「社会的シティズンシップの両義性――福祉国家の危機とは何か?」
『創文』481号、2005年11月、1-5頁



 先進諸国で三十年来語られてきた「福祉国家の危機」について、これまで数多くの要因が指摘されてきた。フォーディズムからポスト・フォーディズムへの転換、官僚制の肥大化と経済的非効率性、家族の多様化と少子高齢化、グローバル化など。その一方で、そもそも福祉国家のいかなる「理念」が問題であるのか、その機能不全と「正統性の危機」との間にはどのような具体的関連があるのかなど、「危機」の内実を思想的に掘り下げる作業はまだ多くの課題を残しているように思われる。たとえば、フランスの哲学的な福祉国家論を先導したF. エヴァルドは、近年のインタビューの中で次のように指摘している。近年の新自由主義的言説の拡大にもかかわらず、社会権の拡張によってあらゆる「リスク」から個人を保護するという考えは、ますます広く支持されている。現代こそ、福祉国家の理念が歴史上最も広く根づいた時代である、と(1)。言い換えれば、現代の個人は、できる限り多くの「リスク」から保護されることを基本的権利と見なすという理念を共有する一方で、現実には、ますます多くの新たな「リスク」に曝され、脆弱で不安定な生を強いられるという矛盾の中を生きている。こうした矛盾はどのように理解されるべきなのだろうか。
 この小文では、フランスでの「社会的市民権(citoyenneté sociale)」への理解を「権利」と「義務」との対応という観点から歴史的に振り返ることで、こうした問題について考える一つの手がかりを提供してみたい。

1 フランス革命期における市民権

 まず、フランス革命期の議論について触れておこう。フランス革命は、個人を自由・平等な法的主体とみなし、万人を新たな秩序の担い手として包摂することを宣言する革命であった。旧体制下で宗教的慈善の対象、もしくは公権力による監禁・処罰の対象とされていた貧民(物乞い、乞食)もまた、権利を有する主体の一人と見なされる。たとえばラ・ロシュフーコー=リアンクールは、一七九〇年に国民議会に設置された委員会の中で次のような有名な宣言を行っている。「すべての人間は生計に対する権利を持つ」。「貧困は人間の諸権利にたいする侵害である」。一七九一年憲法には公的扶助の義務が明記され、一七九三年憲法では、就労機会の提供と公的扶助が公権力の「神聖な債務」と称された。
 しかし、これらの権利が革命期に実現されることはなかった。「生存の権利」「扶助の権利」の宣言は、その後の社会権の起源となったというよりも、むしろ万人を権利の主体として措定することにともなう様々な困難を明らかにし、その後の議論の出発点となったものと位置づけられる。
 革命期の議論に共通していたのは、個人を身分制秩序や伝統集団からいったん析出し、このような抽象化された「市民」から成る新たな秩序像を構想することであった。そこに一貫する特徴は、中間集団への敵意である。一七九一年のル・シャプリエ法をはじめ、この時期には中間集団を廃止し、個人と国家の二極構造からなる秩序を建設することが実際に目指された。しかし、こうした構造の下で「市民」となる個人は、具体的には、伝統的紐帯から切り離され、あらゆる生の偶然性(リスク)に曝された脆弱な存在にすぎない。こうした個人の生存と安全を保障するためには、国家に無制限の権力が要請されなければならない。すでにホッブズの思想に見出されるこの論理は、「市民であること」の権利を個人と国家の二極構造によって保障しようとするときに不可避に伴う問題であったということができる。
 フランスで「福祉国家(Etat-providence)」という言葉は、きわめて特殊な含意を持っている。それは財の再配分を主たる手段として国民に福祉を提供する国家(Welfare State)ではなく、「神の摂理(Providence)」を体現する国家、すなわちあらゆる秩序の保障を一手に引き受けるような国家のあり方を指している。この言葉は、十九世紀半ばの自由主義者、保守主義者のみならず、社会主義者によっても否定的に用いられた。彼らによれば、「福祉国家」とは、フランス革命によって伝統的な紐帯から切り離されたバラバラの個人を統治するために生まれた集権的・専制的な国家である。こうした国家に対抗するために、彼らが共通して依拠したのが、人々の相互的な権利・義務関係から構成される道徳的集合としての「社会」である。十九世紀フランスでは、保守主義から社会主義に至るまで、この「社会」の内実をめぐって思想的な競合が繰り広げられる。
 二十世紀半ばに至るまで、フランスで「福祉国家」ではなく「社会保険(assurance sociale)」「社会保障(securité sociale)」という言葉が好んで用いられたのは、以上のような歴史に由来する。「社会保障」とは、国家が財の再分配を引き受け、個人の生存保障を一元的に担う体制(ベヴァリッジ型福祉国家)とは対照的に、自発的な相互扶助ネットワークを社会全体に拡張するという理念に基づいている。国家による直接的な社会への介入は、最小限に抑制されるはずであった。

2 連帯と社会的市民権

 それでは、この「社会」という集合において、万人はどのように「市民」として包摂され、その権利・義務はどのように規定されるのだろうか。この問いに一つの解答を提供したのが、十九世紀末から二十世紀前半における「(社会的)連帯(solidarité)」を唱える思想家・実践家たち(その代表者は「社会学」を体系化したエミール・デュルケーム、「連帯主義」を唱える急進共和派の政治家レオン・ブルジョワ)であり、彼らの手で導入される一連の社会保険立法であった。「連帯」とは、新しく現れた産業社会において、個別の職能を担う個人同士の相互依存関係を指す。それは国家の強制、市場での交換と異なり、次のような論理から成り立つ。
 第一は、「リスク」の共有である。産業社会で個別の職能を担う個人は、その自律を脅かす様々な出来事―労働災害、病気、失業、老齢など―に遭遇する。これらは、自己の労働能力を喪失させるだけではなく、他者との相互依存関係をも脅かす「リスク」である。「連帯」の秩序において、これらは個人的責任の対象ではなく、社会に内在する集合的「リスク」の発現と捉えなおされ、それらへの補償責任が社会化される。
 第二に、「連帯」を担う個人は、「リスク」への補償を権利として獲得する代わりに、個別の職能を能動的に充足し、社会全体の進歩に貢献する義務を負う。さらに、教育を通じて「社会化」され、労働規律・衛生習慣などを内面化することによって、全体の「リスク」を最小化する義務を負う。「連帯」を唱える論者は、いずれも公教育、職業教育、衛生教育などを重視した。こうした「モラル」を内面化しない個人は、「連帯」の秩序を構成する「正常」な個人のあり方を逸脱した「異常」な状態であり、矯正や治癒の対象と見なされる(2)。
 第三に、具体的な制度像としては、共済組合、同業組合、労働組合などの中間集団が保険の制度主体となり、労災、疾病、老齢などの「リスク」を共有する。国家の役割は、これらの中間集団への加入の奨励、財政的補完、個人への公教育などに限定される。
 以上のように、「連帯」とは、自然権を有する個人同士の契約ではなく、いわば個人と社会の相互「義務」関係によって成り立つ。それは「リスク」の社会化という論理によって、多様な中間集団を媒介した社会統合のモデルを提供し、匿名の個人に「リスク」からの保護という「権利」を保障することで、伝統集団(職人組合、パトロナージュ、宗教組織、家父長的家族など)への依存から個人を実質的に解放する役割を果たした。他方でそれは、個人を新たな社会関係の内に埋め込み、与えられた役割を能動的に引き受けるよう秩序化することで、全体の「リスク」を軽減し、安定した秩序を実現する、という論理を有する。それは個人を「解放」すると同時に「規律」するという両義的性質を内在させている。
 戦後フランスの社会保障の制度構造には、「社会的連帯」の理念が色濃く反映されている。一九四六年社会保障法第一条では「すべてのフランス人」が対象とされると言われるにもかかわらず、そこで実質的に想定されたのは、主として産業社会を担う労働者であった。それは当初より、労働者保護を目的とする社会保険を非労働者へと拡張することを意図したものであった。社会保障金庫は労使代表に自主管理され(初級・地域金庫)、国家は財政的補完と金庫間の調整を委ねられる。個人は、公教育によって「社会化」され、長期雇用の下で個別の職能を充足し、代表の選出を通じて金庫管理に能動的に参与することによって、労災、疾病、失業、老齢などの「リスク」から保護される。こうした想定に適合しない個人は「社会保障」の対象とみなされず、例外的な「社会援助」によって把捉され、最低限の生存維持を保障されるにすぎない。

3 福祉国家の危機

 戦後フランスの社会保障が成熟に至る一九七〇年代半ばは、「栄光の三十年」と称される経済成長の終焉とともに、「福祉国家の危機」が顕在化する時期でもあった。この「危機」は、単に経済的・財政的問題を指しているわけではない。むしろ八〇年代以降に問われていくのは、長期失業者、無資格者、若年失業者など、従来の社会保障の枠組みに当てはまらない「排除された人々(Exclus)」の顕在化であり、それにともなう福祉国家の「正統性」の危機であった。
 たとえば、一九七四年に現れたR. ルノワールの『排除された人々(Les Exclus)』は、経済的繁栄と社会保障の成熟の只中において、そこに包摂されない「社会的不適応者」が大量に存在することを指摘するものであった。彼によれば、教育・職業過程から離脱し、社会的「義務」を充足できずに社会保障の枠外に転落する人々は、全人口の十分の一にも達する。八〇年代には失業の長期化、雇用の不安定化などを背景として、「排除」は特定階層の不適応の問題から、現代社会に生きる個人が、脆弱化した社会的紐帯の下で、過重な「義務」を充足できずに、社会権の保障から脱落し、貧窮に陥るというプロセスに常に脅かされている状況を指すようになる。
 これらの議論に示されているのは、社会保障の制度化が、一方で職業集団への帰属によって保護された個人の社会権を肥大化させながら、その同じプロセスが、他方で「義務」を充足できない「排除された人々」を恒常的に生み出し、社会の分断を再生産する要因へと転化しているということである。「社会的市民権」が、「市民」の間に二重の階層を作り出す概念となることを防ぐためには、「市民であること」の権利・義務の対応関係や、「社会的なもの」の内容それ自体を問い直していかなければならない。福祉国家の危機への対応とは、国家による権利保障の拡大や、労働市場のさらなる柔軟化のみに見出せるわけではない。むしろ、個人にいかなる権限を付与すれば自発的な社会的紐帯の活性化につながるのかを問い、その先に、二十世紀の福祉国家が実現してきた国民統合や産業発展とは異なる「社会的なもの」の共通の目的を、探求していくことに見出されなければならないだろう。

(1) ≪ Société assurantielle et solidarité : entretien avec François Ewald ≫, Esprit, no. 228, octobre 2002, p.128.
(2) 実際世紀転換期には、犯罪学、児童病理学、精神分析学など正常/異常という基準に基づく矯正を扱う学問が隆盛となった。Jacques Donzelot, La police des familles, Paris, Editions de Minuit, 1977, Ch. 4, pp. 91-153(宇波彰訳『家族に介入する社会―近代家族と国家の管理装置』新曜社、一九九一年、第四章、一一二―一九八頁) ; ≪ L’avenir du social ≫, Esprit, Mars 1996, p. 63.

(たなか・たくじ/北海道大学大学院法学研究科講師/フランス政治思想史)