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Pulp Fiction


バブル・ザ・バブル

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その二十六

「もちろん、証拠資料はカネを受け取り次第、そっくり渡すで」

探偵は二時ちょうどに、電話をかけてきた。

恐喝がうまく運んでいるとみた彼は、機嫌のよい声で僕の問いに答えた。カネと引き替えに証拠を完全に引き渡す保証は得られるのか。僕はカタミの電話以来、不安になった点を正した。

「山部さん、駆け引きなしに言うで。俺は証拠を小出しにして、いじいじと骨の髄までしゃぶるようなワルやない」

そう言われると、余計に恐くなった。

「カネを現ナマでもらえば、あんたの傍から完璧に消える。第一、大金を手にしたら、こんな商売バカらしくてやってられんで。資料という資料はみんな始末して、事務所をたたむんや。何ならカネと引き替えに、事務所そっくりあなたに引き渡してもええ」

「でも、どうしたら証拠がすっかり消えたってわかります?」

探偵が黙り込んでしまたので、僕は耐えられないくらい恐くなった。

「山部さん」 ようやく彼が口を開いた。「証拠が残ったときは、俺を訴えてくれ。あなたが危ない分だけ、俺かて危ない橋渡ってるんや。しくじりはせん」

なるほど、と僕は納得してしまった。

「でもあなたを信用するとしても、あなたのくれたメニューには僕の気に入ったコースが載ってないんです」

僕は大机の横に立ちながら、ソファに身を沈めたオオハラの気難しい表情をみた。つべこべいわずに早く注文しろ、と馬面は金のない恨めしさを込めて訴えていた。

「よくできたメニューや思うが、どこに文句があるんかい?」

「放火や偽装工作で、無実のひとを陥れたり殺したりするなんてできません」

「なら、証拠隠滅コースの三億円でええやん」

意外と安売りが好きな男だ。

「いいえ、僕のいいたいのは」 視線を上げた拍子に、オオハラの難しい表情がまたみえた。「ほかの人間に危害が及ばないかたちで、現場を消滅させて欲しいということです」

「ふむ、現場消滅の別コース、というより証拠隠滅の超デラックスコースいうことやな」

長い沈黙が流れ、電話から子どもの呼び合う声が聞こえた。おそらく、どこかの公園にある公衆電話からかけているらしい。公園に目をやりながら、あるいは公園に背を向けながら、探偵は思案しているのだろう。きっと、あたらしいコースの危険と値段の魅力とを、天秤にかけている。

「ううんと」 コースづくりの難産が伝わってきた。「難しいな。埋めたり、沈めたり、ほかの場所で焼いたりと、方法はある。つまり、窒息死いう死因をわからなくさせることや。だが、俺の身がヤバイ。わかるやろ? 死体を処理する時間が長くなるだけ、目撃される可能性は高くなる。俺も車も死体も、姿をみられる危険がずっと増すんや」

やはりそういうことか。

「も、一つ。放火と比べて欠点がある。たとえ無事に仕事を終えたとしても、警察はあんた方を完璧なシロとはみなさんやろ。死体を処理した日時を警察がよう割り出さんかぎり、あんたらのアリバイもはっきりせん。嫁さんが男を窒息死させて、あんたが死因を隠そうと死体を処理した、そういう疑いは消えん。もちろん、時間が割り出せんのやから、アリバイを固める必要もない。けど、灰色はつづくやろな。いくら俺が、現場の証拠を隠滅したかて。ということで、どう考えても、あのメニューがサービスの限度や」

いよいよ追いつめられた。どうする?

「ちょっと待った」

「なんや」

探偵は往生際の悪い獲物に、面倒くさそうに応えた。

「中学生の頃、『ブラウン神父の童心』という推理小説を読みました」

「あんな、俺は現実について話しとる」 出たとこ勝負の僕に、探偵は呆れた様子で説教を垂れた。「殺しが起こると推理小説をもちだすアホは、どこにでもいるんや」

「でも、『小石を隠すなら砂の中に、木を隠すなら森の中に』っていうブラウン神父の言葉、あれ、真理じゃないですか?」

「ボケ!」

探偵の怒鳴り声に、僕も必死で怒鳴り返した。

「二十億出すんですよ!」

怒鳴り声がやんだ。もちろん、探偵だけでなく僕の怒鳴り声もだ。

「死体を燃やしてください。ただし目立つところで。車の多い場所に車を停めて、死体もろともガソリンを撒いて燃やしてください。そして人通りの中を歩いて立ち去るんです」

ふっと息をつく音が聞こえた。

「あんた、正気か?」

「もちろんです。死体処理の日時がみんなにわかって、しかも目撃されない方法といえば、これが一番でしょう」

「車から簡単に足がつく」

「僕が別人の車を調達します。あなたは現場の証拠を隠滅したあとで、その車に死体を乗せ、人の多いところまで運転していって火をつけます」

「ガソリンを撒いてるとこ、みられるで」

「じゃあ、はじめに死体にガソリンをかけて運転すればいい」

「それこそ危ない」

「なにが危ないんですか? 死体はうしろのトランクの中、車のタンクも同じく後方にあります。あなたがいるのは前方の運転席。ゆっくりめに運転して、なにかあったらすぐ飛び出だせばいい。そのときには、すでに死体が処理されてますよ」

探偵は口をつぐんだが、受話器から荒い息づかいが聞こえる。

「本気か?」

「もちろんです」

「俺はずいぶんと、危ない橋を渡らにゃあかん」

「それは僕も一緒です。あなたが捕まれば、僕も連座するしかない」

「二十億賭ける価値、あるんか?」

どう答えればいいんだろう。目の前のオオハラなら「愛情はカネより尊い」と言ったかもしれない。でも僕は夢中で、ナミヒラの電卓の数字を思い出した。

「ええと、二十億円は銀行の定期にするとですね」

勝負だ。正確に思い出せ、と自分を叱咤した。

「年間で九千万円の利子を生みます。月にして七百五十万。いいですか? 毎日寝て起きるだけで、二十五万円が入り込むんです」

ずずっとヨダレをすする音がした。探偵ではない、オオハラが立てたのだ。

「車はすぐ手に入るんか?」

「もちろん」

ハッタリである。

「死体を動かすとなれば、一刻も早いほうがええ。腐ると動かすのが大変よって。それから、カネはもちろん、現ナマやろうな?」

「心配いりません」

「けど、いっぺんに下ろすと、警察が目つけよる。どうするつもりや?」

「実は、現ナマを隠し持っているんです」

「ほお」

嘘らしい嘘ほど効果を発揮するという。

「どうやって手渡す気や?」

「カバンに二億円ずつ詰めて、ひとつずつコインロッカーにいれます」

クミコのみせた札束いっぱいのカバンのイメージが、登美ヶ丘駅のコインロッカーの記憶に重なって、僕の即興を引き出した。

「ロッカーの鍵は全部で十個。死体を車に積んだ時点で、証拠資料と引き替えに五個渡します。あとの五個は、車に火をつけたあとで」

「ダメや」 探偵は言った。「それやと、あとの十億をもらえる保証がなくなる。資料は火つけたあとに、残りのカネと引き替えに渡す」

「いいでしょう。あとは場所ですね」

「どんな車種を調達できるかによる。車に合った停め場所があるよって」

僕は新地でしばしばみかける青のBMWを思い浮かべた。

電話を切ると、オオハラが心配そうに近寄ってきた。

「二十億なんて現金、ホンマに用意できるんか?」

さすが商売人で、現金調達の難しさを知っている。現に僕から二億円借りているのだ。

僕はあらためて調達方法を考えた。銀行の側にパニックを起こさず、警察の目につかない方法で、二十億の現金を明日までに、いやできれば今夜中に、手にすることはできるんだろうか?

もちろん、「お金に困ってるひとを助けるんですよ」と言うカタミがいる。でもいくら彼でも、金額と時間を聞かされたら絶句するはずだ。

「なんと言ってよいのか」

カタミはいつもの丁寧な口調で、予想どおり言葉をなくした。

「ま、やってみましょう」

僕は神の声を聞く思いで、電話機に向かって幾度となく深く頭を下げた。

「でも二十億となると、集めるだけでなく返済も大変です。それなりの利息を覚悟しないといけませんね。もっとも、警察を警戒する必要があるから、返済は長期になるでしょう」

不安がよぎった。ひょっとして、手持ちの巨額のカネでも足りなくなることがあるのか。万が一借金となれば、今までに親や友人から借りた額とは文字どおり桁が違う。それこそ、首をくくるしかない。でも、と思い直した。僕には現在四十五億ほど手元にあるし、三ヶ月後に納める税金の額を引いても三十億はゆうに越える。

「ま、それくらい覚悟しとけば大丈夫でしょう。ちなみに、とっておきの税理士もご紹介しますよ。領収書をたくさん集めてきてくれます。面白い種類のレシートが世の中にあるって、きっと思われるでしょう」

さりげない言い方に力づけられて、僕はさらに頼んだ。

「もう一つ、お願いがあるんです。青のBMWを一台」


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