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Pulp Fiction


バブル・ザ・バブル

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その三十二

登美ヶ丘署の刑事たちは何時間もかけた末に、僕のねらいどりの解釈に落ち着くようにみえた。オオハラはミヨから渡された机の上の毛玉を、和菓子と間違えて口に放り込んだという見解である。彼はそれほど異様な興奮状態にあった。なぜなら教授会の議事録やら太平洋建設の裏書きの入った手形が示すとおり、僕との深くて複雑な関係がこじれたからだ。

そうして刑事たちがようやく僕を解放しようとすると、あわただしく部屋に入ってくる二人組がいた。マミヤとコガネである。

「なんや、マミやん。またよその署をかき回しにきよったか」

年配の刑事がいかにも不愉快な表情を向けると、マミヤは口元を歪めて笑みをつくった。

「えらい、すんません。おたくの署長とうちの署長の間で話ができてもうて、毛玉と死人ゆうたらマミヤゆうことになったらしいんです」

僕はのどに強烈なつっかかりを感じて、吐き気がした。

「山部さん。長いことお引き留めして大変恐縮ですが、どうですか。もうひと頑張りしてもらえませんか? 今からミヨちゃんと一緒に、うちの署に足を運んでもらえませんかな?」

「来るが早々に、ひとの客とってくんか」

先の刑事の言葉は、もうマミヤに届いてなかった。彼はきのうと比べると、一段と鋭く厳しい目つきで僕をみた。

「きょうはクミコさんにも署においで願って、先ほど帰るまでいろいろ話させてもらいました。どうですか、ちと顔を出してもらえませんか? 車で一走りです」

一走りとは一時間半のドライブを意味した。都心に入る途中で、海岸沿いの工場からもくもくと煙が上がって夕焼けに溶けていく様子を、僕はじっとみつめた。

生まれてはじめて、警察署の二階に上がって、狭い一室にとおされた。これがきっと犯人を締め上げて自供される部屋なんだろう。勧められた椅子にミヨと並んで腰掛けながら、僕は思った。

「ミヨちゃん。まだ毛玉もってるか? うん? もってたら小父さんにみせてくれんか?」

マミヤは笑みをつくり、唇はしっかり結んだままで、斜め前からミヨに近づいた。口に放り込まれるのを警戒しているらしい。

「あの」 僕がいった。「昔、クミコが毛玉を取り上げようとして、思い切り噛みつかれたといってます。気をつけてください」

「大丈夫、大丈夫。おじさんはな、みせてもらうだけやねん。な、ミヨちゃん?」

マミヤは口を極力細めに開け閉めして、腰をかがめ腕を伸ばしながらミヨに到達した。

「ミヨちゃん、いいかな。その赤いズボンのポッケを小父さんがのぞいても。いいよな」

マミヤは素早く毛玉の一つをつまみ上げた。

「あった! めっけた、めっけた。赤ぁーい毛玉や。ほら、ほら」

マミヤは腰をかがめたまま、嬉しそうに毛玉を上にかざしたが、途中で突然に真顔になった。上司らしき人間の視線と出会ったのである。

「これは、署長」

「マミヤ君、ちょっと」

マミヤは毛玉を持って部屋を出た。

部屋に残ったコガネをみると、腕組みをしたまま、所在なさげに椅子をうしろに傾けている。一分もしないうちに、マミヤが入ってきた。毛玉だけでなく、もっと大きな証拠も握っていた。

「山部さん。きのうの話のつづきですがね」 マミヤは颯爽としていた。顔つきは険しいが、すぐ下に本当の笑顔がみえるようだった。「そもそもわしらがなぜ、焼死体をコクボと断定できたかわかりますか? なんせ死体は真っ黒焦げ。最近でてきたDNA鑑定なんかに頼ったら、何週間もかかる。なんで断定できたのか、わかりますか?」

彼の一変した雰囲気に戸惑った僕だが、この話題の切り出し方にぞくっとした。刑事が自分の手の内をみせる。よほどの余裕と確信があってのことだ。

「身元がすぐに割れたのはね、車に火つけたマッチが現場に落ちてて、おまけにマッチの御本体も丁寧に落ちてたからです。コクボの行きつけのスナックのね。ママの話から候補が上がって、ぴんときましたよ。脱税容疑のコクボや。そこで奴の申告書から指紋をとると、マッチの指紋とぴたり一致した。しかも、トランクにみつかった鍵も、奴のマンションの鍵やった。ただね、不思議なことに、部屋を調べたら指紋ひとつない。おかしいでしょ? 指紋を拭き取っておいて、なぜわざわざ指紋のついたマッチを落としたか」

確かに、おかしい。だが僕と探偵は、そのおかしなことを真剣に計画し実行したのだ。

「拭き取ったのは、指紋だけやない。毛髪や繊維まで綺麗に無くなってる。これはプロの手口や、と私は思いました。そのとき、最近私立探偵になった元同僚を思い出したんです。そいつは手がかりがでると、よく偽装工作やいうてました。同じ手口や。ひょっとして奴の仕業やないかと。そしたら本人は、なんと次の晩に死んだんです。奴の胸ポケットには手帳が入っててね、いろいろ書いてありました。一月五日、『コクボのマンション前で、十一時時から十七時半まで張る』なんてね」

マミヤが勢いづいて口の開け方が大きくなったので、僕は隣のミヨの動作をどんなに心待ちにしたろう。だが彼女は、ポケットに手を入れる気配さえみせなかった。

「私は思いました。これが奴のいうニセ手がかりや。ならば、もう一つの口癖についてはどうか? 『アリバイのある奴こそ怪しい』、いう発想ね。アリバイの逆説いうんですな。新地の近くで車がぱっと燃え上がれば、犯行時刻がはっきりするし、アリバイの有無もはっきりする。ならば、アリバイのあるひととは? 奴にもコクボにも関係があって、あの時刻に完璧なアリバイのあるひと、それはあなたです。怒らんでください。ただの勘ですよって。でもこの勘を働かすとね、こうなります。あなたは、アリバイのある時刻に探偵に死体を焼かせた。ではなんで死体を焼く必要があったんか。死体をそのまま置いては困るからです。あの部屋に置いてはまずいことがあったんや」

マミヤは視線を斜め下に向けると、急に口をすぼめた。きっとミヨのポケットが目に入ったのだ。

「山部さん。あなたもあなたで、推理小説好きなんですな。『小石を隠すなら砂の中に、木を隠すなら森の中に』って言葉ね。おい、誰やったかな?」

僕に訊けばすむのに、わざわざまたコガネに訊く。ようやく、マミヤの役回りがわかった。

「でもね、『青のBMWを隠すなら新地に』ってわけにはいかないんです。青のBMWは、そこら中がBMだらけにならなければ隠れません。新地でそうなら、ほかの場所はなおさらです。青のBMはね、コクボのマンションの裏手に停めてあったのを目撃されてるんです。青のBMはね、大阪駅周辺の駐車場の一つで、料金所にいた女の子にも覚えられてるんです。車と不釣り合いな鈍くさい大男が運転してたんでね」

マミヤは呆然とした僕に向かって、大きくうなづいた。

「ま、ここまでは勘ですよって。車のナンバーもなんもわからないままや。でもね、たったいま、わかったんです。女の子のみたのは間違いなく焼かれたBMWやて。運転してるのも奴らしいって、わかったんです。なんでかわかります? 世の中、便利になったもんや。その駐車場の出口にはね、最近カメラが取り付けられたんです。停めた車に悪さしたりドロボウ働いたりするのがいるんで、防犯カメラつけたばかりやったんです」

やられた、と思った。

バブルの時代は、カネ持ちを量産すると同時に警備会社も太らせた。それまで特別な場所でしかお目にかかれなかった防犯カメラは、駐車場やデパートや一般のマンションにも広く設置されるようになった。そのことに、僕も探偵も気づかなかったのだ。

「どうですか? いまから駐車場の各階のカメラに収めた分も、調達して調べるつもりです。エレベーターの分もね」

私の眼前で、あの人物たちがちらついた。ガラガラ声の痩せ男、サングラスの男、「悪うました」のふたり。もういいんだ。吐き気や動悸に苦しまずにすむ。そう思うと安堵がこみ上げてきて、目頭が熱くなった。よくやった、と自分を誉めたかった。

「どうですか? そろそろホンマのこと、話したら。わしらの手間暇を省くだけやない。あんた自身の刑罰も、酌量されるよって。知ってることを、しゃべるがよろしい」

僕は落ちかけていた。ほとんど落ちていた。

だが世の中には、ふだんはろくに口もきかないくせに、口を開いたと思うと最悪のタイミングで最悪のことを言う人間がいる。コガネがそのひとりだった。

「しかもな、あの手帳からはふたりの男の証言がとれて、異様な音についても、とうにわかってるんや。別の不審死と同じような音についてな。警察にはオオハラ・クミコの昔の記録も残ってる。前代未聞の音を出す怪物女やて、とうに知れてるんや」

クミコの名前と怪音の話を聞いて、本来の僕が目を覚ました。これは彼女を守るために、やむなく計画し犯した罪だ。クミコが落ちるより先に僕が落ちれば、僕は彼女を自分の手で引きずり下ろすことになる。それだけはしてはならない。

目を上げると、マミヤの表情も険悪になっている。若僧に怒鳴りたいのを、じっとこらえている様子だ。

「すみません」 僕は言った。「きょうはもうくたくたな上に、小さな子を連れてます。帰らせてください」

マミヤの顔は真っ赤だった。

「あす、また」 彼は慎重で丁寧な物言いに戻っていた。「よろしゅう」

コガネはベテラン刑事の雷が待っているとも知らずに、僕とミヨに付き添ってエレベーターに乗り、玄関まで見送りに出た。

僕は鎖を引きずるようにミヨの手を引いて帰宅すると、居間のこたつにしょんぼりうずくまるクミコをみた。


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