新幹部に抜擢し、彼らを「エリート候補集団」として育成する過程が明らかにされる。ついで、1950年から84年までの江西省10県における県政府・県党委員会の指導部の人事の変遷を省外出身者(東北・華北・その他)と省内出身者(自県・他県)に区分して図表化して示した上で、県長・県書記のような県級のポストは長期にわたって南下幹部に占められ、その下位にあたる副県級のポストが現地幹部に開放されていた点、及び南下幹部は党系統に、現地幹部は行政系統により親和的であったことが指摘され、時間の経過とともに両者は次第に「同化」される過程をたどって、70年代後半に至って党・政府ともに中核幹部が「現地化」されたものとする。

 第4章では、「県エリート」の基層農村社会での活動形態として、「上から下への流動性」(downward mobility)を示す工作隊について論じられる。臨時性・多部門性・機動性を特徴とする工作隊の派遣は、上級エリートを基層社会に「同化」させるとともに大衆運動を通じて農民を上級の「手足」の役割を果たす基層エリートとして育成して基層社会に政治的求心力を発生させる狙いをもつものであったが、世界観・生活感覚・言語生活での相違から「同化」にはさまざまな困難がともなった。この溝を埋めるために「三同」(農民と食・住・労働を同じくする)の実践が試みられたもののこれには限界があり、上級からの派遣人員は「官僚主義的」に仕事を行う傾向が強く、工作隊が去ることで上級権力によって人為的に加えられた圧力が軽減されるとともに多くの村落では政治的な求心力も失われることになったとされる。

 つづく第5章では、末端農村からの幹部の登用すなわち「下から上への流動性」(upward mobility)を考察するために、農村政権建設の前線基地としての区政府の成立過程、「八字運動」(清匪反覇、減租減息)・土地改革・再検査・郷人民代表選挙の四つの運動に見られる政権建設の諸契機、基層幹部の社会的属性、基層幹部の政権内での異動の特徴、の諸点が検討される。新政権を支える基層エリートの多くは当然国民政府時期の旧社会エリートとは異なる階層、すなわち農村の貧困層から補充された。こうして組織された基層幹部集団の特徴は、20~30代の若年層が中心となり、女性の参加が見られ、貧農出身者が多数を占め、教育程度から見れば非識字ないし半識字者が多かったことが明らかにされる。こうした農民が中心であったために、これらの農民幹部の職位は、ほとんどが農村に近い基層レベルに止まって、それ以上の上昇のチャンスに恵まれることは稀であった。また、村の農民協会委員などの選挙も「民主選挙」という形式をとりながらも、実態は上級の強力な「指導」にもとづく「抜擢」であって、村民は消極的姿勢しか示さなかったという。

 統治集団と現地農村社会との分離状況が解消されることのなかった中華民国以前の「国家と社会の分離」の状況と比較するならば、新中国の農村統治においては、県エリートの下方移動と「大衆の発動」の方法を積極的に活用することで両者の距離を縮小しようとする努力が試みられたが、県城と農村社会の政治社会的な「分離構造」は基本的に変革されることはなく、農民にとって県城は依然として遠い場所であり続けたとされる。

 また、こうして形成されていく基層政権の地域的な不均等性の現れとして、農村工作の「試点」(重点地区)に選定されるような、交通通信面での条件に恵まれて区や県との密接な連絡が可能であるとともに凝集的な政治構造を備えた郷や村においては、工作隊は比較的「大衆路線」に近い活動スタイルで、基層政権の「培養」作用を発揮しえたが、県城・城鎮からも遠く、政治的にも不活発な郷や村では工作隊は基層政権の「代行」作用を全面に押し出すことがしばしば見られて、上級の批判を受けることになったという。

 第6章では、土地改革運動の一部として展開された、階級区分政策の具体的な実施過程を検討することで「政策浸透力」について考察される。土地・生産用具の所有と労働の搾取関係を基本的な基準として階級を区分する「政務院規定」(1950年)が基層農村において適用される時、生活程度における量的な大小を基準とする農民の生活体験に基づく階級イメージとの相違から、各地で適用の「誤り」・「逸脱」が発生した。一つのタイプは、基層政権の政治的求心力が不足しているような地区においては、工作隊が政策の実施を代行してしまったため、階級成分の審議について必要な個別の世帯に関する情報が収集されず、階級区分が誤って適用されがちとなり、上級は「再検査」と「大衆の発動」による矯正を求めたとされる。もう一つのタイプは、基層政権が政治的求心力を備えた地区において、農村住民が階級区分の適用プロセスに積極的に参加したために、統治エリートの側が自ら社会変革の経験に基づいてつくり上げた階級区分政策と実際の社会構造との間のズレが顕在化し、そのために政策内容の適用の仕方において逸脱が生じたというものである。つまり、ここでは基層政権が求心力・指導力を有していたことが政策浸透力を強める方向に作用していないのである。だがそこからは、国家が基層政権に対して、ある部分では厳格に政策の執行を要求するが、また別の部分では政策内容の現地化が行われることを積極的に認め、むしろ基層政権が政策内容の一部を現地化し、変更を加えることを可能にするような「自治能力」の向上を期待していたようにも思える点もうかがえるとする。

 第7章では、結論としてこれまでの議論を整理した上で、著者は、1950年代半ばまでの中国農村には伝統的な「村落自治」にかなり近い側面がなお残されていたとして、「全体主義的」に見える体制下にあっても内部的な「自治」に任されているか、あるいは任せざるを得ない領域がこの時期の農村には残されていたのではないかと推論する。


三、成果と問題点

 建国直後の中華人民共和国についての日本人の研究は、全体として数も少ない上にその多くが土地改革と大衆運動、そして共産党の政権構想に関する問題に集中している。それは「新中国」を創造したという中国革命の鮮烈なイメージが研究者の問題意識に刻印され、影響を与え続けたことに由来するものと思われるが、1989年の天安門事件を留学中に北京で体験した著者の世代はこうした制約からは自由であり、アメリカの中国共産党研究の成果なども旺盛に吸収して、中国共産党政権の「権力」と「支配」の構造を実証的検討にもとづいて問い直そうという試みが本論文に結実したものといえる。もちろん、こうした県以下のレベルの郷・村の基層政権の実態についての研究が可能になった背景には、革命から50年近くが経過して、中央・地方の各種政策文書のかなりの部分や当事者の回想録・伝記類が公刊されたこと、当時の地方新聞が閲覧可能になったこと、各県単位の地方志が刊行されたこと、外国人による現地調査の実施が許可されるようになったこと等の資料収集面で状況が大きく好転したことをあげることができる。こうした有利な条件を活用して、著者が本論文で主として用いた資料は、中共中央中南局機関紙『長江日報』・江西省委員会機関紙『江西日報』等の新聞、中南軍政委員会土地改革委員会の定期刊行物『中南土改簡報』等の土地改革関係の報告書や土地改革参加者の回想録・伝記類と江西省各県の『県志』であり、そして、自ら1996年に江西省で実施した農村現地調査と土地改革工作隊参加者40人からの聞き取り調査の記録である。

   本論文の成果として以下の点をあげることができる。

 第一に、中央権力が地方の基層社会に浸透していく過程について、県級政権と県級幹部、基層政権と基層幹部、その両者をつなぎ末端の農村大衆を「発動」するために派遣された工作隊、というそれぞれのレベルにおける実情を明らかにするとともに、中央政権の政策が、具体的にどのような人々を媒介として基層農村でどのような反応をもって受容されたのかについて系統的に分析したこと、また、そこに現れた個々の問題の分析・解釈についてもおおむね説得的であること。このような研究成果は従来見られず、本論文は研究史に新たな研究領域を切り開いたものと評価できる。

 第二に、実証的研究としてこれまで知られなかった事実が明らかにされている点。建国初期の「剿匪」(匪賊の討伐)の規模、南下幹部の具体的構成と活動、県級政権の人事の変遷と出身地別分析、工作隊の配置計画と末端での活動、基層幹部の来歴と教育程度等は、本論文で初めて明らかにされたものである。未知の土地に赴くことと将来への不安から逃亡した南下幹部が少なくなかったことや初期の基層幹部の中に「地主の走狗」・「兵痞(兵隊くずれ)」・「会門(秘密結社員)」等の「不純分子」がかなりの部分を占めていたこと、貧困・労働している・品行方正・変革に積極的(この条件を備えた農民はほとんどいなかったとのこと)という村落リーダーとしてあるべき条件を備えた農民は概して高齢・小心・実務能力に欠ける者であったことなどの指摘は、「革命的幹部」と「起ち上がる農民」という単純で通説的なイメージに事実によって変更を迫るものといえる。

 第三に、著者の念頭には、現在行われている村民委員会や人民代表の選挙が農村の「民主化」の実現とどう関連するのかという問題関心があり、その分析の方法を求めて過去に溯って建国初期の基層農村の権力構造を研究対象としたという。そうした意味からも、実際に地方政治を末端で支える基層幹部・「基層エリート」などの集団の機能と特徴についての実証的検討にもとづく概念化は、この論文が扱った以外の時期の問題について分析する際にも十分に参考となりうること。

 しかし、本論文の研究対象は、建国後5年間の江西省に限定されており、今後に残された課題も少なくない。たとえば、著者は結論において、「伝統的な『村落自治』にかなり近い側面」が50年代半ばまでの中国農村には残されていたと推測するが、これに続く集団化・人民公社の時期には国家の農村支配・農民の生活への介入は一層強化されたものと一般的に考えられている。この時期に「村落自治」は消滅するに至ったのかという点、並びに同じように「以党治国」(一党支配)を政治原則とする国民党政府の地方支配とはどこが相違するのかという点などは今後の課題となる。また、県級幹部の人事の変遷は『県志』の記載にもとづいて分析されたものだが、こうした資料の制約から、変化の傾向は把握できても、なぜそうなったのかという問題は十分に解明できていない。とくに「文化大革命」の時期には「造反」によって人事の大変動があったものと思われるが、この点には論及されていない。より具体的な検討を今後に待ちたい。

 しかし、このような問題点は著者も自覚するところであり、その研究能力や着実に研究成果を積み重ねてきた従来の実績からみても、将来これらの点についてもより説得的な成果を達成しうる可能性は大きく、今後の研究に期待したい。

 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

1998年6月23日

 1998年6月23日、学位論文提出者田原史起氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「現代中国農村における権力と支配-新中国建国初期の土地改革と基層政権(1949-1954)-」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、田原史起氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は田原史起氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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