Louis Menand, Metaphysical Club: A Story of Ideas in America (NY: Farrar, Straus and Giroux, 2001).
2002年のピューリッツアー賞を受賞したLouis Menand, Metaphysical Clubは、副題が示すように「アメリカの思想の物語」を、それもとびきり魅力的な物語を綴っている。主人公となるのはオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア、C・S・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイの4人。彼らの父親たちから続く系譜、エマーソン、ルイス・アガシ、ジェイン・アダムズ、ホレス・カレンら同時代の知識人との関係、プルマン・ストライキやハウランド遺言裁判などの事件を縦横に織り交ぜて、この物語は1850年代ボストンから第一次世界大戦までのアメリカの思想の変遷をプラグマティズムの誕生を中心にして辿っている。著者の力点はこのあいだにアメリカを襲った二つの出来事に置かれている。一つは南北戦争、もう一つは進化論である。
「南北戦争は、それを通過した世代にとってトラウマ的な体験だった」(x)として捉える著者は、その前後では認識が一変してしまったことを繰り返し強調する。4人の主人公たちの中で唯一従軍したホームズ・ジュニアは「私は昔と同じ人間ではありません。(同じ考えももっていないかもしれません。)もうそんなにしなやかではありませんし、かつてのような状況の中で考えていた主義主張を認めることもないでしょう」(56)と父に宛てた手紙に書いている。その破壊的な体験や大規模な損失は、それ以前には疑われることのなかった正しさや公正さを揺さぶり、戦争の大義を保証していた信念をも問い直すことになった。信念がぶつかりあうことがかくも過酷な暴力を招いたのだとしたら、もはや信じるということはなんの留保もなしに受け入れられる行為ではなかった。南北戦争以前には確固たる信念が存在可能だった。ホームズ・シニア、大ヘンリー・ジェイムズ、ベンジャミン・パースら、本書の主人公たちの父親世代にとっては、神に由来する理想的で絶対的な正しさや普遍的な真実があることは自明だった。しかし「南北戦争のあとでは世界が再び正しく見えることはない」(61)と書いたホームズ・ジュニアらにとっては、戦争はそうした確信を抱くことの理不尽さをあらわすものだった。よって、彼らは自らの信念を疑い、正しさや価値観とは状況により変化する相対的なものに過ぎないという懐疑的、相対主義的な思考へと傾いていった。超越的な真実が先天的に存在していることへの疑いは、いかにして考えが生まれ、やがて確かなものとなり、真実に近い存在になるのかというプロセスについての関心に至る。人が思考という不確実なものに価値を与え、正しいものだと信じるようになる過程についての考察、それがプラグマティズムだった。
この思想上の変化はまた科学的な認識や方法論の交代でもあった。南北戦争とほぼ時を同じくする1859年、ダーウィンの『種の起源』が出版されると、そこに書かれた偶然や差異やバリエーションといった概念は革命的な変化をもたらした。ダーウィン以前に主流であったのは、ルイス・アガシらによる人種理論だった。アガシ、サミュエル・ジョージ・モートン、ジョサイア・ノットらは、人種はその起源からして別個のものであり、白人は優等で黒人は劣等であるというのは生来的な差であると考え、頭蓋容量の比較などからそれを裏付けようとした。彼らは人種が混交することを恐れ、白人種の純潔を保とうとする優生思想を主張した。それは人種には固有で不変の特徴があるという本質主義的な理解だった。しかしダーウィンが南海でのフィンチの観察をもとに明らかにしたのは、種の特徴というのは幅広いバリエーションを持つものであり、そこに本質的なものを見つけることはできず、むしろ環境に応じて最適化するため変化しつづけるということだった。ダーウィンにとっては、人種も含む「種」という概念自体が便宜的に用いられるカテゴリーに過ぎず、その区分とは偶然生じ、絶えず変化し、多様性を持つものであった。ダーウィンはよって過度の一般化や普遍化を拒否した。アガシらがあらかじめ多くの予見を持って観察に臨み、しばしば自分たちの期待に沿って普遍化された結論を導いたのに対して、ダーウィンは観察したものから類推し、そこから導かれる推論とは完璧な真実にはなりえない不確かなものであることを承知していた。ウィリアム・ジェイムズらはこの点でダーウィンの思想を正しく受け継いでいた。彼らは、進化論は認めていたものの、それがあらゆることを十全に説明できる法則であるとは考えなかったし、科学が完全に客観的になることはできず、社会や論者の嗜好から自由ではないことをよく知っていた。それゆえ彼らはハーバード・スペンサーらによる社会ダーウィニズムを否定した。スペンサーらは進化と進歩を混同し、自然淘汰を適者生存と読み替え、偶然を必然へと転位した。スペンサーが進化とは一つの「良い」方向に秩序だって進んでいくことだと考えたのに対して、ジェイムズは「あるものを解釈するのには常に一つ以上の方法がある」という多元主義を唱えた。それは父親たちの真理を、アガシらの類型化を、社会ダーウィニズムのヒエラルキーを越える思想だった。
南北戦争による普遍的な真実への懐疑、ダーウィンによる偶然の重視、この二つがホームズ・ジュニア、パース、ウィリアム・ジェイムズに共通するものだった。彼らにとっては確かさとはどこかにあるのではなく、個人の信じる意思に由来するものだった。正しさや適切さとは無数のバリエーションのなかから偶然選ばれる一つ可能性である。その偶然を信じ、決定を下すことが考えるという行為に他ならない。よって考えるとは円環的なプロセスである。初めから正しいものが存在しているのではなく、偶然選ばれたのちに、それは正しいものへと還元される。信じることとは、すなわちこの適応である。「人が自分たちのいる世界に向き合うために発明したフォークやナイフや顕微鏡のような道具」(xi)としての思想、それがプラグマティズムだった。
プラグマティズムはそれ以前からの旧弊−−アガシ、ラプラース、ケトレ、ヘーゲルらの運命論、決定論、還元論やアダム・スミスのレッセ・フェール−−を否定し、また時代の趨勢に対抗した。民族を純粋を絶対的な説明因子とするネイティヴィズムや人種偏見に反対した多元主義、第一次世界大戦という大きな暴力に進む動きに警鐘を鳴らし、文化の絶えざる変容を説いたコスモポリタン的なトランスナショナリズム、そして古典的自由主義に対抗して社会改革を目指した革新主義、それらに基盤を提供したのはウィリアム・ジェイムズやジョン・デューイを中心とするプラグマティズムだった。その功績の中でも特筆されるのは、「自由」の確立に果たした役割である。20世紀になるとデューイやホームズ・ジュニアらは戦時色を強めるアメリカにあって学問の自由や言論の自由を擁護し、その定着を主導した。自由とは、ダーウィン的なことばで説明すれば、差異に寛容であること、バリエーションを保証すること、不確かさを受容することだった。よって調和した世界とその統一的な方向を確信することができた前近代的(あるいは近代化途上の)時代から、南北戦争以後のより不安定で終わりのない変化を続ける近代的な原則へとアメリカが移行するにあたって、プラグマティズムはその不断の運動を促し、対応を手助けしたのであった。
以上のような論旨を持つMetaphysical Clubの最大の達成は、南北戦争と進化論という二つの出来事を分水嶺とする前後の断絶を鮮やかに示したことにある。その図式は明快であり、論に一貫性を与えるとともに、読者が19世紀後半のアメリカ思想を理解するのを容易にしている。長いスパンで多くの人物が登場するにもかかわらず、それを整理する著者の語りは闊達で(時にたとえば13章におけるプラグマティズムの思考方法を解説する際のバスケットボールのフリースローの例のように、若干筆がすべり気味のところもあるが)、思想史という硬いテーマでありながら思弁的になりすぎることもなく、様々なエピソードも散りばめて読者を飽きさせない。このことが、本書をしてピューリッツアー賞に輝かせ、「ホフスタッター以来」の反響をアカデミズムの外部で呼び起こした理由だろう*1。
しかし、本書が提示する19世紀後半のアメリカ思想史はあまりに鮮やか過ぎるゆえにも陥穽もまた潜んでいる。著者はそこに南北戦争と進化論という大きな転回を見る。とくに前者は−−序章で一度用いながら本文中では慎重にその使用を避けられていることばを用いれば−−「トラウマ」的な体験だった。トラウマは単なる心痛以上のもの、繰り返し思い出される癒やしがたい傷である。それに向き合うことからホームズ・ジュニアの法哲学やウィリアム・ジェイムズの改心体験が生まれきたという主張は雄弁だが、しかし皮肉にも題名にもなっている「Metaphysical Club」の役割を弱めてしまっている。プラグマティズムが誕生した具体的な時と場所として同クラブの役割を指摘したことは本書の大きな論点であるが、しかしごく短期間で消滅しほとんど資料も残っていない同クラブの姿は、残念ながら「トラウマ」の前にかすんでしまっている。本書の後半部はプラグマティズムの発展をよく説明しているけれども、前半で描かれる転回があまりに強烈すぎるために、そこと比べると次第に溶暗するエピローグのように見えてしまう。最終的に本書は一次大戦を経てさらに冷戦まで至るが、その部分は弛緩した印象が否めない。
だが本書のなによりの魅力は、トラウマとしての南北戦争と認識上の革命としての進化論によってもたらされたアメリカ思想の変化にあり、プラグマティズム誕生前後を舞台とした上質な物語に仕上がっている。
*1 Jackson Lears, "Book Reviews," The Journal of American History 89 (2002): 1017.