「揺らぐアイデンティティと多文化間精神医学」
Shifting identities in cultural psychiatry
(『文化とこころ』 Vol.3-No.2 pp. 4-15 1999年5月掲載)

キーワード:クレオール、ドメスティックバイオレンス、国際結婚、ポストコロニアリズム、家族
Key words: creole, domestic violence, intermarrige, post colonialism, family
Abstract

In this current postmodern, postcolonial and creolizing world, cultural psychiatry needs to rethink its theories and methodologies. Bibeau's article in Transcultural Psychiatry is one of these attempts, but it focuses more on how to observe and represent shifting identities and fluid cultures in the world rather than on to live in it. In this article, the author argues that we need to move our attention to our own shifting identities and fluid cultures, which significantly influence our work in cultural psychiatry. The impact of shifting identities on this work is explored using the author's experience with two clinical cases involving domestic violence. In the course of the exploration, key concepts of cultural psychiatry such as "culture" and "family" are contexualized and reconceptualized. As a conclusion, it is argued that sensitivity to our own positionality in culture dynamics is essential to reinvigorate cultural psychiatry.


〈はじめに〉

 多文化間精神医学という名の下では、「こころ」の問題を考える際に、常に「文化」という側面に注目することが前提になっている。けれども、現代の国際社会において「文化」という現象ほど、その輪郭が変化をとげつつあるものはない(18)。平行するように「文化」という言葉も、意味を変容させながらいろんな方向に繁殖し、ずれを生み続けている。

 カルチュラルスタディーズやポストコロニアリズム、クレオールやクイア・スタディーズ、フェミニスト文芸批評などの領域群において、それらの「繁殖」や「ずれ」を把握しようとする試みが行われている(注1)。ポストモダンの群の中で、流通した先からすばやく消費されていくような知的遊戯的側面に抵抗を感じつつも、私はそれらに惹かれ続けてきた。

 ただ私はそれらを、多文化間精神医学の領域で活用できずにきた。既成の学問らしさにあわせて自分の文章を作ることが新米研究者の義務だからしかたないことだったのかもしれない(注2)。適応・不適応、症状、病理、といった言葉から自由になれない精神医学の足枷も大きかったと思う。そして、破壊力はあっても、明晰さや建設性には欠ける、ポストモダン特有の言説のあくの強さ・・・。

 ともかく、本稿はそういう分裂を和らげる試みである。多文化間精神医学にポストコロニアルな思考をとり入れ、自己の臨床や調査の場に着地させてみること。その臨床の場をもう一度学問的言説のところまで反映させてみること。統合は無理としても、少し見通しをよくしてみてもいいだろう。すでに私たちはその過程を生きているのだから。

〈I  クレオールとポストコロニアルな多文化間精神医学〉

 ポストコロニアルな状況から多文化間精神医学を見直す試みとしてBibeauの論文がある(4)。彼はクレオール化するこの世界において、文化精神医学も大きく変わらなければいけないと指摘する。

 多重帰属、多元的参照枠組み、多地域コミュニティ、長距離間ネットワークなどの現象が一般化しつつあること。意味の表象システム(言語、集団的表象、象徴体系)はもともと閉じたものではなかったにしろ、現在ほど多元的で流動的になることはなかったこと。そのように内的統一性を必ずしももたないシステムの中で、人々のアイデンティティがどう形成されていくかについては、まだ十分に知られていないこと。意味のシステムにおける多元性やパラドックスや不規則性は、特定の地域の社会制度と、そしてマクロな国際社会レベルでのグローバル化や政治経済による覇権争いと有機的に結びついていること。

 Bibeauは、そういった理解の上で「文化」「表象」「構造」「アイデンティティ」といった鍵概念を再考する必要があるとする。そして世界的状況とローカルな出来事とのつながり、文化的側面と社会的側面との関係性を重視した新しい多文化間精神医学の方法論を提唱する。

 その議論は興味深い洞察にあふれ、一読の価値がある。けれども同時に私は違和感を感じる。肩すかしをくらったような、置いてきぼりにあったような感じ。なぜ彼自身はそんなに落ちついていられるのだろうか。あたかもクレオール化は自分の家の庭にはやってこないかのような安心感。研究対象である文化がクレオール化することはあっても、彼の足場にある文化にはその波はしのびよらないかのような安定感。私の違和感の原因は、彼の主体の揺らぎのなさにあった。

 もちろん、排除され周縁化されてきた人たちが自分の人生を物語ろうとし始めていることへの認識や、そういった他者の苦悩について語ったり表象する権利の問題について再考することの重要性を指摘してはいる。ラシュディやタスリマ・ナスリンの著作をめぐる論争の分析も鋭いものだ。けれども、彼自身は自己の出自を表明せずにすむデフォールトの場所に立ち、そこから同じくデフォールトの仲間に向かって語っている。何者なのかを告白しろと言っているのではない。ただ、声を上げるためには自分が何者かを常に自問せざるをえない者が研究者の仲間内にいることには想像がいっていない感じがするのだ。研究の方法論は、確かに変えていかなければいけないだろう。けれど、研究する主体、自分自身の足場が揺らがないままで、新しい方法論から何が見えてくるのだろう?

 私がポストコロニアルな言語に惹かれたのは、自分自身のアイデンティティに揺らぎや複数性を感じていたからである(27)。そして、そんな揺らぐアイデンティティを引き受けつつも、自分は表象の主体の側に立つのだ(研究者になるとはそういうことだろう)と選択して以来、落ち着き払った研究者たちの群の中で、正気を保ち続けるためだった。だからこそ、匂いを嗅ぎ、勘を頼って、私は自分の同類を探しもとめ、その人たちの言葉に希望を求めてきたのだ。それが私がBibeauに感じず、Abu-Lughod(1)やAnzaldua(2), Spivakなど(42)に感じてきた魅力だったのだ。決して解答や明確な方針を与えてくれるわけではないけれども、自分がなぜ今このぬかるみに足を取られているのか、なぜぬかるみから簡単に這い出せないのかを気づかせてくれる言葉。

 ファノンの著作の中に、「ママ、ニグロだ。こわい」という子どもの声で自分が無意識に白人と同化していたことに気づくという有名なシーンがある。そして彼はつぶやく。「おお、私の身体よ。いつでも私を問い続ける人間にならしめよ」(9)と。

 アイデンティティを揺らぐ人たちを研究することはさほど困難なことではない。問題にすべきなのは、揺らぐアイデンティティ(Shifting identities)が、対岸ではなくこちらの岸にも迫っているときにどうするのか、揺らぐ主体を抱えながら研究するとはどういうことなのかということである。例えば、在日コリアンや日系ブラジル人が多文化間精神医学をするとき、元精神病者が精神医学の、障害者が社会福祉学の担い手となるときの複雑さや困難さ。困難の一部はポリティカルな権力分析から逃れられないことからくるのだが、それを身体感覚として共有していくことこそが求められているのではないか(27)?

 揺らぐアイデンティティを特権化したいわけでも、できるわけでもない(36)。ただ多文化間精神医学の再考が必要であるとすれば、それはクレオール化しつつある世界をどう認識するかではなくて、どう生きるかにかかっているのだ。

 

〈II DV(ドメスティック・バイオレンス)の事例をめぐって〉

 ここで、私はドメスティック・バイオレンス(以下DV)をめぐる二つの事例を紹介したい。DVとは夫や恋人からの暴力を意味する。DVをめぐる認識は文化差が大きく、また女性への暴力が国連レベルでテーマにあがったこともあり、世界的にも認識が変動しつつある。日本においてもここ数年の間に、調査報告や翻訳、マスメディアでの特集などによって関心が高まってきている。その変動期の中の異なる時点で、アメリカと日本という異なる地で経験した二つの事例。私の解釈の揺れやジレンマ、アプローチの移り変わりは、私自身のアイデンティティの揺らぎや変容と共振していた。したがってその変化や揺れ自体が、多文化間精神医学の「文化」や「ジェンダー」「家族」といった鍵概念の揺らぎを透かし見る一つのケーススタディ(注3)になるように思うのだ。もちろんこの論文の記述行為も一定の時間と場所にさらされている。だから本稿も最終的な結論ではなくcurrent version of the storyには過ぎないのだが。

事例A:カップルA(1990年、米国にて)

 中国系アメリカ人(二世)の女性と、日本人男性の夫婦。女性は26歳、自営業、男性は25歳、日本食のコックとして渡米して3年。結婚して1年弱。

 結婚後半年で夫の暴力(叩く、首をつかまえて壁に押しつけるなど)があり、妻の方が夫婦関係の調整のため、夫の顔見知りであった筆者に相談することを望んだ。1回目の面接は夫婦同席で行われ、事実関係の把握とそれぞれの気持ちの聴取で終わった。夫の英語が十分でないせいもあり、お互いの言い分を筆者が通訳することに主な時間が割かれた。妻は、夫が何を考えているかわからないこと、暴力をふるうのは未熟なしるしだと思うこと、問題があるなら言葉で言って欲しいこと、いつ怒り出すかとびくびくして暮らしたくないこと、愛情からではなくアメリカの永住権が欲しくて自分と結婚したのではないかと疑っていることなどを話した。

 夫は、いつも正しいことを言われて言い返せないからよけい苛立つこと、仕事で 疲れて帰ってきても、こちらでは夫婦は緊張関係で疲れること、相談に来るのはみっともない、恥ずかしいことなどをポツポツと語った。

 お互いの誤解はある程度解けたが、「私は召使いではない、サンドバックでもない」という妻と「もう少し察して欲しい、優しくしてもらいたい、甘えたい」という夫の気持ちは平行線をたどったままだった。妻はカップルでの継続的なカウンセリングを希望し、夫も同意して、予約の日時も決めたが、2回目の面接は夫が約束をすっぽかし、妻のみであった。その後、別居状態になったことの報告が妻からあり、相談はとぎれた(注4)。

事例B:山中B子さん(1994年、日本にて)

 50歳代の女性。2年ほど前より不眠があり、睡眠剤や安定剤を他院で処方されていたが、不眠、意欲低下、抑鬱気分、自律神経失調症状が悪化したため、筆者の精神科外来を受診。

 5人の同胞の第4子。大学卒業後、会社勤めを5年ほどした後、26歳で結婚。専業主婦。20歳代の既に独立した息子が二人いる。大学教授の夫は、仕事が趣味で家族旅行につれていってくれたこともないという。うつ病を疑い、抗うつ剤を処方。

 2度目の受診時に、夫から暴力をずっとうけてきたことを語る。暴力の内容は、子どもが寝ている間に首を絞める、ビール瓶を割って振りかざす、食卓を投げる、クワを振りかざすなど。一度は110番して途中でやめたこともある。「夫の暴力を人に話したのは30年でこれが初めて」と言う。その後の面接の中で、最近は夫はものにはあたるが、直接手を下すことはなくなっていること、「バカとは話をしない」といわれ続けていること、夫が家にいるときは、大阪の環状線をぐるぐるまわって時間を過ごすこと、などを語る。夫と共にある市民活動に20年来参加してきて、生きがいを感じてきたという。離婚も何度も考えたが、子どもがいること、自活能力がないこと、活動仲間とも切り離される可能性が強いことなどの理由で踏みとどまってきた。一日でも夫より長生きして、のんびりして過ごすのが夢だという。

 その後、精神療法、抗うつ薬、安定剤などで多少改善が見られたが、波があり、現在も通院中である。

 

1.DVに関する「知識」

 夫や恋人からの暴力の問題は、日本では最近ようやく可視化され、「夫婦喧嘩は犬も食わない」という常識がようやく覆されるようになってきた。DVに関する文献をみてみると、発生頻度が高いこと、暴力を受けてきた期間が長いこと(5年以上が70%以上)、暴力の程度が想像を絶してひどいこと(医者にかかった経験41%が有り)、子供への影響が大きいこと(子供のいるところでの暴力が70%、子供にも暴力を振るうのが40%弱)、警察や医療関係者などの反応が鈍いこと等の実態が明らかになっている(16,34)。DVにおいては、なぜ殴られた妻が逃げないのかという問いがしばしばなされるが(注5)、そこには暴力のサイクル論や共依存といった説明の他、私的な問題とみなされて警察や医療機関などの公的介入が少ないこと、シェルター(かけ込み寺)など実際に逃げられる安全な場所が十分でないこと、夫を満足させられない女性が悪いといった社会通念に縛られやすいこと、生活手段がないこと、子供への配慮、などが複雑に絡み合っているようだ(3,46)。恐怖による支配(まさにテロリズム)によって、自己尊重感が徹底的に破壊され、事態が固定化されてしまうメカニズムの巧妙さ、被害者や子供の精神や人格への長期的な影響の大きさは衝撃的である。

 DVは世界のあちこちで起きている。マチスモ文化のラテンアメリカで、ヒンズー教のインドやネパールで、イスラム教のバングラデシュで。そして北アイルランドやオーストラリア、アメリカ、カナダ、フランスでも、DVはありふれた出来事である。(6)

 もちろん、文化によってDVの多い少ないはある。人類学のデータベースHuman Relations Area Filesを用いてDVの世界的な比較を行ったLevinsonは、DVはあらゆる地域に見られるが、単婚制、男女間の経済的平等性、家庭内での権威の男女平等性、離婚の権利の男女平等性、子どもの面倒を代わりに見てくれる人の存在、争い事に対する頻繁で定期的な近隣や親族からの介入、家庭外での紛争に非暴力的な解決手段を選ぼうとする規範(非暴力の文化)が、DVの少なさに関連しているという(21)。

 しかし、アメリカの文献であろうと、各国の状況を網羅した文献であろうと、紹介される事例から見えてくる風景や心の痛みはディテールの差はあれ、驚くほど似通っていることが多い。

2.事例Aをめぐって

 私が事例Aについて感じたジレンマは、DVに寛容な文化である日本と、DVが厳しく批判されるアメリカの文化にどう折り合いをつければいいのかという点だった。事例Aを経験したのは私が米国に留学して医療人類学を学んでいた最中だった。だから文化という斬り口を重視しなければいけないという強迫観念があったのかもしれない。

 私は、妻にむしろひっぱられる感じで面接をした。彼女の示す怒りにたじろいだこともある。夫の「甘えたい」という気持ちもよくわかったし、夫がなぜ暴力を振るってしまったのかもわかる気がした。私は中立でありたいと思った。夫とは日本人としての共通点を、妻とは女性としての共通点をもつ理想的な媒介者でありたいと思った。夫がその後の治療に参加しなかったことは、中立地点にうまくたてなかった「失敗」のように感じられ、二人が別れたことにも私は自責の念を持ち続けてきた。

 そして、それは私がDVに関する文献を読む前でもあった。フェミニズムの思潮が気になりながらまだ避けて通っていた時期でもあった。彼らと連絡がとぎれた頃、私はようやく文献を読み始め、自分がDVの実態も精神的影響の大きさも何も知らなかった事を悟った。そんな私が治療者だったのだ。私は彼女の怒りに気圧されていたのだが、今考えると彼女が毅然とDVを否定する女性だったことはとても幸運だったのだ。この初期の時点で彼女が別の行動をとっていたら、暴力のサイクルにはまって逃げだしにくくなっていただろう。「殴るのは良くないけど、彼の甘えたい気持ちもわかってあげて」私はそんなこともいったような気がする。それがどれほど危険な言葉だったか。どれほど暴力の淵に彼女を押しやる言葉だったことか。にもかかわらず、私は夫より妻の側の肩を持ってしまった、中立を維持できなかったと反省していたのだ。

 私がもっていた「日本はDVに寛容な文化、アメリカはDVが厳しく批判される文化」という図式。それをもとにした文化相対主義的、中立的な治療者の立場のもつ危険性(注6)。

 けれど、はたしてそうだろうか?日本人の夫に「アメリカでは許されないんだから暴力はやめなさい」ということに私はひっかかりを感じたことを覚えている。「日本人の妻ならいいのか?」「日本に住んでいればいいのか?」ということになるからだ。個人的にはDVは許せない行為だと私は思っていた。ただ「DVは普遍的に悪いことだ」と断言する勇気はなかった。そう告げることで男性の心を閉ざすのもまずいと考えていたのは確かだが、それだけではない。

 私は個人的には暴力は許せないと思っている。その私は日本人である。なのに、なぜ私は「DVに寛容なのが日本の文化だ」と考えてしまったのか?「日本人の私は暴力は許せないと思っている」となぜいえないのか?「日本人だけど私は暴力は許せないと思っている」とはいえても「DVに寛容なのが日本の文化だ」ということは、自己を自文化における「少数者」だと認めるだけでなく、他の少数者たちをも抹殺してしまうことにつながるのに。精神科医という権威をもつゆえに個人的意見を横におき、「中立点」を探し、それによって自己の、そして他者の少数者性を消してしまう、この巧妙なメカニズム。

 客観的にいってしまえば、一つの文化の中にも異なる考えを持つ人々が混在し、文化の中では常に複数の価値規範がせめぎあいをしている。そんな葛藤の中で文化はダイナミックに変化を遂げてもいるというあたりまえの状況に過ぎない。文化が不合理で否定的なものを含んでいる、ということはすでに人類学では「常識」の範囲に属する。にもかかわらず、「文化」という言葉を用いるとき、共有認識がある境界線の内部で存在するかのような幻想を生み、問題を境界線のむこうとこちらの「異文化葛藤」にくくってしまう。

3.事例Bをめぐって

 では、文化的なカテゴリーなど無視すれば良かったのか?そうではないだろう。「DVに寛容なのが日本の文化」と認識することは、弊害は多いにしろ、けっして無意味ではない。

 そもそも私の「日本はDVに寛容な文化」という認識はどこから来たのか?この認識自体、日本人の中でも階層や地域、年齢などによって幅があるに違いない。私の場合、身近でそういう状況の存在やそれへの大人たちの反応を見聞きしてきたこと、TVドラマ(例えば『寺内貫太郎一家』)や小説で出てくるDVの場面の頻度やその取り扱われ方への認識が大きかったように思う(注7)。少なくとも、犯罪としてDVがニュース報道されることなど90年代以前になかったという意味では、「日本はDVに寛容な文化」というのは一定の「事実」といってもいいように思う(注8)。

 事例Bについてみてみよう。B子さんは30年間DVの被害を誰にも言えなかった。それをようやく告白したにも関わらず、DVはその後話題からはずれていった。身体的暴力はおさまっており、心理的暴力は「今更いってもどうしようもないこと」だったから(「親父、あいかわらず性格悪いな」「誰も本当のこといわへん家族やもんな」という、帰省したときの息子のせりふが彼女の日常を一番うまく映し出しているようであった)、外来に通う理由もDVそのものではなく不快な症状をどうにかしたい、というものだった。

 今の症状が、どうDVに関わっているのかという洞察はほとんどすすまなかったし、私もすすめることが得策かどうかわからずにいた。すでに30年間その状況に耐え、ようやく夫が退職を迎えて弱さをみせはじめた今、すでに身体的暴力はなくなり心理的な平衡状態が保たれた今、DVのからくりを解き明かしてみせることは、たとえ「あなたが悪いのではない」と強調したとしても結局「あなたの人生は失敗だった」といってしまうような気がしたのだ。彼女が秘かに望んでいたのは、「耐え忍ぶ女性」としてよくがんばってきた、立派だったと誉められることだったのではないか。だから耐えてきたことが「失敗」だったと結論してしまったら、彼女は自分の全人生を否定せざるをえず、崩壊しか道がなかったのではないか。

 夫の死を秘かに願いながら、DVが問題の主題とならないこと。そこには、これまでの日本社会の規範を身のふるまいとして内在化し血肉化(embodied)してきた女性の人生が表れている。それこそが、まさに「DVに寛容な文化」ということの意味ではないか?

 事例Aにもどってみれば、自分ではDVを許せないと思いながら、DVに寛容なのが日本の文化と規定し、それにあわせて中立の地点を探そうとした情けない治療者の関わりかたや、DVの心理メカニズムの分析が日本では精神医学の必須の知識となっていなかったことが「日本はDVに寛容な文化」ということの意味だったのではないか。夫が二回目からカウンセリングに来なかったことも、にもかかわらず治療者が自責の念を感じることさえも(注9)。そして、この2例について学会で発表(31)した後に、質疑応答の場では「治療にイデオロギーを持ち込むべきでない」というコメントを受けたことも(「DVはよくない」というのはイデオロギーなのだろうか?)、非公式の場では「こんな患者さんざらにいますね」「DVの夫婦って実際会うと仲がいいんですよね」「あなたもDVの被害者なんですか?」という反応が返ってきたことも。

 はぐらかしているわけではない。

 自分の物差しより文化的物差し、文化的物差しより中立の物差し、治療者として、そう私は心がけてきた。けれども、中立が何かという判断が文化依存的であることには思いが至っていなかった。アメリカ人への日本の文化についての説明、男性への女性の心理についての説明、というような翻訳作業それ自体が、文化に彩られて行われていることにも。

 クライアントの現状認識や内在化され身体化された規範、治療者自身の認識の歴史性、ケースに振り回されるその振幅、学問分野における主流の見解、それらをすべて含めて文化だと考えること。歴史的に構成されたコレクティブな意味と、それが個々人の文脈の中で捉え直されていく道筋。まさにそのあたりに、「DVに寛容な日本の文化」という認識は役に立つのだ。

 カルチャーセンシティビティ(8)もジェンダーセンシティビティ(29)も既存のカテゴリーの枠にあてはめて、ケースを分析することではない。既成の枠として文化を用いるのでなく、それによって判断停止をするのでもなく、文脈の中をかき分けて状況に迫っていくこと。そんな使い方のできるような文化の概念。例えば事例Aの妻の場合、アメリカ人であること、中国系であること、二世であること、そんな細分化されたカテゴリーの意味を、ステレオタイプ化に抵抗しつつカップルの歴史的生成の一部として理解に役立てていくこと(10)(注10)。

 そして、「DVに寛容なのが日本の文化だ」という言明が、その文化を遂行(言説のパフォーマティブな側面)(39)してしまう危険については、異議申し立てをもしつこいくらいに、同時に表明すること。暴力を振るう男性の気持ちを「わかる」事は必要だとしても、わかることは許すことでは必ずしもない。そもそも異議申し立ては、相手のことをわからずにできない。社会を担いその変動に関わる一員として「わかるけれど許すべきではない」と言明することに何の躊躇がいるだろう。文化は今、自分がここで再生産しているのだ(注11)。

 これは、誰のことをまずわかろうとするのかという問題にもつながるだろう。30年間暴力をうけながらも同居を続けてきた女性の気持ちを「わかる」とはどういうことなのか?誰がわかるべきなのか?誰がわかってこなかったのか?なぜ、わからなかったのか?それは、まさに、文化の内部に渦巻いている権力の問題である。

<III 家族の転覆>

 DVは、暴力という異質なものの存在によって、予定調和に彩られ安定した家族イメージにひびをいれる。家族は小社会集団であり、家族のトラブルは社会・文化の権力関係をかなり忠実に反映する。文化の概念が揺らげば、家族やジェンダーといった概念にも揺らぎは伝染する。

 五十嵐は、山形で多文化間精神医学の臨床を行うなかで、自己の治療的行為が結果的に家族を崩壊させてしまうことへの不安を率直に表明している(13)。彼は、日本人男性と仲介業者を介して結婚した韓国人女性の、母国でうけてきた傷をすくいとることによって、さまざまな相互の誤解からカップルを解放する。けれど、二人がよりを戻してやり直すだろうと五十嵐がほっとしたそのとき、女性は「美容師として生きていく決意が、今あなたのおかげでできたから大丈夫」と夫に向かって笑う。

 「はじめて男女が対等な形で出会ったとき、韓国人女性が現在の結婚の意味を見失うのではないかという不安」「彼女たちが母国での外傷体験から癒され、日本において自我同一性を再獲得したとき、それが結婚の根元的な意味を彼女たちに問いかけ、再び夫婦や家族の崩壊を促進させる危険性」、それらにおののき、五十嵐は1年間活動を休止する。

 けれども、やがて五十嵐は「崩壊を恐れることが、文化自体の持つ葛藤や矛盾を内包させたまま神経症的外傷体験を増大」させることに気づく。そして「文化内で生じる私たちの外傷体験を意識化させるために、そして私たちの神経症的課題を克服するために、私たちは夫婦や家族にまで踏み込み、共存してもらえる外国人を必要とした」(p24)という心境に至る。

 ところで、西と伊藤は『家庭の医学』において家族の像を転覆する試みを行っている(32)。グリムをはじめとする童話や日本説話は、家族が何らかの理由でばらばらになり、様々な苦難を乗り越えた後、再び結合するという構成を持つものが多い。それらは一見、家族礼賛の物語であり、家族からはずれる者に対しての警告である。しかし、西と伊藤は「物語のヤマ場にあらわれるあそこをも家庭と呼びたい。」(p151)とし、元の家庭aと最後に戻る家庭c,その間を「家庭b(疑似家庭)」とする。例えば白雪と小人たちの共同生活、灰かぶりの信仰する実母の墓、「小栗判官」の小栗が餓鬼阿弥として引かれていく相模から熊野までの道のりと、照手が下の水仕としてこきつかわれる遊女屋。様々な苦難を乗り越えていく過程において、登場人物たちは孤独なバラバラの存在ではなく、家庭bを形成しているのだ。

 そして「家庭aだの家庭cだのは、物語の都合が生み出した虚構の家庭ではないのか。」(p159)と西らは疑い、「わたしたちの実人生はaだかbだかわからない、疑ってかかればみんなbに見える家庭の連鎖の間を、たらいまわしにされ、あるいは能動的に自分自身をたらい回しにしながら生きているのだ。」と言う。

 けれど、話はここで終わらない。日本の説話では、家庭bの位置にしばしば異類婚がはまりこむ。鶴女房が典型的だ。西らはあらゆる婚姻を異類婚とみなす。

 「オンナとオトコは、異類どうしとして婚姻し、それを家庭とよびならわし、家族としての意識を持って、雑種ないしは新種、ともかく異類の子どもをつくってそれを家庭の中で育てている。」

 そのうえで、「家庭内のひとりひとりが在家庭外国人として、民族意識も持たず、寄留している家庭という異文化にたいしても何も持たず、むしろ違法在住者のように家庭にすむことができたらいいんだ。」(p140)

 「異類でさえあれば、家庭から追放されることができるのである。追放されれば、後ろ髪をひかれる思いなんて感じる義理はないのである。出ていきたければ、じぶんは異類なのだと主張すればいい。」(p145)と叫ぶのだ。

 家庭そのものの破壊か、家庭らしさの破壊か、それはどちらでもいい。同一性の幻想をなくすこと。家族はよそ者の集まりという認識をもつこと。家庭という自己を縛る枠からの逸脱・逃走がそそのかされる。

 そもそも、説話の語り手は、放浪する芸能者、家族からはずれた非定住民である。物語の魅力も、家族がバラバラになっている間の艱難辛苦にある。結末で異類が排除されるのは、もしくは主人公たちが家庭らしい家庭cにおさまっていくのは、ドミナントな社会へのリップサービスにすぎない。

 「家庭b」は、五十嵐の到達した地点となんと近いことか。「異類」を抱き込むことで、崩壊を免れる家庭。逆に癒されたとたん、分散していく家庭。臨床における真摯な関わりの必然的な帰結。

 しょせんみんな異類だといってしまうことは、個々の歴史性を無視する危険性につながる。しかし、婚姻関係や家族の中のよどんだ空気を払い、風通しをよくするには、この言い切りはとても有効である。目の前のカップルの「法的婚姻」という形態が壊れるかどうかではなく、もっと突き抜けたレベルでの「家庭愛」の追求。

 家庭bはなかなか魅力的である。事例Bでは、さしずめ環状線の電車が家庭bだったといえよう。愛という名の労働を搾取される場であった家庭aに比べ、なんと心休まる場所だったことか。

 昆はターミナルケアに精神科医として携わる中で、夫の家の墓に入りたくないといって外泊中に自分の入る墓を購入した女性患者の事例を報告している(19)。これも家族bの追求と言えるのかもしれない。

 「迫り来る死を前にしたとき、人がとる行動は多彩である。それぞれの意味は家族にさえ理解しにくいことが少なくない」と昆はいう。しかしたぶん、家族だからこそ理解しにくい、もしくは理解したくないことも多いのだ。家族aの中で「良妻賢母」として「夫に仕えてきた」女性たち。日本の文化的規範にあわせて人生を演じてきた女性たちが、死が迫ってきて思い切った行動をとる。

 死にゆくということがひとつの権力の獲得であり得ること(26)。その彼女たちの「反逆」の重み。「死にゆく人」という異類となって、ようやく異議申し立てができるという事実の痛ましさ。もちろん男性でも死ぬとわかったら家庭aに基づく役割から解放されたい人は多いに違いない。

 家庭a。集団のなかで最も永続性を期待され、メンバーの出入りが歓迎されず、密室性が高く、連帯責任が求められ、国家によって最も信頼・期待される集団。家族が本来そういう性質を持っているわけではないことを実は誰もが知りながら、均一性、凝集性が求められる集団。ささいな反発も葛藤も、情緒的、閉鎖的な集団であるがゆえに、発酵して、殺人につながるような集団(注12)。これまで家族の平和を邪魔する悪者は、継母、つまり異類として切り捨ててられてきた。けれども実母が、実父が、実子が、怖い狼になりうることはすでに十分知られている(37)。家庭a。五十嵐のいう「共存してもらえる外国人を必要とするほどの神経症的課題」もそこから生まれてくるに違いない。

〈IV 強姦で生まれた子供〉

 家庭bとはクレオールの場でもある。クレオールとは「起源」ではなく「生成」、「純粋性」ではなく「混血性」、「普遍性」ではなく「多様性」を立脚点とする世界観である(24)。国際結婚のカップルに、ダブルの子どもたちに、とりあえず「君たちはクレオールだね」といってみることはできる(注13)。そして、クレオールを礼賛することはできる。ただし、クレオールには単なる混血ではなく、異文化との対峙によって破壊をうけるという契機(被植民地化)が決定的に刻印されている(注14)。外傷体験を持つという意味では、DVのカップルも同様かもしれない(DVの加害者も、幼児虐待の被害者であったことは少なくない。)

 あなた方は世界の矛盾やジェンダーのひずみを、自分の傷として背負って生きているのですね、と言うこと。でもそこに世界の新しい生き方(生きる技法としての「文化」)の可能性が育っているのですね、と言うこと。悩み多い時代に生まれる豊かな芸術。芸術と狂気が紙一重であることは、病跡学の専門家に聞いてみるまでもないことだが、それでも新しい美の可能性を追う「カタワもの」を見守ることは精神科医にもできるかもしれない。見守るより、「カタワもの」としてロールモデルになるということだってできるかもしれない(注15)。

 けれども、ここで私たちは自分の立つ位置を問われる。

 スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生まれた子どもである」という(42)。日本の多文化間精神医学の課題を考えていくときに、これほど鋭い言葉を私は知らない。

 山形の「アジア人花嫁」、業者の仲介による結婚は、婚姻をめぐる市場の国際化、国家レベルの経済格差、各国家内での男女の価値をめぐる事情(離婚女性の社会的立場など)(20)などが入り組んだ末の、強者と弱者の折り合いの地点である。

 山田は、「結婚の社会学」において日本における国際結婚のからくりを身もふたもなくあかしている。日本では女性が自分より地位の高い男性と結婚する上昇婚が一般的であること、この条件に当てはまる対象者が減っているために「結婚難」がおき、既婚率が下がっていること。この国内結婚市場のアンバランスが国際結婚増加の背景にあり、日本男性は日本以外のアジア人女性と、日本女性は欧米人男性との組み合わせが多いのはそのせいであること(48)。業者の仲介による結婚、「アジア人花嫁」の存在はその端的な現象である(注16)。

 つまり、経済難民ならぬ経済強姦という言葉があるとすれば、「ダブル」の子どもたちにむけられるまなざしの複雑さは、まさにポストコロニアルなものといえる。

 「アジア人花嫁」や「ダブルの子」だけではない。共存してもらえる外国人を必要とするほどの神経症的課題を抱える山形の「私たち」だけを「強姦者」の位置においておけるほど、状況は単純ではない。山形の「私たち」に、私たち(すでにこのあたりで複数形は破綻してしまう!「この私」としてしか問いは成り立たない)はどう関わっているのか。「田舎」「地方」「僻地」「農家の長男」、結婚市場におけるそれらの市場価値を低く見積もるのは誰か。三高を望む独身女性か、娘に「苦労」をさせたくない親か、女性に嫁役割を期待する地域社会か、故郷を捨て都会を享受する次男坊、三男坊か。イノセントな者などどこにいるのか。

 鵜飼はスピヴァックの言葉を解説して以下のようにいう。

 「強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、・・・単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。」(44)

 日本の多文化間精神医学はどこに立ち、誰に向かってこの言葉を吟味すべきなのだろう。アジアの国々に対する戦争責任の問題、学生運動と反精神医学の「総括」、現代の国際経済における日本の役割、それらについて語ることを避けたままで、どこまでいけるのだろう?

 「戦争とレイプ」というビデオに、旧ユーゴスラビアの内戦中の組織的なレイプで妊娠し、出産し、その子どもを育てている女性が映っている(38)。辛い経験を思い出して静かに涙を流し続ける彼女の横顔。赤ん坊のあどけない横顔。そして1年後に訪れたビデオクルーの前で、少し成長したその子どもをあやす彼女の姿。メタファーではない現実。

 私たちは、どこに立つべきなのだろうか。彼女の立場に?彼女を見守る母親に?強姦によって生を受けたのだといずれ知らされるであろう子ども自身に?それともビデオを撮し、彼女の「事実」を遠くの人に伝えようと試みる監督に?

 旧ユーゴという、日本人としては自分に火の粉が降りかかってこない場所でさえ困難な問い。それを山形の農家で、歌舞伎町の性病クリニックで、フィリピンのジャピーノの多い託児所で、住所非公開の女性シェルターで、私たちは問うことを求められているのではないか。

〈おわりに〉

 揺らぐアイデンティティを主体に取り込むことは、文化と家族という大きなカテゴリーの脱構築に自然につながっていく。本稿はそのささやかな試みであった。しかし、カテゴリーを壊すことはカテゴリーを押し付けることと同じくらい危険でもある。国家や性差といったカテゴリーは、本質的に扱う必要のあるほど圧倒的なカテゴリーでもしばしばある。たとえば出入国許可や、国籍に基づく昇進停止や年金受給無資格といった現実の制限。性同一性障害の人たちの日常の不便。境界線を越えることは、しばしば命がけの行為である。

 それに、ステレオタイプ化されたアイデンティティは枷であると同時に鎧にもなりうる。戦争体験などにおける定型化された語りのもつ意味の深さと、それを侮蔑する人への不快感を人類学者の松田は率直にあらわしているが、確かに定型化された語りしか語りえないことはある(23)。

 すべてを壊して喜ぶ「イノセント」な子どもから脱皮して世界と関わっていくために、「文化」をはじめとするカテゴリーの意味と、その存在価値を吟味することは必要だ。カテゴリーが権力関係を背景に維持され、それゆえに権力作用の発現の効果を持ち続けていることを示すためにも。ステレオタイプに抗し、その暫定的な性格を認識しつつも。

 考えてみると、私たちは、すでに多文化間精神医学というきわめて「ポストモダン」で「クレオール」な言葉を名に冠している。「多文化間」の「多」と「間」のあいまに、私たちはいくらでも思い入れを込めることができる。思い入れが十分伝わったときに、多文化間精神医学は文化精神医学に、そして精神医学というシンプルな領域に回収されていくのかもしれない。


注1:文献14.15,34,35,36,45,43,47の他、『現代思想』「クレオール主義」Vol.25-1 (1997)、「カルチュラル・スタディーズ」95.3、「文化節合のポリティックス」96.7、「ブラックカルチャー」「女とは誰か」、『思想』「ジェンダー/セクシュアリティ」Vol.886、「歴史の詩学」Vol.866(1996)特集号、『批評空間』「ポストコロニアルの思想」II-II 1996など参照。

注2:自然科学の論文の形式の陰に、書く主体の存在(意図、戦略、利害、不安もろもろ)を隠し、Something New を報告するという形式は、「文化とこころ」という分野にそぐうのだろうか。文化とこころの領域におけるSomething New とは、特権的な場所から見たSomething New でしかないのではないか。ずっとそこにあったけれども見えなくされていたもの、見てもらえなかったもの、一度は脚光を浴びていたけれど忘れ去られたもの、それらが特権者のきまぐれで光をあてられることがSomething New とされてきたのではないか。何か一つの発展過程(歴史)を想定する欲望に逆らうこと、文化とこころにおける特権的な場を暴き、その地位を否定すること、そこから多文化間精神医学はようやく独自性を発揮できるのではないか。

注3:私はなぜ論文を書くのか。心ある者への呼びかけを求め、応答を待っているからである。直接の応答でなくてよい。まわりまわって忘れた頃にさざ波のように戻ってくる何か。呼びかけるには、せめて聞いてもらうには、中身をのぞき込んでもらうには、私には私自身のことから語る以外のましな手段を知らない。だからここでも私は一人称を用いて語ることを選ぶ。けれども書きながら、自己を語ることの限界を同時に痛切に感じる。別稿(29)でも自己省察(self reflexivity)を称揚したことがあるが、そもそも自己省察は非常に困難である(25)。自己をさらけ出すことの重さ、さらけ出したつもりでも残ってしまう甘さ、露悪趣味と紙一重のナルシシズム。時間的・空間的な距離の力を借りて(つまり、現場を離れ、しばらく経ってからで)さえ、精神的に疲れる効率の悪い作業。自分を横においておくという従来の科学の方法論はそれなりに意義があるのだ、心理的抵抗を減らし切り込みを深めるという意味では。もちろん、自己省察を心がけることは重要だが、それよりも自己省察の困難性を認識し、常に第三者の注視・介入を呼び込むような、開いたシステムを形成することのほうが大事なのかもしれないとも思う。自己省察の試みを第三者に分析してもらうのが、とりあえずはいいのかもしれない。

注4:この事例の詳しい紹介は脚色を加えた形で文献(28)に発表している。

注5:一方「なぜ殴るのか」という問いは少ないが、イタリアのデラ・コスタは以下のように分析する。家事労働は「愛の労働」であり、愛の労働は支払われない労働だから、男は不満を持っても彼女の賃金切り下げというペナルティを課せない。そのため男は恫喝手段として肉体的暴力を用いる。しかし「妻が働かないから」ではなく「夫を十分愛していないから」、夫は「妻を愛しているから」殴るのだという正当化がなされる(7)。「愛」という言葉を「気遣い」とでも言い換えれば、かなり多くの文化に通用する分析ではないだろうか。

注6:外傷性精神障害の治療に携わる人たちの中には、経験を積んでいくにつれて中立を否定していく人が多いような印象を受ける。もちろん、「中立」の意味にもよるのだが。(12,22,41)

注7:マンガ「自虐の詩」(11)は、DVの夫婦の機微を並の精神科医を凌駕するような鋭さで描いた名作だが、DVを容認し美化する社会状況に役してしまう危うさは否定できない。

注8:私の認識は、DVの発生頻度の多い少ないではなく、その文化(の優勢勢力)がどう倫理的判断を下しているかの米国との比較だった。米国でもDVに寛容でないのはフェミニストだけ、ということは十分あり得る話だし、米国を一元化してみていたことの方が、むしろ大きな問題なのかもしれない。ちなみに、本稿の校正段階で、在カナダ日本領事が妻を殴り警察のとりしらべをうけ、「DVは日本の文化だ」と発言した事件がニュースで伝わった。本稿で言及できないのが残念である。

注9:DVや性暴力の加害者を治療にのせることの困難さを文献で知って、ようやく私は自責感から逃れられた。何をしても彼はきっとこなかったのだとふっと思うことで、事例への見方まで大きく変わる気がした。

注10:アメリカの精神科医からすれば、事例Aなど「アジア人の治療者がアジア人カップルをみているからお互いよく分かり合えるだろう」と思うかもしれないのだ。

注11:自分がその社会のメンバーでない場合は話が困難になるが、その時も異議申し立てを行うことは常に認められるべきだと私は思っている(30)。

注12:例えば「日本一醜い親への手紙」(5)などには、発酵して行き場を失った家族への怨念がこれでもかこれでもかと記されている。

注13:半人前といったニュアンスをもつ「ハーフ」を避け、二つの文化を持つ「ダブル」という呼び方がしばしば使われる。しかし、ダブルという言葉にも文化の輪郭のリジッドさや特権性が感じられなくもない。「クレオール」や「メスティーサ」、Abu-LughodやNarayanのいう「ハーフィーズ」の方が流動性をひめているように思える。また当事者である子どもたちが「ガッタイ人」「両方人」といった言葉を発明しているのは、まさに新たな文化の創成を予感させて興味深い(33)。

注14:クレオール性とアメリカ性の違いがそこにある。同様に「クイア」にしても単に多様な性というだけでなく、卑下され侮蔑されてきた性というニュアンスを残している。

注15:芸術と狂気を見分けようとすること、既存のシステムへの適応を目指すことが精神医学に与えられた限界なのかもしれないが。

注16:もちろん例外はたくさん存在するし、パターンに当てはまるカップルがすべて上昇婚のために相手を選んでいるわけではない(17,40)。けれども、「たまたま好きになった人が」という部分にも権力は染み透っている。家族や結婚に私たちは情熱や愛情を重ねたがるが、そしてそれは必ずしも間違いではないが、同時に家族や親族間の力関係は冷徹なまでに国家レベルでの、またジェンダーレベルでの地位関係のバランスの上になりたっているのだ。

文献<

1)Abu-Lughod L:Writing against culture. Fox, Richard G. (ed.) Recapturing Anthropology. School of American Research Press, p137-162,1991

2)Anzaldua, Gloria:Borderlands/La Frontera;The New Mestiza. Spinsters/Aunt Lute. San Francisco1987

3)Barnett, Ola W。、Alyce D。 LaViolette:It Could Happen to Anyone-Why Battered Women Stay. Sage Publications,1993

4)Bibeau, Gilles:Cultural Psychiatry in a Creolizing World. Transcultural Psychiatry 34(1) 9-41,1997

5)Create Media編:日本一醜い親への手紙 主婦の友社,1997

6)ミランダ・デービス編(鈴木研一訳)『世界の女性と暴力』明石書店,1998

7)ジョバンナ・フランカ・デラ・コスタ(伊田久美子訳)『愛の労働』インパクト出版会,1991

8)江口重幸「文化精神医学への一視点:多文化間精神医学と医療人類学」大西守編『多文化間精神医学の潮流』 診療新社,p259-280,1998

9)ファノン・F(海老坂武・加藤晴久訳)『黒い皮膚・白い仮面』みすず書房, p34,1970

10)Good, Byron(五木田紳・江口重幸訳)「文化と精神療法」『文化とこころ』3(1)4-20,1999

11)業田良家『自虐の詩』竹書房,1996

12)ジュディス・L・ハーマン(中井久夫訳)『心的外傷と回復』みすず書房,1997

13)五十嵐善雄「韓国人女性と神経症的課題」『文化とこころ』2(2)19-24,1997

14)今福龍太『遠い挿話』青弓社,1994

15)今福龍太『クレオール主義』青土社,1991

16)井上輝子, 江原由美子 (編)『女性のデータブック』有斐閣, 1996

17) Johnson, W R. Warren. D.M eds:Inside the Mixed Marriage. University Press of America. Lanham ,1994 

18)梶原景昭「対立から共存へ」 青木保他編『 異文化の共存』p1-26 岩波書店,1997

19)昆啓之「死を意識して夫からの独立を強く主張した2症例:文化と倫理の視点から」『第5回多文化間精神医学会抄録集』p42, 1998

20)桑山紀彦『国際結婚とストレスーアジアからの花嫁と変容するニッポンの家族』明石書店,1995

21) Levinson, David:Family Violence in Cross-cultural Perspective. Sage Publications,1989

22)Martin-Baro:Writings for a Liberation Psychology. Harvard University Press 1994

23)松田素二「文化・歴史・ナラティブ」『現代思想』26(7)206-219, 1998

24) A・マザマ(星埜守之訳)「「クレオール性を讃える」批判−アフリカ中心の観点から」『現代思想』25(1) 133-145 ,1997

25)メスナー・E, グローブス、J.E. シュワルツ、J.H(新谷昌宏ら訳)『:治療者はいかに自分自身を分析するか』金剛出版,1996

26)宮地尚子「死にゆく人をめぐるポリティックス」早川門多、森岡正博編『現代生命論研究』p31-41,日文研叢書,1996

27)宮地尚子「フィールドの入り口で:あるいは文化精神医学らしさという呪縛」『文化とこころ』2(3),230-237,1998

28)宮地尚子「When two cultures meet アメリカンドリーム」『こころの臨床アラカルト』17(2)177-180,1998

29)宮地尚子「現代社会と女性のメンタルヘルス」『臨床精神医学講座第23巻:多文化間精神医学』中山書店,p99-110, 1998

30)宮地尚子「文化と生命倫理」 加藤尚武・加茂直樹編『生命倫理学を学ぶ人のために』世界思想社、p289-301,1998

31)宮地尚子:多文化間精神医学と治療者の倫理的視点。第4回多文化精神医学会総会抄録集p37,1997

32)西成彦,伊藤比呂美『家庭の医学』筑摩書房,1995

33)新田文輝(藤本直訳)『国際結婚とこどもたち 異文化と共存する家族』 明石書店,1992

34)「夫からの暴力」調査研究会『ドメスティック・バイオレンス』有斐閣,1998

35)ジャン・ペルナベ,パトリック・シャモワゾー,ラファエル・コンフィアン(恒川邦夫訳)『クレオール礼賛』平凡社,1997

36)フェラン、シェイン(上野直子訳)「(ビ)カミング・アウト」富山太佳夫編『フェミニズム』研究社出版,p209-261,1995

37) 佐藤紀子『新版 白雪姫コンプレックス.コロサレヤ・チャイルドの心の中は・・・』金子書房,1995

38)シェリー・セイウェル(監督 )『戦場のレイプ』(ビデオ)カナダ国立フィルム省製作,1996(シネマトリックス日本語版製作・販売)

39) 柴谷篤弘『比較サベツ論』明石書店, 1998

40) 柴田佳子「インター・マリッジをめぐって」『現代思想』25(1) 200-218,1997

41)キャシー・シラード『女性の自立を助ける』p436-448,文献6所収

42) Spivak, GC: Bonding in Difference: interview with Alfred Arteaga(1993-1994) In The Spivak Reader, Routledge p19,1996

43) 富山太佳夫『フェミニズム』研究社出版,1995

44) 鵜飼哲「ポストコロニアルの思想とは何か」(共同討議の中の発言)『批評空間』II-II,1996

45)キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也『ゲイ・スタディーズ』青土社,1997

46) レノア・E・ウォーカー(斉藤学、穂積由利子訳)『バタードウーマン』金剛出版,1997

47)Warner, Michael ed.:Fear of a queer planet:Queer politics and social theory. University of Minnesota Press,1994

48) 山田昌弘『結婚の社会学』丸善,1996

Copyright 宮地尚子 1999