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博士論文審査要旨

論文題目:財閥と帝国主義-三井物産と中国
著者:坂本 雅子 (SAKAMOTO, Masako)
論文審査委員:吉田  裕、森  武麿、渡辺  治

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 [本論文の構成]

 本論文は、財閥と日本帝国主義の対中国進出・対中国侵略との関連を、「財閥本流」とされた三井物産の活動を中心にしながら、歴史的・理論的に解明した労作である。その構成は以下の通りである。

 序論
第Ⅰ部 中国市場への参入と借款をめぐる活動
 第1章 明治期の三井物産の対中国進出
 第2章 大正期の対中国借款と三井物産
 第3章 第一次大戦期の対ヨーロッパ資本輸出と武器輸出
第Ⅱ部 対中国政策と経済界及び三井財閥
 第4章 昭和初期の対中国政策と経済界
 第5章 三井財閥と田中内閣期の対外政策―対中国と対英米
第Ⅲ部 三井物産と中国侵略
 第6章 昭和初期の満州軍閥政権・蔣介石政権と三井物産
 第7章 戦時下の三井物産


 [本論文の概要]

 序論では、研究史の整理を踏まえながら、筆者の問題意識や研究方法が提示されている。その特徴は、第一に、帝国主義的経済圏拡大の衝動は、レーニンが主張したように、独占資本主義の成立によって生ずるものではなく、産業革命の成熟に伴う商品輸出市場拡大と原料資源獲得の要求から生じているという帝国主義理解である。それは研究史と真摯に向きあい、地道な実証的研究を積み重ねる中で筆者が到達した一つの結論である。第二には、資本輸出は独占の形成に伴う過剰資本によってなされるという従来の見解を批判し、借款などの資本輸出は、商品の輸出・決済と不可分の関係にあり、国際金融の一環であるとする視点を打ち出していることである。そして、第三には、財界人や天皇・宮中グループを、武断主義的な軍部と対立する「穏健派」、「親英米派」などに区分する従来の二元主義的な歴史理解の批判である。ここでは、筆者は、財界、特に「財閥本流」が中国への進出・侵略に主体的・政治的に関与した事実を重視し、そのことを史料に即しながら具体的に明らかにしたいとする。
 第1章では、日本資本主義にとって中国市場が重要な意味を持ったことを明らかにしながら、明治期における三井物産の対中国商品輸出が具体的に分析されている。日露戦争前までは、物産の商品輸出の主力は、綿製品や石炭であり、日露戦争後には、鉄道関連製品や武器の輸出がこれに加わった。鉄道関連製品は、外国製品が中心だったが、武器の場合は、国産の重工業製品である。そして、三井物産は、軍工廠の依頼をうけて、武器市場の開拓と武器輸出を担ったのである。なお、鉄道車輌の国産化が達成され、その輸出が本格化するのは、第一次世界大戦後のことである。
 第2章は、第一次世界大戦中の日本の対中国借款の分析にあてられている。従来の研究では、西原借款のような政治的・謀略的性格の強い借款政策ばかりが注目される傾向にあったが、筆者は、民間の重工業製品輸出にともなう借款供与が積極的に行なわれていた事実を明らかにする。第一次世界大戦期における経済成長をへて、民間の重工業製品と結びついた資本輸出が日本でも活発化したのである。しかし、同時にこの時期は、国内の重工業メーカーの成長によって、三井物産の独占的地位が揺らいだ時期でもあったし、軍閥政権の不安定化や民族運動の高揚によって、商品輸出と結びついた形での借款供与政策が限界に達した時期でもあった。
 第3章は、従来あまり注目されることのなかった、第一次世界大戦期の武器輸出に関する分析である。この時期に、三井物産は泰平組合の一員として、ロシアなどへの武器輸出に積極的に関与したが、その武器輸出は、軍工廠の製造能力をはるかに超えたものであった。そのため、有事に備えて備蓄されていた動員部隊用の小銃まで、輸出に振りむけられたのである。注目する必要があるのは、この時期に活発化した日本の資本輸出(証券投資)が、過剰資本輸出の性格をもたず、武器輸出に伴う貿易決済の一環として行なわれたことである。
 第4章は、1920年に、中国にかかわる主要企業を網羅する形で結成された日華実業協会の対中国政策の分析にあてられている。同協会は、1926年に開始された北伐に対して、一貫した対決姿勢をとり、イギリスと共同した形での軍事力の行使をも支持する立場に立った。筆者は、この過程を跡づけながら、同協会が張作霖による満州支配を容認しないという対決姿勢をしだいに明確化し、そのことが、関東軍による満州侵略=満州事変を受け入れることにつながっていったとする。特に、日華実業協会が最も冒険的、謀略的な関東軍とも中国情勢に関する認識を共有していたという指摘は重要である。
 第5章は、満州への外資導入問題を中心にして、三井財閥と田中義一内閣の対中国政策の特徴が明らかにされている。筆者は三井財閥と、それと関係の深い田中内閣が、アメリカと協調しつつ、日本の満州支配に対するアメリカの同意を取りつける政策を志向していたことを重視する。すなわち、中国における既得権益を断固として確保するという路線と、対英米協調路線は対抗的に存在していた訳ではなく、権力の中枢にあっては、この二つの路線がともに追求されていたのである。この二つの路線の両立を破綻させたものは、中国における民族運動の高揚だった。なお、筆者が、日本経済の外債への依存という通説を再検討し、当該期の資金調達における外債の比重が急激に低下している事実を明らかにしているのは、以上の論点とのかかわりで、きわめて興味深い。英米への金融的依存が対英米協調路線を必然化させたという従来の通説的理解には、やはり問題がある。
 第6章は、日本の満州侵略と財閥との関係を経済面から考察したものである。関税自主権の回復によって、中国政府は、差等税率を実施し、民族産業育成の観点から、機械などの生産財や原料には低率の税を、綿布・食品・雑貨など民族産業と競合する商品には高率の税を課した。その結果、三井物産などの商品輸出は激減した。一方、満州では、張作霖などの軍閥政権が大豆の買占めに乗り出したため、物産による買付けは大きな困難に直面することになる。満州事変の勃発は、状況をさらに変化させた。物産の満州での業務は驚異的に拡大するとともに、カイライ国家=満州国が実施した高関税政策によって、中国商品の満州への移出は激減し、中国の民族資本との矛盾を深めることになった。さらに決定的だったのは、物産などがかかわった冀東密貿易である。これによって、大量の日本商品が、関税を支払わないまま、中国関内に流入し、関税に依存する国民政府の財政に大きな打撃を与えただけでなく、中国の民族資本を抗日の側に追いやることになったのである。
 第7章は、日中戦争以降の戦時体制期における三井物産の活動を詳細に明らかにしている。物産は、「大東亜共栄圏」全域への物資供給・流通活動の中軸となり、特に、軍と一体となって中国からの農産物の収奪に直接関与した。また、中国の民族資本を接収して、その経営を請負い、アヘンの大規模な売買にまで手をそめた。その結果、物産の中国支店は海外支店の中で圧倒的な比重を占めるようになり、巨額の利益をあげるようになる。さらに、物産は、対満投資を積極化させ、住友金属など、他財閥の製品の販売権を得るとともに、日本の機械を満州へ輸出することに力を注いだ。こうして、物産は、日本の対中国侵略政策を直接に担い、中国民衆を敵としただけでなく、戦争の最も汚れた部分にまで深くかかわったのである。

 [本論文の評価]

 本論文の評価すべき最大のメリットは、中国を中心とした三井物産の海外活動を丁寧に追跡することによって、日本の帝国主義・侵略政策と財閥との関係を、財閥の主体性においてとらえ直すことに成功したことである。
 とくに、1920年代における幣原外交と田中外交の対立という歴史理解に見られるように、「財閥主流の対英米協調派」と「軍部・右翼政治家のアジア侵略派」という二元論を、徹底的に批判した点に本書の最大の特徴がある。すなわち、戦間期に、「対英米協調派」と「アジア侵略派」が支配層内部で二者択一の路線として存在していたのではなく、三井を中心とする財閥主流をふくめた支配層全体は、両路線の両立を追及し続けていたが、中国の民族運動による満州権益の危機に直面した1920年代末から1930年代初頭においては、その両立が不可能となったというのが基本的論旨である。
 日本の帝国主義を財閥の主体性においてとらえるという本書の視角は、すべての章に一貫して貫かれている。
 第一に、明治期・大正期の三井物産による中国進出において、対中国借款を産業資本確立期の市場獲得要求として評価し、軍工廠をふくむ重化学工業製品の売込みによる市場拡大の要求を具体的に論証したことである。とりわけ、借款供与を商品輸出と一体のものとして捉えることによって、資本の内在的な論理の延長線上で借款問題を捉えなおしたことは、大きな成果であろう。
 第二に、第一次大戦期の武器輸出を、過剰資本の輸出として捉えるのではなく、巨額の入超、片為替問題のなかで、国家による輸出振興策として、また、貿易決済の一環として、捉えなおしたことである。
 第三に、日華実業協会の活動を中心にしながら、財界全体の対中国侵略衝動を具体的に明らかにし、関東軍の軍事行動の経済的背景を明確にした。ここでは、満州事変を支持するに至った経済界の論理が解明されており、きわめて興味深い。
 第四に、田中内閣の対外政策に三井財閥が深くかかわったこと、満州への外資導入問題を契機に、イギリスと一線を画して、アメリカを引き込もうとする親米的な政策をとるようになったこと、以上の点を新たな史料から裏付け、財界主流を「対英米協調」と一括することは誤りであることを明らかにした。また、このような親米的動きが、中国民族運動の高揚のなかで、挫折を余儀なくされ、財界は一致して対中国強硬路線を選択していったことが克明に分析されている。本書のテーマである「財界主流=対英米協調派」、「財界主流=対中国協調派」という見方に対する批判の基本的な実証部分である。ここが本書の白眉をなすものであろう。
 第五に、満州事変から太平洋戦争期の三井物産の中国での活動の分析をとおして、日本の侵略政策を、軍部の独走や天皇制国家の特殊性からではなく、資本の直接的な利害から説明したことである。とりわけ、張作霖、張学良政権によって商品輸出が圧迫されることにより、軍部の侵略政策に同調していく三井物産の論理、さらに冀東密貿易、アヘン貿易、中国や南方占領地からの食糧収奪活動・兵站活動をとおして、巨額の利益を獲得する戦時下の三井物産の実態を、リアルに解明したことも本書の成果である。侵略戦争に三井物産がいかなる関係をもったかを、これほどまでに克明に明らかにした研究はいままでにない。
 以上のように、本書は三井物産を通して、帝国主義的進出と侵略戦争に係わる財閥の主体性を一貫して論証したすぐれた業績であるといえよう。
 もちろん、本論文にまったく問題点がないわけではない。
 第一は、方法的な問題である。産業資本の市場獲得要求を「自由貿易」帝国主義と一般的に規定することによって、明治期から第一次大戦期の日本資本主義の海外進出の論理を捉えたことになるのだろうか。日本産業資本の後発性、後進性、さらには日本資本の特殊性を考える必要があるのではないか、という問題である。この点は日本の対外経済進出がつねに総合商社を先頭に進むという欧米にない特徴をもっている点にも関係する。
 第二は、財閥を三井物産に代表させることに関する疑問である。三井・三菱、住友など財閥主流以外に、古河、浅野などの二流財閥、軍部とつながり急成長する日産、日本窒素、理研などの新興財閥など、「財閥と帝国主義」の多様な関係がありえたのではないか。
 第三は、「対英米協調派」と「アジア侵略派」との間には、いかなる矛盾や対抗も存在しないのかという問題である。この点をあまり単純化すると、「アジアモンロー主義」路線の台頭を意識した江口圭一氏の一九三〇年代論が視野に入らないのではないか。「対英米協調」と「アジア侵略」の対抗・矛盾は一九三〇年代論の財閥資本の行動様式に即して具体的に論じられるべきであろう。
 これらの諸問題は、本論文の弱点というより、いずれも今後の課題として残されたものであり、緻密な論証に支えられた本論文の基本的評価をいささかでも損なうものではない。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年4月12日

 2006年3月14日、学位請求論文提出者坂本雅子氏の論文についての最終試験を行った。本試験においては、審査委員が、提出論文「財閥と帝国主義―三井物産と中国―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、坂本雅子氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語および専攻学術に関する学力認定においても、坂本雅子氏は十分な学力をもつことを証明した。
 よって、審査委員一同は、坂本雅子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績及び学力を有することを認定した。

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