日本の財政赤字
―90年代以降、日本の財政赤字が
縮小し得なかった要因の分析―

社会学部3年 今井 裕基


《目次》


《序章》

《第1章》福祉国家と財政赤字について
〈1-1. 福祉国家への要請とケインズ政策〉
〈1-2.ケインズ理論について〉
〈1-3.ケインズ理論と財政〉
〈1-4.ケインズ理論による財政政策の陥穽〉

《第2章》90年代以降の日本における財政赤字の経済的要因について
〈2-1.90年代以降における、拡大財政の正当性検証〉
〈2-2.課税平準化仮説による検証〉
〈2-3.課税平準化の観点からの分析〉

《第3章》欧米が財政赤字を削減し得た要因について
〈3-1.アメリカ合衆国の財政赤字削減について〉
〈3-2.イギリスの財政赤字削減について〉
〈3-3.ドイツの財政赤字削減について〉

《第4章》90年代以降の日本政治における財政赤字の分析
〈4-1.要点〉
〈4-2. 本章の仮説〉
〈4-3. プラザ合意と外圧による内需拡大〉
〈4-4.内閣のリーダーシップの欠如と財政の悪化の加速〉
〈4-5.結論〉

《第5章》後の研究課題



《序章》


 90年代を端とする日本経済の停滞は、今や「失われた10年」以上に長期的かつ深刻なものとなった。政府は様々な財政政策をとってきたが、想定していたような効果はあげることができず、日本は多額の財政赤字を抱えることとなった。ここで疑問が2つ出てくる。政府の財政政策が、なぜ想定以下の効果しか達成 し得なかったのかという点と、日本の財政赤字はなぜ巨大に累増したのかという点である。以上を議論するにあたって押さえておきたいのは、財政赤字そのものを攻撃するわけではないということである。本稿が日本の財政赤字を問題視するのは、次の要因による。

〈@〉経済的・政治的効用が少ない結果を導く財政赤字は問題である(1)。
〈A〉政府の財政を長期的に持続不可能にするような財政赤字体制は問題である(2)。

 以上の考察から、本稿では日本で累増する巨大な財政赤字を問題として取り扱う(3)。90年代以降、日本の財政赤字はなぜ削減されえなかったのであろうか。この理由を明らかにするために、本稿では次の3点に着目する。

1) バブル崩壊後に行われた、90年代の財政出動の多くは日本経済危機を支えるための、経済上適切な出動(4)という観点を導入する
2) 同じように財政赤字に苦しんでいた諸外国との比較を行う
3) 1)と2)を踏まえて、経済上合理的ではない財政赤字の存在を明らかにし、日本が財政赤字を削減し得なかった政治的要因を分析する

 以上の点をふまえて、本論は、経済的要因と政治的要因に結論を求める。ここで、両者は完全には分離し得ないということを明らかにしておく必要がある。まず、90年代以降の財政出動のうち、どの程度が経済的に適切な反応であったのかを明らかにし、日本の財政赤字に政治的要因が存在することを認める。次に、なぜ日本において、政治的要因から財政赤字が削減されえなかったのかを分析し、今後の研究課題を明らかにする。

 本稿は、いわゆるケインジアンたちが提唱するような、財政政策による過度の需要コントロールに疑問を呈するというところから出発している。第一の疑問点は、ケインズ理論そのものについてである。ケインズが言うような「限界消費性向APCの所得比例逓減」は近年否定された。加えて、APCは単に所得のみを説明関数としているが、この前提自体が疑問視されている(5)。第二の疑問点は、日本の現状にとって、拡大財政は危険であるという点である。家計の貯蓄率が非常に高かった過去とは異なり、2010年度の「日本の家計貯蓄率」は2.6%(6)である。これは先進国では最低水の数値である。このような状況では、巨大な財政赤字はもはやファイナンスしきれないと考えられる。また、ケインズの乗数効果は限界消費性向cによって定義されるが、以上のような日本の現状では、景気対策としての乗数効果に対する過度の評価は危険である(7)。第三の疑問点は、財政運営の過程において、ケインズ政策は理論と現実のギャップを生みやすい(8)という性質についてである。したがって、本稿を進めるにあたっては、まずケインズ理論の骨子について触れ、その問題点を指摘することとする。最後に、本稿を進めるにあたっての章建てを明らかにしておく。

 第1章では、戦後の民主主義国家が、なぜ財政赤字を抱え込む構造に至ったのかという説明をおこなう。具体的には、民主主義の政治過程において、福祉国家への要請とケインズ政策がマクロ経済の合理性とバッティングするという理論(9)についてである。その理論から、近代福祉国家においては財政赤字が拡大しやすいという結論を得る。

 第2章では、第1章での分析をふまえて、日本の財政について検討を加える。この章では、Barroが提唱する「課税標準化理論」(10)の観点から、90年代以後の日本の財政出動の適切さについての考察を加える。本章の役割は、同時代には「『過大な』財政赤字が生じた」(11)点について明らかにすることである。加えて「過大な財政赤字」についてはその原因を政治的な要因に求め、その後の分析を第3章と第4章に引き継ぐ。

 第3章では、財政赤字に悩まされていた欧米諸国において、いかにして財政の健全化が達成されたのかということについての考察を加える。事例として取り上げるのは、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツの3カ国である。本章では、財政出動の質と大きさが異なるこの国々を比較対象に挙げることで、財政赤字の縮減にどのような政治的要素が必要であるかを考察する。

 第4章では、90年代以降に発生した過大な財政赤字をなぜ削減できなかったのかという要因について、政治的分析を加える。ここで挙げる政治的要因とは、日本の政権(主に自由民主党)のリーダーシップの脆弱さである。この点については、村松・北村(2010)の先行研究(12)について整理する。第一に、プラザ合意以後の日本政治がアメリカ合衆国の外圧に屈したことで、財政出動が拡大した経緯について整理する。そして第二に、「中央と地方の相互依存関係」(13)に特徴を持つ、日本の行財政制度について考察する。このシステムが、内需拡大を目指した地方の開発事業を円滑に進める潤滑油となり、財政が拡大した。最後に、90年代以降の政権の不安定性について考察する。以上の3つの要素が絡み、政権が財政縮減を実行過程まで含んだ形で政治化し得なかった(14)ことが、今日の財政赤字につながっているのである。

 第5章では、本稿の結論と後の研究課題について明らかにする。なお、本稿の結論は、大きく次の2つに集約される。

1)バブル崩壊による日本経済のダメージをカバーするための財政赤字(経済的要因)
2)外圧や政治的脆弱性からくる過大な財政赤字(政治的要因)

 また、今後の研究課題では、なぜ日本の財政が本稿の結論のような結果になった原因について、自分なりの仮説を提示する。



《第1章》福祉国家と財政赤字について


〈1-1. 福祉国家への要請とケインズ政策〉

 第二次世界大戦(以下WW2)後、イギリスのヘヴァリッジ報告を契機として、世界中で福祉国家への要請が高まった。実際先進国では、20世紀前半のような「小さな国家」に対して、国家が経済政策に大きく関与することが自然な姿となりつつあった(15)。金融政策を通して「国家が市場の不完全さを管理する」(16)ことや、財政を通して国家が国民の公的福祉を実現することなどはその典型である。しかしこのような国家の姿は、先進国の多くが採用する、資本主義経済体制とは一見相いれないものである。このジレンマを解消する理論としてヘヴァリッジ報告の基盤となり、福祉国家を支えたのが、J.M.ケインズの理論である。

〈1-2.ケインズ理論について〉

 ケインズ理論の登場には、国家的な要請もさることながら、経済的な要請も存在した。すなわち、市場の力によって自動調整されるはずの資本主義市場経済において、なぜ「不況」が発生し、長期化するのかという問題である。これは、古典派経済学にとって大いなる疑問であった。現実に起きている不況をいかに説明するのか、という難題を解決すべく登場したのがケインズであった(17)。

 古典派とケインズ派は個人の合理的行動をいかに評価するかという点で異なる。古典派の理論では、需要は供給(価格、数量)とのバランスによって決まる。つまり、個人の消費や投資傾向は、市場の需給関係によって決定され、消費されなかった余分な金は、将来への投資へ回されることとなる。一方、ケインズにとっては、需要は供給(価格、数量)とのバランスによって一義的には決まらない。彼の不況に対する理論は次のように説明される。今、実際的に上手く循環している一国の経済を想定する。全体としては経済的に何の問題もないものの、個人や企業は将来への不安や、設備投資などの観点から、一時的に現金保有を増やしたとする。しかし、一国経済の貨幣量は決まっているため、ある個人の現金保有の増加は、他人の現金保有の減少につながることとなる。これが連続すると、消費を通して市場に貨幣が流通しなくなり、個人の貨幣保有量はかえって減少する。このような現象は、現金需要と供給のバランスを達成するまで持続する。これがケインズの不況に対する説明である。

 もう少し理論的に解説をすると、次のようになる。個人のAPCは長期的には一定である。しかし、短期的には貨幣に対する「流動性プレミアム」(18)によって、個人の貨幣保有量が変化する。この事態が、長期的な生産性成長とは矛盾するような景気循環を引き起こし、不況が発生する。ここでは、古典派が想定するような利子率の上下による消費選好は想起されていない。説明変数は個人の貨幣保有選好と、経済全体の貨幣量である。

〈1-3.ケインズ理論と財政〉

 以上のような理論前提から、福祉国家における財政政策の正当性が導かれうる。すなわち、個人が貨幣に対する選好性を高め、消費に回る貨幣量が不適切な水準で固定される事態が発生しうる。その際には、中央銀行の介入による金融緩和政策(利子率のコントロール)によって総需要を管理することで対処する(19)。しかし、量的緩和政策では上手くいかないこともある。これがケインズの提唱する「流動性の罠」(20)である。かかる状態においては、金融政策のみでは状況は回復しがたい。そこで、国家の財政機能をもって、一時的に需要を創出(21)することで危機を脱するという政策が導かれうる。市場メカニズムの短期的な不完全さを、有効需要創出と乗数理論による拡大という政策をもって適正水準に回復しようという理論である。

 しかし、理論的には全く問題がないように思われたケインズ政策には功罪があった。福祉国家政策を推し進めるにあたって、理論と現実のギャップが発生し、財政赤字の拡大を招いたのである。ケインズ政策を採用した際に、政府の財政機能が有している、構造的な問題点は何か。換言するならば、世界各国で財政赤字が増大した構造的要因は何であろうか。

〈1-4.ケインズ理論による財政政策の陥穽〉

 ケインズ理論におけるマイナスの典型例は、「マクロ経済の合理性が政治過程によってゆがめられる」(22)という姿である。ここで、ケインズ理論を政治的に運用していくにあたっての前提を整理しておく。ケインズ理論は、財政によって景気をコントロールしようとするため、単年度ベースでは均衡財政をとらない。このような理論のもとで、長期的に健全な財政を運用していくにあたっての条件は次の2つである。

1)発生した財政赤字を吸収できるような、持続的経済成長
2)経済の安定を担保し、不況時の財政拡大を埋めるような、好況時の財政引き締め

どちらの要素も重要であるが、特に政治的過程において重要となるのが2)の要素である。つまり、「有効需要の原理に基づき、一国経済において総需要が不足し不完全雇用を発生させるデフレ・ギャップのあるときには、均衡財政より財政赤字で総需要を喚起するほうが望ましい」(23)のであり、一方、「総需要の過剰により、インフレ・ギャップが懸念されるときには、財政収支上余剰を造出し総需要を抑制することが求められられる」(24)のがケインズ政策における財政の役割である。しかし日本において、この財政の役割は民主主義と福祉政策によって大きくゆがめられてきた。不況期の財政拡大は民意を反映して行われてきたが、好況期の財政引き締めは必ずしも実現していないのが現実である。このように、「財政が非対称に発動される」(25)ことが巨額の財政赤字を生む原因となるのである。

 経済的に、どのように過大な財政赤字が拡大してきたのかということの詳細は、第2章譲る。また、民主主義的要素と政権党のリーダーシップの欠如が、いかに関連して財政赤字の拡大を招いたのかということの詳細については、第4章に譲る。ここでは、なぜ民主主義的選択において、国民が財政赤字の拡大を招くような選択をしてしまうのかということについて整理する。次の表.1-1は、財政出動において、黒字予算と赤字予算が国民に与える実感を類型化しているものである。


    表.1-1 財政と国民のコスト・便益パターン

国民の実感

コスト

便益

予算の型

 

緊縮財政

政府支出・公共サービスの削減(直接的)

インフレ、長期的な財政破綻等の回避 (間接的)

拡大財政

インフレ、長期的な財政破綻等の可能性(間接的)

政府支出・公共サービスの増加(直接的)


    (出所:石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、70ページ、表3-1)


 これは、国民が自己の利益に直接的であると感じられるものを重視するという関係を説明する表である。基本的に福祉国家において、国民は増税と公共サービスの低下を忌避する。なぜなら、税の担い手は自分たちであり、公共サービスの受け手も自分たちであるためである。このように、緊縮財政の際には、国民の負担は直接的なものととられる。逆に、緊縮財政の際に国民が受ける便益は、長期的かつ間接的なものであるため、実感が難しい。以上のように、福祉国家においては、緊縮財政政策は国民に忌避されがちである。一方拡大財政政策は、国民に短期的かつ実感的なメリットと、長期的かつ間接的なコストを感じさせる。以上のような国民の選好は、議会制民主主義を通して政治的圧力となる。よって、民主主義を採用する福祉国家において、財政赤字は拡大する傾向を持つこととなる。

 さて、序章で紹介したように、本稿は過度のケインズ政策信奉への不信から出発している。石油危機やバブル崩壊以後の財政赤字の大部分は、経済的に適切な財政出動であったことは疑いがない。しかし、民主主義的政治過程において過度な財政赤字も存在した。これが、日本の財政赤字の政治的要因である。よって次章では、80年代以降の日本で、実際にどの程度過大な財政出動が行われていたのかを観察する。なお、ここでいう経済的に「適切な財政出動」とは、Barroが提唱する「課税標準化理論」(26)に基づいた財政出動である。



《第2章》90年代以降の日本における財政赤字の経済的要因について


〈2-1.90年代以降における、拡大財政の正当性検証〉

 本章では、90年代以降における日本の財政赤字の累増について、経済的分析を加える。特にこの20年間においては、日本の財政政策は想定以下の経済効果しか達成し得なかった。それは次の表に明らかである。

    表.2-1実質GDP拡大の乗数効果(3年間平均)

推計年度

乗数効果

1994

1.16

1995

1.32

1996

1.28

1997

1.09

1998

1.31

1999

1.16

2000

1.05

2001

1.07

2002

1.07

2003

1.00

2004

1.10

2005

0.94

2006

0.99


(出所)増淵勝彦他(1995)「第5次版EPA世界経済モデル−基本構造と乗数分析−」『経済分析』第139号、経済企画庁経済研究所。堀雅博他(1998)「短期日本経済マクロ計量モデルの構造とマクロ経済政策の効果」『経済分析』第157号、経済企画庁経済研究所、117ページ。堀雅博他(2001)「短期日本経済マクロ計量モデル(2001年暫定版)の構造と乗数分析」『ESRID is cussion Paper Series』No.6、内閣府経済社会総合研究所、25ページ。村田啓子・斎藤達夫・岩本光一郎・田邊健(2006)「短期日本経済マクロ計量モデル(2005年版)の構造と乗数分析」『経済分析』第178号、内閣府経済社会総合研究所、36ページ。増淵勝彦・飯島亜希・梅井寿乃・岩本光一郎(2008)「短期日本経済マクロ計量モデル(2006年版)の構造と乗数分析」『経済分析』第180号、内閣府経済社会総合研究所、157ページ。


このような状況において、90年代以降の拡大財政はどの程度正当化されうるのであろうか。経済的合理性を満足するという観点からは、次の2つの見解が考えられる。

〈@〉90年代以降の低調は、構造的要因が原因である(27)。そのため、同時代の財政出動は過度の拡大財政であった。
〈A〉90年代以降の低調は、需要不足が原因である。そのため、同時代の「政策対応がいつも“too little too late”(後手に回り、しかも小出し)」(28)であったために、景気回復が妨げられた(29)。よって、同時代の財政出動はもっと巨大なものであるべきであった。

以上の2つの見解のうち、本論では〈@〉の見解を支持する。理由は、大きく次の2つによる。第一に、長期的に見た日本の停滞が早くも20年を数えているという要因が挙げられる。表。2-2によれば、日本の潜在成長率が著しく低下していることが読み取れる。つまり、潜在成長率の観点からして、90年代以降の日本の低成長は構造的なものであると結論付けられるのである。第二に、表.2-1が示している公共投資の乗数効果から分析しても、90年代以降の日本の低成長は従来型の公共事業中心の景気対策、およびケインズ的な需要サイドの政策では解決し得ないことが導かれる。

 このような見解からは、財政の合理的運用の観点からすると、過大な支出があったと見られる。では、ここでいう経済上の合理的観点とはいかなるものを示すのであろうか。この基準を示すために、財政の役割を今一度定義しておく。政府の財政機能とは、市場の失敗に対応するために、以下の3つの機能を代替することにある。

〈@〉資源配分機能
〈A〉所得再分配機能
〈B〉安定化機能(30)

本章の分析によれば、90年代以降の日本は、「政府の安定化機能」に依存しすぎていたという見解が導かれうる。そのため、健全な財政では承認しえないような、過大な財政出動が行われてきたといえよう。しかし、本稿は経済の供給機能を強調することで、財政の機能を経済の合理化機能として認めないという見解を取るものではないという点を断っておく。重要なのは、財政出動の程度とその合理性である。つまり、ある時点で発生した一国の経済のダメージを一時的に吸収するような「資源配分機能」は十分に認められるべきである。今までの分析から、この「資源配分機能」による適切な水準での財政出動が、日本でとられるべき方針であったといえよう。

 では、以上の見解はどのように検証されうるであろうか。財政政策の経済分析を行うにあたっては、Barroの指標(31)を用いることとする。次項では90年代以降における数的検証をおこなうことによって、見解の正しさを立証する。加えて、実際にケインズ理論に基づく財政が、いかにその合理性をゆがめられてきたのかを示し、量的解析を第3項に繋げるものとする。

〈2-2.課税平準化仮説による検証〉

 本項では、課税標準化のもとでの最適税率を量的に検証することで、ケインズ理論の合理性がいかに捻じ曲げられているかを検証する。次に紹介する定量分析(図.2-2)は、課税標準化理論(32)による、1990年〜2004年までの基礎的財政収支の動向である。国の一般会計を基にし、対名目GDP比(%)単位で計量を行った。図における実質値は、実際の90年代以降の財政収支を示している。また、最適値は課税標準の観点からの適切な財政収支を表し、乖離値は「実数値-最適値」で求めるものとする。すなわち乖離値を数値化することによって、日本の財政出動がいかに過大であるか明らかにするものである。


図.2-2



(出所)中里(2005)より筆者作成


〈2-3.課税平準化の観点からの分析〉

 図によると、90年代以降の日本の財政は課税標準化理論では説明できない。これは前述したケインズ政策の理論による。すなわち、景気過熱期においては緊縮財政を行い、不況期においては拡大財政を行うことによって、財政の健全化を図るというものである。繰り返すが、このような政策が正当化されるためには、以上の財政管理が正確に行われる必要がある。しかし上記のグラフを見れば明らかなように、好況期の財政緊縮が機能しているとはいえない(33)。逆に不況期の財政拡大については、乖離値が絶対値で1%を超えるという状態が現出している。このような状態では、長期的な財政の持続性に大いなる疑問がわくのが普通であろう。以上の内容は、ケインズ的財政政策への過度の信頼に対する数的データからの反駁となるともいえる。

 いずれにしても、90年代以降に生じた財政赤字は、同時代の経済ショックを加味してもなお過大なものであるということができる。また、政府の資源配分機能を大きく逸脱するその行為には、多分に政治的環境による影響を伺うことができる。では、いかなる政治的要因が日本の財政赤字を拡大させたのであろうか。この論点の解決に至る前に、同じように財政赤字に悩んでいた欧米諸国はいかにして財政の健全化を図ったのかという点について、各国の状況を見ていく。次章における目的は2つある。第1の目的は、世界的に福祉国家とケインズ政策が広まっていた状況の中、政治的に財政赤字を削減し得た制度的要因を分析することである。第2の目的は、その制度的要因を成り立たせた政府の政治過程について分析し、第5章の日本の政治分析につなげることである。

 次章において取り上げる国家は、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツの3カ国である。本3カ国を取り上げるのは、財政赤字は福祉国家とレジーム(34)に大きく関わる現象であるためである。財政出動の質と大きさが異なるこの国々を比較対象に挙げることで、財政赤字の縮減にどのような政治的要素が必要であるかを考察したい。



《第3章》欧米が財政赤字を削減し得た要因について

 本章では、90年代において同じように財政赤字に苦しんでいた欧米諸国が財政赤字を削減し得た要因について、その詳細を見ていく。日本が財政赤字を拡大させていく中で、なぜ欧米諸国はフローベース、ストックベースの財政赤字を削減することができた(35)のであろうか。この現象の理由について、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツの3カ国を取り上げ、具体的に検証する。加えて、財政出動の質と大きさが異なるこれらの国々を比較対象に挙げることで、財政赤字の縮減にどのような政治的要素が必要であるかを考察し、次章の分析につなげるものとする。

 ここで、財政出動抑制のための政治的要素を要約しておくならば、それは次の2つである。

〈@〉政府のリーダーシップによる中長期的観点からの法の整備と徹底的適用
〈A〉政府と国民間の政治的合意

〈3-1.アメリカ合衆国の財政赤字削減について〉

 1980年代以降のアメリカ合衆国は、いわゆる「双子の赤字」に悩まされてきた。その片方が、膨大な財政赤字である。削減のための法律として当初策定されていたグラム・ラドマン法は、実質的には削減の効果を持ち得なかった(36)。そこで1990年代に財政赤字の本格的な削減が目指されることとなった。その際に、導入された制度が包括財政調整法(OBRA)である。同時代の財政健全化の達成は、何よりもこの制度に内包されている2つの手段による影響が大きいと言えよう(37)。第一に、裁量的経費(non-entitlements)(38)のキャップを設けた点である。具体的には、次のような方式を採る。1991年〜1998年における、裁量的経費の平均増加率を0。1%以下に抑制するという方式である(39)。

 第二には、義務的経費(entitlements)(40)負担を抑制した点があげられる。具体的内容は、次のようなものである。制度改正等によって、義務的経費の拡大または減税を企図する場合、その額に見合うような財源を新たに調達することが約束された(41)。

 以上の点をまとめると、財政出動の抑制のために、法の整備と、その徹底的適用がなされたということができる。また、政府・議会・国民が財政の健全化を支持し、一体なって改革を進めたという点も見逃すことができない。実際、H・スタイン(元CEA委員長)の「財政の均衡は大衆受けする政策で、これを否定する政権もない」(42)という発言は注目に値する。上記の法の整備と徹底的運用は、超党派合意と国民の協力があって初めて実現したと言えよう。

 なお、後のブッシュ政権では、減税政策によって、財政赤字は再び拡大することとなる。本項ではブッシュ政権については詳細を控える(43)。再度ここで強調しておきたいのは、財政赤字を縮小するにあたっての2つの重要ポイントである。すなわち、法の整備と徹底的適用、政府と国民間の合意の2つである。

〈3-2.イギリスの財政赤字削減について〉

 イギリスにおける財政赤字削減は次の2つの段階に分離される。第一に、三年間の公共支出の限度枠である「コントロール・トータル」を設けることである。従来の各省庁からの積み上げ方式による決定では、政府支出を抑制できないという反省により、1993年度から導入された。具体的には次のような形を採る。各省庁から3年間の概算要求が出された後に、政府支出の実質伸び率について閣議でその上限を決定するという手続きである。第二段階では、「コントロール・トータル」の枠内に支出額が収まるように、各省庁間で配分案が作成される。この案を作成するのは、大蔵大臣を議長、主要閣僚6名で構成される新内閣委員会である。このような完全なるトップダウンの予算編成によって、財政出動の抑制が図られている。その効果によって、イギリスは1997年より財政均衡を達成し、2001年までは財政黒字を計上している(44)。1999年以降のイギリスの財政赤字については、図3-1を参照されたい。では、なぜこのような政策が実効的となっているのか。それは、予算の決定過程に族議員や圧力団体の介入がなく、システムが完全なトップダウン方式で動いているためである。このようなシステムは、民主的でない等の非難もあり得る。しかし財政に関しては、国民が政権と官僚に信任を置いている証拠であり、政府のリーダーシップも強いと言える。

図3-1

   20091027_22_01.gif


  出典:JETROのデータから作成。


〈3-3.ドイツの財政赤字削減について〉

 90年代の東西ドイツの統一、91年の湾岸戦争の戦費負担によって、ドイツの財政は急速に悪化した。フローベースでの財政赤字は対GDP比3%を突破し、マーストリヒト条約による基準を満たしていないものとなった。このような状況の中、政府と大蔵省は、予算の伸び率上限を示した予算回章を提出し、各省庁は五カ年計画である中期財政計画によって財政赤字の縮小に注力している。中期財政計画は当年度予算と次年度予算、3年分の財政計画によって五カ年計画となっている。閣議決定された中期財政計画を基にして予算案が作成され、予算案は連邦議会で審議されて予算が策定されることとなる。この過程においてはイギリスと同様、与党への説明や折衝が行われることはない。

 この中期財政計画は必ずしも政府を拘束するものではないが、このような努力のもとに、1997年以降のドイツの財政は健全化の方向に動き出している。なお、2000年度に財政が悪化した要因は、景気によるものが大きい。実際、景気回復後には速やかに財政の健全化が図られており、政治による財政の健全化のアプローチがうまく機能している結果であると言える。なお、90年代以降の各国の財政については図3-3を参照されたい。

図3-3 財政収支の国際比較(対GDP比)

@財政収支の国際比較のグラフ

(出典)「Economic Outlook 83号」(2008年6月OECD)(注)数値は一般政府(中央政府、地方政府、社会保障基金を合わせたもの)ベースである。



《第4章》90年代以降の日本政治における財政赤字の分析


〈4-1.議論の整理と要点〉

 本項は90年代以降の日本の政治的財政赤字を問題とするものであるが、第1章でも紹介したように、ここで「民主主義政治」というものの性格について考える。民主主義国では、政治指導者が国民の嫌がる決定を先送りする傾向があることは明らかである。しかし、日本の「赤字国債残高」は、他の民主主義国と比べてずっと大きいのであって、日本の政治的要因のなかに説明変数を探さねばならない。

 前項の分析によって、財政赤字を政治的に縮減するには、以下の2つの条件が必要であると導き出した。それは、

〈@〉政府のリーダーシップによる中長期的観点からの法の整備と徹底的適用
〈A〉政府と国民間の政治的合意

である。言いかえれば、政治が、国民の承認のもとに現状の制度を変革する具体的制度設計を行えたか否かである。結論からいえば、日本においてはそのようなことは起き得なかった。90年代以降の日本において、なぜ財政赤字が縮減し得なかったのかという理由は次の2つである。

〈@〉日本の政権党(主に自民党)のリーダーシップの欠如による、改革の不徹底
〈A〉プラザ合意以後における内需拡大外圧と政策の執行を地方自治体にゆだねる「行財政制度」の連動による過大な財政出動

詳しく述べれば次のようになる。戦後からの経済成長が財政を明確な政治的争点とすることを遅らせ、政権党のリーダーシップの欠如(45)が財政改革を遅らせたと言える。加えて、欧米との比較によって導き出されるのは、政策の執行を地方自治体にゆだねる「行財政制度」(46)はバブル期の日本の不況とプラザ合意後の内需拡大外圧と相まって、過大な財政出動の要因となったと言える。バブル崩壊後の不況は、従来型の自民党リーダーシップをいっそう弱体化させた。

 したがって、その分析のためには、80年代以降の日本の財政の動きをみるものとする。

〈4-2. 本章の仮説〉

 90年代以降の財政赤字の拡大に関しては、1990年代初頭のバブル崩壊が決定的であったことは、第2章の経済分析で明らかにした。本項においては、政治的要因が国債発行の決断を迫った経緯について考えていく。先行研究においては、日本の財政拡大の要因は、官僚制、とりわけ大蔵省(財務省)が大きな政治的役割を果たしたという見解が発表されている(真渕[1994])。しかし、中央官僚が政策決定を主導しているという官僚優位論(あるいは大蔵省主導論)では、財政硬直化(47)のような現象や、財政と金融の機能が一定の規則のもとに分離された90年代以降の財政赤字の拡大要因を完全には説明できない。よって本稿は、その要因をリーダーシップの弱い日本政治の特徴におく。ここで、読者に素朴な疑問がわくであろう。日本における自民党は、「スウェーデンの社民党とともに、戦後の大部分の時期を、社会の多数派として政権の座にあった大規模な政党である(議席数、政権の期間)」(48)と先行研究において評価されているとおり、戦後から一党優位政党であった。そのように、過去から圧倒的プレゼンスを発揮してきた政権党たる自民党において、なぜリーダーシップの欠如が問題として持ち上がるのかという疑問である。ここで、本稿が「リーダーシップの欠如」要因として着目するのは、優位政党内の権力闘争である。自民党においては、党内の権力抗争という内部の牽制が強いために、政党トップ・首相は、強いリーダーシップを発揮できないのではないか(49)ということである。与党の権力争いによって内閣は確固たるリーダーシップを発揮できず、選挙ごとに首相権力の正当性(50)が問われ、長期的な指導力を発揮できない構造になっていたと考えられる(51)。以上のような現実を基にするリーダーシップの不安定が、歳出削減に躊躇し、歳入を課税でなく借入で賄うとする政権の動きを強化したと言える。パーソンとスベンソンによれば、「野党の攻勢や政権交代の危機に直面しているときには選挙政治の観点から財政支出の拡大に積極的になり、増税には消極的にならざるをえない」というPersson and Svensson[1989]、Alesina and Tabellini[1990]。本項では、この命題と本稿の第3章における結論を総合して考える。すると、党内の権力争いと民意による首相交代の可能性が、日本において財政問題を政治争点化し得なかったという見解が得られる。特に、財政拡大によって利益を得るであろう地方の有権者に圧倒的な支持基盤を有してきた自民党ならなおさらである。

 今1つ、財政の歳入面に関して、整理しておきたい。それは、間接税の導入についてである。「他の国では導入が合理的であるとされてきた『間接税』が日本ではイデオロギー的なテーマであった。すなわち日本では間接税のもつ逆進性が過度に強調され、間接税は『弱者の敵』であるという主張がなされ、この主張は浸透した。1950年代、1960年代の国家公務員試験の基本書であった井藤半彌『財政学』にも見られる(井藤[1953])。これはシャウプ勧告に基づいて日本の税制で採用されてきた所得税中心主義を理論的に支える議論でもあった(52)」とあるように、日本では間接税の導入が所得による利害対立論を大きく反映してきたといえる。しかし、Kato[2003]によれば、福祉国家を維持するためには間接税の導入は不可欠であり、その導入時期が早い国家ほど、社会保障制度が健全に維持されていると指摘されている(53)。これは、高福祉国家を維持しているスウェーデン等の国々が、日本と同じ一党優位体制の国であることも指摘しておきたい。北欧の国々は一党優位制であり、日本とは逆に、優位政党の幹部のリーダーシップが強い。市場主義レジームに特徴を有するアメリカとイギリス、保守主義レジームに特徴を有するドイツ等の他国との比較を試みたことからも、自民党における個々の国会議員の選挙における自立性と、党内組織決定の分権的性格を重要視する。サルトーリが定義する優位政党(54)であろうとしたがために、選挙戦略として財政的リソースを活用するという誘惑に抗することができなかった。これが優位政党であるがゆえに生じるリーダーシップの欠如と政策的脆弱性である。

 本稿は、90年代以降の日本の財政赤字拡大を分析するものである。その性格上、避けては通れない財政拡大のもう一つの要因として、行財政制度(55)がある。日本における地方交付税は国の不況対策に大きな役割を果たしてきた。これが、第2章の分析の結果として出てきた「過大な財政赤字」の一部であることは明確である。とくに、1997年度から2001年度の間に急激に上昇していることが注目される(56)が、その内容を見ると地方単独事業支出が多い。単独事業に関するこの傾向は、1980年代半ばにおける第4次中曽根内閣や1990年代末の小渕内閣のもとで顕著に見られる(北山[2003])。

〈4-3. プラザ合意と外圧による内需拡大〉

 1986年の衆議院と参議院の同日選挙において大勝した中曽根内閣(57)は、過大な財政支出の削減と歳入水準の向上を目指して間接税の導入に注力したが、国会を通すことはできなかった。その後、大型間接税は、竹下登内閣のもとで1989年に導入された(58)。バブル景気のただ中であったことも導入の後押しとなったが、竹下内閣の支持率は、消費税の導入後、10%にまで急落した。このことは、自民党が財政収入のリソースとして間接税を導入するという選択肢を採らなかった理由を明確にしている。この後、竹下は支持率の低下を理由に首相の退任に追い込まれていることからも明らかである。

 上記のように、1980年代中ごろには財政赤字の解消に向けて一定の動きを見せていたのであるが、別の要素からくる過大財政の兆しがあった。それは、米国の「双子の赤字」問題の解消のための、アメリカからの内需拡大要請である。その制度的圧力が、1985年9月の先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で成立した「プラザ合意」(59)であった。3章において分析を行ったアメリカの財政赤字削減は、ある意味で90年代以降の日本の財政赤字の環境要因となったといえよう。アメリカからの内需拡大要請を受け、前川日銀元総裁を委員長とする経済構造改革委員会が設立された。その後、経済構造改革委員会からの内需拡大の提案を受けて、内閣は財政支出の拡大に舵を切った。その詳細を次に見ていこう。

 時の首相であった中曽根は、有識者への諮問をもとにプラザ合意の直後の内需拡大を検討していた。その諮問から、通称「前川レポート」が1986年4月にまとめられた。その目的は、大型消費税の導入による歳入確保による財政運営の健全化よりも、内需拡大であった。「プラザ合意の直後の1985年10月、中曽根首相は、前川春雄・元日本銀行総裁や経済学者、経済界の代表、元官僚たちからなる「国際協調のための経済構造調整研究会」に、国際経済の環境変化に対応した日本の経済社会の構造および運営に関する施策のあり方を検討するように要請した。1986年4月に同研究会は、「世界経済の調和ある発展」のために経常収支の不均衡や大幅な貿易黒字を解消するべく輸出指向の経済を「内需主導型の経済成長」に転換することを提言した『前川レポート』を提出した」(60)

 内需拡大という目標のもとに、事業件数は急増する。その際に大きな役割を果たしたのが、事業の実行を地方に委任する日本の行財政制度である。前川レポートでは、「地方自治体による資本形成の大幅な増加を図ることは、内需拡大の効果を全国的に広げるために不可欠の政策である。そのため、地方債の活用等により地方単独事業を拡大し、社会資本の整備を促進する」と明示されており、地方事業は新たな投資対象となった。一連の財政出動の典型例が、1987年6月に公布施行された「総合保養地域整備法(リゾート法)(61)」によって正当化された、地方のリゾート開発(62)である。こうして、地方自治体は単独事業を積極的に進め、リゾート開発を積極的に推進し、後のバブル崩壊後の財政赤字の悪化につながっていく。内需拡大の国際的履行、バブルの金余り、国土均衡発展主義と地方振興の思惑が合致した結果であり、バブル崩壊による日本経済へのダメージをいっそう深刻化させる要因となった。バブル崩壊以降、自民党幹部の政治的判断は財政支出の拡大であった。2章で分析したように、バブル崩壊によって発生した日本経済へのダメージを吸収するという意味ではある程度有効であったと言える。しかし、そこには過大な財政出動があり、その要因となったのは責任を政治に問われることに対する、反射的なばらまきである。バブル崩壊以後の政治については次項にゆずる。そこに現出するのは、党と国民の利害関係から課税政策には慎重になり、収支バランスの悪化が急速に拡大していくこととなる姿である。

〈4-4.内閣のリーダーシップの欠如と財政の悪化の加速〉

 1993年8月の自民党単独内閣の崩壊以降、連立内閣の時代に突入するが、そもそも政治的混乱は、1989年7月の参議院議員選挙で自民党が大敗し、参議院の過半数の127議席を大幅に下回る109議席となったときから始まっている。以後、政治家や官僚を巻き込んだスキャンダルが頻発し、政治改革が大きな争点として浮上していく。さらに景気の停滞が自民党に追い討ちをかけ、政権維持への危機感が自民党内でも高まっていく。

 宮沢喜一内閣は、1992年〜1993年の間に、計2回の景気回復政策を実施し、総額24兆円の総合経済対策を決定した。しかし、1993年3月に衆議院に自民党が提出していた政治改革関連4法案の取り扱いをめぐって自民党内で造反が発生し、1993年6月には宮沢内閣への不信任決議案が可決された。宮沢首相は即座に衆議院を解散して衆議院総選挙に打って出るが、与党自民党は233議席しか獲得できずに衆議院の過半数の議席を獲得するのに失敗した。しかし、自民党は過半数の獲得には失敗するが、衆議院では233議席を占める第一党の地位にあった。他の国ならば、選挙結果としては「勝ち」であろう。なぜなら、通常は第一党の党首が国家元首に組閣を要請されるためである。しかし、一党優位正当であった自民党にとっては、「勝敗ライン」基準思想が、宮沢に辞職を要求するメカニズムとして働いたと言える。

 1993(平成5)年は「戦後」政治史上画期的な年である。日本新党の細川護煕を首班とする非自民8会派の連立内閣が成立した。細川内閣の依拠する政治的基盤は発足当初から脆弱だったといえる。野党に転落した自民党は相変わらず院内第一党であり、政策やその決定方法において意見が異なる与党8会派間で合意を形成するのに時間がかかった。このような状況の中で、細川内閣が選択したのは、やはり財政支出の拡大によって政治的危機を乗り越えるという選択であった。細川内閣は、「1993年9月には、総額6兆2、000億円の財政措置を打ち出し、1994年2月には、さらに景気刺激のために5兆8、500億円の減税を柱とする「総合経済対策」を決定し、総額15兆2、500億円という過去最大規模の財政出動を明らかにした(63)」。しかし細川政権は、国民福祉税という名目で消費税の引き上げ構想を発表するなど、財政健全化への動きも発表した点は評価されよう。それでも、内外の反発や自身のスキャンダルによって、細川は辞任に追い込まれてしまった。政権は、その後の自民党と社会党、新党さきがけの3党連立内閣(自社さ連立内閣)に引き継がれていく。

 1994年6月、社会党委員長の村山富市を首班とする自社さ連立内)が成立した。しかし、金融危機の状態が続き、経済もデフレ状況を示す兆候が生じ、経済政策としては、景気刺激策が続けられた。そのなかで、財政健全化を目指し、方針転換を図ろうとしたのが橋本内閣である。橋本政権は、大規模な行政改革の議論を続けながら、財政健全化のために課税の選択をした。橋本は、景気対策にともなう財政赤字の拡大と社会保障費の増大に対応するため消費税の2%増税と減税の撤回、医療保険の本人負担を2割とする改定措置を行った。上向きかけていた経済は再び停滞し、一般的には、橋本の方針は「経済失政」とされた(64)。

 1998年7月の参議院議員選挙を控え、橋本内閣も方向転換をし、1998年4月には、事業規模総額16兆6、500億円の総合経済対策を決定していく。しかし、景気の回復は見込めなかったばかりか、参議院議員選挙キャンペーン中の恒久減税についての発言が揺れたためとされているが、自民党は「大敗」した(65)。このように日本経済が悪化していくなかで、1993年の自民党単独内閣の崩壊を契機にして連立内閣の時代に突入した。連立政権に移行した後も、財政赤字懸念よりも政権維持のために財政支出を拡大し、所得税の減税も行われることとなった。より一層の財政赤字拡大は、代を追って続いた。橋本内閣を継いだ小渕内閣は、党内の大勢の意見に従って、景気刺激策に転じ、景気刺激のための財政支出拡大を推進した。支出の額面もさることながら、その非効率性は今でも批判の的となっている。

〈4-5.結論〉

 本章は、日本の財政赤字が1990年代に急激に膨張していく原因を政策決定者である与党幹部が直面していた政治的不安定性と国際政治経済的要因から説明してきた。また、政治的不安定性の認識は、国家財政による歳入の確保を渋らせ、大型消費税の導入を遅らせた。実際、橋本内閣のもと実行された5%の消費税導入は、財政健全の観点からすれば、規模として不十分である。第3章で検討したような、歳出削減のための法の整備や徹底的運用も実行されなかった。注目すべきは、経済的論理による歳出拡大は、自民党のリーダーシップの欠如と相まって、自民党政権維持に寄与しているという点である。加えて、国際政治経済的な圧力に政策決定者が直面した結果、内需拡大と地方への利益誘導という道を採り、これが財政赤字の膨張の大きな要因となる。これに寄与したのは、日本の行財政制度である。政策実施を地方自治体に依存しているため、政府部門の支出規模を維持・拡大する場合、中央政府は、地方自治体での円滑な支出を保証する必要があった。その結果、中央政府が積極的に財政負担を行い、新規施策の導入や行政需要の拡大、相次ぐ減税措置などで財源不足に陥ることが予想された地方自治体に対して財政的な補てんを続けたのである。

 政治的不安定さと1980年代後半からの国際政治経済圧力のもとで、政策決定は財政支出の拡大とそのための借入強化という選択を行ってきた。政権基盤が脆弱であった当時の政権与党のもとで、政権党にとって、政治的に合理的な選択を行った結果、巨額の財政赤字を生むこととなったのである。国際政治経済環境もバブル経済の崩壊が与党を取り巻く政治的な環境をさらに悪化させ、借入強化による財政支出の拡大と財政赤字の急激な膨張を招いてきたといえよう。

 民主党に政権が移って約一年半が経過するが、財政を健全化するための議論も抽象論や暴論が多い。経済動向の回復が遅れている日本においては、実効的な政策を採ることが急務である。しかし、成長が高止まりしている先進国、急激な成長が見込まれる新興国という現状は、財政を日本ただ一国の問題としてとどめておかない。金融緩和を進めるアメリカと、圧倒的な元安を持って経済発展を続ける中国という現状のなか、国内の内需拡大と低金利の圧力は高まる。現状の財政健全化は必ず弱者の切り捨てと経済の没落を意味する。ここにおける弱者とは、「強者以外の市民」であり、「経済の没落」とは企業の倒産や産業の大幅な再編をも意味する。総論では賛成できても、各論での賛成を見るのであろうか。今後の動向を待ちたい。



《第5章》後の研究課題

 本稿では、政治的・経済的・または国際的分析を行う上で、切り捨てた要因が多い。その中で、まずは経済的要因について述べる。それは、日本の経済構造・社会構造におけるダウンサイドリスクの大きさである。本稿では、経済的に容認できない規模の財政赤字については、その責任を政権党のリーダーシップにおいた。しかしこの問題については、以上の点にのみ構造的な問題点を求めることはできない。日本の政治的判断全てが不条理に行われたはずはない。では、なぜ必要以上に過大な財政赤字が発生するに至ったのか。これは、経済政策を打つにあたって、日本という国家の社会・経済構造はダウンサイドリスクが非常に大きいために過大な財政政策と地方へのばらまきが行われたのではないかと考える。日本は市場のシステムよりも「市場の失敗」に重き、そのようにせざるを得ない経済構造をしているのではないだろうか。日本経済に特徴的なダウンサイドリスクについて分析し、どの程度まで政府の財政は正当なものであったのかということについて詳細を研究したい。

 もう一つの課題は政治分析にある。90年代の分析に終始してしまい、歴史を通して形成された、財政拡大の流れをフォローできなかった。ましてや本稿の課題設定からして、詳細な政治分析は結局、「自民党とはいかなる政党だったのか」という問題について財政の観点から切り込んでいくこととほぼ同値である。この点からしても、同党の歴史を詳細に負うことができていないことには、不足の感が否めない。事後の研究では、自由民主党の性格とその詳細な動きについて研究したいと考えている。



脚注

(1)井堀利宏『財政赤字の正しい考え方:政府の借金はなぜ問題なのか』東洋経済新報社、2000年、36ページ。
(2)同上、36ページ。
(3)悪質な財政赤字によって、事後的に発生しうる経済的マイナス等の分析は行わない。
(4)ここでいう「経済上適切な出動とは」Barroが提唱する「課税標準化理論」を基とする。詳しくは、Barro, Robert (1997) “On the Determination of the Public Debt ”、 Journal of Political Economy 87、940-970ページ。
(5)日本経済新聞出版社編『経済学 名著と現代』日本経済新聞出版社、2007年、188-195ページ。なお、この点こそがケインズ理論の前提であり、古典派との相違点である。本稿は、特に財政において過度のケインズ理論信奉を否定する。
(6)日経ビジネスOn line日本の家計貯蓄率は“先進国では最低”(http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100630/215197/ 2011/1/15最終アクセス)。なお、勤労者世帯平均では日本の貯蓄率は減少していないため、問題はないとする意見もある。しかし、本論の観点から国家の財政を考察するに当たっては、「貯蓄率の減少」そのものが問題となる。したがって、ここでは以上の意見は考慮に入れない。
(7)近年、日本の限界消費性向は上昇しているという主張がある。しかし、その多くは貯蓄の切り崩しであると考えられる。よって、乗数効果が期待できる性質のものかは疑問がある。なお、可処分所得が減り続けるにも関わらず、各家計は(必要最小限の)ある程度の消費を続けなければならないという要素も理解の一部としては有効である。この理解はケインズ理論と矛盾しない。
(8)石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、64〜69ページ。この論については、第1章に譲る。
(9)石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、64〜69ページ。
(10)注3に同じ
(11)中里透「財政赤字はなぜ拡大したのか」『<特集>混迷する財政・金融構造改革: 90年代以降の政策分析』社會科學研究56(2)、2005年、56ページ。
(12)村松岐夫、北村亘内「財政赤字の政治学」内閣府経済社会総合研究所企画『バブル/デフレ期の日本経済と経済政策7』慶應義塾大学出版会、2010年
(13)同上、162ページ。
(14)同上、164ページ。
(15)宮本太郎『生活保障:排除しない社会へ』岩波新書、2009年
(16)ダニエル・ヤーギン & ジョセフ・スタニスロー著 山岡洋一訳『市場対国家』上、日経ビジネス文庫、2001年、31ページ。
(17)ポール・クルーグマン著 伊藤隆敏監訳 北村行伸、妹尾美起訳『経済政策を売り歩く人々』ちくま学芸文庫、2009年。ポール・クルーグマン著 山形浩生訳『クルーグマン教授の経済入門』ちくま学芸文庫、2009年。ポール・クルーグマン著 山岡洋一訳『良い経済学 悪い経済学』日経ビジネス人文庫、2000年。
(18)日本経済新聞出版社編 前掲書、2007年、196-197ページ。
(19)前述の説明変数と矛盾するような記述であるが、ケインズはいわゆる『一般理論』(1935)以前においては金融緩和政策の有効性を唱えていた。その後、政府の財政機能を強く訴え、いわゆる「ケインズ理論」の今日的成熟に至った。
(20)日本経済新聞出版社編『経済学 名著と現代』日本経済新聞出版社、2007年、197-199ページ。
(21)ケインズが説いている「投資の国家管理」の本質は、単なる有効需要の付加(それ自体はあくまで「一時的危機の回復」である)ではない。その本質は、政府による公共投資によって、経済全体の投資を適正水準に回復することにある。
(22)石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、64〜69ページ。
(23)同上、65ページ。
(24)同上、65ページ。
(25)同上、66ページ。
(26)詳しくは、Barro, Robert (1997 ) “On the Determination of the Public Debt ”、 Journal of Political Economy 87、940-970 中里透「財政赤字はなぜ拡大したのか」『<特集>混迷する財政・金融構造改革: 90年代以降の政策分析』社會科學研究56(2)、2005年、55ページ〜69ページを参照。
(27)本見解は、「生産性の低下や金融機能の毀損等」中里(2005)に要因を求め、緊縮財政を支持している。代表的な見解は、林(2003)に明らかである。
(28)中里透「財政赤字はなぜ拡大したのか」『<特集>混迷する財政・金融構造改革: 90年代以降の政策分析』社會科學研究 56(2)、2005年、57ページ。
(29)本見解は、拡大財政を支持している。代表的な見解は、植草(2001)に明らかである。
(30)詳しくは、井堀利宏『財政赤字の正しい考え方:政府の借金はなぜ問題なのか』東洋経済新報社、2000年。入谷純『財政学入門〈第2版〉』日経文庫、2008年、21ページ。
(31)詳しくは、Barro, Robert (1997 ) “On the Determination of the Public Debt ”、 Journal of Political Economy 87、940-970ページ。
(32)詳細な数量モデルと計算手続きについては、中里(2005)を参照のこと。また、2000年以降の実質値に関しては以下のサイトを参照。 Barro(1979,1986a,b)における『課税標準化理論』の検定結果http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp- je06/06-00104.html (2011/1/20最終アクセス)
(33)なお、85〜90年の景気過熱期については紹介していない。しかし、同時代も乖離率がプラスで0.5%以上になっておらず、適切な財政調整が機能しているとはいえない。詳しくは中里(2005)を参照のこと。
(34)詳しくは宮本(2008)、(2009)を参照のこと。
(35)石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、30ページ、図1-2を参照。
(36)理由についてであるが、財政赤字の評価の甘さと法の抜け道の多さから、実効性が低かったという解釈が一般的である。
(37)当然、クリントン政権期の景気回復による要因(経済的要因)もある。
(38)財政判断によって、増減の判断が下される出動部分のこと。石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、154ページ参照。
(39)この制度は過年ごとのインフラを前提としている。なお、後には上限自体を低減させるべきであるという議論も発生したが、実現には至っていない。
(40)恒久法によって、予算審議をしなくとも出動が認められる、財政のコアの部分のこと。石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、154ページ参照。
(41)なおこの内容についても、後に義務的経費の出動自体に法的拘束を持たせるべきであるという議論が発生したが、実現には至っていない。
(42)石弘光著『国の借金』講談社現代新書、1997年、157ページ。
(43)本項の目的は、財政赤字削減の要件を探るためのものであり、財政赤字が拡大したブッシュ政権時に関しては、詳細を控えるという意味である。逆にいえばブッシュ政権においては、上記した要件が守られず、容認できないような規模の減税とそれを埋めるための赤字国債発行がなされたということである。金子、池上、アンドリュー(2005)を参照。
(44)なお、財政黒字自体は、好況による要因が大きい。詳しくは橋本(2001)を参照。しかし、その後10年間にわたって、財政赤字を対GDP比3%に抑制している点が評価される。なお、2009年には再び財政赤字が過大となり、イギリスでも財政危機が報じられている。
(45)飯尾潤『日本の統治構造』中公新書、2007年。
(46)村松岐夫、北村亘内 前掲書、152ページ。
(47)財政硬直化とは、歳出における義務的経費の占める割合が大きくなり、新しい企画を拘束することを一般にいう。(同上155ページより)
(48)同上166ページ。
(49)以上の仮説は、飯尾(2007)による。自民党の党内闘争によって内閣と与党の見解は必ずしも一致せず、また選挙による支持率等の要因が継続した指導力を阻害した。
(50)ここにおける選挙の「勝敗」とは必ずしも多数派であるということを意味するわけではない。多数派を形成していても、議席数の低下などによって、党首交代・首相の交代という形で内閣のリーダーが代わっていくという歴史があった。
(51)また、首相の交代は必ずしも選挙によるものではなかった。政策やスキャンダルによって国民の支持率が低下した場合、責任をとるという形で首相が交代した。
(52)村松岐夫、北村亘内 前掲書、158ページ。
(53)なお、近年においては、スウェーデンやデンマークなどの高福祉国家も政策の転換を迫られている。詳しくは宮本(2008)を参照。
(54)サルトーリによれば、通常一党優位政党制は、「議会における議席の過半数を制し、この状態を長期に続ける政党」である。その条件はいかに集約される。第1に、その政党は数において支配的でなければならない。第2に、その政党は絶対的な議席数によって、あるいは交渉力によって支配的な位置を確保していなければならない。政権の座に留まるために、政府(内閣)形成の過程で、他の小政党と有効に取引できるような位置を政党システム内で確保していなければならない。したがってたとえその政党が、それだけで議会の過半数を占めていないにしても、その参加なしには、いかなる政権も作りえないような戦略的ポジションにいなければならない。第3に、当該政党は長期に政権の座にいなければならない。最低連続4回の選挙を通じて絶対多数議席を獲得することを要件としている。第4に、優位政党は重要な公共政策を実行しえなければならない。
(55)ここでいう行財政制度とは、特に中央と地方の相互依存関係を維持した仕組みをさす(村松・北村[2010])。中央の財政支出政策は種々の形で地方の歳出にほとんど自動的にリンクしている。
(56)Takero Doi ,Toshihiro Ihori (2006) Soft-Budget Constraints and Local Expenditures http://www.cirje.e.u-tokyo.ac.jp/research/dp/2006/2006cf422.pdf
(57)石弘光『国の借金』講談社現代新書、1997年。
(58)3%の消費税。国民からの不満が増大した。
(59)プラザ合意の内容を簡単に要約すれば、米国の直面している貿易不均衡と財政赤字という「双子の赤字」問題の解決のために日本や旧西ドイツなどがドル高、円安、マルク安を是正することに努める一方で、各国で内需拡大を推進するというものであった。このことが、金融および財政での日本政府の行動に対する大きな制約になった(図表4-6)。
(60)村松岐夫、北村亘内 前掲書、174ページ。
(61)もともと8つのリゾート構想が政府内部では立案されていたが、1987年度の予算過程が本格化する1986年11月に国土、自治、農水、通産、運輸、建設の6省庁共同提案の法案として一本化されて1987(昭和62)年度予算と連動し、1987年3月の閣議決定および国会上程、5月成立、6月施行という早いテンポで成立した。詳しくは「総合保養地整備法」を参照。2011/2/5最終アクセス。http://ja.wikipedia.org /wiki/%E7%B7%8F%E5%90%88%E4%BF%9D%E9%A4%8A%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%95%B4%E5%82%99%E6%B3%95
(62)宮崎のシーガイア、香川のレオマワールド、長崎のハウステンボスなど、約10後には採算がつかずに膨大な赤字を生んだ、もしくは閉鎖した施設が多い。
(63)村松岐夫、北村亘内 前掲書 慶應義塾大学出版会、2010年、177ページ。
(64)論を通して繰り返しているが、本稿はこの見解を採らない。それは、90年代の不況を構造的な要因に求めるためである。1990年代以降のバブル崩壊のプロセスで、金融産業の構造転換を遅らせてきた護送船団方式の破綻によるところが大きい。国際的競争の時代に見合った金融革新への対応を先送りし、その場しのぎでつじつま合わせをしてきた結果、金融産業が比較劣位の産業に沈没してしまった。景気の後退が長引いたと理解するよりも、国家経済の基盤としての潜在的成長率自体が落ち込んだと理解する。
(65)大敗とされたのは、事前に設定された勝敗ラインに実際の獲得数達しなかったためである。政権の維持ができないというわけではなかったが、自民党は、勝敗ライン問題にこだわり、ラインを達成し得なかった首相は辞めるという歴史を通したロジックのもとに、橋本首相は辞任した。



《参考文献およびWebサイト》

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