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博士論文要旨

論文題目:戦後日本における知的障害者処遇
著者:原田 玄機 (HARADA, Genki)
博士号取得年月日:2019年3月18日

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目次
序章 戦後日本の知的障害者処遇の特徴とは何か 4
はじめに 4
1.知的障害者の生活と先行研究 5
(1)知的障害者の生活の特徴 5
(2)知的障害者の生活に関する先行研究 7
2.先行研究における統一的視角の欠如 9
(1)知的障害者処遇の対象の整理 10
(2)知的障害者処遇の担い手 13
(3)知的障害者の生活の4類型の素描 15
3.本論文で取り組む課題の設定 17
4.知的障害者の対象変化を扱う資料 20
5.本論文の意義 24
おわりに 26
第1章 就労訓練と特別処遇――1950年代から60年代の構想・対象・担い手 27
はじめに 27
1.知的障害者処遇構想の問題枠組み 27
(1)行政の領域における構想――「精神薄弱児基本対策要綱」 28
(2)担い手の領域における構想――『精神薄弱者問題白書』 31
(3)小括――様々な担い手による就労訓練 35
2.対象として見いだされた知的障害者たち 36
3.1950年代から60年代の知的障害者処遇 38
(1)学校教育における知的障害者 38
(2)福祉における知的障害者 40
(3)小括――就労訓練を中心とした知的障害者処遇 44
おわりに 45
第2章 1970年代~1980年代における知的障害者の重度バイアスの進行 46
はじめに 46
1.統計調査で把握された知的障害者の推移 49
(1)厚生省推計調査の推移 50
(2)療育手帳の推移 52
(3)小括――重度知的障害者の増加 56
2.なぜ重度バイアスが生じたのか――特殊教育の規模縮小と養護学校化 57
3.学校における重度バイアスが生じた背景 61
おわりに 64
第3章 家族バイアスから考える日本の知的障害者施設史論――1970年代から1980年代を中心に 66
はじめに 66
1.知的障害者入所施設に関する歴史研究 68
2.本章で扱う資料の性格 69
3.資料の分析 70
(1)様式 70
(2)基本属性 77
(3)障害程度 78
(4)主な措置依頼理由 78
(5)小括――重度かつ家族環境の問題を抱える知的障害者 79
4.なぜ家族バイアスが生まれたのか――福祉施設の数量的限定 81
5.対象者像の変化から得られる示唆――対象変化に伴う目標の変化 85
おわりに 87
第4章 1970年代から80年代における作業所の繁茂――重度バイアスと家族バイアスの交差から 89
はじめに 89
1.先行研究の検討と課題設定 90
(1)作業所の拡大――統計の確認 90
(2)先行研究の検討 92
(3)資料について 93
2.作業所の対象と担い手 96
(1)作業所の対象 97
(2)作業所の担い手 103
(3)小括――作業所の担い手と対象に見られる重度バイアス・家族バイアス 107
3.就労を目指した教育・福祉 108
4.作業所拡大の制度的条件 109
おわりに 112
第5章 現代における対象者の拡大 115
はじめに 115
1.1990年代までに成立していた処遇の担い手 115
2.1990年前後からの変化 116
(1)様々な担い手による知的障害者の対象の拡大 117
(2)限定的な対象から知的障害者全体へ 122
3.これまでの歴史が現在に与えている影響 124
(1)家族が知的障害者の処遇を担うことができる可能性が小さい知的障害者に対する継続的な注目 124
(2)新たな典型的な生活の出現 125
おわりに 126
終章 127
1.結論 127
2.本論文のインプリケーションと残された課題 128
参考文献 130
謝辞 136


 本論文では、序章で日本の知的障害者の典型的な生活を整理した。そこで見いだされたのは、親元から福祉的就労の場に通うという数的に多い生活と、入所施設での生活や、触法障害者・ホームレスとなっている知的障害者の存在であった。そして、先行研究では、それぞれの生活について、それぞれの説明を与えたり、解決策を提示したりしていたことがわかった。そのうえで、先行研究では、これらの生活を統一的に把握できていないことを指摘した。こうした限界を乗り越えるために、見守りの必要の大きさと、家族が知的障害者の処遇を担うことができる可能性という2つの軸から、知的障害者の生活を4類型にわけたうえで(図0-1)、なぜ見守りの必要が大きく、家族が知的障害者の処遇を担うことができる可能性が大きい人々の生活が代表的なものとなったのかを明らかにするという課題を設定した。さらに、こうした課題に取り組むために歴史的アプローチが有効であることと、様々な資料を使うことの妥当性を議論した。そのうえで、第1に、社会政策学・社会福祉学に対して、第2に、知的障害者福祉研究に対して、第3に、知的障害者歴史研究に対して、第4に、政策・実践に対して貢献をなしうると論じた。

図0-1 対象の4類型

 第1章から第4章までは、戦後日本の知的障害者処遇について議論した。
 第1章では、1950年代から1960年代を対象として、知的障害者処遇の対象に、後に見られる偏りがなかったことを示した。まず行政においても、『精神薄弱者問題白書』の執筆陣に代表される担い手たちにおいても、近年まで忘却されていた触法などの領域が意識されており、また、軽度の知的障害者に対する就労訓練が重要であるとされていた。そのため、当時の調査では、軽度知的障害者が多く発見されていた。実際に進んだ制度は、学校教育と福祉であったが、とくに学校教育においては軽度知的障害者に対する就労訓練が進み、福祉はやや重度の知的障害者を対象としつつあった。いずれにしても、そのあとにみられるような対象の偏りは見られなかった。
 第2章では、1980年代ころまでの知的障害者処遇では、見守りの必要が大きい知的障害者に注目が集まり、見守りの必要が小さい知的障害者が対象から外れるという重度バイアスが生じていたことを、厚生省推計調査と療育手帳の推移から提起した。そのうえで、そうした変化が、1970年代の知的障害児教育によって引き起こされたことを示し、その背景には、特殊教育における処遇改善や当事者側にとって利得のある制度が用意されていなかったのではないかと議論した。ここでの議論から、学校という場所が、社会福祉などの対象を作り出す機能をもっていたということと、1970年代以降、就学義務化が進んでいったことを知的障害児たちの普通学級からの分離であると批判し、逆に普通学級へと知的障害児などの障害児を通わせようとする就学運動や統合教育といった運動・実践に関するリアリティがどのようなものであったのかを示唆することができた。
 第3章では、精神薄弱児施設と呼ばれる知的障害児の入所施設が求められてきた役割を検討することを通じて、知的障害者処遇の対象が、家族が知的障害者の処遇を担うことができる可能性が大きい人に偏ったこと、つまり家族バイアスが生じたことを明らかにしつつ、なぜ家族バイアスが生じたのかに関する仮説を提示した。あわせて、この作業を通して知的障害者施設史研究に対する貢献をすることを目的とした。その結果、ここから得られたのは、入所施設の量的不足という状況のなかで、障害程度が重く、かつ家族に問題のある知的障害者を引き受ける場所として入所施設が変化していったということであった。加えて、精神薄弱児施設の目標と実態のずれが精神薄弱児施設の減少や、入所施設からの地域移行に対する要因になった可能性を示唆した。
 第4章では、1970年代から1980年代になぜ知的障害者処遇の中心として、作業所が増加したのかを明らかにすることを通じて、本論文全体の仮説を論証することを目的とした。分析の結果、第1に作業所の対象について、知的障害児教育の重度バイアスが生じ、見守りの必要の大きい知的障害者という対象が生み出されていたことに加えて、家族バイアスによって本論文の視角の第3象限の知的障害者が対象となっていたことがわかった。第2に、担い手についても家族バイアスは生じており、小規模作業所の担い手で主要だったのは何よりも親であったことがわかった。第3に、対象となった知的障害者を見出した学校や福祉では就労という価値が求められていたにもかかわらず、労働行政の不在などから一般就労が達成されなかったため、単なる通所施設ではなく作業所と呼ばれる就労するための施設がつくられたと考えられた。第4に、入所施設など当時の措置制度のもとでの施設をつくるのは財政面等での障壁が高かったために、小規模作業所を中心とした施設群が増加していったと結論づけることができた。このような分析から、家族を前提として作業所が成立している点と、作業所はある種の均衡のもとに拡大していったが、それゆえにこそ、常に存在意義を問い続けられる宿命にあるのではないかという2点の示唆が得られた。
 第5章では、これまでの歴史的考察をふまえて、1990年代以降の変化について整理した。1990年代以降は、見守りの必要が小さい知的障害者が再び対象となり、かつ家族の負担が見直されて家族を支援する動きが見られる。その結果、知的障害者処遇の対象となる人々が拡大していることがわかった。ただ、家族が処遇を担うことができる可能性が小さい知的障害者については、再度不可視化される恐れもあることと、グループホームと就労という新たな典型的な生活が出現しつつあることは一定の成果ではありつつも、その周縁や内部に新たな不可視化を生む可能性を指摘した。
 終章では結論を述べたうえで、主に社会政策・社会福祉に関わる論点についてのインプリケーションを論じた。本論文では、対象の偏りという点を中心に知的障害者処遇を議論してきたが、本論文で考察した対象の偏りという現象は、敷衍すれば知的障害者に限らなかった。そのため、対象の偏りを議論するというアプローチは、社会政策・社会福祉研究に共通するアプローチになりうるのである。こうした対象の偏りという現象は、資源制約とは無関係ではないが、相対的に独立しているうえに、対象の偏り自体が資源配分に影響を及ぼすという特徴をもつ。社会政策・社会福祉分野においては、資源制約にとどまらない社会政策・社会福祉の限界が議論されており、ある政策がどのような対象を射程に含め、どのような対象は射程から外しているのかという点は、一定の意義を持ちうる論点であろうと考えられた。とりわけ、このような偏りの発見は、政策や実践の当事者には困難なことである可能性があるため、政策や実践の当事者ではなく外部観察者である社会政策学や社会福祉学の研究者が果たすべき役割の1つとして、政策・実践の偏りを検討することが考えられてよいものと考えられた。最後に残された課題として、第1に、知的障害者処遇と他の領域との関係が予想されるものの本論文では議論できなかったこと、第2に、見守りの必要が小さい知的障害者の生活がどのようなものであったのかについては、序章で見通しを示したものの、具体的にどのようなものであるのかは検討できなかったこと、第3に、4象限に知的障害者の生活が整理できるとして、それは日本に特有のものなのか、知的障害者処遇が形成されている他の国々においても妥当するのかということを挙げた。

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