博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:近世日本の国家思想と「牧民之書」
著者:小川 和也 (OGAWA, Kazunari)
論文審査委員:若尾 政希、渡辺 尚志、池 享、田﨑 宣義

→論文要旨へ

1.本論文の構成
 本論文は、『牧民忠告』という民政書(中国の明代に成立した書物)の訳註書及び関連書―著書はそれを「牧民之書」と総称している―が近世日本の政治の現場において作られ、使われていく過程を、近世の前期から幕末までを通じて考察したものである。「牧民之書」は、近世の各時期にいくつも作成されたが、著者は、それぞれの「牧民之書」がどのような契機で誰によって著されたのか、丹念に調査・分析した。その結果、幕政や藩政が危機に直面したときに、危機を自覚した為政者層により『牧民忠告』が注目され、状況を打開するいわば処方箋として「牧民之書」が作られたことを明らかにした。本論文は、「牧民之書」の成立過程と受容を通じて、近世の国家思想の展開を辿ろうという意欲的な論考である。
 本論文の構成は以下の通りである。

序章 「牧民之書」から探る近世国家思想 ―領主と民衆の関係意識―
 はじめに
1 戦後の近世思想史研究と国家思想
 2 書物研究という手法について
 3 なぜ「牧民之書」なのか
 4 その通史的意義
 5 本論の構成と概要

第一章 近世前期・『牧民後判』の成立と「仁政」思想の確立
    ―伊勢桑名藩主・松平定綱の事例を中心に―
 はじめに
 第一節 「番方」出身大名・松平定綱
 第二節 「東海道第一蕃之御大名」
 第三節 『牧民後判』と『山鹿語類』
 第四節 『牧民後判』の諸本比較
 第五節 徳川領国の牧民武官
 第六節 寛永大飢饉と譜代大名
 第七節 天道委任論と「領守」思想
 第八節 『牧民後判』の読者像
 おわりに

第二章 「天和の治」における将軍像と『牧民忠告諺解』
    ―大老・堀田正俊の思想―
 はじめに
 第一節 「民は国之本」条目の意義
  1 「民は国之本」条目の発布者は誰か
  2 『徳川実紀』と『言録』の記載
 第二節 『言録』にみる将軍像
  1 『言録』の諸本比較
  2 『言録』にみる将軍像
 第三節 藩主・正俊の民政思想
  1 正俊の「御家三カ条」
  2 国家老への書簡にみる正俊の民政思想
 第四節 「民は国之本」条目と『牧民忠告諺解』
  1 正俊の学問と『言録』の成立過程
  2 『牧民忠告諺解』と「民は国之本」条目
 第五節 「天和の治」と正俊の秩序観
  1 「静」と「誠」への関心の集中
  2 天譴説と社会秩序観
  3 君臣観と牧民官
 おわりに
 付堀田正俊関連年表

第三章 近世における「牧民之書」の出版事情
    ―朝鮮本の影響と『吏民秘要諺解』の思想―
 はじめに
 第一節 朝鮮本の受容と影響
  1 中国本と朝鮮本
  2 保科版は実在したのか
  3 『牧民忠告』と明君像
 第二節 元禄本の思想を探る
  1 元禄本の序を読む
  2 「心学」の書としての元禄本
 おわりに

第四章 天明期・越後中岡藩の藩政改革と『和語牧民忠告』
    ―読書による藩家老・山本老迂斎の政治思想―
 第一節 長岡藩における老迂齋の位置
 第二節 抜書から探る読書の実態
 第三節 民間の視点・領主の視点
 第四節 藩政改革への影響
 第五節 『和語牧民忠告』の成立過程
 第六節 割元・横山家の蔵書
 おわりに

第五章 尾張藩の「所付代官制」と『牧民忠告解』
    ―参政・人見璣邑と大代官・樋口好古の藩「国家」観―
 はじめに
 第一節 尾張藩の藩政改革と明君像
 第二節 『牧民忠告解』の成立と所付代官制の確立
 第三節 天明の飢饉と二つの訳註書
 第四節 所付代官制と『牧民忠告解』
 第五節 藩版『牧民忠告解』と永楽屋東四郎
 第六節 享保本の読者を追う
 おわりに

終章 幕末における『牧民心鑑』の展開
   ―平塚飄齋著『牧民心鑑解』と長井旌峨著『牧民心鑑訳解』―
 はじめに
 第一節 平塚本の成立過程とその展開
  1 官版と平塚本の普及
  2 漢詩文のネットワークと平塚本
  3 「官許開版」の意味
 第二節 長井本と中村藩の報徳仕法
  1 長井本の成立過程
  2 報徳仕法と長井本
  3 一藩から「皇国」へ
 第三節 明治維新と「牧民之書」
  1 封建制・郡県制・国郡制
  2 国郡制と藩「国家」
  3 その後の運命
 おわりに
 付 「牧民之書」一覧表1 訳註書・関連書・類書
   「牧民之書」一覧表2 漢籍

2.本論文の要旨
 序章では、いまなぜ近世国家思想を論じるのか、問題意識と研究史を整理する。そして、書物研究の意義を述べるとともに、なぜ、「牧民之書」を用いて国家思想を考察するのか、問題提起をおこなった。
 第一章では、一門大名とも譜代大名ともいわれる伊勢桑名藩主・松平定綱が慶安二年(一六四九)に執筆した『牧民後判』を取り上げ考察した。島原の乱以降、幕藩制国家を襲った危機は寛永の大飢饉である。定綱は、その危機のなかで、いかに民を治めていくのかという喫緊の課題に答えることを余儀なくされたのであるが、そのときに、定綱がいわば発見したのが『牧民忠告』であった。思想家山鹿素行と交流していくなかで、定綱は『牧民忠告』を読み解き、『牧民後判』を書き上げていく。『牧民後判』の成立過程の考察を通じて、定綱の領主思想・意識を探り、近世初期にどのように「仁政」思想が確立するのかを明らかにした。
 第二章は、大老・堀田正俊の思想と『牧民忠告』との関わりを考察した。延宝八年(一六八〇)に出された「民は国之本」に始まる条目は、五代将軍・徳川綱吉の初政「天和の治」の幕開けを告げるものとして、これまでの研究で注目されてきた。しかし、この条目の思想的背景を本格的に解明した研究は皆無であった。本章では、堀田正俊が林鵞峰に『牧民忠告』の注釈を依頼し、それに応えて鵞峰が著した『牧民忠告諺解』を詳細に分析し、これが「民は国之本」条目の各条と深く関連することを明らかにした。あわせて、正俊が著した綱吉言行録である『ようげんろく颺言録』の諸本を比較し、大老・正俊の領主思想を探った。
 第三章では、元禄期になって始めて刊行された『牧民忠告』の訳註書『吏民秘要諺解』の内容を分析し、そこに訳註をこえて訳註者自身の思想が反映した部分が多々あり、そこには手厳しい為政者批判が含まれていることを明らかにした。本章では、あわせて、日本における『牧民忠告』の受容において、朝鮮本(朝鮮半島の密陽で開板された『牧民忠告』)が大きな役割を果たしたことを指摘し、その意味を考察した。
 第四章では、長岡藩の天明の改革を主導した藩家老・山本老迂斎の施策に着目した。藩財政窮乏の打開策として老迂斎が目を付けたのは、『民間備荒録』と『牧民忠告』であった。前者は、奥州一関藩の藩医・建部清庵が著した救荒書・農書であり、老迂斎は、この書物を藩内の地方官吏に配布するとともに、この抜き書き書『救荒余談』を作成した。他方、『牧民忠告』については、自ら訳註を施した『和語牧民忠告』を著し藩版で出版し、やはり藩内に配布した。このように天明期の長岡藩の藩政改革の特徴は、藩家老の読書によって着想され、書物を配布・出版することで推進されていった点にあることを明らかにした。
 第五章では、天明期の尾張藩の藩政改革を主導した藩参政・人見璣邑が、藩士の樋口好古に命じて天明六年(一七八六)に、『牧民忠告』の訳註書『牧民忠告解』を作らせ、藩版として出版していることを明らかにした。くわえて、この訳註書が、尾張藩の藩政改革の柱の一つ、代官がじかた地方に常駐する「所付代官制」と密接に関係していることも論証した。また、天明期の尾張藩主は、徳川宗睦であるが、この宗睦の「明君録」として、『御冥加普請之記并図』という書物が存在する。藩主・宗睦が『御冥加普請之記并図』によって「明君」化されるのと並行して、『牧民忠告解』が藩板として刊行されたことの歴史的意味を考察した。
 終章は、幕末に板行された『牧民心鑑』の訳註書について考察した。嘉永六年(一八五三)、江戸と大坂で『牧民心鑑』の訳註書『牧民心鑑訳解』と『牧民心鑑解』が開板される。『牧民心鑑訳解』の著者は漢学者・長井旌峨、『牧民心鑑解』の著者は京都町奉行与力の平塚飄斎である。長井の『牧民心鑑訳解』成立には奥州中村藩の藩権力が関与し、この書物は中村藩の藩政改革、特に報徳仕法と密接な関係をもっていた。一方、飄斎の『牧民心鑑解』成立の背景には、京都の漢詩文のネットワークが存在した。両書の成立過程と幕末という時代状況とが、どのように関係するのかを探った。また、終章では、近代以降の「牧民之書」の展開も大まかに展望した。明治維新後の廃藩置県と「牧民之書」の関係、明治期の『牧民忠告解』の写本、また、太平洋戦争開戦前後に相次いで出版される「牧民之書」などについて考察して結びとした。

3.本論文の成果と問題点
 従来、日本近世の支配思想・国家思想を研究するに際して、もっぱら検討対象となったのは、荻生徂徠や山鹿素行といった当代一流の思想家の思想であった。統治者たる為政者(幕藩領主層)も被治者である民衆も、研究の視野に入ってこなかった。それに対し、領主層と民衆との間の関係意識に焦点をあわせて、支配思想・国家思想を研究しようという提起がなされたのは1990年代以降のことに過ぎない。本論文は、まさに領主層と民衆が直接に対峙する農政・民政という場を対象にした研究であり、新たな研究動向を実証的に推し進めたものと評価できる。これが本論文の第一の成果である。
 くわえて、やはり1990年代以降になるが、日本近世史研究において、手書きの文書のみを史料として歴史を叙述するのではなく、文書と同時に発見される蔵書・書物をも史料として歴史を叙述しようという研究動向がおこってきた。本論文は、この動向を受けて、蔵書・書物を史料にして近世の政治史を叙述しようとした意欲的な試みであり、この点でも高く評価できる。
 第三に、領主層と民衆が直接に対峙する場を軸にして、政治史を描いたことによって、従来の領主層の動向のみに偏した政治史を塗り替えることに成功している。たとえば、寛永の大飢饉下の幕政に関する叙述、五代将軍綱吉の「天和の治」の叙述、長岡藩・尾張藩の天明の改革に関する叙述は、これまでの政治史研究では描くことができなかったところであり、研究史に残る大きな成果である。
 著者の筆致は、平易かつ達意、それでいて勢いがあり読ませる。文章力という点でも優れた論文である。しかし、何よりも本論文に説得力をもたせているのは、著者が集積したデータである。著者は、日本各地に所蔵されている「牧民之書」を可能な限り調査し、一点一点について、写本・刊本の別、写本の場合はどの系統のものか、刊本の場合は誰が所蔵していたのか、書き込みはあるか、等々のデータを取ってきた。このような地道な基礎的作業を踏まえることにより、本論文が重厚で説得力をもつものとなったことを指摘しておきたい。
 以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより不十分な点がないわけではない。氏の立論のあり方からすれば、「牧民之書」が具体的にどのように受容されたのかという点までを事例を掘り起こして分析する必要があったが、「牧民之書」の作り手に分析を集中させたため、必ずしも十分な検討までは出来ていない。しかしながら、そうした問題点は著者もよく自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。
 以上のように審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、小川和也氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2007年11月14日

 2007年9月25日、学位論文提出者小川和也氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「近世日本の国家思想と「牧民之書」」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、小川和也氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査員一同は小川和也氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

このページの一番上へ