「「社会的なもの」への想像力――フランスとイギリス」
『創文』503号、2007年11月号、6-10頁


 イギリス元首相サッチャーの有名な言葉に「社会は存在しない」というものがある。ただし彼女はそのあとに「家族」と「隣人をケアする義務」について語っていた(1987年9月23日雑誌インタビュー)。市場の活性化を基礎とし、家族とコミュニティを活用することで社会を統合するというビジョンは、その後保守党からニュー・レイバーへと引き継がれ、今日に至っている。
 一方フランスでは、ここ二十年間に市場開放や労働市場改革が進められてきたものの、福祉国家をめぐる支配的な言説は「社会的なものの危機」によって彩られてきた。曰く、市場の横暴が社会的なつながりを脅かし、「排除」を一般化させている。グローバル化やアメリカ化から「社会保障を救う(sauver la sécu!)」ことが必要である、と。
 福祉国家の変容をめぐるこうした態度の相違について、これまでのところ、福祉国家の構造や受益者層、政治制度の相違に着目する比較研究が蓄積されてきた。しかし、これら制度的要因の背後には、各々の国で歴史的に形成された「社会的なもの」をめぐるとらえ方の相違が存在する。本稿では、二つの国の歴史を思想的に振り返ることで、今日の福祉国家の分岐をもたらした背景の一端を考えてみたい。

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 「市民社会(civil society)」が国家と概念的に分離するのは、一八世紀のスコットランド道徳哲学においてと言われている。一八世紀までのシヴィック・ヒューマニズムと称される思想的伝統において、善き秩序を生み出すのは政治的領域での振る舞い――「徳(virtue)」「礼節(politeness)」などの語彙で表現される――と考えられていた。私益追求や奢侈は公的秩序を脅かす危険な情念であり、私益より公共善を優先する個人が秩序を支える、と。これにたいして、マンデヴィルは『蜂の寓話』(一七一四年)の中で、私益追求の情念の解放こそが社会全体の繁栄をもたらす、と主張した(”In Search for the Nature of Society“)。スコットランド道徳哲学を代表するアダム・スミスも、分業と私益交換から成る商業的秩序の成立を指摘する。彼はそこで働く秩序原理を「同感(sympathy)」と呼んだ。「同感」とは、政治的領域での「徳」やキリスト教的「憐れみ」と異なり、私益を追求する者同士のあいだに働く一般的な同胞感情を指す。とくに他者の苦痛にたいする同感は「共感(compassion)」と呼ばれる(『道徳感情論』一七五九年)。
 市場での「自助」を基礎として、「共感」によって結ばれた新たな秩序空間は、一九世紀を通じて拡大する。ヒンメルファーブの指摘するとおり、一九世紀前半に「共感」概念の有した射程の広さは、フランスの観察者トクヴィルの次の一節によく示されている(1)。彼は自己の安楽に最も関心を寄せる人びとの集合を「デモクラシー」と称し、こう述べている。「デモクラシーの時代には、人はめったに他者のために自己を犠牲にすることはしないが、人類全体にたいしては一般的な共感(compassion)を示す」(『アメリカにおけるデモクラシー』第二巻、一八四〇年)。

 フランスでは、「社会」の析出はイギリスより半世紀近く遅れた。フランス革命期の議論を見ると、「社会(société)」とは、伝統的用法にしたがって国家と同一視されていたことが分かる。一七八九年人権宣言をめぐる議論や一七九三年憲法案では、自然権を有する個人同士の合意による「社会」設立の論理(「社会契約(Pacte social)」)が様々に語られている。たしかにこの時期には、国家権力による自由な商業的秩序の創出という議論も見いだせる。たとえば一七九一年ル・シャプリエ法では、同業組合の廃止による自由な市場の創出が目指されている。フランス革命期の「社会」とは、個人間契約によって設立される政治的秩序と、公権力によって保障された自由な市場的秩序という二重の意味を含んでいた。それらは市場において自律を有する個人が、政治的秩序を担う「市民」でもある、という論理によって結びついていた(政治的主体=経済的主体)。
 しかし、こうした秩序像は一九世紀には矛盾に直面する。一八三〇年代に入ると、産業化の進展とともに、都市労働者のあいだに「大衆的貧困(paupérisme)」と称される膨大な貧困層があらわれる。政治的秩序を構成する「人民」の多くの部分が、経済的には自律を持たない貧民であることが明らかとなる(政治的主体≠経済的主体)。「社会的なもの」固有の空間への認識は、二つの論理の乖離を架橋しようとするところに生まれた。
 この時期には、一方で革命期の「ジャコバン主義」的秩序像への批判が共有される。中間集団を廃止し国家と個人の二元的秩序を創り出すならば、個人の孤立化を招き、逆に貧困問題を悪化させる。他方で、イギリスの一八三四年救貧法改正に至る自由主義的議論が導入され、批判の対象となる。自由な市場は貧困を解決せず、むしろ産業化こそが「大衆的貧困」を生み出した。こうして「大衆的貧困」とは、国家・市場と区別される「社会的」問題、すなわち民衆層の集合的「モラル」の問題ととらえられる。この時期には、ヴィレルメ、ビュレなどの統計学者・衛生学者によって詳細な社会調査が実施され、民衆層の生活環境・労働規律・衛生状態・家族形態が統治層による観察対象となる。「社会」とは、これらの集積から成る「モラル」の状態を指す。一八三〇年代以降、「社会の再組織化」を掲げる様々な立場の思想家は、中間集団を活用した民衆層の「モラル」の組織的改善を図った。社会カトリックや保守主義者は「新しい慈善(charité nouvelle)」を唱え、家族・パトロナージュ・同業組合を活用した階層的秩序の維持を目指した。共和主義者は革命期の「友愛(fraternité)」概念の復権を唱え、一八四八年二月革命に連なる運動を展開する。社会主義者は、生産手段の社会化から、信用構造の改革、国家から自律したアソシエーション(労働組合、相互扶助組織)の拡張に至るまで、多様な思想を展開する。これらとの競合の中で、一九世紀末に「連帯(solidarité)」を掲げる思想が登場する(2)。

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 イギリスでは、後期ヴィクトリア時代(一八七〇-一九〇一年)において、「共感」の「民主化」(ヒンメルファーブ)とともに貧困観の転換が生じた。それはある程度まで一八三〇年代フランスの思想状況に比することができる。チャールズ・ブースやラウントリーによって詳細な社会統計・社会調査の報告書が発刊され、貧困が「再発見」される。
 思想史家ステファン・コリーニによれば、この時期の知的言説の中核にあったのは、「キャラクター(character)」という語彙であった(3)。それは個人的性格ではなく、民衆層の集合的傾向性、モラルの状態を意味する。「リスペクタブル」な生活様式を体現する中産階級は、貧困の再発見によって社会改革への情熱につき動かされ、民衆層の「キャラクター」の涵養を通じた生活・労働規律の改善を目指す。こうした取り組みの背後には、T. H. グリーンやその弟子たちに導入された新ヘーゲル主義の影響と、「社会」観の変容があった。すなわち「社会」が、個人の総和を超えた独自の倫理的価値を持つ集合とされ、個人の「自律」とは、こうした価値の内面化による「自己実現」「自己発展」を意味するようになる。
 世紀転換期には、「社会」を主題とする幅広い思想が展開された(4)。王立救貧法委員会の多数意見に影響を与えた慈善組織協会(Charity Organisation Society)に近い理論家B. ボザンケは、「社会」を個人を超えた「一般意思」ととらえた。公共善に向けた個人の義務感やモラルを発達させるには、公的扶助を最小限にとどめ、ボランタリーな相互扶助を活性化させることが望ましい(Aspects of the Social Problem, 1899)。一方少数意見を提出したフェビアン協会のビアトリス・ウェッブも、コントの「人類教」の影響を受けて、「社会」を単一の「有機体」ととらえる。社会の全体利益促進のためには、労働組合・協同組合・国家を緊密に結びつけ、「科学的」に組織化することが必要である(Problems of Modern Industry, 1898)。さらに、一九〇六年以降のリベラル・リフォームを主導した自由党に近い著述家ホブハウスは、社会を「共通善」を体現する倫理的集合ととらえ、その目的を成員の人格的発展にあるとした。個人・社会の調和的進歩のためには、ミニマムな生活保障を国家が行うべきである(Liberalism, 1911)。
 これらの思想は、国家介入の範囲について対立するものの、個人の自発性を基礎として「社会」という集合を弁証し、国家をその一機関と規定することで、ボランタリーな自助・博愛活動と国家の限定的役割とを結びつけようとする意図では共通していた。
 一般にイギリス福祉国家の起源としてW. ベヴァリッジの報告書(一九四二年、一九四四年)があげられる。しかし、戦間期の大量失業や戦時動員の経験を背景とした彼の改革論は、「社会的なもの」をめぐるイギリスの議論蓄積の一部を反映したものにすぎない。ベヴァリッジ自身一九四八年に発刊した『ボランタリー活動』で述べているように、国家による社会保障や完全雇用政策は緊急の必要性に応じた対策にすぎず、長期的な「よき社会の創出は、国家ではなく、自由なアソシエーションに属する活動的な市民に依存する」。

 イギリス「社会」観の転換に大きな影響を与えたのが新ヘーゲル主義であったとすれば、フランス第三共和政期中期(一八八〇-一九一四年)の思想に影響を与えたのは新カント主義であった。この時期の急進共和派に近い知識人・政治家たち(A. フイエ、E. デュルケーム、L. デュギー、L. ブルジョワなど)は、有機体論とカント哲学の独特の接合により「(社会的)連帯」の思想を唱える。「社会」とは、一方で職業的分業化に基づく相互依存の体系であると同時に、他方では個人の人格的自律(発展)を目的とする集合でもある。個人の自律を脅かす出来事(事故、病気、老齢など)は、他者との相互依存を危うくさせる「リスク」であり、「社会」の側がその補償責任を負う。具体的には、職域ごとの中間集団(共済組合や労働組合)によって「リスク」を共有する保険が作られ、国家はそれらの調整や個人への公教育を担う。個人は職業的役割を充足し、生活規律・衛生習慣・家族扶養義務の内面化によって「リスク」を最小化する義務を負う。
 「連帯」の思想とは、個人と社会の間に相互義務を想定し、その目的を「個人の人格的自律・発展」と措定することで、両者の調和的「進歩」を導こうとするものだった。それは当初から市場の働きを矯正し、中間集団と国家による一定の介入を基礎づける思想として語られた。「連帯」は戦後社会保障の理念的基礎となる。ただし、国家と中間集団の役割の線引きは、時期によって移行する。一九四五年に社会保障プランを提出したP. ラロックは、戦間期の経済不況にたいして国家主導の経済改革(コルポラティスム論)を唱えた官僚であった。とはいえ、ラロック自身も社会保障の基礎を、労働組合や共済組合の相互扶助の伝統に見ていた点に変わりはない。「社会保障におけるフランス的伝統とは、相互扶助、サンディカリスム、かつての社会主義、そして友愛の伝統である」(5)。

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 戦後の経済成長が終焉する一九七〇年代後半以降、福祉国家改革が課題となると、再び「社会的なもの」をめぐる議論が活性化する。冒頭に引用したサッチャーは、戦後国家の肥大化をイギリス的伝統からの逸脱ととらえ、「ヴィクトリア的価値」への回帰を訴えた。すなわち、良き貧民と悪しき貧民を区別し、就労能力のある「怠惰な」困窮者への給付を削減すること、国家の役割を市場へと移し替えることである。しかし、これまで素描したイギリス社会思想の流れからみても、こうした社会観が伝統のごく一部に依拠した矮小なものであったことは明らかであろう。その後もイギリスでは、ボランタリーな自助・博愛活動と国家との「混合福祉」のあり方をめぐる議論が続いている。
 フランスでは、福祉国家の危機は「排除」の顕在化による「連帯」の危機として語られてきた。職業的不安定(長期失業、若年失業、非正規雇用)の増大とともに、職域保険によって保護された人びとと、そこから排除された人びととの二重化が進行し、福祉国家の「正統性」が脅かされている。従来の職域集団に代わり、人道的アソシエーションや社会的企業(第三セクター)を活用した「連帯」の再構築が必要である。ただしそこで、国家の役割は縮小するのではなく、より一層重要となるであろう。フランスでは、労働時間規制によるワークシェアリング、第三セクター支援による「参入」政策など、国家の積極的役割と新たな中間集団の活動を両立させる「新しい連帯」像が模索されている(6)。

 以上のようにして、福祉国家の変容とは、専門家によるテクニカルな行政的・経済政策的な対処にはとどまらない。それは各々の国で歴史的に蓄積された「社会的なもの」への想像力に支えられ、その再解釈をつうじて新たな正統性を調達しようとする模索の過程でもある。こうした検討は、さらに次のような問いを呼び起こす。はたして日本において、「社会的なもの」はどのように語られてきたのか。


(1)Gertrude Himmelfarb, Poverty and Compassion : the moral imagination of the late Victorians, New York, Alfred A. Knopf, 1991, p. 6.
(2)以上の経緯について、田中拓道『貧困と共和国―社会的連帯の誕生』人文書院、二〇〇六年を参照。
(3)Stefan Collini, Public Moralists: political thought and intellectual life in Britain, 1850-1930, Oxford, Clarendon Press, 1993, p. 92ff. ミル研究者の川名雄一郎氏によれば、この語はすでにミルの思想の中で「社会科学」の中核概念として用いられていた。
(4)世紀転換期のイギリス社会政策をめぐる議論の布置はA. M. Mcbriar, An Edwardian Mixed Doubles: the Bosanquets versus the Webbs, a study in British social policy 1890-1929, Oxford, Clarendon Press, 1987に詳しい。
(5)Pierre Laroque, Au service de l’homme et du droit : souvenirs et réflexions, Paris, Association pour l’Etude de l’Histoire de la Sécurité Sociale, 1993, p. 199.
(6) Serge Paugum ed., Repenser la solidarité, Paris, Presses Universitaire de France, 2007.

(たなか・たくじ 新潟大学法学部准教授/政治理論・政治思想史)