Pulp Fiction
バブル・ザ・バブル « « 表紙へ «« 前へもどる その二十四 「あの刑事くずれめ、クミコのあとを追おうとしたとき、なんや昔の勘を取り戻したらしい。すぐさま男の部屋を訪ねよった。ピンポン押しても返事はなし。手袋した手で握りを回して引くと、ドアが開いた。それからが元刑事や。靴の上からビニールの足袋を履いて、中に入りよった。それで死にたてのホカホカの男をみつけたんやて。もちろん、刑事くずれは死体に詳しい。窒息死とみて、のどをのぞいた。するとなんや知らんが、殺しの証拠物件がみつかったそうや」 僕は息をのんだ。毛糸の小玉ではないか? 「刑事くずれめ。現場はそのままにして、男のポケットから鍵だけ引き抜いて出てきたらしい」 予想だにしない話だ。でも、つじつまは合っている。 「あいつがなぜ、わしに電話寄こしたかわかるか?」 依頼主だし、クミコの伯父だからではないか。 「あんたと話をさせるためや。わしはあんたの、ま、ボスやし、義理の父親みたいなもんやさかい」 僕はいつかカタミがしたように、ジャケットの肩をぱっぱと手で払った。 「あいつはすでに、あんたが最近土地を売り、巨額のカネを手にしてるのを知っている。そこでわしをつうじて、あんたからカネを搾り取ろうとの魂胆や」 「でも」 毛玉の芸を思い浮かべて、僕は訊いた。「なぜ、窒息が殺しによるものだってわかるんです? しかもクミコの仕業だってわかるんです?」 「そこが刑事くずれの恐喝や」 オオハラは小さく首を振ったあと、こっくりとうなづいた。 「あいつ、警察のコネつこうて、クミコが八ヶ月ほど前に、ちょうど同じ手口で殺しの嫌疑を掛けられたのを、突き止めた。それでようやく、脅迫の電話をかけてきたわけや」 「嫌疑は晴れたはずですよ」 僕は、ソファから体を起こして言った。 「晴れたとはいわんそや」 オオハラの馬面は、無念そうに斜めに傾いた。「警察にとって、クミコはシロではない。灰色や。これと同じ、わかるか?」 わざわざ野暮なスーツをつまんでみせなくたっていい、と僕は苛立った。 「そこへもってきて今度は、殺された男とクミコとを、外からずっと見張ってたという証言がある。加えて、建物を出るクミコと、置き去りにされたホカホカの死体をみたという証言や。なあ、常識で考えてみ。八ヶ月の間に、この広い日本でたったふたりだけ。どうしてあいつの男にかぎって、毛玉をのどに詰まらせるアホな死に方しよったか」 まるで僕がまだ生き残っているのが不思議だという言い方だったが、説得力はあった。 僕は想像した。有力な状況証拠がいくつも積み重なると、凄腕の刑事たちがいよいよ本気でクミコを取り調べる。彼女のことだ。厳しい尋問にわけがわからなくなって、「ご免。堪忍」を繰り返すだろう。すると刑事たちは、巧みな誘導で彼女に殺しを自白させる。殺しの手口はどう考えても、毛玉をのどに押し込むという一手しかないし、物的証拠も揃ってる。つまりいったん自白すると、証拠との矛盾はまず生まれそうにない。 逮捕と前後して、新聞やテレビや週刊誌が騒ぎ立てるだろう。カメラやマイクが家のまわりで押し合いへし合いするうちに、留置所や拘置所や検察庁やら裁判所やらと面倒な手つづきがはじまって、僕とクミコはいつ終わるとも知れない長い嵐にさらされ、よれよれぼろぼろになっても、なお解放されることはない。たとえ無罪を勝ち取っても控訴があり、控訴を蹴散らしても、事件の悪夢やいやがらせ電話に、一生うなされつづけるのだ。 オオハラも僕も黙り込んでしまった。 オオハラが僕に何を頼みたいのかはわかっていた。僕が彼に何を訊きくべきかも、もちろんわかった。 僕はその訊くべきことを口にした。 「いくら、要求してるんですか?」 「それやねん」 待ってましたとばかり、彼は大机から紙を一枚取り上げると、僕に歩み寄り、手渡した。 「なんせ、込み入ったメニューでな。電話で聞きながら、書き取ったんや」 都心のレストランが何段階もの華やかな昼食メニューをつくって客にみせることは、当時のはやりでもあった。 僕はソファにもたれながら、込み入ったメニューを読んだ。
○現場保存コース 1億円 気がつくと、オオハラは僕の横に腰を下ろして、一緒にメモに見入っている。いくらクミコの危機とはいえ、この男と膝をつき合わせて相談するのは気が進まなかった。 「『期間限定』というのは、死体のいたみ具合を考慮してつけたそうや。この季節についての」 商品の説明をしているみたいだ。 「どや、最後のデラックスコースでいかんか?」 案の定、彼は「現場消滅・偽装工作コース」を指さした。 僕は内容を再読した。確かに火をつけた上にニセの手がかりまで残すという方法は、デラックスと呼べるかもしれない。でも僕の趣味でなかった。無実の人間を陥れて、暗澹とした世界に置き去りにし、知らんぷりを決め込むのだ。 それ以上に気になることがあった。「現場消滅コース」の放火である。コクボが五階建てマンションの何階に住んでいたか知らないが、真冬の乾燥と北風が火を勢いづかせて、周囲の住民を巻き込むのは必至であり、これこそ立派な殺人に思えた。 ならば「現場保存コース」と「証拠隠滅コース」はどうかといえば、先ほどから懸念しているクミコに対する厳しい取り調べを防ぐためには、どちらも弱いといわねばならなかった。 「どれも気に入りませんね」 「カネを惜しんでるわけやないな?」 馬面の真剣さに、僕は返答の気力も失せた。 「ほかの方法について交渉しましょう」 「どんな方法や?」 「それを訊いてみるんです」 オオハラを間近にみるのが耐えられなくて、僕は立ち上がった。 「あいつは、午後二時にまた電話かけるいうた。いずれにせよ、期間は限定されとる。急がにゃ」 わかっている。オオハラが姪のスキャンダルで失脚したくないのと同様に、僕だって事件に巻き込まれてクミコとの平和な家庭を壊したくなかった。 「探偵の連絡先を教えてください」 「事務所に電話かけても取らんそうや。向こうから連絡寄こすだけ」 「なぜです?」 「さあ。電話で足つくの、警戒しとるんちゃうか。なんせ、刑事くずれや。さっきの電話の感じも、きっと公衆電話や」 » » 次を読む |