リレーエッセイ 国際協力の現場から(13)
ヘルス・ポリシーとヘルシー・ポリシー(外交フォーラム 1998年3月)

「こころのケア」だけでは不十分

 昨年の11月号で、心的外傷(トラウマ)に満ちあふれる国際社会について書いた。戦争や自然災害によって愛する人を亡くし、死の恐怖を味わい、故郷を追われる人たち。拷問を受け、強姦され、相互監視を強制され、人間としての誇りを脅かされる人たち。貧困や飢え、病気やけがで、明日の生活に希望をもてない人たち。では、私たちは何をすればいいのか。

 日本では阪神大震災が心的外傷に人々の関心を向ける大きなきっかけになった。その頃からよく使われるようになったフレーズに「こころのケア」がある。

 被災者は傷ついています。心の奥にため込まないで、辛い気持ちは発散させましょう。周りの人は、ゆっくり話を聞いてあげましょう。被災者どうしで自分の経験したことを語り合うのもよいことです。子どもたちは絵を描いて、そのときの気持ちを表してみましょう。不安がっている子どもは抱きしめてあげましょう。悪夢ばかり見たり、眠れなかったり、恐怖感が強くて日常生活に支障を来すようであれば、専門家に相談しましょう。

 そんなメッセージが、新聞やテレビなどさまざまなメディアを通じて伝えられた。病原性大腸菌O-157の食中毒や、神戸の小学生殺害事件の後にも、こころのケアが叫ばれた。

 こころのケアは確かに重要である。苦しみや悲しみを表に出して誰かに受けとめてもらうこと、辛い経験を共有しあうこと、その効果は計りしれない。日本ではその重要性はまだ十分認識されていないし、こころのケアの提供システムも構築されていない。何か特別な事態が起こったときに、その精神面への対策を考えようという感覚が日本に生まれてきたことだけでも、大きな進歩なのかもしれない。

 けれども、心的外傷への対策は「こころのケア」だけでとどまるべきではない。それは危険なことでさえある。

 たとえば、不登校やいじめの問題と学校カウンセラー制度がある。陰湿ないじめが学校にはびこり、学校に行かない子供が年々増えています。子どもたちは傷ついています。子どもの心理に詳しい学校カウンセラーを配置して、こころの問題に対処してもらいましょう。

 学校の他の部分がまったく変わらないで、学校カウンセラーだけがつけ加えられる。受験に駆り立てられる状況も、変わった意見を言うことが歓迎されない教室の雰囲気も、教師と生徒の間の相互の不信感も、そのままだ。指導者たちは何らかの対策を講じたということで安心する。学校カウンセラーには成果が期待される。いじめを減らしてください。学校に来ない子どもを減らしてください。このままだと、わが校は長期欠席児童数が県下で一番になってしまいます。

 ここでも、私は学校カウンセラーの配置に反対しているのではない。どんどん、そういう制度は整備してほしい。ただ、このままでは、学校カウンセラーの不登校が続出するだけだと思うのだ。

求められるのは、各分野をつなぐ発想

 「ヘルス・ポリシー」と「ヘルシー・ポリシー」という言葉がある。ヘルスポリシーとは健康政策、ヘルシーポリシーとは健康的な政策である。世界中のすべての人が健康に、という国際保健の目的を達成するには、ヘルス・ポリシーだけでなく、ヘルシー・ポリシーという概念が必要だ。伝染病対策とか、母子保健対策とか、いくらいいヘルス・ポリシーがあっても、経済政策がより多くの貧困層を生み出すものだったり、政治が一部の人だけを利するアンヘルシーなものであれば、その効果は発揮できない。

 もちろん、ヘルシー・ポリシーを実践に移すのは難しい。お役所のいわゆる縦割り行政は、まさに障害になる。保健の専門家は、保健予算の使い道には口出しできるが、他の分野の政策立案に口出しはできない。一方経済政策の責任者は、その政策が人々の健康に貢献しても、それで評価されることはない。そもそも、健康への貢献とは間接的なものが多いから、簡単に測定などできない。

 分業化は、現代社会が専門的な知識や技術を蓄え、それらを有効に用いる基礎として重要だ。しかし今求められるのは、各分野をつなぐ発想である。

 「震災の被災者への公的経済援助は、経済政策というより精神保健的な政策として必要だ」と言っても、笑われるだけかもしれない。けれど、バンドエイドのような「こころのケア」だけで、心的外傷は解決できない。メンタルヘルス・ポリシーから、メンタリーヘルシー・ポリシーへ視野を広げること、その先に、心的外傷を本当にケアができる社会が待っている。

 同じようなことは他の分野の問題についても言える。教育政策よりも教育的な政策を考えること、環境問題を環境対策だけで解決しようとしないこと。食糧問題、人口問題、あらゆる問題がそうだ。

 そんなことはわかっている、私たちは広い目で政策を考えているという政治家もいるだろう。青くさい意見だ、私たちは歯車みたいに決められたところで、決められたことしかできないんだよという官僚の姿も目に浮かぶ。

 その狭間で、具体的にどんなつながりをもてるか、自分の守備範囲をどう乗り越えられるか、みんなが国際レベルで問い直す時期にある。


Copyright 宮地尚子 1997