社会保障政策の今後
〜英サッチャー政権と比較して〜
(法学部1年)




序章


 現在、日本では小泉純一郎内閣の下、社会保障制度に関しての改革が提言されるようになった。その中で小泉内閣は市場を基本として善とする「市場原理主義」的な発想を持っていることが明確となっている。現在は延命的な年金制度改革しか行われていないが、今後小泉内閣の後継内閣を含め、社会保障制度が抜本的に改革される可能性がある。その場合日本の社会保障制度はどのように変化するのか。

 よって本稿では小泉内閣と同じ発想に立っていたイギリスのサッチャー政権下における社会保障政策を例にとり、今後日本の社会保障政策がどのように推移するのかを考察する。



第1章 イギリスの福祉国家とは


 イギリスの福祉国家の起源についてはいろいろな捉え方がある。世界史的起源から言えば、福祉国家の起源は19世紀の後半とされている(1)。しかし、現代一般に言われている「福祉国家」の形を体現したのは第二次世界大戦後のイギリスにおける「ケインズ‐ベヴァリッジ」の理論による福祉国家である。したがって本稿では福祉国家として取り扱う時代範囲を大戦後とおく。

 本章ではまず戦後のイギリス福祉国家の理論的正統性を支えたケインズ‐ベヴァリッジの理論を確認し、イギリスが戦後どのような福祉国家をつくるに至ったのかをサッチャー政権前までの期間において見ようと思う。

 1945年に連合国が第二次世界大戦に勝利した。この大戦の大きなきっかけとなったのは1929年に発生した世界恐慌である。世界恐慌において各列強国は自国の経済が衰退しないように自国圏の国同士では関税を軽減させ、圏外の国との取引では関税を多くかける「ブロック経済」を採用するようになった。この時代の各国は経済理論としてはアダム・スミスの「見えざる手」理論を採用していたので、国家による市場への介入や、国家が公共事業を積極的に行うことはなかった。

 しかし、アメリカ大統領に就任したF・ルーズベルトはTVA(テネシー川流域公社)に代表される公共事業を積極的に行った。また社会保障制度の全般的形成、特に不況を反映して失業吸収と並ぶ失業保険の制定を行った(2)。この際、ルーズベルトが政策の理論的正統性を示すために用いたのが「ケインズ理論」であった。

 ケインズはその代表的著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表しその中で「所得と富の分配の過度の不公平を是正し、完全雇用するため」の経済理論を確立した。ケインズは「今日、経済学者にとっての主要な課題は、おそらく、政府のなすべきこととなすべからざることを改めて区別しなおすことである」と論じている(3)。つまりケインズはアダム・スミス以来の古典的自由主義下において考えられていた「国家の干渉は『一般的に不要』であり、しかも同時に『一般的に有害』である」という考えを否定し、「福祉国家」体制の根幹を構成する国家介入の必要性と正統性を確立したのである(4)。

 さらに1942年、ベヴァリッジによって『社会保険および関連サーヴィス』(ベヴァリッジ報告)がなされた。その中でベヴァリッジは社会保障について「市場における所得分配の不平等を前提として最低限の生活保障(ナショナル・ミニマム)を国家的制度によって維持」ということを構想した(5)。

 以上の点から、「ケインズ‐ベヴァリッジ」の理論は経済活動を市場に任せることで経済効率性を最大化できる、というアダム・スミスの理論から離れ、個人はあまりに無知・無力であるがために個人の目的を達成できないというのが頻繁に見受けられる、というように市場は所得と富の分配において不平等をもたらすという視点に立っている。その上で、「国家が最低限の生活保障を行い、国家による最低限の市場介入から市場をコントロールしよう」とするものである。

 しかし、ここで一つ注目するべき点はケインズとベヴァリッジの構想どおりにこの「ケインズ主義的福祉国家」が発展したわけではない(6)。先ほど述べたようにケインズとベヴァリッジは国家による市場介入は「最低限」であるべきであると考えていた。一方で、実際の福祉国家は想定以上に拡大していったのである。

 戦後から1970年代半ばまでは「福祉国家の黄金時代」が形成された(7)。このとき、福祉国家は包括的な福祉国家の維持、私企業および公企業からなる「混合経済」、完全雇用と持続的経済成長を目指す、という3つにおいて「戦後合意」と呼ばれるような合意の上で展開されていった(8)。つまり、福祉国家・平等な社会を目指す社会民主主義政党である労働党のみならず、本来「小さな政府」を標榜し、市場の自由を優先する保守党も戦後労働党のもとで成立した福祉国家システムを基本的に継承した(9)。

 なぜ保守党が福祉国家システムを是認したのか。そこには当時の冷戦構造が関係している。それは当時の福祉国家が常にソ連を中心とする社会主義計画経済との対比において意識され論じられていたからである(10)。つまり福祉国家とは国家的社会主義と対抗する資本主義と自由主義体制の自己修正の姿でもあったのだ。ここに保守主義者が福祉国家を受容した根拠がある(11)。

 このような福祉国家に対して政治的なコンセンサスのある状況で、経済も1950、60年代は成長を続けていた。つまりこの時期は資本主義の全盛時代であり、経済規模が拡大するこが当たり前であった。そのため、福祉国家が予想以上に発展する要因ともなった。

 イギリスにおいても単一拠出と単一給付による「ナショナル・ミニマム」の保障というベヴァリッジ報告による政策は方向性を変え、生活水準を維持するための公的扶助や所得比例年金への依存度が増した(12)。公的社会保障支出は経済成長率を上回る速度で拡大し、国民経済に占める公的財政のウェイト、その中での社会保障財政のウェイトが高まった(13)。

 一方で、この時期の福祉国家の経済成長は同時に平等化・民主化をもたらすこととなった(14)。つまり、この時代は「経済成長」と「社会保障の充実による平等化」が相互補完的に進行し、政府の施策を呼び水として需要が不断に拡大していく高度大衆消費社会の全面的な展開とも軌を一にしていた(15)。

 よって戦後から60年代にかけてのイギリスでは「ケインズ‐ベヴァリッジ」理論を基としながらも、持続的な経済成長の時期と重なったことにより福祉国家が行う社会保障による平等化の推進が経済成長と両立するという認識に立ったこと、さらに当時の東西冷戦において社会主義経済に資本主義経済が対抗するという状況の中、本来福祉国家が行う市場への政府の介入に否定的な保守主義政党も福祉国家政策を是認するという「戦後合意」的な政治的コンセンサスができあがったことにより、もともとケインズとベヴァリッジが想定していたよりもはるかに大規模な政府による市場への介入、さらに「ナショナル・ミニマム」の考えを超えた社会保障政策がなされるようになった。

 しかし、このような「福祉国家の黄金時代」は1970年代に入って変容を見せる。73年のオイルショックを契機に、西欧諸国の経済が低成長の時代に移行したのである。しかしながら、先述の通り社会保障財政の拡大は経済成長を上回る程度で行われていたためにイギリスでは国家が財政難に陥るという結果に至った。こうした中で「戦後合意」は崩壊し、代わって「負担としての福祉」が前面に出るようになった(16)。

 そのような状況の中で誕生したのが保守党のサッチャー政権であった。



第2章 サッチャー政権〜サッチャリズムとは


 サッチャー政権は1979年に誕生した保守党の内閣である。サッチャーはいわゆる「ニュー・ライト」と呼ばれる熱心な市場絶対善信奉者である。その彼女が政権を担当したことにより、イギリスの福祉国家体制は大きな転換を迎えることとなる。

 サッチャーの政治的特徴を「サッチャリズム」と呼ぶことが多いが、このサッチャリズムとはつまり「小さな政府を目指し、市場にできうる限り経済の運用を任せる」ものである。その特徴としてサッチャーは福祉国家を国家による所得移転の機構として、また社会の富者から貧者への無償の給付機構として、「富者をますます貧困化させる」機構として批判をしているのである(17)。サッチャーの推進していたマネタリズムは基本として「富者救済の政治」であり、「途轍もなく富者を益し、途轍もなく貧者に懲罰的」であるとJ・K・ガルブレイスが指摘している(18)。

 ではサッチャーは自身が嫌った福祉国家をどのように変えようとしたのか。

 従来、イギリスでは「福祉国家の黄金時代」に拡大した福祉国家の下、国民の拠出に基づく「拠出給付」が大部分をしめていた。しかし、サッチャー政権下では拠出給付部分の比重が低下し(サッチャー政権実績初年度の63%から最終年度の54%へ)、非拠出給付の比重が増加している(33%から42%へ)(19)。そしてこの非拠出給付の中でもミーンズテストを要件とし、一部の低所得者だけが適格とされる選別主義的給付が多くをしめている(20)。つまり国家による社会保障給付の対象者の厳選化である。

 そして1983年から開始されたファウラー改革では以下の点が行われた。

 ファウラーはベヴァリッジ構想を基礎とした社会保障制度の抜本的改革を目指していた(21)。発表された政府白書では冒頭パラグラフで「こんにちのイギリスで、現在あるがままの社会保障制度に満足しているものはほとんどいない。欠陥は明白であり根底的である」と指摘している(22)。その中でファウラー改革の年金改革(23)を見てみる。

 年金改革では従来の一律均一額を支給する「国民保険基礎年金」と、それに上乗せされる所得スライド制拠出に基づく所得スライド制付加年金からの2階建て構造となっていたが、ファウラー改革では1階部分の「国民保険基礎年金」のみを存続させ、2階部分の所得比例年金は削減し、併せて私的年金奨励策を講じることとした(24)。つまり国家の保障範囲を狭め、より市場の主体的な運動に任せることを狙ったのである。 私的年金発達の奨励処置として税制優遇を行うことを提唱していた。

 ではこのようなサッチャーによる福祉国家改革−すなわち社会保障財政の縮小を柱とする小さな政府戦略−は成功したのだろうか。

 小さな政府という点から見ればサッチャー政権の戦略はまったくの失敗をとげた。前労働党政府末年度(1978年度)の政府支出がGDPに閉める比率は43%であった。一方でサッチャー政権下の1982年では政府支出の割合は46.5%に拡大した。つまり財政支出を抑えることはまったくの失敗だったのである(25)。

 この政府支出の中の社会保障費の割合を見てみよう。サッチャーの実績初年度である1979年の全支出額に占める社会保障費の割合は24%であったが1986年では31%に上昇したのである(26)。このような結果になったのは高齢化社会の到来という人口動態の変化がかかわっている。84〜85年のイングランドの統計において高齢者1人当たりの医療関係経費は65〜74歳では575ポンド、75歳以上では1420ポンドであった。75歳以上の経費は現役成人層に比べると7.9倍である(27)。

 また政府支出を抑えようとすることとともにインフレーションを抑えようとしたサッチャー政権はインフレーションを抑えることには成功した。しかしながらインフレーションを抑えようとする事は失業を増やす事につながる(28)。よってかえって失業保険の支出増がなされてしまう面もあった。

 つまり社会保障制度の構造を変え、支出を抑えようとしても高齢化社会、失業という問題を抱えたなかで政府の財政支出を抑える事は困難であったといえる。では現在小泉政権が始まって以来信仰している「市場原理主義」に基づく状況では、日本の社会保障制度はどのような変容を遂げるのであろうか。


 
第3章 日本型福祉国家の特徴


 その前に日本における福祉国家の特徴を見ておく。

 日本は戦後の政治体制においてまず経済力の回復を最優先とした財政支出をおこなってきた。その結果福祉国家的な所得保障や社会サービスを国家に代えて、企業、家族、コミュニティなどの非政府機関が福祉供給の主体となった(29)。その中で大企業の福利厚生と家族賃金、地方の公共事業と保護・規制政策、それに家族主義が連動し「擬似福祉システム」が福祉国家に代替した(30)。一方で中小企業の従業員は企業の福利厚生が十分でなかった分、十分な社会サービスを受けているとはいえなかった。そこで国自身が保険者となり、その保険を運営する政府管掌健康保険が設立された。

 健康保険については1961年に「国民皆保険」と呼ばれるシステムを確立した。一方で年金制度の方は、1985年の「基礎年金強制加入」によって制度確立がされた。日本の年金制度の特徴は基礎年金の部分において租税と保険料がいわば「渾然一体」となって運用されている点である(31)。

 1950年代から73年のオイルショックまで続いた世界でも稀に見る高度経済成長期においては経済規模が拡大していたため、社会保障は経済成長と両輪になって発展してきた。しかし、1973年のオイルショック後、日本は低成長時代に入り今までのように経済規模が発展する事はなくなった。さらに日本では急速な高齢化が発生し年金の給付が急増し、結果として社会保障費を押し上げる事となった。結果、政府は財政難を抱えることとなり、82年の第二次臨調による「増税なき財政再建」をもとに医療制度改革、年金制度改革、介護制度改革が行われてきた。



第4章 これからの日本


 以上の点を踏まえて日本の今後の社会保障制度はどうなるのか。

 まず全般として政府は社会保障費を中心とした歳出削減を目指すであろうが、イギリスのサッチャー政権の例からもわかるように高齢化の進行過程において実際に社会保障費が減少することはないといえる。しかし、社会保障の内容についてはサッチャーと同じ「市場原理主義」にたつ小泉首相はその改革の後継者を含め、大幅に変更を行うであろう。つまりできうる限り市場に任せるため、年金の2階部分にあたる所得比例年金については今後民営化、あるいは民間保険会社に任せる、という形になるであろう。しかしながら、市場に多くの社会保障を任せるということはそれだけリスクが個人化するという意味を併せ持つ。また現在の日本はアメリカのような投資に対する積極的な意識はまだないと言える。そのような個人が果たして自分の持つ情報で正確な判断ができるのか、このことは企業にとってのみ利益をもたらすのではないか、という問題もあるだろう。

 一方で、近年の終身雇用制の崩壊から企業による従業員にたいしての福利厚生は縮小傾向にある。その点については失業保険や低賃金者に対する所得保障を充実させる必要があるだろう。

 つまり、現行制度をそのまま続けることに限界があることは明らかであるが、その変更とは安易に国家財政を健全化するために国民に「リスクを還元」するものではなく、国民が社会において一定の生活を「国」が保障することが必要となるであろう。私はこの保証を税財源で行うべきであるとする。やはり現在の負担に比べ多くの負担をするとは言っても、生活の保障に関するリスクを全体で共有するべきだと考える。



脚注

1 東京大学社会科学研究所『転換期の福祉国家(上)』p16
2 同上p80
3 同上p18
4 同上p19
5 同上p20
6 同上p20
7 広井良典著『日本の社会保障』p7
8 同上p7
9 東京大学 上掲書p24
10 広井 上掲書p9
11 東京大学 上掲書p24
12 同上p24
13 同上p24
14 広井 上掲書p9
15 同上p9
16 同上p11
17 東京大学 上掲書p131
18 同上p131
19 同上p159
20 同上p159
21 同上p179
22 同上p180
23 同上p181
24 同上p183
25 同上p140
26 同上p141
27 同上p144
28 森嶋通夫著『サッチャー時代のイギリス』p166
29 G.エスピン‐アンデルセン著『転換期の福祉国家』p300
30 同上p299
31 広井 上掲書p90


参考文献

東京大学社会科学研究所編著『転換期の福祉国家(上)』(1988年 東京大学出版会)
広井良典著『日本の社会保障』(1999年 岩波新書)
森嶋通夫著『サッチャー時代のイギリス』(1988年 岩波新書)
G.エスピン‐アンデルセン編著『転換期の福祉国家』(2003年 早稲田大学出版部)