Pulp Fiction
バブル・ザ・バブル « « 表紙へ «« 前へもどる その二十七 「そんなお金、うちのために出すん?」 きょう一日の事情をかいつまんで話すと、クミコは感激するどころか、呆れた顔をした。もったいない、という表情だった。 「うちがあの芸を、警察でずっとつづければすむことやのに」 僕はさすがに、少年課の刑事の話はしなかった。 でもその夜は、探偵と長い時間をかけて細部を交渉し打ち合わせた。探偵は公衆電話を何台も変えながら、つきることなく疑問や難問を掘り起こし、僕の見解を聞いた。 たとえば、証拠隠滅の必要道具をどのように現場に持ち込み、持ち出すか。さらにコクボの死体をどうやって運び出して、車に乗せるか。幸いにコクボの部屋は非常口に近く、マンションの非常階段は薄暗い上に、コンクリ製で足音もしにくかった。もっと幸いなことに、探偵は大きくて力持ちであり、コクボは小さくて軽かった。 翌朝は真冬にふさわしく、北風の吹きつける好天気だった。僕はクミコのいつもの弁当を持ち、平静を装って大学へ出かけた。 「いってらっしゃい」 クミコはそう言うと、横にいるミヨの手を持ちあげて振ってみせた。何ヶ月も繰り返しているが、効果はない。でも僕が「ミヨ、ミヨ」と声を掛けると、ちゃんと「ミォ、ミォ」と言って回れ右をした。彼女の生命力が伝わり、僕に勇気を与えた。 幸いにして、その日の講義は午前の一コマだけだった。講義を終えると、僕は早めに弁当をたいらげ、遠くの理事長室の窓に目をやってから帰路についた。いったいオオハラはきょう一日、大机とソファの間を何遍往復するだろうかと考えた。 帰路といっても、直接家に帰ったのではない。というより、帰り着くまでの十三時間の寄り道こそが、僕とクミコとミヨの将来を決する戦いになるはずだった。 午後一時、僕は地下鉄御堂筋線の大国町で降りて、カタミから指定されたペンシル・ビルの一室に着いた。チャイムが鳴ってドアを開けたのは、彼とは縁もゆかりもなさそうながらがら声の痩せた男だった。 中にとおされてからみると、入り口付近には車輪付のトレイが置かれて、大きなダンボールの空箱が乗っていた。部屋の中央には事務机が二つくっつけて据えられ、年配の男がふたり、腕組みをして左右の椅子に分かれて坐っていた。 僕が机に近づくと、両方とも立ち上がってお辞儀をした。 「よろしゅう」 「ご苦労でんな」 それぞれ一語だけを口にして、僕を正面の椅子に座らせた。 二つの机いっぱいに、書類が広がり重なっていた。二種類の形式で各十五枚を数えるそれらには、みんな一様な数字が打ち込んであった。二が一つのあとにゼロが八つ、つまり二億円である。 書類は二種類ひと組の形式でできていた。借用証書と領収書がセットをつくり、貸し主は組が違うと全部別の名前で、カタカナを並べたあやしげな会社ばかりだった。だがよくみれば、それぞれ一ヶ月ずつずらした返済期限が記されていた。僕は一枚一枚に署名と捺印を繰り返して、十五組の二億円、つまり計三十億円を借りる手続きを終えた。 受け取る金は二十億円。右の男が立ち上がると、後方の壁ぎわに据わる大きな金庫の扉を開いた。久々に目にする百万円の札束の大隊に、僕の鼓動は高まった。 間もなく、がらがら声の痩せ男が金庫と机の間に立った。彼は机の書類を手慣れた手つきで集めて重ね合わせると、特大のトランプを扱うようにアタッシュケースに納めた。連続した動作で、男はいつのまにか奥の床に並べてあった十種十葉のかばんを、順番に机の上に置いた。 ご想像どおり、彼はかばんの一つ一つに、札束を入れていった。放り込んだという方が当たっている。金庫の棚に整列したひと山ずつを両手でつかむと、振り向きざまにぽんぽんと音を立てて入れていった。何十回と同じ動作を繰り返すうちに、男の額に汗が滲み、頬を伝わって床に落ちた。 男は作業を終えると、各かばんのチャックを引いて閉めた。それから両手に一つづつを下げると、入り口近くの車輪付トレイへと運んでダンボール箱に入れた。彼は同じ動きを五回反復して、机の上を綺麗にした。 すると、腕組みをして作業を見まもってきたふたりが、同時に立ち上がった。 「悪うました」 揃ってそう言って頭を下げた。僕はお辞儀を返したが、適切な返事など浮かびようもなかった。 彼らのひとりがドアに歩み寄って、内側いっぱいに引いた。痩せ男が腰を入れてトレイを押した。入り口の敷居を乗り越えて廊下にでた彼は、今度は右に九十度トレイを回す。どうやら僕は、あとをついていくように期待されているようだ。部屋を出るときにふたりをみると、僕などすでにいないかのように、よそを向いていた。 地下の駐車場の一角には、白のトヨタクラウンが停まっていた。痩せ男がトランクを開けたので、僕はかばんの積み込みを手伝った。 「悪うまんな」 彼は積み込みを終えてそう言うと、前方に行ってドアを開け運転席に座った。僕も反対側から助手席についた。 男が車を大阪駅の付近の駐車場に入れると、僕らは本格的な肉体労働をはじめた。大阪駅には計■箇所にコインロッカーがある。僕らは駐車場に近い二箇所のロッカー置き場に、かわるがわるかばんを一個持って運んだ。計十回の往復をして、二箇所それぞれの五つの空ロッカーの中に、一個づつかばんが入った。ロッカー一つに二億円、ロッカー置き場一つにつき計十億円。二箇所あわせて二十億円が、おさまったのである。 六度目の往復は僕の番だった。かばんを空ロッカーに収納して駐車場に戻ると、同じ階の向こうはしに青のBMWが停めてあり、運転席に人影がみえた。ドアがあいてサングラス姿の小柄な男があらわれると、僕は一瞬、コクボが生き返ってクミコのことを訴えに来るのかと思った。当然、彼はコクボではなく、正体不明であるべき誰かだった。僕は近寄ってきたその誰かから、BMWの鍵を手渡された。男はそのままエレベーターに乗って、駐車場の外に去っていった。 八回目の往復を終えると、僕は毎回と同様にクラウンの助手席で痩せ男の戻るのを待った。男は九度目の往復から帰って運転席に乗り込むと、五つ目のロッカーの鍵を僕に手渡した。これでコートの裏ポケットには、計九個の鍵がたまった。 「有り難う。助かったよ」 僕はそう礼を言うとさいふを取りだし、一万円を十枚抜いて彼に手渡した。 「こりゃ、どうも。おおきに。気つけてください。お元気で」 僕は手を振ってドアを閉めると、うしろにまわりトランクを開けて最後の一個を取りだした。トランクを閉め終わらないうちにエンジンがかかり、かばんをさげて背を向けたときには、すでに発車していた。十度目は僕にとって、往復でなく片道になった。 最後の一個をロッカーにおさめて、僕は腕時計をみた。すでに午後四時をまわっており、外にあらためて目をやると夕闇の迫るのを感じた。 午後五時五分前、僕はJR大阪駅の中央改札をくぐり、六番線の階段を上がった。ひとでごった返すホームに出ると、電車の進行方向に沿って前方の神戸に一番近いところへと歩いた。そこに、体の大きくて力持ちの男が立っているはずだった。 僕は彼の顔を知らないが、彼はもちろん、こちらの顔を熟知している。よれよれのレインコートを着た大柄の男が、僕と目が合うなり近づいてきた。僕は立ち止まると、コートのポケットからBMWの鍵を取りだした。男の両手はポケットに突っ込んだままだが、すれ違いざまに白手袋の片手がすっと出て鍵をつかんだ。彼はうしろを振り返り、一秒か二秒こちらをみつめた。顔を覚えさせるための仕草で、電話で打ち合わせた一つだった。 ようやくここまできた。だが、これから探偵の大仕事がはじまるのだ。なんとか打ち合わせ通りに、ことが無事運びますように。僕は遠ざかる彼の後ろ姿に向かって、心の中で手を合わせた。 » » 次を読む |