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博士論文審査要旨

論文題目:戦時下の日中映画交渉―その史的展開をめぐって
著者:晏 妮 (YAN, Ni)
論文審査委員:坂元 ひろ子、松永 正義、三谷 孝、吉田 裕

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一、本論文の構成

 本論文は、1920年代後半から、中国映画第一次黄金期を迎えながら日中戦争期に突入した30年代をはさんで、戦争終結の1945年までのおよそ二十年間にわたり、中国および戦争によって中国とのかかわりを強めた日本の、双方における映画をめぐる言説・制作・配給・上映・輸出入等にわたる交渉の様相を歴史的にとらえようとする。一国の枠、また中国国内でも当時の占領区・非占領区の枠をこえ、日中双方の資料を駆使し、方法的にも使用する資料においても、従来の当該研究の制約を突破し、空白を埋めようとした、新しい試みである。
 構成は次の通りである。

第一章 序論
1 問題の所在
2 先行研究について
3 分析の対象と方法
4 論文の構成と使用する資史料

第二章 日本における中国映画言説の生成と変遷
第一節 発端期 ―満洲事変以前
1-1 上海を介しての中国映画論
1-2 映画人の目に映った中国映画
1-3 映画と上海 ―都市と映画への交錯した視線
第二節 形成期 ―日中戦争期 
2-1 情報としての中国映画紹介
2-2 本格的な中国映画論―岩崎昶と矢原礼三郎
2-3 欧米映画通から中国映画へ ―内田岐三雄と飯島正
2-4 中国映画言説ブームの隆起 ―中華電影の面々とその他
第三節 成熟期 ―太平洋戦争期
3-1 同文同種の夢 ―川喜多長政
3-2 第二の岩崎昶になれたのか ―筈見恒夫
3-3 軍隊と民間の間に立って ―辻久一
3-4 文化論を語り得るのか ―清水晶

第三章 大陸映画の様相と対中映画政策
第一節 日本国内における大陸映画
1-1 大陸映画とは
1-2 大陸表象 ―女性・戦場・領土
1-3 大陸映画メロドラマの二重性
1-4 大陸映画のジレンマとその変貌
1-5 大陸映画から「大東亜映画」へ
第二節 占領区における大陸映画 ―華北を中心に
2-1『東洋平和の道』の製作をめぐって
2-2 北京・京劇映画
第三節 占領区における大陸映画 ―上海を中心に
3-1 二重構造の中華電影
3-2 国策に程遠い大陸映画 ―中聯の製作
3-3 「大東亜映画」の両義性 ―『博愛』と『万世流芳』
3-4 協力か抵抗か ―日中合作映画『狼火が上海に揚る』を手がかりに

第四章 占領区における日本映画の進出
第一節 上海における日本映画の進出
1-1 進出と反進出の鬩ぎ合い
1-2 ニュース映画の進出と劇映画進出の準備
1-3 国策映画の不発と中国映画の人気
1-4 プロパガンダの行方
第二節 華北における日本映画の進出
2-1 占領政策に追いつかない劇映画の進出
2-2 進出映画の選定と検閲 ―村尾薫の報告を中心に
第三節 日本映画の受容の実態
3-1 上海における上映 ―日本映画専門館の大華を中心に
3-2 華北における上映
3-3 映画進出は功を奏したのか ―上海を例として

第五章 中国映画の輸入と受容
第一節 『椿姫』の輸入をめぐって
第二節 『木蘭従軍』の輸入と受容
2-1 孤島文化のシンボル ―『木蘭従軍』
2-2 中国における『木蘭従軍』の受容の両義性 ―抗日か親日か
2-3 なぜ『木蘭従軍』は日本に輸入されたのか
2-4 「大東亜映画」のエンターテインメント ―『木蘭従軍』
第三節  『西遊記 鉄扇姫の巻』の受容
3-1 ディズニーと抗日を融合した『西遊記 鉄扇姫の巻』
3-2 『西遊記 鉄扇姫の巻』の受容―アメリカニズムへの転覆
第四節  中国女優の受容にみる戦時下のジェンダー

終章  結論と今後の研究展望
1 映画史の時空間とその多義性
2 各章の要約と結論
3 本研究の総括と今後の展望
4 後記

付録資料
参考文献一覧

二、本論文の概要

第一章(序論)では、先行研究の問題点を指摘しつつ、本論文での方法、方向が以下のように示される。1920~30年代にかけて、日中の映画はともに欧米映画の影響を受けつつ、ナショナルシネマの構築・展開期、またサイレントからトーキーへの移行期にあった。日中戦争の勃発で映画は、周縁的な位置から、娯楽のためのみならず、戦時/抵抗イデオロギーを表象する中心的な装置として機能するまでになる。先行研究においては、日中双方で国別の一国史的あるいは侵略/被侵略側の空間を分割するかたちでの映画史研究がなされてきたため、戦時に「合作」にもいたった交渉を無視・タブー視し、また中国内でも占領区と非占領区を対比的にとらえて政治的判断を下し、抵抗=愛国か協力=「漢奸」映画に単純化して、後者を歴史から抹殺しようとする動向すらあった。本論文ではそうした二項対立的な方法を解体すべく、戦時下の分割不可能な時間空間において、日中映画の連鎖性・相互作用の実態を以下の章において、丹念に検証する。

第二章は日本における中国映画言説の生成と変遷についての時系列的な検証。第一節、満洲事変(1931年)以前では映画館に関する記述に始まり、映画人の鈴木重吉を例外として、中河与一・吉行エイスケ・谷崎潤一郎・金子光晴ら文学者が中心となる言説をとりあげる。大正時代から始まった上海への趣味、ツーリズムとの関連性と結び付けて分析し、日本における中国映画言説がその発端期から、多重的視線が交じり合って、様々な分野を横断する性質をもっていたと指摘する。
第二節は日中戦争期。本格的な中国映画批評として、まず、37年までではプロレタリア映画の視点から左派系、蔡楚生の『漁光曲』や『新女性』を賞賛した岩崎昶や、階級意識だけでなく民族復興精神を見抜いた中国映画愛好家の矢原礼三郎ら、いずれも個人的関心から出発してとりあげ始めた論者たちをとりあげる。さらには、その後の日中戦争の激化で、それまで無関心だったフランス映画専門家ながら、中国旅行を経て、中国映画にアメリカニズムを見て、日本映画による中国映画に対する指導性を唱える内田岐三雄、かたや日本と中国との距離を縮めようとした飯島正とをとりあげ、それぞれを戦時色が強まり出す当時の日本知識人の対中国意識の典型とみなす。
第三節、太平洋戦争突入直前から敗戦にいたるまで、国策映画会社の設立や日本国内における大陸映画の大量製作に促されるように、中国映画言説のブームが到来した時期。おもな考察対象は、父を北京で日本の憲兵隊に暗殺され、中・独に留学、東和商事とその上海支社を設立した映画輸入業・製作者で1939年に設立の中華電影股份有限公司(略称、中華電影)に日本軍部から重任が与えられた川喜多長政、中華電影に身を置いた筈見恒夫、辻久一、清水晶ら四人の言説。内田と飯島の二人と比べ、関係者としてはめずらしく中国語に堪能で日中の「同文同種」観・反アメリカニズムが強かった川喜多や映画と大衆の関係に注目し、中国映画の質を評価した筈見、現場主義に徹し、抗日心理を分析した辻、日中文化比較から、中国人の抵抗対象を日本から英米に転化させようと考えた清水らの論述に、「大東亜共栄圏」の理念の醸成をみてとる。太平洋戦争開戦で言論統制が厳しくなるなか、時代の暗影が投影される一方、越境性のある映画会社にいたからこそ、岩崎、矢原、内田、飯島らが知り得なかった中国映画製作の実態、映画観客と映画との連鎖的関係、映画館情報などを把握し、中国映画の存在を日本国内により大きく知らしめもしたと分析する。
旅行手記や随筆などに始まった中国映画言説は、太平洋戦争期に入ると、研究対象として確立されつつあり、戦時における日本映画言説の重要な一部分になるにつれ、日本映画の内部に浸透し、戦時日本映画の政策制定と史的展開に大きく影響するまでになり、さらには、中国映画の製作に日本人が参与し、両国映画を絡み合わせる理論的根拠となったと指摘する。

第三章では、中国人を日本国内で映画表象にした大陸映画の製作と受容、北京に設立した「華北電影股份有限公司」(華北電影)と上海の中華電影における大陸映画製作に焦点をあてる。第一節では、1937年からの中国戦線のニュース映画に刺激されて、『亜細亜の娘』『五人の斥候兵』をはじめ、大陸を表象する大陸映画が、戦争映画、女性映画、(満州)開拓映画、恋愛映画などのジャンルを横断的に製作されたなか、日本映画のメロドラマの系譜を汲み、李香蘭の『支那の夜』のような大陸メロドラマが観客の歓迎と評論家の批判を同時に招いた事態に着眼し、こうした二面性の産出とかかわる戦時思想、二面性が大陸映画製作の内部で喚起した諸ジレンマを検証する。さらにそのジレンマの、大陸メロドラマを両義的に受容した中国への影響の波及、日本の大陸映画製作方針の修正の促進や、その後の日本映画進出への影響、太平洋戦争開戦によって次第に「大東亜映画」の文脈に回収されていく大陸映画製作を分析する。
第二節と第三節の考察対象は、日本に占領された中国の華北地域と上海とで製作された大陸映画。占領側と被占領側の双方が関わった占領区域における製作と受容については先行研究が極めて手薄なため、日中双方の資料を使用し、大陸映画製作の全貌を概観のうえ、具体的な作品とそれをめぐる言説を分析し、占領側と被占領側の葛藤による緊張感が及ぼした映画製作と配給への多大な影響、日中間の齟齬、思惑のズレを浮かび上がらせる。
第二節では、華北、占領下の北京で川喜多長政の製作になる初の日中合作映画『東洋平和の道』(東和商事、鈴木重吉、1938)を本格的大陸映画としてとりあげ、以下のように位置づける。監督・撮影は日本人ながら、脚本にまで中国人を加え、中国ロケで主役の中国農民らを中国人に演じさせ、満映初期の作風に通じ、西洋人で演じられたパール・バックの『大地』と比較しても破格で、中国人の内面にまで踏み込もうとした試みではあった。だが、「支那の立場」だとみなされて岩崎昶を例外として不評で、興行的にも失敗する。それでも39年には軍部に見込まれて中華電影をはじめとする上海の国策映画会社の実質的代表者になった川喜多はなおも劇映画制作は中国人に任せたのだ、と。
特に第三節では孤島(1937年の第二次上海事変から1941年12月8日の太平洋戦争の勃発までの四年間、日本軍に占領されなかった上海のフランス租界、共同租界)期の中国映画情勢と中華電影の設立を概観した上で、太平洋戦争の開戦前、孤島で「借古諷今」(古に借りて今を諷刺する)形式によって張善琨・卜万蒼らがしたたかに抗日映画を製作し続けていた中国映画製作体制と設立されたばかりの中華電影との対峙、さらに開戦後、日本の租界占領に伴う孤島の消失で、残留組による抗日的映画製作の可能性を失い、中華電影監視下の中華聯合製片股份公司(中聯、総経理は張善琨)に吸収される経過を追うその過程で、「借古諷今」による抗日も困難となったがために、時代劇から現代劇へと製作が一変することを見逃していない。作品では中華電影の監視下に製作され、記録的興行成績を収めたが、先行研究では「間接国策映画」と目された『博愛』(中聯、卜万蒼、馬徐維邦、張善琨等、1942)・『万世流芳』(中聯、卜万蒼・張善琨等、1943)の多義性を指摘する。アヘン戦争をテーマとして「大東亜映画の先駆」とされた『万世流芳』では、親日シンボルとして満映の李香蘭と、外敵に屈しないシンボルとして卜万蒼作『木蘭従軍』の木蘭役で孤島映画の寵児となった陳雲裳とを共演させ、親日娘より、さらには主役の愛国的な林則徐よりも、むしろ陳雲裳の演じる抗敵女傑のイメージをさりげなく際だたせている点に注目し、第五章でとりあげる『木蘭従軍』の抗日精神の投影をみとる。中華電影の設立後、最初で最後の日中合作映画『狼火が上海に揚る』(『春江遺恨』、華影、稲垣浩・岳楓、1944)については製作過程における日中映画人の異なる思惑を指摘、中国側の非協力という抵抗のあり方を析出、日本国内と中華電影側、中国人起用の川喜多長政本人との政策上の差異をも明らかにした。

第四章は先行研究のない戦時下の日本映画の中国進出実態に関する先駆的研究といえる。第一節と第二節では、日本映画の華北と上海とへの進出の実相、第三節では汪政権の英米宣戦布告とともに敵性国映画が追放されるなかでの日本映画の受容の実態を検証する。分析によれば、太平洋戦争開戦前では、開拓映画『新しき土』が中国文化人の抗議に遭うなどする状況にあって、日本映画は中国では在留日本人向けに専門館でのみ上映するほかなく、上海郊外や農村部への巡回映写を経て、開戦後に全面的進出するが、それは占領区の人心獲得のための日本の戦時文化政策の一環であった。とはいえ、映画地盤の弱い華北と上海とでは、関係者は日本映画の進出に異なる対応をした。上海において、進出の先鞭をつけることになるメロドラマ『暖流』公開の意外な成功は、上海映画のモダニズムに通ずる洗練されたセンスがあったためであろうが、反英空気のなか陸軍の『マライ戦記』(1942)なども当たった。上海進出した日本映画作品群はことに技術面で中国映画に影響をもたらした。北京の華北電影側が映画館の増設、『熱砂の誓ひ』のような通俗メロドラマの輸入などで進出をとげたのに対し、上海の中華電影側は米英経営の洋画館の接収、日本映画専門館の開設とともに、なおも機能していた中国映画体制の吸収を同時遂行することになった。戦時にメロドラマは日本では批判にさらされたが、上海のような抵抗の強い都市とは異なり、華北では進出にむしろ使われた。この異なる進出政策で両区域ともに露骨な国策映画は中国人による拒否に遭い、進出方針の再考を迫られ、国策色の薄い作品を主軸に据えるほかなくなった、と。

第五章は同時期の中国映画の日本への輸入を考察し、以下のように指摘する。増大する中国映画をめぐる言説が次第に日本映画言説の一部をなすが、日本国内の中国映画作品の不在現象は続く。この不均衡に関係者が焦るなか、映画輸入業は必然的に戦争政治に巻き込まれる。たとえば『椿姫』(光明影業公司、李萍倩、1938)は第二次上海事変後だけに中国文化人によってその輸出が売国的だとして激しく反発されたが、日本にはそれが伝えられることなく「支那風ロマンス」として輸入されると、それまでの作品不在を埋める「支那」理解のテクストとして受容された。とはいえ、作家の阿部知二が上海文化の特殊性を読みとった以外には、欧州の作品の翻案劇であるため、「支那らしさ」を見とれず、中国、特に上海の映画事情を知ろうとする中国映画論者を逆に困惑させてしまったのだ、と。
第二節では、太平洋戦争開戦後、二本目の輸入作品『木蘭従軍』(新華影業公司、卜万蒼、1939)をとりあげ、この父になり代わって孝行娘の木蘭が対異民族戦に従軍するという古典の映画化が、上海では抗日として好評をえたものの、重慶では親日とされて焼き討ちに遭いさえした騒動を、以下のように解釈、検証する。木蘭が漢民族の女傑としてではなく、抗日の戦士として表象されたうえに、マスメディアによる喧伝のなか、伝説のジェンダー・アイデンティティがナショナル・アイデンティティに回収されることで、結局は流通したのであり、一連の騒動は中国における抗日ナショナリズムを表す表裏一体の現象であった。この作品が騒動の紹介ごと日本に輸入されると、多くの言説は中国の言説界で強調された抗日愛国の中の抗日を退け、曖昧な愛国だけを際だたせることで、『木蘭従軍』を「大東亜映画」の娯楽作品、傀儡政権下の「新支那」の作品として読み換えがなされた。この作品の日本での映画興行成功後、やはり抗日の意思を暗喩する長編アニメ『西遊記 鉄扇姫の巻』(略称、『西遊記』、中国語題名、『鉄扇公主』)(中国聯合影業公司、万籟鳴・万古蟾、1941)も次いで輸入され、同様に、「借古諷今」によって、ディズニーのアニメに対抗しうる東洋アニメ、あるいは「大東亜共栄圏」の成果として喧伝され、当時、長編アニメのない日本映画界に多大な刺激を与えた。これはそれ以前、たえず日本映画の下位におかれた中国映画の位置を『西遊記』が逆転させたことを意味するのだ、と。
第四節では、日本の中国女優受容を大陸映画の女性表象とも深く関連するものと指摘する。具体的には、『東洋平和の道』の主演、白光、『木蘭従軍』の陳雲裳、日本側が第二の李香蘭として発掘した汪洋ら三人の女優に焦点をあてる。彼女たちに注がれていた視線には、映画と現実でともに中国の娘を演じ続けた李香蘭へのそれと同質的な要素もあれば、言説界でその「声」が奪われたり、あるいは「支那人形」とされたりするような、異なる要素もあるとみる。戦時イデオロギーは、彼女たちの身体、親日的に見える顔を必要とし、対照的に、中国男優の身体と顔は不要としたのであり、この点の大陸映画表象における中国男性の不在という特徴との見事なまでの一致に、戦時下のエスニシティ、ジェンダーとナショナリティの女優の身体への刻印を見取る。

終章。本論文は、全体を通じて、「言説が映画製作を誘導し、輸出、輸入の配給が映画市場の活況をもたらして映画製作を刺激し、映画製作がまた言説を再生産するという循環的ダイナミズム」の展開として日中映画交渉をとらえたものと、位置づける。その作業によって占領区・非占領区それぞれでの「対日協力・融和」的作品における被侵略側の屈折した潜在的抵抗、「対日協力」作品製作の回避、日本側の文化工作の複雑性、戦時下の日本映画と中国映画の連鎖・相互作用性、日本国内の大陸映画の製作と中国における映画会社との方針上の差異とそれの日中映画合作と日本映画進出への作用を検証しえた、としめくくる。そのうえで、日中映画交渉史の完成を期してあげる今後の課題は以下の四点。第一に、占領下の映画作品と日本における受容を補い、孤島期映画、占領下映画の全貌に対して、通史的に検証し、第二に、すでに資料収集段階にある非占領区で製作された映画の日本での論評について研究し、戦時下日本における中国映画の受容史をまとめ、第三に、満映に対して詳細な考証をおこない、第四には戦争終結で途絶えた日中映画交渉の戦後における止揚の様相を検証する。

三、評価と判定

 20世紀生まれの文化といってもよい映画は、一般的には大量複製が可能な大衆向きの文化であり、長いあいだ高度な芸術としては扱われなかったこともあり、映画史というジャンルも、日中を含めた多くの国の研究制度においては周縁化されてきた。また地域別の文化史にあっても、その中心に映画がおかれることはまずなかった。このこととも関連して、大学で専門の訓練を受ける機会は希少で、映画史に携わる者は必ずしも歴史研究者ではなく、映画の作品評論のかたわら、映画史を手がけるという場合が多い。各国の映画史研究はこの制約から自由ではなく、視覚文化そのものが伝統学の対象とされがたかった文字の国、中国はもとより、日本の場合も例外ではない。
とりわけ日中戦争が日本と中国を決定的に非対称の関係とし、戦後処理・賠償問題が終了したとはいいがたい状況にいまなおあるなか、双方の国家における高度な政治性や両国とりわけ中国国民における有形無形の傷痕にかかわって、専門的な研究においても戦争期の記憶の記録や資料の公開を制約的なものとしている。日本側の研究者がその立場を問われる場面もままあり、その時期の研究を回避しようとすることさえありうる。中国側についても、文化大革命期において、もと映画俳優という出自をもち、毛沢東夫人にしていわゆる「四人組」の唯一の女性、江青が映画界で専権をふるったという歴史的事情が加わり、戦時・革命下の中国映画の史的研究の層をなおさら薄くさせることになった。
中国の名門大学、清華大学で学部を終え、早稲田大学で修士号を取得後、中国映画評論の分野での仕事を長く重ねてきた本論文の筆者は、そもそも戦後も川喜多記念映画文化財団に長年属した関係で訪中した清水晶と知己を得たことから、同財団の招きで来日したのであった。日中戦争期の日本側の映画工作従事者と中国人としてどう向き合うのかを、切実な課題として思索してきた。川喜多長政をめぐって、その「同文同種」「大東亜共栄圏」の夢が、中国では帝国主義侵略者として断罪の対象であり続ける。かたや日本では、長年にわたって中国をはじめアジアでの映画界の信用を得たコスモポリタンとして、戦後の業績を重んじ、その夫人川喜多かしことともに高い評価が与えられてきた。日中映画交渉史の重要人物の評価がかくも引き裂かれたままにされ続けていること自体、この研究課題の困難さを示すところとなっている。中国人の側から、長年にわたる日本滞在で資料を渉猟することによってこの困難に満ちた研究に挑んだ筆者は、なみなみならない意欲と研鑽で、前人未踏の領域にも踏み込むかたちで本論文を完成させた。
筆者がこの挑戦にあたって採用した方法は、日中において日本帝国による侵略戦争によって分断された空間にとらわれた日中それぞれの一国史観、また中国国内の占領地区/非占領地区の位置による対日協力/愛国の単純化を伴う評価を突破すべく、いわば非対称ながら、いずれにせよ国家の欲望によって引き裂かれた空間の裂け目に跨った映画の言説、合作を含む製作、配給、輸出入、上映の様相を丹念に調査するというものである。それだけに、日中双方において、一筋縄では解きえない、ギリギリかつしたたかな帝国への抵抗の可能性を見出すことになった。こうした方法にもとづいて論考は破綻なく進められており、独創性・先駆性が発揮しえていて、これまでの研究における空白を少なからず埋めたことにもなり、本格的な交渉史としての先駆的研究として高く評価されてよい。
筆者はもちろん、文献資料にかわるテクストとして映画の作品分析を本研究にも用いている。だが、製作・配給・輸出入・上映など行為としての映画を対象としているため、日本の多くの中国映画史がそうであるような、単なる作品紹介に終わってはいない。上に述べたことと関連して、文献主義の強い歴史学では、視聴覚資料の扱いに概して積極的ではないが、筆者はこれまで長く分析対象としてきた映画作品と当時の雑誌資料等とを組み合わせ、また映画界事情・社会文化にも通じることで、リアリティの豊かな歴史論文に仕立てあげている。ことに筆者の第一言語が日本語でないことを勘案すると、その技法はなおさら見事というべきである。
さらに本論文で評価すべきは、ジェンダー視点からの分析をとりいれている点である。この点でも、日中に跨るところでの分析であるだけに、創見を示しえた。たとえば、ここでとりあげられた『木蘭従軍』は、古典を題材に、1920年代後半の武侠映画ブーム時にも、家父長制度下での自由にして孝行の女侠の装いで二度映画化されたのち、戦時下の39年にあらためて抗敵の女傑として映画化され、近年、気鋭のフェミニスト映画批評家たちからも注目されている作品である。筆者は日中双方向からその製作と受容の問題を大量の資料に照らして眺めるだけに、理論に終始して看過しがちな歴史の複雑性についても見落としてはいない。古典と当時の多民族国家言説が下敷きとなって、錯綜したエスニシティの問題に対して、ジェンダー分析をからめることで、独自な見解にたどり着いている。
 本論文は上述のような大きな成果を示した力作であるが、意欲的な論文であるだけに、以下のような、今後の課題として残された、あるいは開かれた問題点も指摘しうる。
1,当時の映画館・上映について、社会学的・地方史学的な成果にいま少し目配りし、また占領区における巡回映画に関しても把握しておくことが望ましい。
2,本論文では女優が分析対象とされたが、日本映画の男優の布置においても、ジェンダー分析を加えると、深みと冴えを増すことになろう。
3,中国映画言説におけるアメリカニズム批判などでは、当時の日本における「近代の超克」論との関連など、日本思想界との関連性についても考察されることが望ましい。同様に、日本の戦時プロパガンダ政策についての把握もより深められるべきであろう。
4,「大陸映画」から「大東亜映画」へという議論では、概念化において緻密化する必要がある。
5, 資料の博捜では、現状において他国の研究の追随を許さないところではあっても、ことに欧文による研究がさして参考にされておらず、理論面での深化のためにも、この点を補う必要があり、そうすることで、本論文の日中の枠も、またより広げられうる契機もえられよう。

 本論文はこうした課題を残しつつも、これらは本人の自覚するところでもあり、上述のように、日中戦争期を中心とした日中映画交渉史において、水準の高い先駆的研究を示しえており、日中双方での公刊に値する内容を有する。
以上、審査員一同は、本論文が日中映画史分野にとどまらず、広く日中の歴史文化関係の学界にも刺激を与え、寄与しうる成果を確実に挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのに相応しい業績と判定する。

最終試験の結果の要旨

2007年6月13日

 2007年5月23日、学位論文提出者晏妮(Yan, Ni)氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「戦時下の日中映画交渉―その史的展開をめぐって―」についての審査員の質疑に対し、晏妮氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、晏妮氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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