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博士論文審査要旨

論文題目:プリムローズ・リーグの時代―世紀転換期イギリスの保守主義―
著者:小関 隆 (KOSEKI, Takashi)
論文審査委員:森村 敏己、土肥 恒之、貴堂 嘉之

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本論文の構成
第三次選挙法改正の結果、有権者の過半数を労働者が占めるにいたったイギリスでは、予想に反して保守党が長期政権を維持し、「保守党支配の時代」(一八八六—一九〇五)を実現させる。本論文は、その背景にあった労働者による保守党への支持、すなわちポピュラー・コンサヴァティズムに注目し、それを支えた大衆組織である「プリムローズ・リーグ」の活動を詳細に分析することで、世紀転換期のイギリスにおいて、労働者たちはなぜ、そしてどのように保守党支持へと組織・動員されたのかを解明した作品である。
目次は以下の通りである。

序章 「保守党支配の時代」とポピュラー・コンサヴァティズム
第一節 「保守党支配の時代」とアイルランド自治問題
第二節 ポピュラー・コンサヴァティズムとプリムローズ・リーグ
第三節 ポピュラー・コンサヴァティズム研究の課題
第一章 ディズレイリの記憶
第一節 二つの発端—一八八三年四月一九日と一八八一年四月二六日
第二節 プリムローズ・デイの成立
第三節 プリムローズ・リーグの設立
第四節 プリムローズ・デイの展開
第五節 「ナショナル・ヒーロー」としてのディズレイリ
第六節 プリムローズの含意
第二章 プリムローズ・リーグとは?
 第一節 変貌する保守党
第二節 プリムローズ・リーグの前進
第三節 「常識」のコンサヴァティズム
第三章 肯定される欲望—プリムローズ・リーグと「快楽の政治」
第一節 選挙制度改革への対応
第二節 ヴォランティアによる選挙運動
第三節 「わかりやすく」「とっつきやすい」政治教育
第四節 社交・娯楽の効用
第五節 「快楽の政治」
第四章 設定される「悪漢」—プリムローズ・リーグとアイルランド自治問題
第一節 自治法案の時代
第二節 自治をめぐる論点
第三節 プリムローズ・リーグの自治反対論
第四節 「悪漢」を叩く快感
第五節 自治反対論の受容
補遺  二極構図の基盤—人種と宗教
第五章 組織・動員される「未開拓領域」—プリムローズ・リーグと女性の政治参加
 第一節 女性、保守党、プリムローズ・リーグ
 第二節 デイムと女性アソシエイト
 第三節 「女らしさ」と政治参加
 第四節 女性参政権へのスタンス
 第五節 女性参政権とコンサヴァティズム
終章 「保守党支配の時代」の終焉とプリムローズ・リーグ
 第一節 「保守党支配」の翳り
 第二節 関税改革、貴族院、アルスター
 第三節 結語

本論文の要旨
序章において著者は、アイルランドへの自治付与の是非が世紀転換期のイギリスにおける最大の政治的争点であった中、自治への強い反対を通じて「連合王国と帝国を擁護する党」をアピールしたことが「保守党支配の時代」を実現させた大きな要因だったとしながらも、同時に、選挙権を持つ労働者の三分の一が保守党に投票したこと、つまりポピュラー・コンサヴァティズムが台頭したという事実に注目する。そして、二〇世紀初頭には一五〇万もの会員を有し、その九〇%を労働者が占めた大衆組織「プリムローズ・リーグ」の活動に焦点を当てることで、ポピュラー・コンサヴァティズムの解明に努めることが本論文の課題として設定される。
一九八〇年代に多くの労働者がサッチャー政権を支持するという現象を目の当たりにして以降、ポピュラー・コンサヴァティズムは歴史家の関心を引いてきたが、従来の研究は労働者の敬譲(deference)やプラグマティズムをポピュラー・コンサヴァティズムの原因として指摘するに留まっているという。しかし、どういった歴史的コンテクストの中でこうした態度が養われたのか、保守党はいかにその受け皿となりえたのか、いいかえれば敬譲やプラグマティズムをどのように政治的保守主義に誘導したのかが問われるとして、著者は政治団体による労働者への働きかけ、および政治団体と労働者の「双方向的」な影響関係に着目すべきだとする。
第一章では、一八八一年に死去した保守党党首ディズレイリの命日がプリムローズ・デイとして成立する過程、その中でディズレイリに付与されたイメージ、そのイメージを利用したプリムローズ・リーグ設立の背景が明らかにされる。ディズレイリの葬儀にヴィクトリア女王が送ったプリムローズはディズレイリがとくに好んだ花だったとの伝説が生まれるともに、彼の命日にはプリムローズを身につけ、その銅像にもプリムローズを飾るという習慣が定着していった。「自然発生的なもの」とされたこうした動きを実は普及させることに貢献していたメディアの言説の中に、著者はディズレイリを党派対立を越えて愛される「ナショナル・ヒーロー」に仕立てようとする意図を読み取る。そして、類い希な先見性を持つ帝国主義者であり、女王と特別に親しかったディズレイリというイメージは、「ディズレイリの遺志を継ぐ」ことを謳い、設立された政治団体であるプリムローズ・リーグにとって利用価値の高い財産だったことが明らかにされる。
第二章ではプリムローズ・リーグの組織的特徴が分析される。第二次選挙法改正後、「地主の党」から労働者を含む有権者に支持される党への脱皮を課題とした保守党は、国制の護持に加え、帝国の維持と民衆の生活改善という目標を掲げ、複数の階級を包括するナショナルな利益を代表する政党として自らを位置づけようとしていた。こうした中、プリムローズ・リーグは設立される。著者によれば、女性の加入を認める、会費の安いメンバー・カテゴリーを設ける、名称から「トーリ」を外す、未成年を対象としたプリムローズ・バッドを組織するなどの方法により、門戸を大きく広げたことがプリムローズ・リーグの躍進を支えたという。事実、会員の圧倒的多数を労働者が占めたこと、半数近くが女性であったこと、イギリス国内のほとんどすべての地方、さらには海外の帝国領土にも支部を広げたことは、大衆政治組織としてのプリムローズ・リーグの成功を示している。続いて、プリムローズ・リーグの政治的主張について著者は、この団体が宗教、国制、帝国の維持という三つのテーマに目的を絞り、個別的な政策提言を行わなかったことにその特徴を見いだしている。具体的には、宗派を問わずキリスト教全般の、時にはユダヤ教などの異教も含めた宗教の尊重、長い経験と暴力によらない漸進的な発展によって正当性を保障されている国制(君主制・貴族院・庶民院)、イギリス人の偉大さを示すともに市場を確保し多くの雇用を生み出している帝国、この三者を護持することはイギリス人の常識に適うとする言説がポピュラー・コンサヴァティズムを支えていたことが示される。
第三章では選挙運動、日常的な政治教育、社交・娯楽の提供といったプリムローズ・リーグの活動が分析される。腐敗防止法の成立と選挙権の拡大により政党はヴォランティア運動員を大量に確保する必要に迫られる。そうした中、苦戦が予想された第三次選挙法改正後の選挙において保守党の勝利をもたらした大きな要因が、有権者登録、投票依頼といった活動を担ったリーグ会員、とりわけ女性会員の活躍だったことが示される。さらに選挙の時期以外にも有権者たちと恒常的に接触を保ち、彼らの支持を取り付けるため、リーグは日常的な活動にも力を注いだ。その中心となったのがランタン・スライド、リーフレット、公開討論会といった方法による政治教育、とくに農村部で人気を博した社交・娯楽イヴェントである。あらたに有権者となった労働者たちは無知であるとの前提のもと、政治教育では「わかりやすさ」が重視された。政治問題は単純な善悪二元論に還元され、コンサヴァティズムの「正しさ」は一目瞭然とされる。また、政治教育以上に重視された社交・娯楽のイヴェントでは異なる階級に属する人びとの日常的な交流・接触を通じて、全階級の結集が演出された。階級差の存在は当然とされながら、労働者への配慮を忘れない名望家のパターナリズム、それに感謝する労働者の敬譲が、階級を超えて共通の利害を分かち持つ同じネイションとしての一体感を生み出すこと、それがリーグの狙いだった。著者はこうしたリーグの戦略が成功した要因として「快楽の政治」を挙げる。社交・娯楽を通じて醸成される仲間意識や一体感がもつ政治的意味を重視したリーグは、日常的に、また大規模に社交・娯楽の場を提供し続けた。加えて、禁酒法をめぐる議論に代表されるように、「モラル・リフォーム」を掲げ「自堕落な」民衆文化の改革を目指し、労働者の反発を招いた自由党内のノン・コンフォーミストとは対照的に、リーグは娯楽への欲望を肯定し、民衆文化を擁護してみせることで労働者の共感を引きつけたとされる。
第四章ではコンサヴァティズムにとって重要な政治的テーマであったアイルランド自治反対論、つまりユニオニズムを取り上げ、リーグはこの問題でいかにして労働者の支持を得ようとしたかが検討される。ここで著者は自治に反対する政治家やジャーナリズムの言説に現れる論点を国制、帝国、私有財産といったキーワードに即して整理した上で、それらが労働者にアピールする力を備えていたとは限らないことに注意を促す。そして、集会での発言、リーグが独自に作成したランタン・スライドや宣伝文書を分析しながら、労働者に向けた自治反対論の特質を明らかにしていく。リーグが取った戦略、それはアイルランド・ナショナリストを徹底的に「悪漢」として描くことだった。自治を求めるナショナリストは暴力に訴える犯罪者、アイルランドの人々を「恐怖政治」で苦しめる圧制者、そして道徳的にも堕落した存在だとされる。彼らはケルト系アイルランド人の無知につけ込み、利用しているだけで、実際にはアイルランドの世論を代表してはいない。一方、自由党のグラッドストーンは政権の座に就くため議会内のアイルランド・ナショナリストの支持を取り付けようと自らを売り渡し、操り人形と化している。そうした中で、イギリスとのユニオン継続を望む「忠実」で「勤勉」で「知的」なアルスター・プロテスタント、イギリス人の末裔たるサクソン人は危機にさらされている。こうして自治問題は、悪人とその犠牲者のいずれに手を差し伸べるのか、善悪どちらの側に付くのか、同じサクソン人の仲間を見捨てるのかといった分かりやすい二者択一に還元される。著者によれば、このように勧善懲悪型の「メロドラマ」仕立てにより政治を表象することは一九世紀イングランドで有効な手法であり、自治反対論も単純で感情移入が容易な対立図式を採用することで労働者にアピールしようとしたのであった。実際、自治法案が浮上する毎にリーグに加入する労働者が急増することは、こうした戦略がある程度有効だったことを示しているという。
第五章では女性という政治運動にとっての「未開拓領域」とリーグの関係がテーマとなる。一九一八年の参政権獲得以降、一九七〇年代まで保守党は男性よりも女性の票を多く獲得してきた。保守党員の過半数を占めたのも女性であった。女性の政治参加にも閣僚への登用にも消極的な保守党をなぜ多くの女性たちは支持したのか。著者はこのパラドックスを解く鍵をリーグに見いだそうとする。そして、早い時期から女性会員を増やすことに積極的で彼女たちの活動に期待できたことが「保守党支配」の時代を支えた大きな要因のひとつだったとする。当初、リーグのメンバーとなった女性は上流階級に属する人たちだった。彼女たちは戸別訪問による投票依頼、演説などの活動を精力的に行い、一八八五年総選挙における保守党勝利の立役者となった。やがて中流以下の階層の女性たちもリーグに加入し、支部で指導的な立場に就くものも珍しくなくなる。著者はこうした活動が「女性は政治に関わるべきではない」とする社会通念に風穴を開けたこと、および公的な領域に関与したいと願う女性たちにとって魅力あるものだったことを指摘している。しかし、女性の政治活動に対しては、自由党ばかりでなくリーグの内部からも批判が上がっていた。リーグ指導部は当初は女性会員がこうした活動を行うことを想定していなかったという。政治よりも家庭と育児が女性の領域である、政治参加は「女性らしさ」を損なうという反発に対して、リーグの女性たちは男女の役割分担と「女性らしさ」の重要性を認めた上で、家庭と育児という女性本来の領域にとっても政治は重要だとする議論を展開した。女性は自らが統治者になるべきではないが、家庭を切り盛りし、子供を立派に教育するには政治に対して無関心ではいられない、自分たちを平和と繁栄に導いてくれる人びとが政権に就けるよう支援するのは当然だという論理である。女性本来の領域を守るためにも「女性らしさ」を大切にしながら政治に参加することが必要だとする議論は女性参政権についても確認できる。リーグの指導部はこの問題について中立的立場を取ろうとしたが、支部によっては女性参政権を求める決議を採択した例も多いという。一方、保守党はこの問題が党の分裂を招きかねないことから女性参政権に及び腰だったが、著者によればリーグの女性会員の活動が選挙での勝利をもたらしたという認識は保守党の態度を変化させたという。保守党議員たちは有権者となった女性たちが自分たちの支持者になることを期待できた。この意味で女性参政権実現に対するリーグの貢献は大きかったと評価される。また「女性らしさ」の強調、男女の役割分担の是認という論理は参政権獲得の後も男女の領域の境界線を再確認する方向に機能し、それが保守党が伝統的な価値観を強調しながら多くの女性票を獲得した原因であり、その意味で女性参政権とコンサヴァティズムの間には親和性が存在したとされる。
終章ではリーグが有効な保守党の基盤となり得た歴史的条件が終わりを迎えたことが示される。泥沼化する第二次南アフリカ戦争、労働者の保守党離れ、社会改革要求の高まりの中でコンサヴァティズムは危機を迎える。また、関税同盟をめぐって保守党は分裂状態となり、貴族院改革、アイルランド自治法案といったテーマでも保守党は追いつめられる。そうした中で、宗教、国制、帝国という三大目標のみを掲げ、具体的な政策提言を避けてきたリーグは危機に対処することができず、求心力を失っていく。著者はここでリーグの躍進とポピュラー・コンサヴァティズムを支えた「快楽の政治」「悪漢」「女性という未開拓領域」という三つの要因が二〇世紀に入り、機能しなくなったことを指摘する。商業的娯楽の普及の前でリーグが提供する社交・娯楽は魅力を失い、アイルランド独立を求める蜂起への過酷な弾圧によって単純な善悪の図式も説得力を欠くようになる。また、女性に匹敵するほどの豊かな「未開拓領域」も存在しない。こうして著者はポピュラー・コンサヴァティズムを歴史的コンテキストの中に位置づける。

本論文の成果と問題点
本論文の主要な成果は以下の通りである。
第一に、労働者への参政権付与が結果的に保守党支配の時代を成立させたという逆説的な現象を、ポピューラー・コンサヴァティズムの分析によって解明したことが挙げられる。従来、労働者については保守党に批判的で労働運動を主導した人びとが、逆に保守党に関してはこれを率いた政治エリートたちが主要な研究対象となってきたが、保守党を支持した労働者に焦点を当てた研究は少ない。しかもプリムローズ・リーグという大衆組織の活動を詳細に分析することで、少なからぬ労働者が保守党に引き寄せられていく過程を具体的、実証的に明らかにしたことは本論文の画期的な成果である。
第二に、プリムローズ・リーグの分析を通して著者は、労働者の日常を重視する社会史的な研究を保守党支配の確立という政治史に結びつけることに成功している。日常生活に密着したミクロな分析をいかにして政治権力などマクロな問題に架橋するかは、社会史に求められている重要な課題のひとつであり、本論文はそれに答えたものとして評価できる。
第三は、記憶やイメージといった要素が果たした機能を具体的に論証したことである。ディズレイリの死去からプリムローズ・リーグの設立・発展にいたる経過をたどりながら、著者はディズレイリの記憶がいかにして形成され、利用されたか、またそれを帝国と国制と宗教の護持という保守党の政治的主張と結びつけるためにどのようなイメージ戦略が取られたかを詳細に分析し、その重要性を明らかにした。
第四の成果として指摘すべきは、「女性らしさ」と「女性の政治活動」を両立させる言説が保守党支配を支えた重要な要因であったことを明らかにした点である。プリムローズ・リーグは積極的に女性会員を受け入れ、選挙運動に投入し、大きな成果をあげるが、彼女たちのこうした政治活動は「女性らしさ」の重視、男女の役割分担といった保守党の理念と調和するものとして位置づけられていく。それは女性参政権に対する保守派の警戒心を緩めるうえで大きな要因となり、著者はここにイギリスにおける保守主義と女性参政権のある種の「親和性」を見る。こうした議論は一九七〇年代にいたるまで女性票の多くが保守党に投じられたことを考える上で重要な示唆を与えるものである。
このように優れた成果をあげた一方で、本論文には以下の問題点を指摘することができる。
まず、労働者の定義が明確ではないこと。従来の労働者研究が、都市の労働者を前提にしていたのに対して、プリムローズ・リーグが農村部で成功したことに注目する著者は、農業労働者も含めた広い概念として労働者を捉えている。そうであるなら、職種や地域によって多様な労働者について、もっと分節化したうえで叙述を行うべきではなかったか。
次に、プリムローズ・リーグという保守的大衆組織への加入、そこで開催される各種イヴェントへの参加、その際に醸成される一体感については詳細な分析が示されるが、そうした日常的な保守党への親近感と、実際に有権者登録を行い、投票所に出かけ、保守党に票を入れるという行為との間には一定の距離があるのではないかという疑問が生じる。この点に関してよりいっそうの考察が望まれるところである。
第三にプリムローズ・リーグの成立と発展についての分析が極めて説得的かつ具体的である一方で、その衰退に関する説明は物足りない印象を与える。対象とした時期が「保守党支配の時代」であり、プリムローズ・リーグ衰退はいわば主要なテーマではないにせよ、もう少し詳しい分析が欲しかった。
しかしながら、こうした問題点は史料上の制約によるところが大きく、本論文の高い独創性と優れた分析を損なうものではない。
以上のように審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、小関隆氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2007年6月13日

2007年5月29日、学位論文提出者小関隆氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「プリムローズ・リーグの時代—世紀転換期イギリスの保守主義—」に関する疑問点について審査員から逐一説明を求めたのに対して、小関隆氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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