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Pulp Fiction


バブル・ザ・バブル

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その十一

「豪勢なホテルやね」

お迎えのベンツを降りるなり、クミコが建物を見上げて言った。僕はミヨの手を引いて車の外に出るところだった。

軍服もどきのたいそうなユニフォームを着たベルボーイが何人も現れて、歓迎の言葉を述べると、荷物を預かりレセプションへと案内した。

手続きをすませる間、何回も「サー」をつけた説明を聞かされた。

「えらいとこへ、来たもんや」

五ドルのチップを渡されたポーターが、最後の「サー」を唱えて上機嫌で部屋から出て行った。見渡せばスイート・ルームは、全部で五十畳をゆうに越える大きさであり、どの寝室にもキングサイズのふかふかなベットが置いてあった。床も壁もマホガニーを基調にして、絨毯やクリスタルや大理石のアクセントがつけてあった。大理石の大風呂は、ジクルジーはおろか、サウナもミストルームも備えていた。

バルコニーにでた僕は、一面に広がる青い海に圧倒された。

「ハワイって、ええ気持ちやね」

クミコがうしろで、少しおかしな日本語を発した。

僕も彼女も、それに彼女が手を引いていたミヨも、三人そろって一流ブランドの衣服と靴を身につけていた。僕は旅行直前にふたりをデパートに連れて行って、あれこれと身支度させたのだ。クミコの安物ジャケットを丁重に腕でかかえた店員は、喜んで試着室の前で待つことを繰り返した。おかげで僕らは、幾つもの品々を買いこみ配達してもらうことになった。

でも、せっかくホテルのプライベート・ビーチが目の前にあるというのに、水着は買わずに終わった。クミコは流行のハイレグをみるなり、水着という水着を「やらしい」と言い出したし、ミヨには毛玉を入れる防水ポケットつき水着を特注する必要があった。そこで三人は、ショートパンツにランイングシャツという格好で、パラソルの下に寝そべったり、波打ち際を歩いたりした。

ミヨは日本の猫ホテルで暮らす黒猫を思い出したかのように、ときどき「ミォ、ミォ」とつぶやいた。ここワイキキの浜辺まで来てみると、僕は彼女がしばしば、なにかに目をとめて近づいたり、たたずんでみつめたりするようになっているのに、あらためて気づく。それは砂でつくった城だったり、横歩きするカニだったり、ただの貝殻だったりしたが、ともかく彼女は、さまざまなものへの関心を発達させていることは確かだった。

「あんたがやさしいから」

クミコが僕の横でそうつぶやいた。

部屋に戻ると、扉の下から封筒が差し入れられていた。厚手で黄色い便箋が一枚入っており、黒字と金字をちりばめて、デラックス・カクテル・パーティへのご招待と記されてあった。

「うち、ナイフかてよう使わん。ミヨの面倒もみなあかんし、あんたひとり行きよ」

「こんなもの、全部の客に出した招待状さ。簡単な立食パーティだし、プールサイドの飾り付けも綺麗らしい。みんなでちょっと、のぞきに行こう」

というわけで僕らは、シャワーを浴びてイーヴニングにふわさしい格好に着替えてから、プールサイドに出た。プールの両側には、つまみとドリンクのスタンドが並んでいて、正面ではバンドがブルーハワイを演奏中だった。

「うち、ハワイ語って、生まれてはじめて聞くんよ」

「これは英語なんだ」 僕はクミコに言った。「残念だけど」

濃さを増す夕闇に、あちこちで灯された松明がまぶしかった。

僕はダイキリのカクテルグラスを指の間にはさみ、クミコは飲み口をふさぐほどに飾られたパパイア・ジュースをミヨに与えながら自分でも飲んだ。

「ご免な、うち、難しいことようわからんのよ」

「いや、僕こそご免」

「やさしいひとやね、あんた」

「君こそ、やさしいひとさ」

いつものやりとりを終えてから、僕がふっとため息をついたときだった。

「なつかしい、関西弁や。どこからおいでです?」

振り向くと、面長の三十男がカクテル片手に、にこにこ顔で立っている。妻と息子と思わしきふたりを、横に従えてた。みんなお揃いでアロハシャツを着て、真っ黒に日焼けしている。

僕は笑顔を浮かべたが、返答に困った。関西弁は不自然な抑揚でしか話せないし、住所についてはあまりはっきりと告げたくはない。

「登美ヶ丘にある大学で、企画社会学を教えてるんよ、このひと」

クミコの関西弁と、物覚えのよさに感謝した。

「ほお、大学教授ですか」

「助教授です」

今度はさすがに、僕が答えた。不自然にしかはなせない言語は、なるたけ使わないようにした。

「面白そうなご専攻や。おカネにもなりそうで」

男はあいかわらず笑顔だが、目だけは笑わずに僕をみている。

「きっと顧問とか、してはるんでしょうな」

クラブ活動の名目上の顧問のことか、と僕は思った。最近ではいろんな同好会が生まれるので顧問の数が足りなくなり、教師はいくつかを掛け持ちしている。僕の場合は、エスニック料理同好会とフリスビー同好会だった。

「仕方なく掛け持ちでやってます。好景気のせいでしょう」

男はいやに大きくうなづいた。

「一度、講演をお願いしますよ」

わけがわからないでいると、男はズボンのポケットから名刺入れをとりだし、一枚を抜いて手渡した。フィリピンのタクシーでみた身分証明証のように、顔写真入りだ。

あのときと同様、本人には違いないが、何者だかがよくわからない。大阪青年会議所理事長といわれても、どんな仕事をしてるのか見当もつかなかった。

「そう、うちではいろんなひとにお話に来てもろうてるんです。前回は、山田一郎さん。ご存じですやろ? ニューヨーク近代美術館に作品が常設展示されてる有名なデザイナーです。その前は、手ぬぐいづくりで有名な引退した職人。それから、そう。去年は、少年野球で全国制覇した監督にお願いしました。たいていはJCOBで、気楽に頼めるんですが、大学の先生にはあまり縁がなくて」

ますますわけがわからなかった。JCOBは国際機関のようであり、民営化したJRの仲間のようにも聞こえたし、講演者の面々は不自然なほどバラエティに富んでいた。

ともあれ僕は、自分の名刺をレセプションを介して彼に預ける、と約束した。

「明日、大阪に帰るんですわ。大阪でまたお会いしましょう」

男は最後まで、笑顔を絶やさなかった。

「誰やの? あのひと」

アロハシャツの三人組を見送りながら、クミコが訊いた。

「大阪青年会議所の会長だって」

「なんや、JCやの」

英語の不得手なクミコが、こともなげにそう言った。

「わかるのか? 君に」

僕が驚いて尋ねると、さらにこともなげに答えた。

「だって。うちのとうちゃん、JCのOBやったもん」

なんばの喫茶店で出会って以来、クミコがはじめて過去の一部を僕にもらした。


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