フィールドの入り口で: あるいは文化精神医学らしさという呪縛
Being at the entrance of the field
(『文化とこころ』 Vol.2-No.3 pp. 90-97 1998年 掲載)


キーワード:シャーマニズム,フィールドワーク,沖縄,オリエンタリズム,フェミニズム
Key words: shamanism, fieldwork, Okinawa, orientalism, feminism
Abstract

 One of the major parts of Japanese cultural psychiatry has been the studying Okinawan Shamanism, which however always contains the danger of falling into a kind of Orientalism. In this article, I examine the power dynamics of being at the entrance of the field as a new comer to it.

At the beginning of the fieldwork, realities, perceived by all bodily senses, create astonishment, disgust, wonder and other signifying emotions. At the same time, it is a critical period for the researcher in the choice of the field, theme, and informants.

In the early stage of the fieldwork, researcher's own vulnerability, such as being a woman or having other minority status, sometimes helps to blur the boundary between the researcher and the researched. When the boundary is ambiguous, the researcher experiences the power of the field with which the researched always lives and through which the nature of the relationship between the researcher and the researched becomes clear. This experience also reveals where the researcher belongs, or where she/he goes back to (or does not go back to) after the fieldwork and why. Doing fieldwork is a process of figuring out the researcher's "home", but at the same time, how to escape from the assigned mode of talking at home.


<はじめに>

「なんといっても女の祭りだから」

 その言葉に導かれて、私は宮古島に行くことになった。

 文化精神医学の小さな集まりで、宮古島のユークイという伝統儀礼の復活とユタの関わりについて語った精神科医Kの、その言葉の真意は知らない。他の参加者にも宮古行きを誘っていたけれど、女性は私一人だった。その前年に、Kやその同僚Iを案内役に私が沖縄本島でユタについてのわずかばかりの調査をしたことが頭にあったからかもしれない。だから一番ふらっと誘いにのりそうに見えた私に向けて、「女の」という形容詞をつけただけかもしれない。

 表題が示すとおり、私は沖縄や宮古というフィールドの入り口にたたずんでいるだけだ。本島においても宮古島においても、フィールドワークの期間はまだわずかにすぎない。

 旅行として沖縄を訪れたことはそれまでに何度かある。学生時代には友人と二人フェリーで貧乏旅行をし、台風にあって帰れなくなり、1カ月近くいた。石垣島の民宿で、倒れた木々と暴風を窓越しにながめながら、泡盛でどんちゃん騒ぎをしていた。予定が延びたおかげで、国立民族博物館の研究グループのおじさんたち(今考えると偉い教授たちだったに違いない)と知り合って、写真撮影禁止の秘祭を一緒に見学させてもらったりもした。だから多少の「なじみ」の感覚は、いまでも身体に残っている。当時はまさか自分が沖縄でフィールドワークをするとは想像もしていなかったが。

<抵抗1:オリエンタリズム>

実は、沖縄・宮古をフィールドにすることには抵抗があった。

 日本国内でありながら、いかにもフィールドらしいフィールドとしての沖縄。沖縄・宮古を異文化として称揚することは、「ヤマト」と「南島」とを二項対立の関係として捉えることにつながる。そして、「ヤマト」と「南島」の関係を、中心と周縁におくことと紙一重である。欧米の中心性を補完するために、起源としてのオリエントがロマン化されたように、「南島」に失われた古代のイメージを押しつけて、日本文化のアイデンティティは補完されてきた(6)。「南の島に癒される」というイメージは危ういものを含んでいる。仕事に疲れると航空会社の沖縄ツアーのポスターに目がひかれる私の中にも確実に沖縄への「オリエンタリズム」は存在する。

 ましてや、現実の沖縄の人たちの歴史的・生活的体験、人頭税から第二次世界大戦の戦火、現在の基地移転問題や経済的困難、開発と環境破壊、トートーメや基地買春等の女性問題、といったことを考えると(これらの羅列も浅い理解に基づいたものでしかないのに)、ユタ文化の豊かさだけを関心の対象にしてよいのかという疑問や後ろめたさはついてまわる。

<抵抗2:シャーマニズム>

 シャーマニズム研究にも、抵抗はあった。

 精神科医で医療人類学をしているというと、必ずといっていいほどシャーマニズムのことを話題に出される。日本では、人類学者で研究テーマが医療領域に関わっている人の大方がシャーマニズム研究者であったりする。あまのじゃくな私は、シャーマニズムにだけは手を出さないぞと思っていた。

 もともとの関心の違いもある。私が医療人類学を勉強しようと留学までしたのは、いわゆる現代医療(バイオメディシン)にひそむ文化的多様性に惹かれていたからだった。合理的、普遍的とみなされる医療が、実は文化的記号に満ち満ちていることを明らかにすること、そして、自然科学と信じられている医療の世界や医師の思考から、文化的象徴や儀礼や独特のコスモロジーを見出すことがおもしろいと思ってきた(12)。

 精神医学は医学の中でも一番マージナルである。正常と異常の境目が文化によって規定されていることくらい誰にでもわかる。精神医学に文化がひそむのは当たり前である。そこで文化性を言ってもつまらない。だから、私の研究対象はシャーマニズムどころか精神医学からも離れた、たとえばターミナルケアに関わる医師集団だったりした(13)。

<入り口・境界>

 とにかく、沖縄・宮古のユタをめぐる文化についての私の理解は浅く乏しい。

 もっとも案内役のKやIのおかげで、滞在期間は短いものの、かなりそのエッセンスに触れ、見るべきものは見、会うべき人には会わせてもらったように思う。KやIが数年間かかって築きあげた現地の人々とのネットワークと、現地の人々の彼らに対する信頼のもとで、やすやすと私はフィールドの要所要所にアクセスを許された。もちろん、エッセンスが凝縮されたものをまとめて経験することは、エッセンスが生活場面で息づくさま、日常行為の中でその意味をなしてくるさまを、現地の風土と時間の流れの中で実感するということとは全くの別物である。だから、私はそのエッセンスを表象する資格をもたない(注1)。

 では、私はここで何を書こうとするのか。何を表象しようとするのか。なぜ書くことを選ぶのか。これだけ、注釈をつけておいて?

 それは、フィールドの入り口にいるということの意味を考えてみたかったから、ということになる。

 フィールドワークの初期にはさまざまな事象がおきている。フィールドの入り口には特有の磁場がある。

 状況がわからないまま現実に放りこまれる。ショック、とまどい、驚き。心地よいものも悪いものも含め、全身でそれらを受けとめる期間。

 そもそも、フィールドの入り口とは一番ものがよく見える場所かもしれない。よく見えることと、それを理解することとは違うにせよ。Schwederは驚愕(astonishment)を文化心理学(もしくは心理人類学)の核心に位置づけている(16)。驚愕こそが、自明のリアリティを越える契機となる。

 入り口で感じる驚愕、例えば「えっ、女性が裸で歩いている!」「えっ、虫をおいしそうに食べている!」「えっ、全身彫り物!」。そんな驚きに徐々に慣れていくのがフィールドワークではあるけれど、驚きの余韻を忘れてしまったら民族誌は書けない。

 同時に、フィールドワークの初期には幾つもの重要な選択が行われる。フィールドの選択、テーマの選択、調査対象者やインフォーマントの選択。軌道修正は随時なされるものの、大きなオリエンテーションを定める時であり、その失敗のつけは大きい。

 フィールドの入り口とは、幾重もの意味で「境界」である。例えば先述の、フィールドと自分の所属する地域・集団との関係。フィールドらしいフィールド、テーマらしいテーマということの意味。それらの問題群は、フィールドの奥に入り込むにつれ、切迫性を失っていく。いつもどこかで棘のように違和感を提供しつつも、現場で起こる事象の背景に退いていく。身体を引き裂くような問題感覚は、入り口に置き去られる。けれど、それらは、フィールドワークを終える時に必ずまた襲ってくる。入り口は出口でもあるのだから。そもそも入り口における選択は、フィールドワークの後、自分がどこに戻るかという選択と重なるのだから。

 フィールドらしいフィールドという感覚は、フィールドその場ではなく、戻っていく場所の権力の磁場において威力を発揮する。学問としての正統性、観察された事象の学問的価値、そしてフィールドワーカーのフィールドワーカーらしさといった「賭金」(2,4)。最終産物としての民族誌とは、その権力の磁場の中で、フィールドでの自分と帰属集団における自分との関係を示すパフォーマンスであり、自分のアイデンティティの形成(変成?)過程を語る物語である。

 フィールドの入り口にいるということの意味を考えてみる試み。フィールドの入り口での私自身のとまどいの幾つかの瞬間を書き記すこと(注2)。それはフィールドという概念をも捉え直す試みになるだろう。

<とまどい1:女>

 ユークイは女の祭りだという。しかし、女の祭りとはどういうことか?

 男の祭りと女の祭りが分かれている。なぜ、祭りを分けなければいけないのか?

 男の祭りは残って、女の祭りは、もう20年近くとぎれていたという。なぜ、男の祭りは残って、女の祭りはとぎれたのか?

 その女の祭りが復活する。女にとって祭りは大事なのか?女にとって祭りの復活は、別のことより大事なのか?そもそも、どの女の祭りなのか?

 そんな問いを、私は秘かに宮古に持っていった。しかし、その問いは、フィールドの現場ではとってつけた響きを感じさせ、どこかなじまないものだった。

 「女の祭り」という言葉はKの造語ではない。宮古で祭りの主を努める女性たちも「女の祭り」と呼んでいる。しかし、女とか、女と男による分類は、改めて「なぜ?」と問われるまでもない自明の事柄として受けとめられている。伝統復活の原動力となったグループや研究者の中でも、そういう問いがなされた形跡はほとんどない。「なぜ?」と聞くことの不自然さに、私は問うことを一時停止した。

 しかし、女であることの意味は時に、経験として運ばれてくる。

 ユークイの前日、ウタキに一晩篭もるというツカサたちの準備のようすを見学していたときだった。見学者は、私とあとは男性4人。私がいなければ、観察者=男、観察される者=女という構図が貫徹していた。分類を混乱させる「亜種」。

 本当はツカサは5人いるべきなのだが、あいにく一人が都合で参加できなくなってしまった。夕食のおにぎりを一緒に食べながら、そのことが話題になり、ツカサの一人が、私に「ツカサになれ」といいだした。「着物はもってきているから貸してあげるよ。一晩一緒に篭もればいいだけだよ」と。あまりに真顔で言うので、私は本気にしてしまいそうだった。ぜひやってみたい。けれど、夜はこわいだろうか、本当にハブはいないのだろうか、寒くないだろうか、仮眠はとるのか、トイレはどこでするのか、食事は誰がつくり、誰が運んできてくれるのか・・・。実際は、ツカサになる資格は年齢その他細かく決められているし、何よりよそ者の私がツカサになれるはずはない。冗談でからかわれていただけの話だ。けれどそのからかいは、私の中の、彼女たちと共有しうる「身体性」を呼び起こし、彼女たちの絶対的な「他者性」を揺らがせる。

 似たような経験をふと思い出す。沖縄本島で、あるユタの判断(ハンジ)を見学させてもらっていたときのことだった。

 判断に訪れる客は、ふつう前の客が判断を受けているところを横で見学し、時には情報を提供したり、意見を述べたりしながら、自分の番を待つ。私はそれらの待ち客に混じって話を聞いていた。

 「あんたもタカイの?」

 ちょうど一人の客が終わって、つぎの客の母娘は、今度は私の順だと思ったようだった。私はあわてて「勉強させてもらっているだけですから」といった。すると母親の方が、手を頭のあたりにあげて、私に聞いたのだ。「あんたもタカイの?」と。カミダーリをおこし、これからユタへの修行を始めるサーダカウマリに見られたわけである。一瞬のとまどいの後、ふと似たようなものかもしれない、と私は思った。そして、精神科医の修行として私に足りないのは、まさにカミダーリの豊かな体験なのかもしれない、とおかしくなった。

 研究者という「地位」「役割」からの一瞬のずれ。より身近で、ひょっとしたら代替可能な存在として作用する「女」。

 男女の差異を本質化して語ることを私は望まないが、フィールドワークにおいてアクセスできるリアリティは、研究者が男か女かによって実際に大きく異なる。相手との関係の質や距離も異なる。同じフィールドにいながら、時には全く異なる世界を経験することになる(1,7,11,15,23)。

 売春の研究を行ったトゥルン (Truong,T) は、フィールドワークの最中に自分が男たちから売春婦に間違えられたときの当惑を語る。売春婦でないことを証明したい衝動、マドンナと娼婦の間の二律背反は支援活動によって消すことができるのだというふりを自分がずっとしてきたことへの当惑。彼女はそれを「ひとりの研究者として、そしてひとりの女としての私自身のうえに、主観相互の間に働く権力作用」として、静かに見つめようとする(21)。

 研究者と対象者の境界線が曖昧になること。それは、研究者が「自身のうえに、主観相互の間に働く権力作用」を実感することである。

 ユタをめぐる事象はジェンダーの記号に満ち満ちている。ユタは女性が圧倒的に多いこと、沖縄における神の世界と巫女の伝統。既に描かれ、分析されているにもかかわらず、それらの文献の多くに「生身」の女はぼやっとしか見えてこない(注3)。

 ユタになるということは、生身の人間が生きていくための一つの選択肢としてもあり得る。カミダーリを経験しても、ユタになる人もならない人もいる。最終的には「神様の定める運命」であるかもしれないが、それは同時にまぎれもない職業選択であり、役割選択である。

 ユタの役割を引き受けるということは、彼女の人生にどんな意味をもつのか。それまでの「生活苦」はどれほど必然的な要素を持つのか(注4)。夫や家族との関係はどう変わるのか。セクシュアリティを含め、彼女たちの自己像はどう変容するのか。神という「他の誰かのお告げ someone else speaking」(20)として語ることは、どのような意味や戦略的効果をもつのか。生活の糧を得ることと自己救済、そして他者救済をどう兼ねあわせるのか。そして、日常の生活と神事の世界を往復する自己の真実性(authenticity)をユタとしてどう演出するのか。

 Seredは沖縄のある小島において、カミンチュとユタの語るライフストーリーを比較している。そして、成巫過程を語るプロットに、カミンチュとユタそれぞれ独特の明確なパターンがあること、例えば成巫過程で自らが陥った病気の種類、修行の内容など、そのパターンは、その社会で自分が役割を担うだけの真実性、正統性を備えていることを証明する機能をもつことを明らかにしている(18)。パターンに入らないものは、おそらくあえて語りには組み込まれない。「カミダーリ」にはめ込んでいく作業、「シラシ」にはめ込んでいく作業が、彼女たちのライフストーリーにはある。けれど、彼女たちの実践(プラティック)(2,3,10)は、時に危なっかしく時にしたたかに、はめ込まれたストーリーから逸脱する。

 はみだす身体を抱えること。生身であること。女という契機によって、研究者もその身体を感じること、なおかつ身体性や経験を本質化する誘惑に距離を置くこと(17)、その重要性が問われている。もちろん契機は他のもの、他のアイデンティティでも可能なはずだ。何らかの自己の脆弱性をさらけだすものでありさえすれば。

<とまどい2:治療者>

 私は宮古で、あるユタのニガイ(願い)についてまわっていた。病苦に悩まされるある一家のために、3日かけて夫婦それぞれの出身の村のウタキをめぐる大がかりなものだった。けれど2日目くらいで、私はその場にいるのが苦痛でたまらなくなってしまった。そのユタの振る舞いも、いわれるままに従う依頼者の夫婦の姿も、何も見たくなくなった。そして実際にいいわけをつくって、一人で砂浜に行ってぼおっとしていた。

 異文化を研究するとき早急な倫理的感情的判断は慎むべきである。方法論としての文化相対主義とは、簡単にいえばそういうことである(14)。なぜ私が陰性感情を抱いたかの深い意味はこれからなんども現地に足を運んでみえてくるものだろうから、ここでは詳述しない。

 ただ、フィールドの選択やテーマの選択で生まれるバイアス、選択の時点で既にロマン化の構図にはまってしまう危険性は、考えておく必要がある。

 フィールドを好きになれないとき、後でインフォーマントに送れないような報告を書いてしまいそうな予感がするとき、どうすればいいのか。

 古典的人類学は民族誌の読まれる場所とフィールドが遠く離れていた。しかし植民地主義的な知の搾取という批判以降、お世話になったインフォーマントや現地の人に完成した民族誌をおくる習慣もできている。読めない場合でも翻訳してくれる人を見つけることは可能である(1)。知の搾取という批判は正当な指摘であり、現地の人からの反論の機会は保障されるべきである。しかし、距離の接近は、フィールドの利害に巻き込まれ、現地で敵味方をつくってしまったり、フィールドに戻れなくなる危険をうむ。そのため、あからさまな批判的見解を書くことを研究者が自己規制するという弊害がおきうる。実際、自分が調査している民族のおこなっている悪事については、酒の席では話すが民族誌には書かない研究者は多い。

 ふつう、フィールドワーカーは自分の好きな文化を研究対象にする。惚れこむからこそ良い研究ができるのだろうし、おもしろい部分を研究するから自分の故郷(勝負を賭ける学問領域)に帰っても何か意義のあることを言える。嫌いなところに長期間いるとか、なんでこんなにつまらないのかということを研究する、へそまがりはそう多くないはずだ(注5)。入り口とは「まだ引き返せる場」のことでもある。

 シャーマン研究の場合、特にロマン化の誘惑は大きい。「山奥の小さな集落で偉大なシャーマンに会う。その人格や癒しの力にほれこんで弟子になる。そして、西洋医学の不十分さを認識し、自省の糧とする。」という暗黙のプロット。どうせ話を聞くなら、弟子になるなら、例えばDesjarlaisのように(5)「一流の」シャーマンの弟子になった方がよい。霊能が高く、現地の人々からも一目置かれているようなすぐれたシャーマン。言語化して説明するのがうまいシャーマンだったりするともっとよい。

 けれどシャーマンにもピンからキリまでいる。凡庸なシャーマンは多くいる。いかさまシャーマンもいるだろう。金儲けにだけ熱心なシャーマンだっているに違いない。新米シャーマン、自信過剰の中堅シャーマン、老かいなシャーマン、惰性で続けるシャーマン・・・。その文化におけるシャーマニズムとは、そういったシャーマンのごった煮状態のはずである。中井久夫だけを研究しても、日本の精神医療がわかるはずがないのと同様に。

 シャーマンの語るライフストーリーに一定のパターンがあるように、シャーマンについての文化精神医学の語りにもパターンがある。

 シャーマンのストーリーのパターンがシャーマンの担う役割の真実性、正統性を証明する意図と結びついているように、おそらく、シャーマンについての文化精神医学の語りのパターンも、文化精神医学の担う役割の真実性、正統性を証明しようとする意図と結びついている。主流の精神医学がシャーマニズムを迷信扱いしてきたことの反動を、文化精神医学はひきずっているだけなのかもしれない。けれど主流に対するカウンター(対抗)としてのアイデンティティは、主流と同じ拘束をひきずるのが常である。

 ここで、私の関心は治療者としての精神科医に向く。私はKやIが紹介してくれたユタたちの経験に関心を持ちつつも、現地での精神医療とフィールドワークを両立させているKやIの経験にむしろ強く興味をひかれる。ユタである患者とどんな話をするのか。フィールドで会うときと、診察室で会うときとで、それらはどう違うのか。薬は、そこでどんな意味を持つのか。神事の世界にどのように接するのか。

 カミダーリに等しい豊かな「病的経験」を持つ女性患者について、主治医であるKが「彼女はいずれユタになると思うんですよね。今はユタになることを拒否しているんだけど」というとき、Kはフィールドワーカー/主治医という多層性を生きている。二つのシステムを行き来し、その間に何とか折り合いをつけている(19)。けれど、その多層性が綻びることはないのか。中立性の仮面をひきはがされ、神事の世界への介入を迫られる瞬間はないのか。引き裂かれ、どちらかの選択を迫られることはないのか。売春婦に間違えられた女性研究者のように?

 ユタ文化と精神科領域の境界線上を綱渡りしている彼らのプラティックを探ること。ウタキそのものよりも、敷地内にウタキをもつ精神病院のハビトウス(2,3,4,10)を探ること。それらは、ひょっとしてより鮮明にユタ文化のレリーフを、同時に精神医学のレリーフを、くっきりと浮き彫りにするのではないか。なぜなら、そこではまさに、治療者自身が「主観相互の間に権力作用が働く」場となっているのだから。 <そして文化精神医学らしさ>

 フィールドの入り口でのとまどいは、私の関心が文化精神医学「らしさ」から離れていくこと、これまでの文化精神医学から排除されてきたものに向かっていることを示しているのかもしれない。例えば、調査対象への疑いや嫌悪感。ユタの玉石混合性の分析。ジェンダーやセクシュアリティ、権力といったフェミニズムに「偏った」分析。仲間である精神科医を調査対象とみなすまなざし。反精神医学的に流れる可能性。では、そんなタブーを抱えた「文化精神医学らしさ」とは何か。

 ようするに、私の欲望は、文化精神医学そのものを研究対象としたい、何が「文化精神医学」的かという、学問の正統性をめぐる争いを分析したいということなのだ。そう、フィールドの入り口での私のとまどいは告げる。

 精神医学や文化精神医学そのものが研究対象ならば、私は(私たちは?)、すでにフィールドにどっぷり浸かっている。フィールドの入り口にいたはずが、真っただ中にいるという逆転。

 フィールドとはある特定の空間のことではない。テーマによって時には空間を越え時間を越える「場」の集合である(2,4)。「文化」が既に「移動」として捉えられ得る現在(8)、フィールドという概念も変わっていく(注6)。

 フィールドの入り口にいたはずが、フィールドの真っただ中にいるのだとしたら、求められているのはひょっとしてフィールドの出口を探すことなのかもしれない。ここでのフィールドの出口とは、精神科医という特権的アイデンティティや、諸々のしがらみの求心力の外に出ることである。精神科医が言語化せずに共有する臨床という場への思い入れをいったん突き放すことである(注7)。自文化を研究することは易しいようで難しい。フィールドのまっただ中では、民族誌はなかなか書けないものだ。

 この論考はだから民族誌ではなく、フィールドノートの書き出しなのかもしれない。そして、「学問的帰属」も文化精神医学から精神人類学と言い直すべきかもしれない。ただし、人類学の磁場のわずか手前でかろうじてとどまりながら。たとえ、「文化のゲームから逃れる方法は全く存在しない」(4)にしても。

<最後に>

 民族誌をめぐり、ギアツ (Geertz, C,) の厚い記述という言葉や、バフチン (Bakhtin, M.) の異言語混侑(ヘテログロッシア)という言葉がしばしば用いられている。耳ざわりのいい言葉ではある。確かに重要な方向性を指し示してはいる。しかし、それらは、なまの混沌としたリアリティをそのまま写し取ることではない。言語には、混沌そのものを忠実に映し出す能力はない。

 むしろ、既成のストーリからできるだけ逃れること。型からはみでた「残りくず」を漁ってみること。常に物語の抜け道(loophole)を探し、打ち破ること(20)。いつも現在進行形で捨てられ拾われちりじりになるような些末事に目を凝らすこと。期待されるパターンを常に裏切り続ける記述。私はそんなメタファーに惹かれ、可能性を求める。

<注>

注1:ユタに関する多くの優れた文献に目を通したが、本稿の引用文献に含んでいないのも同じ理由による。ユタに関しては6)10)19)及び、それらの引用文献を参照願いたい。

注2:民族誌が、常に「私」を表に出さなければいけないとは私は思わない。けれど、多くの場合は出す方が有効であろうし誠実であろうと思う。それは、フィールドワークや民族誌とは、研究者自身が研究の方法となり道具となってできるものだからである。もちろん、「私」だけ出せばいいというものでもない。「自白」や「独白」「私小説」がそのままよい民族誌になるわけではない。「私」をどの程度だすのか、といったあたりには文化的美学も働くに違いない。ただ、研究者が黒子に徹し、テキストに埋もれる方法は、謙虚であると同時に傲慢でもあり得る。偽りの客観性をうみだし、まなざしの方向性を隠蔽する。フィールドで出会う人々との関係性を描くにあたってどうしても一定の歪みを生じる。「私」を出しても、それ自体演出されているのだから、歪みは必ずあるといえばあるのだが(1,7,11,15,23)。

注3:その背景には、「女性を交換する」と婚姻のシステムにあっさり書き付け、交換される女性の思いや、彼女の目から見たリアリティを看過してきた人類学の歴史がある。

注4:現在「流行」中の外傷性精神障害をめぐる理論と、ユタの「生活苦」には重なるものがあると私は考えている。といっても、外傷性精神障害の診断をユタにあてはめるという意味ではなく、ユタをめぐる事象が外傷性精神障害への理解や理論構築を豊かにするだろうという意味において。それも解離現象や多重人格と憑依等の病理論より、サバイバーミッション、サファリングコミュニティといった回復・治療論の展開において。詳しくは別稿に期したい。

注5:例外としては、「ブリンジ・ヌガグ」(22)などがある。また法人類学や政治人類学などでは、トラブルといったものを対象にすることが多いから、多少は事情が違う。

注6:具体的には、多地点民族誌(Multiple cited ethnography)といった方法が採られるようになっている。例えばKleinmanは、都市の暴力の研究においてインナーシティだけでなく社会福祉政策の立案現場がフィールドとなるといった例を紹介している(9)。

注7:本号は臨床民族誌の特集だが、この論考は実験民族誌の可能性を念頭に置いてある。常に自明性を疑われべき「臨床」という語を冠した「臨床民族誌」という言葉を私は使えない。

<文献>

1)Behar, R. : Translated woman : Crossing the Border with Esperanza's Story. Beacon Press, Boston, 1993

2)バーナード,H:ブルデューと民族誌-反省性,政治,プラチック.ハーカー,R.他(滝本往人・柳和樹訳)『ブルデュー入門』pp.79-114 昭和堂,1993.

3)ブルデュー,P( 今村仁司他訳)『実践感覚』みすず書房,1988.

4)ブルデュー,P( 石井洋二郎訳)『ディスタンクシオン』新評論1989,(藤原書店1990).

5)Desjarlais, RR : Body and Emotion:The Aesthetics of illness and Healing in the Nepal Himalayas. Philadelphia:University of Pennsylvania Press.1992.

6)深沢徹編『オリエンタリズム幻想の中の沖縄』 海風社,1995.

7)春日キスヨ「フェミニスト・エスノグラフの方法」『ジェンダーの社会学』井上俊, 他.(編), pp.169-187, 岩波書店, 1995.

8)梶原景昭「対立から共存へ」 青木保他編『文化人類学第8巻 異文化の共存』pp.1-26 岩波書店1997

9)Kleinman, A : An interview with Arthur Kleinman Ethnos 62(3-4):107-126,1977

10)小林幹穂「治療文化のハビトゥス」『 臨床精神医学講座第23巻:多文化間精神医学』pp.411-425,中山書店,1998.  

11)松井真知子『短大はどこへ行く ジェンダーと教育』 勁草書房,1997.

12)宮地尚子「医療人類学と自らの癒し」『現代のエスプリ』335 pp.174-183 ,1995.

13)宮地尚子「告知をめぐる日本の医師の死生観」『ターミナルケア』4(5):427-433 & 4(6):497-504 1994

14)宮地尚子「文化と生命倫理」 加藤尚武・加茂直樹編『生命倫理学を学ぶ人のために』pp.289-301 世界思想社, 1998.

15)Reinharz,S. : Feminist Methods in Social Research. Oxford University Press.

16)Schweder, Richard A : Thinking through Cultures;Expeditions in Cultural Psychology. Harvard University Press 1991

17)Scott, J. : "The evidence of Experience." Critical Inquiry 17:773-797, 1991.

18)Sered, S. : Symbolic Illnesses, Real Hand-prints, and Other Bodily Marks : Autobiographies of Okinawan Priestesses and Shamans. Ethos 25(4)pp.408-427, 1997.

19)下地明友「風土的視点と精神科臨床」『臨床精神医学講座第23巻:多文化間精神医学』pp.99-110,中山書店,1998.

20)Steedly, M.M. : Hanging without a Rope. Princeton University Press,1993.

21)トゥルン,T.D.(田中紀子、山下明子訳)『売春ー性労働の社会構造と国際経済』 明石書店,1993.

22)ターンブル・コリン(磯野宏訳):『ブリンジ・ヌガグ食うものをくれ』 筑摩書房,1974.

23)Wikan, Unni. : Managing turbulent hearts:A Balinese Formula for Living. University of Chicago Press, Chicago 1990.


Copyright 宮地尚子 1998