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博士論文要旨

論文題目:性愛と倫理をめぐる人類学的考察
著者:深海 菊絵 (FUKAMI, Kikue)
博士号取得年月日:2019年3月13日

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1、研究課題
本論では、合意に基づいて複数の性愛関係を築く性愛実践であるポリアモリー
(Polyamory)を事例として、相互的義務を超えた「倫理」や「責任」の諸相を考察す
ることを試みた。ポリアモリーについての先⾏研究では、ポリアモリーの特徴として倫
理や責任を重視する傾向が指摘されてきた。ポリアモリーの指南書においても、⼈びと
の語りにおいても「倫理」や「責任」という⾔葉が頻出している。では、ポリアモリー
の⽂脈で⽤いられる「倫理」とはいったい何を意味しており、ポリアモリー実践者が倫
理的関係を志向するのはなぜなのだろうか。本論ではこれらの問いを起点として、アメ
リカ南カリフォルニアのポリアモリー実践者が、⾃⼰や他者とのより良い関係を模索す
る様相を、⼈びとの創意⼯夫と可傷性のつながりに着眼しながら検討した。その際、⾃
⼰統治にかんするフーコーの議論と⾃他の⾮対称性を前提として倫理を論じるレヴィ
ナスの議論を⼿がかりとした。
2、構成
序論
はじめに
第1節 本論の位置付け
第2節 本論の視座
第3節 調査概要
第4節 本論の構成
第1章 ポリアモリーの挑戦
はじめに
第1節 モノガミー規範とポリアモリー
第2節 性⾰命の末裔としてのポリアモリー
第3節 「オネスティ」の強調
第4節 責任のあるノンモノガミー
第5節 ⼩括
第2章 性愛と⾃⼰統治
はじめに
第1節 ポリアモリーの統治性
第2節 性愛と責任=応答可能性
第3節 性愛と⾃⼰統治
第4節⼩括
第3章 ジェラシー
はじめに
第1節 ポリアモリーと「ジェラシー」
第2節 ジェラシーが⽣じるシチュエーション
第3節 理想とされる性愛のあり⽅
第4節 ピーターのポリアモリー・ヒストリー
第5節 責任=応答可能性の条件
第6 節 ⼩括
第4章 ポリアモリーとBDSM
はじめに
第1節 BDSM とポリアモリー
第2節 合意
第3節 エロスの世界におけるコミュニケーション
第4節 信頼
第5 節 ⼩括
結論
はじめに
第1節 ⾃⼰の技術と他者
第2節 本論の成果と意義
3、先⾏研究と本論の視座
序章第2 節では、⼈類学における性愛研究とポリアモリーの研究の動向を確認し、本
論の視座について述べた。⼈類学における性愛研究は社会規範や社会構造を基軸として
考察されてきた。また、近年の性愛研究は社会規範に対して積極的に働きかける⼥性の
主体性に着眼する傾向が際⽴っている。これらの先⾏研究では、社会構造と個⼈を対⽴
させた形で性愛を捉えようとする点で共通している。そのため、(1)社会規範を超え
て築かれる性愛関係は看過され、(2)性愛そのものの内実が問われず⼈びとの性愛を
⼀⾯的に描く、という問題がある。また、⾃律的主体を前提とするポリアモリーの研究
では、⾃律性の喪失を要するような性愛固有の経験が看過されている。
これらの問題を乗り越える重要な視座として、⼈びとの主客転倒に着眼した誘惑論が
ある[⽥中 2018]。誘惑論において誘惑は、⼀⽅的な権⼒関係を攪乱する批判的実践と
して位置付けられ、誘惑における当事者の関係はより平等的となる。誘惑論のこの側⾯
は、全体化の視点からは看過されてきた他者との共⽣の可能性を提⽰するという重要な
視点を提起している。しかし、性愛という観点からみたとき、平等や相互性に基づいた
相互交渉として⼈びとの関係を捉えることにより、性愛に特徴的にみられる「悪ではな
い⾮―⾃由」の側⾯が⾒えにくくなる。例えば、我を忘れてパートナーに盲⽬になるこ
とや、パートナーに無関⼼ではいられないことは、⾃他関係が⾮対称性に基づいている
ことを⽰唆している。そこで本論では、「他者のために」存在する⾃⼰を前提として倫
理を論じるレヴィナスの議論を⼿がかりとして、(1)⾃⼰が存在するためには他者が
不可⽋である点を強調しながら、社会規範を超えた⼈びとの関係に⽬を向け、(2)⼈
びとが「他者のために」⾃⼰を変容させる様相を考察した。
4、各章の概略
第1 章では、⼈びとがポリアモリーへと参与した背景に関する語りを取り上げ、ポリ
アモリーに⾒られる特徴的な要素を検討し、ポリアモリーの輪郭を描くことを試みた。
⼈びとの語りからは、結婚制度に囚われずに⾃らの性愛を選択することを重視する傾向
が⾒られる。結婚制度に対して主体的な選択を強調するポリアモリーに共感を覚えたと
語る⼈や、現在の婚姻関係を継続させながらも他の⼈と性関係を持つことのできる点を
魅⼒として語る⼈もいた。⼈びとの語りからポリアモリーの性解放の諸相を検討し、ポ
リアモリーが性⾰命と同様に、性と愛と婚姻の三位⼀体を解体しており、性⾰命からセ
ックスポジティブの思想、既存の規範を疑う批判精神、性の実験精神、ジェンダーの平
等性の強調を継承していることを論じた。しかし、ポリアモリーには性解放の視点から
だけでは捉えられない諸相がある。それは多くのポリアモリー研究が指摘しているよう
に、倫理や責任を重視する側⾯である。ただし、ポリアモリーの⾔説に頻繁に⾒られる
「倫理」や「責任」という語は、⾃分で選択したことに対して責任を持つことが重要で
あるといった個⼈主義的な⾊彩を帯びている。⾔説から浮かび上がるポリアモリーの
「倫理」や「責任」に対し、ポリアモリーの実践に⽬を向けると、⼈びとは他者との関
係においていかに振る舞うべきかと問いながら、葛藤していることがわかる。ここから
ポリアモリー実践者が単に個⼈主義的な倫理や責任を追求しているわけではなく、他者
との関係において⾃らを倫理的主体として⾒出そうと試みていることについて論じた。
第2 章では、第1 章で提起した論点を深めるために、ポリアモリーにおける⽇常的な
⼯夫に着眼しながら、性愛と⾃⼰統治のつながりを考察した。ポリアモリーではスケジ
ュールの衝突や性的リスク、ジェラシーが問題となりやすい。これらの問題を回避する
ためのさまざまな⼯夫が⾒られる。例えば、「プライマリー/セカンダリー」区分が挙
げられる。多くの場合、「プライマリー」は「セカンダリー」に対して優先権を有して
いると考えられている。この区分を採⽤する⼈びとは優先順位を明確にすることによっ
て、スケジュールの衝突やジェラシーの問題を回避しようと試みている。その他、⽇常
的な⼯夫として、デートにパートナーを同伴させるというルールや、交際相⼿のリスト
化と共有、⼣⾷を共にする⽇課、等がある。このように、他者との関係を管理しながら
意識的に関係を構築しようとする姿勢は、ポリアモリーの⼤きな特徴である。本論では
これらの⼯夫を、⾃⼰を管理する技術としてだけではなく、偶発的な他者との関係にお
いて⾃らの振る舞いを問い続けるような⾃⼰の技術として捉えた。というのも、実際に
はポリアモラスな関係が、計画やルールによってのみ構築されているわけではないから
である。⾃⼰の技術によって⼈びとが⾃⾝と向き合い、⾃⼰との関係をより良いものへ
と変容させていく様相を、具体的な事例から明らかにした。
第3 章ではジェラシーに着眼し、ポリアモリーにおける⾃⼰の技術と可傷性の結びつ
きを考察した。ポリアモリーを主題とするいくつかの先⾏研究は⼈びとの創意⼯夫を豊
かに記述しているが、そこでは問題に対処するために⾃律的に⾏為することのできる個
⼈が前提とされており、⼈びとの戦略は全て意図的な領域に還元されている。これに対
して本論では、⾃律的な個⼈を⽬指しながらも、他者に⾏為するように促され、他者を
必要とする諸相に着⽬し、他者との関係において傷ついてしまう可能性こそが⼈びとを
⾃⼰の技術へと促していると捉えた。まず、ジェラシー対策の検討から、ポリアモリー
においてジェラシーが(1)マネジメント可能であり、(2)役⽴つものであり、(3)コ
ンパージョンに変わりうるもの、として捉えられている点を明らかにした。同時に、ポ
リアモリーにおいて⾃律した個⼈が理想とされていること、コミュニケーションが極め
て重視されていることを確認した。しかしながら、ポリアモリストの⾃伝や聞き取りか
ら得た事例からは、偶発的で予測不可能な他者との関係において、完全に⾃⼰を統御す
ることはできず、ジェラシーに苦しむ姿が浮かび上がった。また、コミュニケーション
によって必ずしも問題が解決されるわけでもない。例えば、「プライマリー/セカンダ
リー」区分による秩序を強調する妻と、⾃分で⾃分のことを決定する⾃由を強調する彼
⼥が対⽴する事例では価値対⽴が顕在化しており、合意形成の難しさを⽰していた。さ
らに、関係を円滑に構築するために取り⼊れられた創意⼯夫が、ジェラシーを介して他
者を⽀配する技術へと転化することもある。これらジェラシーの事例からは、他者によ
って傷つけられる姿のみならず、他者の傷に無関⼼でいることのできない⼈びとの姿も
浮き彫りになった。レヴィナスの議論を⼿かがりとすることで、これらの可傷性こそが、
責任=応答可能性の条件となっていることを論じた。
第4 章では、実際に他者の傷に応答する関係はどのように構築され、いかに維持され
ているのかを検討するために⼈びとの相互交渉に着⽬した。その際、ポリアモリーの相
互交渉の特徴をより深く理解するために、BDSM との類似に着眼した。ポリアモリー
とBDSM の関係構築の核に共通の価値があること論じる議論が少なくないからである。
両実践における関係構築の特徴として三点を指摘し、それらを⾃⼰の技術として考察し
た。第⼀に、反復的な合意である。ポリアモリーにおける合意の重視は、ルールの決定
や⾃分たちの関係を⾒直す場⾯に確認される。反対に、ポリアモリーを実践することに
対して⼀度合意形成をした後に、⾃分たちの関係を振り返る機会を設けていない場合や、
ルールが固定されている場合には専制的なポリアモリーが現れる危険がある。反復的な
合意は、権⼒関係の硬直した⽀配状態を回避する技術として機能していることを指摘し
た。第⼆に、配慮を核とする告⽩と監視のコミュニケーションである。告⽩や監視を論
じる議論は、告⽩や監視を近代主義的権⼒と結びつく争うべきものとし、そのネガティ
ブな側⾯に焦点が当てられることが多い。本論は教会での告⽩とポリアモリーや
BDSM における告⽩の相違を検討した上で、配慮を核とした告⽩や監視の肯定的な側
⾯に⽬を向けた。具体的には、ポリアモリーやBDSM の告⽩実践を他者に促されるこ
とで⾃らについて率直に語るという受動性を基礎とした⾝体的な発話⾏為として捉え、
それが信頼関係を築く際に重要となっていることを検討した。例えば、【事例34】と【事
例38】のシアと主⼈は、危険な感情エッジプレイに臨む際にテストプレイを⾏い、そ
れに対してシアがどのように感じたのかを率直に語るプロセスを経てプレイの合意に
⾄り、さらにプレイを重ねるなかで信頼を強めていった。この相互交渉において主⼈は、
シアを監視することで彼⼥の傷つきやすさ、歓び、欲望に敏感であろうと努めている。
他⽅、シアは⾃分に対する配慮を怠らない主⼈の⾏動を⾒てきたからこそ、「主⼈が⾃
分のために⾏為することを知っている」と明⾔する。配慮を核とする監視は、⾃分の振
る舞いを管理するだけではなく、他者の傷つきやすさを敏感に感じ取るために必要な⾏
為であり、さらに他者が⾃分に配慮していることを知る機会を提供してもいる。第三に、
ラディカル・オネスティがある。本論では、⾃らの考え、感情や欲望を率直に表現する
ことこそが他者との濃密な絆を作り出す、という「ラディカル・オネスティ」に着⽬す
ることで、実際の関係構築において「オネスティ」がいかに作⽤しているのかを検討し
た。【事例37】が⽰唆していたように、ここでの「オネスティ」は他者に⾝を委ねるこ
とであり、可傷性に⾃⾝を晒すことでもある。ノーリミットを取り上げ、可傷性におい
て他者に⾝を委ねる/委ねられるという相互交渉が、他者に対するさらなる信頼を⽣み
出している点を検討した。
本論から考察されたポリアモリーにおける⾃⼰の技術は、⾃らを倫理的主体として構
成する技術というだけではなく、可傷性を避けることのできない⼈間が他者と⽣きるた
めに⾃⼰を変容させる技術であり、⾃分の存在を⽀えている他者を⽣かすための技術で
もあった。
終章では、本論の議論をまとめ、本論の成果と意義について述べた。本論では⾃分独
りで存在することが可能であるような⾃⽴・⾃律的な⼈間を前提とすることを退け、可
傷性を避けることができない社会的な存在としての⼈間を前提として性愛を考察した。
このような視座から、性愛関係における倫理や責任の問題を、社会規範を超えて探求す
る⼀つの枠組みを提⽰した点に本論の意義が認められる。本論では、事例をより深く理
解するために哲学的議論を援⽤しながら論を進めた。しかし実際にどのような可傷性が
どのような応答関係へと⼈びとを導き、その関係構築にいかなる特徴が⾒出されるのか、
はフィールド調査によらなければ明らかにならない。また、倫理的関係を築く際に機能
していた創意⼯夫が、状況に応じて⽀配の技術に転化することもある。現実世界におい
て⼈びとがとりうる応答関係の内実を具体的事例の分析を通じて検討する作業が⽋か
せないと考える。⾃らが葛藤のただ中にいるときでさえ、他者の傷つきやすさに応じる
ような関係は、どのような状況において⾒られるのか。どのような他者のいかなる傷つ
きやすさが応答すべきものとみなされ、どのような他者のいかなる傷つきやすさが無視
され、⾒過ごされるのか。⼈類学者がフィールドにおいて意識的にこれらの問いに⽬を
向けて考察することは、倫理や責任の問題領域に新たな可能性をもたらすと考える。

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