このコーナーのナビゲーター役のピンパンちゃんが死にました。猫の難病にかかってしまいました。外出時に感染したようです。入院治療もむなしく、助かりませんでした。一時は治療効果が出たのですが、残念ながら、この病気に罹った場合は助からないとのデータ通りになってしまいました。ピンパンは、殊のほか甘えん坊でした。短い猫生を知っていたかのように、精一杯生きたと思います。
シンクンも、自分の子どもであるピンパンを追うように、同一の病気に罹り、死にました。猫柄がよく、人間に対しても、猫に対しても、やさしく寛容で、一緒に生きるものにとって心地よい、無理のない関係をつくれる猫でした。私が帰宅すると、暗くなっていても、玄関前で迎えてくれ、ピンと長い綺麗なしっぽをあげ、私に近づいてきます。その姿が忘れられません。胸の白い毛と白い足が、暗くてもくっきりと見え、全身が堂々としていて立派でした。一緒に玄関から入ります。
シンクンは家の外と内を自在に行き来していました。なかなか強いオス猫で、テリトリーもどんどん広くなり、特にシーズンには家を1週間以上あけるのも珍しくありませんでした。ところが、いままでになく長く帰らず、心配していたところ、久しぶりに突然、シンクンが私に声をかけてくれました。いつになく弱々しい声でした。一目見るなり、ピンパンと同じ病におかされていると直感しました。予想が外れてほしいとのねがいもむなしく、同一の病名を医師によって宣告されました。
シンクンは、おとなになっても、1年に1〜2回は、膝にのって人間の子どものように抱かれます。彼の子どもの頃の習慣そのままでした。病院で膝にのってくれたのが、最後でした。
シンクンは私の人生の7年間の伴走者でした。シンクンに心底から「ありがとう」をささげたく思います。
ピンパンとシンクンの冥福を祈っています。
こうした悲しいことがあり、このコーナーのナビゲーターのピンパンも逝ってしまったので、しばらくこのコーナーを凍結したいと思います。
私自身も5週間入院生活を送りました。残った愛猫たちと生活を建て直してから、コーナーの再開を考えたいと思います。お読みくださった方々に、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。(2004/12/30)
僕は、この欄のナビゲーターをつとめるピンパンです。どうぞよろしく。僕が、共同生活しているニャンコたちを紹介していきます。まず、私たちのところでは猫のシンボル的存在であるミーちゃんとシンクンを写真で紹介します。我が家では、猫といわず、ミーチャンと言います。つまり、ミーチャンは猫の総称にまでなっているのです。