食糧援助について考える
−慈愛か武器か−
(法学部1年)



1.序論

2.食糧援助の抱える問題
  @)食糧援助国としてのアメリカ
  A)食糧援助が被援助国にあたえるもの
  B)穀物と畜産物

3.有効な援助とは

4.結論

5.参考文献



1.序論


 飢餓と飽食の並存。これこそが20世紀もまもなく終わろうとする現代の、世界食糧問題の核心であり、地球人類の直面している最も深刻な問題である。
   ―荏開津典生『「飢餓」と「飽食」』より―

 時代は21世紀である。しかしこの問題は未だ解決されていない。むしろ深刻化していると言ってもいいだろう。飢餓の原因は度重なる紛争による政治不安かもしれないし環境破壊による異常気象であるかもしれない。飽食の原因は人々の無知にあるのかもしれないし傲慢さにあるのかもしれない。とにかく世界には食べたくない物を捨てることができる人と食べたくない物すら食べることができない人がいて、我々は飢えて死ぬ人が少しでも減ることを望んでいる。たとえそれが安っぽいヒューマニズムによるものであったとしても。

 では具体的にはどうしたら良いのだろうか。答えは一見簡単である。必要以上に食料のある所と必要未満しか食糧のない所があるのだから余剰分をそっくり不足分へと移行させれば良いのである。つまり経済力・生産力の高い国が食糧援助を行うということだ。だがこれがあまりうまくいっていないようなのである。いったい何故なのだろうか。そこで本レポートでは食糧援助の抱える問題について考えていきたいと思う。なお本レポートでは「食糧」を主食となる米などの穀物、「食料」を嗜好品をふくむ食品類として扱う。



2.食糧援助の抱える問題


@)食糧援助国としてのアメリカ

 食糧援助は、アメリカを中心に1940年代末に始まった 。これは食料不足国の救済を目的とするとされたが、実際にはアメリカ国内の過剰穀物の処理が目的であった。つまり食糧援助ははじめから人道的な人間関係における社会行為としての意味以上にアメリカの利害関係を含んでいたのである。これが1つ目の問題である。

 アメリカの食糧援助計画は長い歴史を持ち、現在もなお、思うがままに使える大量の食糧を持っている 。世界の食糧の行方はアメリカが左右している。そのためアメリカが食糧援助をどのようなものとして捉えているかということが世界の食糧援助を決定する。

 それではアメリカの食糧援助に対する態度をマーシャル・プランを例に挙げて見ていきたいと思う。マーシャル・プランの名で知られている「ヨーロッパ復興計画」は、食糧援助だけだったわけではないが総額135億ドルの約25%が食糧であった。このマーシャル・プラン実現の要因は4つあったとされる。第1の要因はヒューマニズムである。第2の要因はアメリカの対ソビエト連邦戦略であり、これは同時に第3要因のヨーロッパの共産主義化防止対策でもあった。第4の要因はよりグローバルな観点からヨーロッパの再建がアメリカ自体の発展にとって必要であるという認識である。

 ここからわかる食糧援助の要素とはヒューマニズム、戦略目的、政治目的、農産物過剰、そしてアメリカの中心的役割である 。

 この性格は「平和のための食糧」と名づけられた公法480号による食糧援助へと引き継がれた。公法480号による食糧援助の最大の特徴は、それがアメリカによる2国間援助であるということであった。2国間援助には援助国と受取国との間にどうしても支配、従属的な色彩が生じる事を避けられない 。そのためアメリカの戦略・政治目的がより強い要素となって現れる。

 つまり食糧援助はアメリカの市場を開発し、アグリビジネスを助け、相手国の政府の首の根を押さえ、アメリカの外交・軍事政策を推進する手段である。と同時に、それはまたアメリカの農業政策と密接に結びついている。かつて、食糧援助は余り物を片付ける役割を果たしたが、その時期が終わると、こんどは、契約によってしばられた被援助国に、食糧を強制的に外貨で買わせる手段となった 、のである。

 すなわちアメリカは食糧を戦略物資ととらえ、被援助国に対する支配力・影響力を強める方向へと進んでいったのである

A)食糧援助が被援助国にあたえるもの

 食糧援助は大きく3つに分けることができる 。第1には緊急援助−自然災害や旱魃・病害虫の発生による凶作、戦争や内乱などによる食糧の欠乏に対応した無償援助−第2にプログラム援助−恒常的に食糧の不足している発展途上国への贈与または信用による食糧供与−第3がプロジェクト援助−農村開発プロジェクトに関連した食糧供与−である。ただしプロジェクト援助とプログラム援助はいずれも平常年における食糧援助であるため大きな違いはない。ここで緊急援助の必要性に異論を唱える人はいないだろう。2つ目の問題は継続的な援助となるプロジェクト援助・プログラム援助が被援助国に与える影響にある。

 1つは被援助国が援助国に依存する事になるため食糧援助では飢えの問題は解決されないということである 。被援助国の農業生産が発展しなければ根本が解決されないということだ。

 もう1つは被援助国の政府の政策を農業発展から引き離す事である。多くの食糧不足国において農業発展は経済発展の欠く事のできない基礎であるのに、食糧援助は被援助国の政府の開発方針を誤らせる危険をはらんでいる 。これは援助国からの食糧が被援助国内の市場に多量に入ってくることで価格の低下を招き被援助国の農業生産が低下するといった事である。

 他にも様々な影響が懸念されている。被援助国の消費者に新しい食習慣を定着させる事によって伝統的な農産物に対する需要をなくし農業の発展を阻害するという批判もある 。たとえば第2次世界大戦後の日本に食糧援助としてアメリカが大量の小麦を持ちこんだことは日本人の米食からパン食への好みの変化の一端を担っているのではないかと思われる。
 
B)穀物と畜産物

 ところで食糧援助はどのくらい行われれば良いのだろうか。飢えている人々を我慢のできる栄養不足の食事に移すためには1人1日当たり500カロリーが必要であり、これは1日当たり150g以下の穀物に相当し、5億人の飢えた人口に対しては年2500万tの穀物になる 。これは前述の分類でいうならプログラム援助・プロジェクト援助に必要な量である。これは最も過剰な食料を摂取している5億人の人達が1人1日当たり150gの穀物を畜産物にすることを諦めれば良いのである 。

 しかし計算通りに行くかというと、そうはならないことを経験的に感じられることだろう。過剰食料によって肥満化した人達が1日150g肉類を食べなかったとしても多少本人の健康に貢献するだけで飢えた人達に食糧がまわされるわけではない。むしろ需要の低下により世界的な食糧生産高は減るかもしれない。これが3つ目の問題である。

 資本主義経済は飢餓を減らすために高い畜産物を減らし安い穀物を増やすことを認めない。家畜を育てるためには大量の食料を飼料として使用しなければならなく効率は悪いが貧しい人に穀物を売るより儲かるということなのだろうか。また、人間は肉が食べたいという欲求がかなり強いようである。所得が増えるにしたがって肉の消費を増やすというのは誰もが持つ自然な傾向のようで、世界の肉の生産量は1950年以来着実に増え続けておりこの45年間ほとんど毎年伸びを示している 。



3.有効な援助とは


 前章で挙げたように食糧援助には様々な問題か付随している。スーザン・ジョージは“彼ら”(おおまかにいって権力のある地位にある人々全般の事を指す)にはもう「何もしてはいけない」と言っている 。アメリカのために行われる食糧援助などいっそ無いほうが良いということだろう。

 しかし食糧援助の廃止は、たとえそれがどんな腐敗にまみれたものであったとしても、誰かを死なせる危険に直接つながっている。食糧援助は被援助国の経済発展を目的として充分適切に用いられれば発展途上国の発展に貢献する事ができる 。やるべきことは、食糧援助のより有効な利用条件を研究することである。

 1つは食糧援助を農業開発プログラムに結びつけること、少なくとも提供した食糧の流通を過誤と乱用を避けるために援助国が追跡できるようにすることである 。

 もう1つは戦略的な2国間援助(特定国を対象に友好促進を目的とし主に援助国の専門家やノウハウが用いられる)から多国間援助(国際機関の政策に基づいて行われ食糧や農業生産、環境などの地球規模の問題の解決を目的に国際機関の専門知識・経験・ネットワークが用いられる)に基本を移すとともに食糧自立を促すような協力の内容にしていくことである 。



4.結論


 これまで本レポートではなぜ余剰食糧を不足食糧に充てることができないのかという問題意識から、食糧援助のかかえる問題について検討してきた。

 第1に食糧援助はアメリカの利益に基づいておこなわれていること、第2に食糧援助によってかえって被援助国が不利になること、第3に経済は食糧援助の穀物より畜産物の売り上げを求めることを明らかにした。そして食糧援助を有益におこなうためには改善が必要であることがわかった。

 以上を踏まえ、序論で提起した疑問にたいして次のように答えることができる。

 なぜ余剰食糧を不足食糧に充てることができないのか、それは南北問題から脱却できていないからである。援助国と被援助国の関係は北の先進国と南の発展途上国との関係の縮図にすぎない。だから対等な関係として食糧をスライドさせることができないのだ。アメリカの(上層部の)支持するところの資本主義の万能志向とでも言うべき精神でもって食糧援助をおこない、発展途上国で農業開発をおこない、利益のために食糧援助をおこなわない。外部としての発展途上国はいつまでたっても内部には入れない仕組みが確立してしまっているのだ。

 このレポートによって飢餓の解決策でさえも世界的な南北問題に帰結してしまうことがわかったのは意義のあることであったと思う。現在、一部の途上国の発展とテロによる混乱により南北問題は薄れてきているかのように見えていたが世界はまだまだ南の国と北の国にわかれたうえで成り立っているのだ。3章で有効な援助へ向けての意見をいくつかあげたがどれも充分な解決策とは言えないだろう。供給された食糧が真に必要とされる人に至るにはそこまでの経緯に存在する人々すべてが精錬潔白であるかある程度貧しくない必要がある。しかし国として貧しい以上中間搾取は無くならず悪循環は続く。これはたとえ援助国側が完全に人道的立場から支援をおこなっても起こることだろう。この悪循環を打ち破るほどのエネルギーをどうやってつくりだすかを今後の課題としてあげることができる。



5.参考文献



 荏開津典生 『「飢餓」と「飽食」食糧問題の十二章』 講談社 1994年
 黒井尚志 『飽食の終わり 飢餓の世紀がやってくる』 ダイヤモンド社 1994年
 矢口芳生 『地球は世界を養えるのか 危機の食料連鎖』 集英社 1998年
 ジョゼフ・クラッツマン(小倉武一訳) 『百億人を養えるか 21世紀の食糧問題』農村漁村文化協会 1986年
 レスター・R・ブラウン(今村奈良臣訳) 『食糧破局 回避のための緊急シナリオ』ダイヤモンド社 1996年
 スーザン・ジョージ(小南祐一郎・谷口真理子訳) 『なぜ世界の半分が飢えるのか 食糧危機の構造』朝日新聞社 1984年