模擬患者とロールプレイを用いた産業保健実習

宮地 尚子 (近畿大学医学部衛生学教室)
藤崎 和彦 (奈良県立医科大学衛生学教室)
小川 博 (近畿大学医学部衛生学教室)
目黒 忠道 (近畿大学医学部衛生学教室)

連絡先  宮地 尚子 近畿大学医学部衛生学教室 589 大阪狭山市大野東377-2 TEL 0723-66-0221 ext 3275 FAX 0723-68-4676

和文抄録:  医学部3年生を対象に、模擬患者とロールプレイを用いた産業保健実習を行った。労働環境や生活習慣の見直し等、心理社会的側面の考慮が必要な患者のシナリオを作成、それを模擬患者や学生が演じ、産業医役を学生全員が演じた。コミュニケーション技法、主要な職業関連疾患、予防や健康増進の視点等について学生の実感を伴う理解をめざした。

 学生の関心及び実習への評価は高く、能動的学習法の有効性とコミュニケーション教育への学生側の需要が明らかになった。産業保健は、生物心理社会的モデルで患者を捉える必要があることから、コミュニケーション教育や能動的学習法に適し、ロールプレイ等の手法が有用と考えられた。

キーワーズ:
模擬患者、ロールプレイ、産業保健、コミュニケーション教育、能動的学習法


Medical Education in Occupational Health Using Simulated Patients and Role Play Method.

Naoko T. MIYAJI (Department of Hygiene, Kinki University School of Medicine),
Kazuhiko FUJISAKI (Department of Hygiene, Nara Medical University),
Hiroshi OGAWA (Department of Hygiene, Kinki University School of Medicine),
Tadamichi MEGURO(Department of Hygiene, Kinki University School of Medicine)

Abstract: Medical Education in occupational health was conducted with third-year medical students using simulated patients and role-play method. "Patients'" profiles were created so as to enable students to think about psychosocial aspects such as work environment, lifestyles etc. Simulated patients were used; later on students acted as patients and each student did a role play as an occupational health doctor. The aim of the exercise was for students, through their own actions and observations, to learn communication techniques and approaches to occupational health--such as prevention, health promotion, and the importance of health education--which are based on a biopsychosocial model.

Students were very much interested and highly valued the course, showing the effectiveness and current shortage of active learning methods as well as the need for acquiring communication techniques.

Although learning of communication methods is most relevant to clinical medicine, active learning and communication training is also important for occupational health education because the latter should be based not on the traditional doctor-patient relationship but on the biopsychosocial model.

Key Words: Simulated patient, role play, communication training, occupational health, active learning method


目的
現在の我が国の卒前医学教育は、講義など受動的学習法が多すぎること、生物医学的知識の習得に偏り、コミュニケーション教育や、全人的社会的に健康や病気をみる視点が不足していることが指摘されている1)2)3)。インフォームド・コンセントをはじめとした医の倫理が社会から問われ、疾病構造の変化に伴い医師の役割も変化しつつある現在、これらの点に関して医学教育は早急に改革を迫られていると言えよう4)。

今回我々は、医学部3年生必修のカリキュラムの中で、産業保健に関する知識技術習得のため、模擬患者とロールプレイ5)6)を用いた衛生学実習を行った。この実習は、産業保健の知識を身を持って理解するだけでなく、その基礎にある生物心理社会的モデル7)を身につけること、傾聴・共感・ラポール等、コミュニケーションに関する初歩的な知識技術を習得すること、学生の能動的な参加をうながし、学習への動機付けをはかること8)をめざした。

本稿では、この実習方法を紹介し、講義実習の状況や、レポート等の結果を報告、産業保健分野の実習について考察を加えた。

対象・方法
実習の教育計画を表1に示す。

実習の目的:一般教育目標(GIO)、行動目標(SBOs)を表1のように設定した。


実習時期:3年後期、臨床教育に入る直前である。各学生6コマ(1コマ90分)を用いた。

実習方法 (表1、LS参照)

第1.2コマは、学生全員(100人)を対象とし、オリエンテーション、ウオーミングアップのロールプレイを行った後、ケース1のプロフィール(どんな受診者が演じられるかのポイント)を説明した。小グループに分かれ、10分程度、どのように産業医としてアプローチすればよいかの作戦を練り、学生代表者2人が、模擬患者の演じるケース1に対し、産業医を演じた。それについての、フィードバック、ディスカッションを行った。ケース2について同様のことを繰り返し、最後に総合ディスカッションを行った。考察、感想をまとめて、レポートを提出した。 第3-6コマは、4つのグループにわかれ、1回につき学生25人を対象に、教官1乃至2名の指導のもと行った。他の実習と組み合わせて、最終的には全員が同じフォーマットで実習を行った。

 第3コマでは、ケース3・4・5のプロフィールを配布し、その中の「調べておきたいこと」「ポイント」について、小グループ(8-9人)に分かれて情報収集、産業医としてどう患者にアプローチすればよいか作戦を練らせた。患者役の学生には、詳しい患者用シナリオを渡し、役作りをさせた。

 第4-6コマ:各ケースについて、学生が医師と患者役を演じ、ロールプレイを行った。ビデオ撮影し、希望者は後で自分の演技を見れるようにした。ケース毎に、フィードバックとディスカッションを、教官を交えて行った。教官は、学生からの質問にあわせ要所要所でコミュニケーション技術の基本的なポイントを講義した。

例として、ケース4のプロフィールとシナリオを表2、3に示した。

レポート:「調べておきたいこと」「ポイント」のまとめ、実習できづいた産業医としてのアプローチのしかた、患者とのコミュニケーションの取り方などについての考察、感想を、実習後一週間以内に提出させた。

評価:(表1、EVM参照)
実習への出席、態度(ただし、ロールプレイの上手下手は評価に入らないことを学生に明言)、レポート、実習試験の結果を総合評価した。実習試験の内容は表4に示した。

結果
<講義実習の状況>
 学生の態度は、他の講義に比べかなり積極的であった。ただ、他の学生が演じているときに、居眠り、内職をしている学生が一部みられた。同じケースを何度も用いるため、飽きがきたことも考えられる。学生の実習への感想を表5に示す。

臨床知識の乏しい3年生であるが、ポイントを先に知らせてあること、下調べや作戦会議の時間を与えることで、だいたいの学生が医師役を演じることができた。また、実際に医師役を演じることで、いかに自分たちの医学知識が不十分か、日頃の、時には集中した詰め込みの勉強がなぜ必要なのかを認識する学生が多く、今後の学習への動機づけが得られた(表5-A)。

 学生が患者役を演じることについては、模擬患者のロールプレイを先に見ていたこと、シナリオをもとに役作りをしてもらったこと、小グループの中で誰が演じるか選択ができたこともあり、予想以上に迫真の演技がみられた。学生間で感想を述べあうなどフィードバックを求めたが、ほぼ適切な評価ができていた(全体的には誉めあう傾向が強かった)。適宜、教官からの批評も加えた。他の学生の前で演じること、ビデオ撮影していることで、緊張を強くする学生が一部みられた。ディスカッションでは、プライバシーの問題、産業医の立場、職場の人事との関係、家族への接近、セルフケアの指導など重要なテーマが、学生の側から積極的に質問として出された。コミュニケーション教育は、学生にとって今回が初めてだったので、挨拶のしかた、姿勢、傾聴、共感、ラポールといった基本的なポイントだけでも、学生はかなり刺激をうけていた(表5-B, C, D, E )。

 生物心理社会側面を統合した産業保健的ものの見方については、実際に産業医としてのアプローチを考えることで、予防、健康の保持増進の視点、労働環境、ライフスタイルの考慮、関連する労働法規などを具体的に理解し、また、産業医とか産業保健が案外身近なものであるという感想が得られた(表5-F)。

 個々の職業関連疾患の知識習得については、患者役を演じ、それをみることでヴィジュアルに疾患イメージを理解・記憶できるようだった。医師役としてどのような情報を得、どう指導するかを考えることで、症状、関連要因、予防、治療、指導法等、重要ポイントを把握できた。

<レポート・実習試験>
産業保健におけるTHPや健康指導の考え方、重要な職業関連疾患のポイント、コミュニケーションの重要性について、ほとんどの学生が適切に理解し、まとめることができていた。試験の設問毎の得点分布を表4右に示す。実習に対する評価は全体的に高く、能動的教育法や、コミュニケーション技術習得の機会のいっそうの増加を求める学生が多かった(表5-G, H )。

考察

 今回の実習の改善の余地としては、時間的余裕をかなりとったものの、それでも学生は一度ロールプレイをするだけで、後は他の学生のをみているという点、また、同じケースを何度も使うという点であろう。ロールプレイという学習法の限界は、模擬患者の適切な利用、「演技」についての学生への事前の説明と準備時間の確保などで、かなり克服されたように思われる。また、緊張の強い学生が一部みられたが、これらの学生も近いうちには病棟で本物の患者にむきあうことになるわけで、模擬体験として有意義だったと思われる。

 本来、模擬患者やロールプレイを用いたコミュニケーション教育は臨床医学の枠内でまず行われるべきかもしれない。しかし、産業保健をはじめとした社会医学分野は、一般臨床より心理社会的アプローチが重要になること、職場での健康診断や健康教育の場面では従来の医師患者関係を前提としにくいことなどから、むしろコミュニケーション教育に適している点に今回気づかされた。一方、公衆衛生や産業保健的なものの考え方や、主要疾患のポイントの理解のためにも、講義形式ではぴんと来ないことが多く、能動的学習法が有効であるという手応えを得た。

 時期的には臨床教育に入る前の、学生がまだ医師より患者の側に近く感じる3年生の段階でコミュニケーションのあり方を学ぶ事は重要であろう。ただ、学生の感想にもあったように、一回きりではなく、臨床教育等による学生の知識レベル・社会常識の向上にあわせて、発展しながら反復することが必要と考えられる。当大学医学部においては、この実習の他、1学年での病院実習(患者エスコート)、医療保障学での医療ソーシャルワーカーのロールプレイ等が開始され、今後臨床教育にも導入が計画されているところである。

文献
1) 文部省: 医学教育の改善に関する調査研究協力者会議:最終まとめ. 1987
2) 全国医学部長病院長会議: 我が国の大学医学部(医科大学)白書 '93. 1993
3) 宮地尚子: いまアメリカでは:医学教育における新しい人間学の試み? 現代のエスプリ1993, 313:100-110
4) 伊藤章郎: 行動科学技法を基本とした医学概論. 医学教育 1989, 20: 411-416
  5) 大滝純司: 模擬患者を使って. 現代のエスプリ 1993, 313:134-144
6) 藤崎和彦: 模擬患者を利用したコミュニケーションスキル教育法の開発. 平成5年度医学教育研究助成成果報告書, 医学教育振興財団 1995, 40-53
7) Engels GL: The need for a New Medical Model: A Challenge for Biomedicine. Science1977, 196 4286:129-136
8) Levenkron JC, Greenland P, Bowley N: Teaching Risk-Factor Counseling Skills: A Comparison of Two Instructional Methods. American Journal of Preventive Medicine 1990, 6(suppl.1):29-34

表1 教育計画
一般教育目標(GIO)
1)産業保健における THP (Total Health Promotion) や健康指導などの考え方を理解する。
2)受診者とのコミュニケーションの方法を学ぶ。
3)重要な職業関連疾患についての知識を身につける。
行動目標(SBOs)
1)産業医として聞き出すべき情報の種類と、それぞれの意義を述べることができる。
2)患者の労働環境を評価し、予防や改善のための適切な指導や教育ができる。
3)患者とのコミュニケーション技法の基本を説明できる。
4)医師としての適切な態度で受診者に接し、効果的に情報収集ができる。
5)受診者の不安、希望を把握し、共感を示すことができる。
6)重要な職業関連疾患について、その病態、要因、予防法、治療法を説明できる。
学習方略(LS)
1)職業関連疾患の病態、要因、予防法、治療法について、小グループごとに調べる。
2)産業医としてのアプローチの方法を小グループごとに練る。
3)コミュニケーション技術の基本的なポイントの講義をうける。
4)模擬患者を用いて、又は学生同士で、具体的なケースについてロールプレイを行う。
5)ロールプレイを見て、医師の態度や情報収集の仕方について指導教官を交えて討議する。
6)職業関連疾患について調べたこと、コミュニケーション技法の重要な点、産業医としてのアプローチの仕方を整理し、レポートにまとめる。
7)ビデオ撮影を行い、自分の演技をあとで客観的に見てフィードバックを受ける。
評価方法(EVM)
形成評価実習時:出席、態度、ロールプレイへのフィードバック
実習後1週間:レポート
総括的評価学期末(実習後2週間ー2カ月):実習試験(記述5問)     
 

表2 ケース4プロフィール(学生に配布)
青木久子さん。28歳、女性。肢体不自由児施設の保母。
場面設定職場関連の診療所。
自覚症状腰痛。肩こり。全身倦怠感。
診察所見傍脊柱・腰及び前腕の筋の圧縮・硬結。それ以外特記すべき所見なし。
調べておきたいこと
腰痛症について、それに関連する作業内容や姿勢など、要因。
頚肩腕症候群について、それに関連する作業内容や姿勢など、要因。
腰痛症、及び頚肩腕症候群の予防方法
疲労に関する職場環境
ポイント
聞き取るべき情報は何か。受診者の不安、希望は何か
治療方針:対症療法、予防

表3 ケース4の詳しいシナリオ(患者役を演じる学生のみに配布)
 28歳、女性。夫と二人暮らし。結婚して1年。肢体不自由児施設の保母をしている。腰と背中のだるさ、こりや痛みが続いている。また、身体全体がだるく疲れ気味である。
 最近同僚が出産を理由にやめたが、代わりの職員が補充されず、勤務時間が長くなっている。最近は休日も、行事の準備などで出勤することが多い。施設の性格上、休憩時間が十分でなく、あっても不規則である。子供相手のため、中腰など作業姿勢が悪くなりがちである。また、子供(中には30キロ近くある子もいる)を抱き抱えたり、器具を運んだりすることも多い。子どもの中には、時折けいれんを起こす子もおり、気が抜けない。また、保護者との応対などにも気を使う。
 そろそろ子供もほしいが、ただでさえ人手が少ないので、どうしようかと迷っている。また、腰痛がどんどんひどくなると子供を産めなくなるのではと心配である。

表4 実習試験問題
次のような女性が、あなたが産業医として勤めている診療所に受診してきました。
(ケース4のプロフィール、詳しいシナリオを記載)
以下の問いに答えなさい。
1)この患者の主訴はなんですか。
2)その原因としてどのようなことが考えられるか、箇条書きに整理しなさい。
3)産業医として、上記の他にどのような情報を聞き出す必要がありますか。
4)産業医として、この患者に関してなすべきことを、箇条書きに整理しなさい。
5)一般に、患者とのコミュニケーションを良くする方法としてどんな点があるか、箇条書きに整理しなさい。

表5 実習への学生の感想(レポートより多かったものを抜粋。N=96)
(A) コミュニケーションの難しさの認識50人
「医者の対応や情報の収集の仕方の難しさがよくわかった」「医師になったら自然にできるようになると思っていたが、いかに情報を聞き出すことが難しいかわかった」「患者が何を訴えたいのか、どのような気持ちかを理解するのは大変だと実感した」など。
(B)コミュニケーション技術向上の重要性の認識43人
「患者には色々なタイプの人がいるので、うまくコミュニケーションをとることが大切だと思った」「話し方も大切だと感じた。」「医師のなんでもない一言が患者にとってどれほど重要なことかを学んだ。」など。
(C)患者の心理への気づき42人
「患者の気持ちになって考えることを痛感させられた。」「患者は医者の一言で不安になったり、安心したり、ショックを受けたりすることがわかった」「医者によって患者は自分の言いたいことが言えるか言えないかがとても差があると思った」など。
(D)医師の人間性への気づき22人
「医師に必要なのは知識や経験、信頼されることと割り切っていたが、共感を示すことといった人間味が最も必要だと確信した。」「医師は人間性が問われると感じた」「日頃の性格がよくあらわれると思った」「人間として柔軟性を持ちたい」など。
(E) 医学及び他の知識の必要性の認識22人
「医学知識のなさから自信のある態度をとれず、問診がうまくできなかったことがくやしい」「やはり知識の裏打ちがあって初めて自信ができ、患者にアドバイスができるのではないかと考えた。」「対話の技術も大事だけど、話せるだけの知識が必要だということもわかった」「医学的なことだけでなく、人間関係や社会の仕組みも勉強していこうと思う」「医者というのは色々なことに対応できるように豊富で確かな知識が必要であると実感した」「あらゆる知識、雑学が必要だと感じた」など。
(F) 産業保健の視点の重要性への気づき27人
産業保健の視点の重要性への気づき:27人 「産業医としては、職場巡視や改善勧告などの行動も示すことが重要だと思った」「患者自身への働きかけばかりでなく、そういう立場に追い込む環境・人に対する働きかけが大事だと思った」「作業環境や上司部下との人間関係、労働時間、仕事と家庭の両立など色々な面で負担を持った患者が多く、まず患者の話を聞くことが大切であることを感じた」「そのときどきの処置だけでなく、長期的な視野に立った予防や再発防止を考え、職場の環境を考えて、対処していく必要を感じた」など。
(G) 実習への肯定的な評価42人
「医師になる僕にとってかなり役に立った」「現実味があって有意義な実習だった」「得たものは大きいと感じる」「貴重な体験だった」「余りこういう機会はないので、臨床に進むにあたって、大変ためになった」「医師になるという目標が身近に感じられて、非常に興味がもてるものであった」など。
(H) コミュニケーション教育への需要11人
「実際ドクターになったときに生かせるため、もっと時間をとってやるべきと感じた」「今度は専門知識を身につけた後にしてみるのはどうか」「今年度の実習から組み込まれたということだが、ぜひ毎年すべきだと思う」「練習したらうまくなると思うので、今後も続けて欲しい」「なぜこのような実習が6年間にたった一回しかないか不思議に思った」など。