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博士論文審査要旨

論文題目:ローレンツ・フォン・シュタインの思想形成過程―前期シュタインの法学・社会学・国家学―
著者:柴田 隆行 (SHIBATA, Takayuki)
論文審査委員:平子友長、嶋崎 隆、岩佐 茂

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1. 本論文の構成

 本論文の構成は以下の通りである。章題だけではわかりにくい部分のみ節題を付した。

序文
第一部 前期シュタインの思想形成史
 第一章 キール大学法学部とシュタイン
  第一節 キールとシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州
  第二節 大学構成員
  第三節 学生時代のシュタイン
  第四節 学史的および政治的背景
  第五節 パリ留学
  第六節 帰国後の文筆活動
  第七節 シュタインの教育活動
  第八節 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題と法学部
  第九節 大学追放
 第二章 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題
 補 論  シュトルムとシュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題
第二部 共産主義と社会主義
 第一章 「共産主義」「社会主義」という言葉
 第二章 一八四〇年代の共産主義運動
 第三章 シュタインの社会主義・共産主義観
 第四章 人格態の概念
  第一節 人格と人格態
  第二節 文明と人格態
  第三節 人格態の理念と概念
  第四節 人格態と自由
  第五節 人格態と労働
  第六節 社会と国家
 第五章 労働の概念
第三部 社会思想史研究
 第一章 ギゾー――文明論の展開
 第二章 ルソー――平等原理の発展
 第三章 カント、フィヒテ、ヘーゲル――人格態の自己規定
 第四章 アリストテレス――国家学の創始者
 第五章 アダム・スミス――国民経済学と国家学
第四部 国家学体系へ
 第一章 社会学としての国家学
  第一節 国家は幻想か
  第二節 国家学体系の構想
  第三節 国家学体系の展開
 第二章 今後の展望――国際関係と自治
  第一節 国家学の外延と内包
  第二節 国家学と国際関係論
  第三節 国家学と自治理論
参考文献一覧


2.本論文の概要

 本論文の研究対象であるローレンツ・フォン・シュタイン(Lorenz von Stein 1815 - 1890)は、わが国では明治期に伊藤博文ら大勢の国家官僚や学者に憲法や行政学等を教えた人物として知られ、また社会思想史の分野では、フランスの社会主義と共産主義ならびにプロレタリアートの概念を初めてドイツに学問的に紹介した人物として知られている。だが、シュタインの業績全体に関する本格的な研究はまだ存在しない。本論文は、シュタインの全業績のうち、彼が前半生を送った北ドイツの港町キールでの彼の活動の事蹟をその社会思想史的背景を含めて詳細に明らかにすることによって、シュタインの国家学の意義を解明しようと試みるものである。
 全体は四部に分かれ、第一部ではキール大学におけるシュタインの思想形成史、第二部では社会主義と共産主義の概念史とそれに対するシュタイン独自の思想、第三部では先行する社会思想史上の諸学説のシュタインへの影響、そして第四部ではシュタインの後半期への学問的発展の可能性が、それぞれ論じられている。その際、シュタインの著作の精密な読解とともに、多くの関連資料ならびにシュタインの自筆ノートや蔵書への書き込みなどの解読がおこなわれ、理論の裏づけに利用されている。
 第一部は、まず第一章で、シュタインが学んだキール大学法学部を中心に内容が構成され、法学部の歴史とそこでの各教員の講義内容およびその傾向性、さらにシュタインの教育活動と政治活動が詳述される。シュタインがキール大学で法学を学んだ時代は、法学史的には、いわゆる法典論争を経て、哲学的法学と歴史法学、イデアリスムスと実証主義、ゲルマニステンとロマニステン等がせめぎ合っていた時代である。社会思想史的には、いわゆる三月前期と称される時代であり、ナポレオン占領後の解放戦争のなかで目覚めたナショナリズムと密接に結びついた、自由と独立と統一を求める活発な運動がおこなわれた変動の時代であった。このような時代においてシュタインが最初にみずからのものとしたのは比較法学であった。また、これにもとづき、シュタインの生涯変わらぬゲルマン主義的欧州統合構想が生まれた。彼の比較法学や欧州統合構想は、キール大学法学部教授ファルクやクリスティアンゼン、パウルゼン、哲学部の歴史学教授ダールマンとドロイゼンなどのもとでのシュタインの学習成果であるが、そうしたシュタインの修業時代に、彼の活動を決定するさらに二つの大きな〝事件〟が起きた。
一つは、社会主義と共産主義という思想運動およびそれを産み出す新たな〈社会〉という概念との出会いである。〈社会〉の概念や、シュタインが「社会の学」と呼ぶ社会主義との出会いは、たしかにヘーゲルの市民社会概念とサヴィニーの歴史法学とを研究したシュタインの知的経歴の必然的な帰結と言えるが、パリ留学中に得た新しい経験も加わって、これがシュタインの学問体系に生涯を貫く衝撃を与えた。
もう一つは、いわゆるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題である。シュタインがこれに積極的に関わったのは、キール大学での恩師ファルクとダールマンおよびドロイゼンの影響によるが、シュタインはこの問題を、当時多くの学者や政治家が抱いたようなナショナル・リベラルの問題としてではなく、インターナショナルの問題として捉え、またこの運動の真の解決はインターナショナルな欧州統合によるしかないと考えた。それは、革命敗北後ウィーンに移ってからも変わることはなかった。こうした考えは、シュタインがこれからの時代は国家や政治に代わって社会の時代になると考えたことと密接な関係がある。というのも、シュタインの理解によれば、〈社会〉の問題は国家を超えているからである。
 第二章では、若きシュタインがその運動の中枢で活躍したシュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題が詳述される。一九世紀前半のキール大学法学部の動向は、ナポレオンによるドイツ占領、ドイツ解放運動と民族意識の高揚、ウィーン会議による復古主義的な分断国家化とそれに対するドイツ統一運動、ヘーゲルによる法哲学の確立、歴史法学派の台頭、ゲルマニステン集会、三月前期の思想運動と一八四八年革命、革命敗北後の政治離れ等々という時代の流れのうちにある。法曹法に対する民衆法の対置は歴史法学派内部の対立と言えるが、それが三月前期の民衆運動にも反映し、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン法の確立に影響した。シュレスヴィヒとホルシュタインを一体のものと考える人たちにとっては、両公国の法的な歴史を調べれば調べるほど、一八二〇年以降勢力を増しつつあったデンマークのナショナル・リベラリストたちの両国分断の動きは警戒すべきものとなった。キールの法学者たちは、一五世紀以来のさまざまな条約を引きあいに出して、シュレスヴィヒとホルシュタイン両公国が独立国家であり、それは男系によって継承され、そしてまた両公国は永遠に不可分である、と主張した。他方、デンマークのナショナル・リベラリストたちは、デンマーク王国と、シュレスヴィヒ、ホルシュタイン、ラウエンブルク三公爵領とによる連邦国家体制がむしろデンマークのドイツ化の元凶であるとして、その解体と自由化をめざし、かつデンマークのアイデンティティを確立するために、デンマーク語を話す民衆が多いシュレスヴィヒだけをデンマークに留めておくべく、ホルシュタインとシュレスヴィヒとの境界線となっているアイダー川を新たな国境として定めようとした。ドイツにおいてもデンマークにおいても、一八三〇年のフランス七月革命からの刺激を受け、ひとびとは自由主義と民族主義を掲げて民衆運動を展開したが、はからずもシュレスヴィヒの帰属をめぐって両者の意見が鋭く対立し、ついには戦争にまで発展した。この対立を解消する道は、ドイツを中心とするスカンジナヴィアからイタリアまでの欧州統合構想しかないというのがシュタインの結論である。だがそれは、ドイツ全土をみずからのうちに統合しようとたくらむプロイセンに拒否され、ドイツ語圏以外の国からは、たんにドイツ覇権主義にすぎないとしてまったく顧みられることがなかった。事態を政治的にのみ考えればたしかに袋小路に陥るが、シュタインはあくまでもこれを〈社会〉という視点から見据えようとしたのである。
 なお、補論として、シュタインとほぼ同時期にキール大学法学部で学び、シュタインと同様にシュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題に関与し、同じく故郷を追放された詩人のシュトルム(Theodor Storm 1817-1888)の活動が分析されている。

 第二部では、シュタインがパリ留学中に見知った社会主義と共産主義について、第一章ではまず、両者のちがいを当時の思想家たちの発言をもとに明確化することが試みられている。とりわけ、社会主義と共産主義についての理解が錯綜していた、『共産党宣言』以前に書かれた文献の調査によって、その概念史が再構成される。この研究によって、社会主義と共産主義とを最初から明確に区別して理解し主張していたのはエンゲルスとシュタインだけであったこと、エンゲルスは両者の違いを運動主体の側から捉えたのに対して、シュタインはそれを独自の人格態概念と所有論にもとづいて捉えていたことが明らかにされる。そこで、第二部の後半では、シュタインの人格態Persönlichkeit概念と、その活動態である労働概念が検討される。
 第一章と第二章でドイツにおける社会主義と共産主義の動向が明らかにされたあと、第三章で、同時期に活動したモーゼス・ヘスによるシュタイン批判が検討され、両者の対比を通してシュタインによる社会主義と共産主義理解の独自性が鮮明にされる。ヘスによれば、社会主義は本来的に頭脳の問題であり、理論的で、普遍的人間的な問題であるから、シュタインのようにこれを「もっぱらプロレタリアートから生まれ、しかも彼らの胃袋の必要から生まれた」と考えるのは誤りである。他方、シュタインにとって最も大切なことは、ヘスのような哲学談義でもなければ共産主義運動でもない。それは、占有による資本蓄積と平等原理との戦い、およびプロレタリアートの発生の原因を解明するための〈社会の学〉の確立であった。とはいえ、シュタインの社会主義・共産主義論がつねに実証科学的であったわけではない。というのも、それはきわめて哲学的な理論展開――シュタイン独自の人格態論――に満ちているからである。ただし、シュタインは自著を何度も書き換えており、詳しくは個々の著作に沿ってニュアンスの異同が論じられなければならない。一八四四年論文(「ドイツにおける社会主義および共産主義」)によれば、人間の使命はみずからの完成であり、具体的には平等、すなわち人間世界における個人の自由な自己規定である。人格態の自由が所有にあるとすると、ある人間の不可侵の所有は他の人間の所有の不可侵性を犯すことになる。この矛盾を解決する方法は二つある。ひとつは、諸個人の人格態に対して不平等ではあるが普遍的な人格態をもつもの、すなわち国家の存在を認めることであり、もうひとつは所有の排他性を取り除くことであり、これが絶対的な財貨共同体すなわち共産主義である。共産主義はまさに個々の人格態の否定にほかならず、物質的世界においては所有の否定として現れる。だが、この考えを超えるのが社会主義である。社会主義にとって、個人の所得は所有ではなくみずからの労働によってのみ得られることが原理となる。
 四六年の「労賃論」では、労働は人格態の自己実現過程であるが、そこに人格的な労働と機械的な労働のちがいが生じることが明らかにされる。両者の区別はさしあたり概念的な区別にすぎないが、現実には、機械の登場によって労働そのものの質が変わり、それに従って労働の報酬形態も変わって、プロレタリアートが登場したと、シュタインは考えている。あるべき方向として、自由な人格的労働の実現をめざすべく、機械工学の発達と教育による人格態の向上が期待される。五二年の『国家学体系』では、自由な労働が機械的な労働を包括するような、労働者のアソシアシオンがめざされるが、具体的にはその実現を行政の仕事として位置づける方向へシュタインは向かう。労働を人格態の自己実現過程と見るシュタインのこうした考えは、ヘーゲルの労働論の系譜上にある。ただし、ヘーゲルは市民社会を欲求の体系と位置づけつつ、そこにおける協働の意義を明らかにし、そのうえで社会のあるべき姿を、労働への誇りを核とした職業団体の連合に見ているのに対して、シュタインは、人格態の自己実現としての労働を国家なり行政なりがいわば外的に組織するというシステムとして捉えるという違いがある。たしかに、一八四八年の『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』第二版には、特定の人間の欲求実現のための労働が万人の欲求実現のための労働でもあるとの指摘が見られるが、それが彼の共同体論の核にはなっておらず、それがのちにシュタインの自治理論の弱点となる。

 第三部は、シュタインが、先行する社会思想史家から何をどのように学んだかについて論述される。取り上げられているのは、アリストテレス、ルソー、アダム・スミス、ギゾー、そしてカント、フィヒテ、ヘーゲルである。これらの思想家についてシュタインが著作で論じていることを分析するだけでなく、キール大学シュタイン研究所ならびにシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州立図書館に所蔵されているシュタイン遺稿から、シュタインによる手書きの学習ノートや草稿、さらには蔵書への書き込みを解読して、その影響関係を明らかにすることが試みられている。それぞれを一言でいえば、ギゾーからはその文明概念を、アリストテレスからは実践的な国家学を、ルソーからは平等原理を、アダム・スミスからは国民経済学の基礎と体系構想そのものを、そしてカントからは人格態概念、フィヒテからは個別的人格態、ヘーゲルからは普遍的人格態をそれぞれシュタインは学びとったとされる。

 第四部では、一八四八年以降シュタインは、社会が産み出す問題を社会主義や社会革命では解決できないと考えるようになり、〈社会〉という視点を保持しつつ、その問題を解決する方途を国家に求めるに至る経過とその具体的な内容の一端が明らかにされる。ただしそれは、シュタインが法学から社会学へ、そして最後には国家学へ向かったことを単純に意味するものではない。というのも、シュタインはキールで法学を学び始めた当初から国家学体系の構築をめざしていたからである。変わったのは国家学の土台が法学から社会学へ変化したことであった。その結果、新たにシュタインに見えてきたのが行政学であるが、その具体的展開はウィーンへ移って以降の仕事であった。
 最後に、グローバル化時代と言われる現代世界における国家学の意味が検討される。〈社会学としての国家学〉がシュタインの国家学である。それが行政学として実用に移されるならば、内政に終始するだけで、外交・国際問題がそこから欠落することになりかねない。だが、現代世界は内政と外交を区別して捉えることができない時代である。したがって、シュタインの国家学体系にとって国際問題がどのように扱われているかが重要な課題となる。もう一点、「社会国家」といわれる国家体制における自治と国家干渉の問題がある。シュタイン国家学の最大の弱点は、国家干渉の限界に対する理論的配慮を欠いている点にあるように思われる。こうした問題が最終章で取り上げられるが、いずれも後期シュタインの課題であるとしてその解決は次の研究に残された。
 
3.本論文の意義と問題点
 
 本論文の第一の意義は、これがシュタインの思想形成それ自体を主題とした日本における最初の本格的な研究であるという点である。日本においてもシュタインに関する優れた先行研究は少なからず存在しているが、それらは、明治憲法体制の成立過程の性格を解明するためのシュタイン研究(瀧井一博)あるいはドイツ福祉国家思想史の枠組みの中でシュタインの行政国家論の意義を論じるもの(木村周市朗)など、いずれもシュタインそれ自体を主題とした研究ではなかった。シュタイン研究をめぐる状況は、欧米においても同様で、福祉国家論ないし社会国家論の枠組みの中でシュタインの思想を考察し、その意義や限界を論じるものがほとんどである。その意味において、キール時代に限っての研究であるとはいえ、シュタインの思想形成過程それ自体を当時の時代状況との関連において詳細に考察した本論文は、文字通り初めての本格的なシュタイン研究であると言うことができる。
 第二の意義は、本論文において著者は、厖大な著作、新聞・雑誌への寄稿論文のみならず、シュタインの遺稿、さらには蔵書への書き込みに至るまで隈無く精査していることである。シュタインは、1841年刊行の博士論文『デンマーク民事訴訟の歴史と現行の手続き』以降厖大な著作を刊行している。それ以外に時事問題を扱った新聞への寄稿論文が九百編以上存在している。しかしシュタインの死後、全集が編纂されることはなかった。そのためシュタイン研究には、資料収集の点で特別の困難がある。日本においてはシュタインの著書のほとんどを収めている一橋大学社会科学古典資料センター(メンガー文庫)が、文献収集の拠点であった。さらに著者は、ドイツ、オーストリア、デンマークの図書館を訪問してシュタインに関する文献史料の収集に努めると同時に、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州立図書館においてシュタインの遺稿を閲覧した。著者はまた、キール大学付属ローレンツ・フォン・シュタイン行政学研究所に所蔵されているシュタインの蔵書のすべてに目を通し、欄外の書き込みを筆写し、それを通してシュタインの思想形成過程を跡づける作業を行った。遺稿や蔵書への書き込みに至るまでの厖大な文献史料の調査・収集・解読を踏まえて本論文が書かれていることは、本論文の重要な成果である。
 本論文の第三の意義は、フランスにおける社会主義と共産主義について包括的な理論的紹介をドイツに初めてもたらし、ドイツにおける各種の社会主義・共産主義諸思想の形成の契機となったシュタインの社会主義・共産主義をめぐる思想とその変遷を、本論文が詳しく展開していることである。1840年代においても、今日と同様、社会主義と共産主義はほとんど区別されずに使用されていた。しかしシュタインは、平等原理を貫徹するために人格的所有(das persoenliche Eigentum 個人的所有と訳すこともできる)を否定して財産共有制を主張する共産主義と対照的に、社会主義を「人格的所有を保持しつつも自由と平等が阻害されない社会的生活形態」を志向する運動であるとともに、産業化の進展と共に国家の外部に形成されつつある<社会>についての学として把握した。シュタインは、共産主義と区別される<社会>の学と運動としての社会主義の具体的存在形態を、同時代のフランス、イギリス、ドイツ、アメリカに即して分析しているが。それらは、本論文において紹介され、比較検討されている。
フランスにおける社会主義に関する研究を通してシュタインが掴んだ<社会>概念は、シュタインが1852年以降社会問題の解決の方策を社会主義から国家へとずらしていった後も保持されてゆく。シュタインの国家学はその意味で<社会>の学として構想された。シュタインの国家学体系の本格的形成は、1855年ウィーン大学に国家学および財政学教授として招聘されて以降の時期に当たり、キール時代までを対象とする本論文の範囲を超えるテーマであるが、キール時代からウィーン時代へと継承されるシュタインの基本的認識枠組みとして<社会>概念の意義を強調したことは、本論文の第四の意義である。
最後に、著者は、シュタインの諸著作および蔵書への書き込みを丹念に解読し、シュタインがいかなる諸思想の影響を受けつつ、自己の思想を発展させていったのか、また先行諸思想の受容の際にシュタインの個性はいかなる形で現れているのか、という問題について詳細に展開している。このことも、本論文の優れた成果である。
本論文の問題点は、以下の通りである。
シュタインの<社会>の学としての社会主義構想の中心概念をなしている「人格態Persoenlichkeit」、「人格的所有」など「人格」に関わる諸概念は、一方では、諸個人の平等原理を掘り崩す排他性を持ちながら、他方で、平等な「共同性」を形成する原理にもなるという両義性において理解されており、また上記両契機の比重のかけ方は作品ごとに微妙な変化をしめしている。第一の問題点は、これらの問題に関する著者の説明がシュタインの言説の祖述にとどまっていて、著者自身の更に踏み込んだ解釈や説明がやや不足していることである。そのため、社会主義・共産主義をめぐる1840年代の諸著作におけるシュタインの論理構造とその変遷が、本論文の読者に必ずしも明瞭に伝わってこないきらいがある。
 本論文の第二の問題点は、シュタインの思想や理論の現代的意義が本論文を通して必ずしも鮮明に伝わってこない点である。ヘーゲルやマルクスにも造詣の深い著者は、シュタインの理論がヘーゲルやマルクスの精緻な理論構成と比較する際に理論的詰めの粗さや概念使用上の曖昧さが見出されることを、しばしば指摘している。であればこそ、それらの弱点を補って余りあるシュタインの仕事の重要性や意義を明確な形で示してほしかったと思う。もっともこの課題は、シュタインの後半生の思想展開過程の全体を視野に収めた時初めて達成できる課題であろう。
とはいえ以上指摘した問題点は、基本的に将来の研究の課題として著者に期待する所を述べたものであり、上述した本論文の意義をいささかも損ねるものではない。著者自身も、これらの問題点については十分自覚しており、今後の研究においてこれらの要請に応える成果を挙げるべく努力しつつある。
 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと認め、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2006年10月11日

2006年09月05日、学位論文提出者柴田隆行氏の試験及び学力認定を行った。
試験においては、提出論文「ローレンツ・フォン・シュタインの思想形成過程―前期シュタインの法学・社会学・国家学―」に基づき、審査員から逐一疑問点について説明を求めたのに対し、柴田隆行氏はいずれも十分な説明を与えた。
また、本学学位規程第4条3項に定める外国語及び専攻学術に関する学力認定においても、柴田隆行氏は十分な学力を持つことを立証した。
 以上により、審査員一同は柴田隆行氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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