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博士論文要旨

論文題目:戦後社会運動における民主主義と公共性―1950年代大衆集会の考察―
著者:長島 祐基 (NAHGASHIMA, Yuki)
博士号取得年月日:2019年3月18日

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1.本論文の構成
第1章 本論文の目的と課題
Ⅰ 本論文の問題意識
Ⅱ 1950年代社会運動に関する三つの研究視角
(1)1950年代の社会運動研究と言説としての「戦後民主主義」
(2)サークルを中心とする1950年代文化運動研究
(3)1960年代以降の社会運動における公共性の転換
Ⅲ 本論文の課題と対象としての大衆集会
第2章 分析枠組みと本論文の対象
Ⅰ 分析枠組み
(1)社会運動論(動員論)と公共性
(2)ハーバーマスのコミュニケーション論
(3)ハーバーマスの発話論と権力論
(4)ムフのハーバーマス批判と分析の着眼としての発話をめぐる権力
(5)ブルデューの教育的コミュニケーション論
(6)人々の態度表明と討論の形成可能性
(7)バトラーの議論における発話と主体の変容可能性
(8)ウィリアムズの文化研究と本論文の位置
(9)分析の着眼点と本論文の課題
Ⅱ 本論文の構成と分析で用いるデータ
第3章 戦後の三つの運動に見る討論の場の形成
Ⅰ 本章の目的と課題
Ⅱ 敗戦直後の文化運動と全日本民主主義文化会議
Ⅲ 知識人による平和運動と討論集会の形成
(1)平和問題談話会の討論実践と日教組教研集会
(2)初期の平和擁護運動と署名運動の展開
(3)国際会議の開催と国内の平和運動への圧迫
(4)知識人たちによるアイデアの輸入と討論集会の開催
Ⅳ 総評労働運動と討論の場
(1)総評の結成と総評高野時代
(2)総評中央における平和経済国民会議の開催
(3)地域における平和経済国民会議の開催
Ⅴ 討論集会に対する人々の期待と他のレパートリーとの関係
Ⅵ 小括
第4章 国民文化全国集会の開催と知識人の「国民文化」言説
Ⅰ 本章の目的と課題
Ⅱ 国民文化会議の結成と国民文化全国集会
Ⅲ 国民文化全国集会における知識人の「国民文化」言説
(1)記念講演と「国民文化」言説
(2)分科会討論における「国民文化」言説
Ⅳ 小括
第5章 分科会討論における発話や態度表明と主体形成
Ⅰ 本章の目的と課題
Ⅱ 国民文化全国集会参加者
(1)参加者の年齢層(第4回国民文化全国集会)
(2)参加者の活動地域(第4回国民文化全国集会、第5回国民文化全国集会)
(3)分科会テーマと参加者の問題意識
(4)参加者の所属団体
Ⅲ 知識人と参加者のコミュニケーションと参加者の主体形成
(1)参加者の発話と知識人の応答
(2)「国民文化」言説と参加者の主体形成
Ⅳ 分科会討論における発話と主体形成
(1)参加者の発話の触発と呼びかけに応じて発話する主体
(2)自己省察と主体化
Ⅴ 対抗的な発話や態度表明を通じた主体形成
(1)運動手法をめぐる分科会討論
(2)全体会議と「飛び込みの問いかけ」
(3)集会修了後の態度表明
Ⅵ 小括
第6章 地域の文化運動と発表の場としての大衆集会
Ⅰ 本章の目的と課題
Ⅱ 作品発表会の開催と国民文化全国集会
(1)戦後文化運動と作品発表会
(2)国民文化会議の初期活動に見る文化創造活動
Ⅲ 第4回国民文化全国集会と作品発表
(1)第4回国民文化全国集会
(2)大阪府職劇研の「求める人」
(2)国鉄東灘の「貨車の歌」
Ⅳ 小括
第7章 職場の文化運動の展開と作品創造
Ⅰ 本章の目的と課題
Ⅱ 戦後大阪の自立演劇運動
Ⅲ 大阪府職劇研の演劇上演/創造活動
(1)大阪府職劇研の結成と演劇上演活動
(2)自立演劇の存立条件
(3)創作劇のテーマと演劇の魅力としての役を演じること
(4)ジャンルとしての演劇と創作劇における集団と個人
Ⅳ 国鉄東灘闘争の展開
Ⅴ 小括
第8章 作品発表と態度表明の差異
Ⅰ 本章の目的と課題
Ⅱ 自立演劇運動における知識人の言説と労働者の主体形成
(1)大阪府職劇研の上演劇に対する評価
(2)知識人の言説と労働者の主体形成
Ⅲ 第4回国民文化全国集会発表作品に対する参加者の態度表明とその差異
(1)上演作品に対する学生たちと文化運動関係者の態度表明
(2)大岡欽治と労働者たち
Ⅳ 闘争の現場や地域の作品発表会との落差
(1)闘争の現場との落差
(2)地域の文化運動の発表会との落差
Ⅴ 小括
第9章 結論―戦後大衆集会に見る民主主義、公共性―
Ⅰ 大衆的な討論集会の形成過程
Ⅱ 大衆集会闘論における知識人の言説と、討論を通じた主体形成
Ⅲ 地域や職場の文化運動と国民文化全国集会
Ⅳ 作品鑑賞を通じた態度表明と討論の形成可能性
Ⅴ 戦後社会運動における民主主義と公共性
(1)動員を通じた公共空間の形成
(2)一方向的コミュニケーションと双方向的コミュニケーション
(3)対抗的な発話や態度表明を通じた新たな討論の形成可能性
(4)本論文の理論的含意
Ⅵ 今後の課題
付論  1960年代の国民文化会議と大衆集会
Ⅰ 上原専録の会長辞任
Ⅱ 運営機構の変化と国民文化全国集会
Ⅲ シンポジウムの開催と拡大
Ⅳ 小括
参考文献(二次文献)
巻末資料集
あとがき

2.先行研究の成果と課題
 本論文では国民文化全国集会を中心とする、敗戦から1950年代にかけて開催された大衆集会(大衆的な討論集会)を対象として、(1)文化運動や平和運動、労働運動において大衆的な討論集会が形成されていく過程、(2)大衆集会討論における知識人の言説と、討論での発話やアンケートなどでの態度表明を通じた参加者の主体形成、(3)大衆集会での発表作品に対する参加者間の発話や態度表明の差異と討論の形成可能性を検討した。その際、不均等な言語的コミュニケーション関係を通じた参加者の認識変化と主体形成という視点から戦後日本の社会運動における民主主義と公共性を明らかにした。
 敗戦から1950年代にかけての社会運動は主に(1)政党政派の論理や知識人の思想に着目した研究、(2)1960年代以降の社会運動を対象とする研究の中での言及、(3)サークルを中心とする戦後文化運動研究の三つの面から研究されて来た。先行研究において総評や知識人からなる1950年代の社会運動は、政党政派の論理による引き回しとして否定的な評価が与えられ、そうした論理と緊張関係を含みつつ地域や職場の人々が主体形成をしていく文化運動の独自性が強調されて来た。また、1960年代以降の運動を通じた公共性の転換が指摘され、討論や公共性に関する様々な理論的課題が提起されてきた。しかし、総評や知識人による1950年代の運動における討論や民主主義、公共性を1960年代以降に提起された理論的課題に照らし合わせながら分析した研究は不十分であった。
 
3.本論文の課題設定と方法
 本論文では敗戦から1950年代に開催された大衆集会を分析対象とした。大衆集会を分析対象としたのは、政党政派の論理と地域や職場のサークルの論理が交差する場であり、どちらの論理にも回収されない討論や公共性を検討出来ることに加え、1950年代の運動における重要な運動方法であった大衆集会は戦後日本の民主主義や公共性を形作った場として捉えることが可能であると考えたからである。本論文では大衆集会を1960年代以降に提起された討論や民主主義、公共性に関する理論から読み解くことで、1960年代以降の議論と1950年代の運動を架橋し、政党政派の論理や文化運動研究とは異なる形で運動像を描くこと、それが公共性論にとって持つ意味を明かにすることを課題とした。
 本論文ではいくつかの理論を検討し、分析上の着眼点を検討した。社会運動論は動員を通じて多様な価値観が交差する公共空間の形成を議論する。その際、動員の論理と同時に、運動参加者の認識が重要な論点となる。ただし、社会運動論は形成された公共空間が本当に討論や民主主義、公共性に関する条件を満たすのかを議論出来ない。本論文では言語的コミュニケーションを通じた民主主義や公共性を考える論点として、J.ハーバーマスをはじめとする複数の議論を参照した。ハーバーマスは双方向的な討論を通じた認識変化や合意形成といった討論や公共性の条件を議論している。ただし、ハーバーマスの議論は実際のコミュニケーションにおける権力関係を十分議論していないという批判がある。本論文ではこの点を踏まえ、コミュニケーションにおける人々の差異や権力関係を捉え、討論の場をより立体的に考察する上の導きの糸として主に以下の二つの議論を参照した。それは(1)人々の間にある空間的差異と文化的差異を背景とした一方向的なコミュニケーションを読み解くP.ブルデューの議論と、文化的差異を背景とした討論の形成可能性を議論するフィールド分析、(2)人々の発話をめぐる権力性と(時として対抗的な)発話を通じた主体形成を論じたJ.バトラーの議論である。以上の理論を参照した上で、本論文は「国民文化会議資料」を中心とする資料の分析に加え、大阪の演劇運動に関しては聞き取りを加えて記述した。

4.本論文の概要
 第1章では先行研究の成果と本論文の課題を確認し、第2章では社会運動や言語的コミュニケーションに関する理論を参照の上、分析上の着眼点を検討した。
 第3章では敗戦から1950年代前半にかけての大衆的な討論集会開催の契機を文化運動、知識人による平和運動、労働運動の三つの運動に着目して明らかにした。討論集会は主催団体による動員によって成立していた。そして人々は、地域や職場での討論を通じて醸成された、討論集会への期待を背景として集会に参加した。討論集会は政治的圧力に対抗する面と政治的圧力をかわすという面を持ち、直接行動のような方法に批判的な人も参加出来た。しかし、それ故に政治権力との対決という点では不十分な方法と批判される面もあった。
 第4章と第5章では国民文化会議が主催して1956年から開催された国民文化全国集会を事例に、討論集会としての側面を検討した。国民文化会議は討論集会の積み重ねを背景としつつ、知識人や総評と地域や職場の文化運動を結びつけることを目指して1955年に結成された。第4章では国民文化全国集会におけるコミュニケーションの二つの形態を通じて、知識人の言説が提示される過程を検討した。同集会では知識人から記念講演や分科会の問題提起を通じて「国民文化」という新しい文化の創造が目標として提示された。「国民文化」は論壇での議論を背景としつつ、社会各層を「国民」という形で結びつけ、主体化させていく論理でもあった。記念講演では壇上に立つ知識人が参加者に対して一方向的に言説を教授したのに対し、多くの分科会では参加者全員が水平的な位置に着席するなど、理念的には双方向的、水平的なコミュニケーションが目指された。一方、「国民文化」に関するテーマを掲げた分科会では、知識人たちが事前資料を作り、討論では「先生」として問題提起を担当した。分科会討論は理念としての水平性と、実態としての権力性が交差する場であった。
 第5章では分科会討論における参加者の発話や集会後の態度表明と主体形成の局面を検討し、発話を求める権力作用と知識人の言説や討論課程が参加者に与えた不均等な影響が重要な要素であることを明らかにした。討論における参加者の発話は、司会者(知識人や労組幹部)による呼びかけに応じる形でおこなわれた。参加者は司会者による権力作用を通じて発話した。参加者は確かに討論を通じて悩みを共有し、発話を通じて自分の問題を整理出来ていない点を認識した。一方、知識人の「国民文化」言説や討論課程は参加者に不均等な影響を与えた。知識人の言説は学生と労働者に異なる影響を与えた。また、自分の議論したいテーマが設定されてなかった参加者や、労働運動やサークル活動の経験がない参加者は集会の討論に十分参加出来なかった。そうした中から知識人の言説である「国民」を流用しながら、集会のテーマに対して対抗的に発話や態度表明をする主体が現れてきた。
 本論文前半が国民文化全国集会の討論集会としての側面を検討対象としたのに対し、本論文後半に当たる第6章から第8章では大阪で開かれた第4回国民文化全国集会(1959年)の作品発表を対象として、作品観賞が参加者に与えた影響と、討論の形成可能性を検討した。第6章では戦後の作品発表会の開催と第4回国民文化全国集会での作品発表を検討した。戦後の大衆集会では地域や職場で作られた作品が発表された。作品発表は地域や職場の問題を全国の人々に伝える回路として機能していた。第4回国民文化全国集会では大阪府職演劇研究会(大阪府職劇研)と国鉄労働組合東灘分会(国鉄東灘)がそれぞれ創作劇とシュプレヒコールを発表した。
 第7章では作品を発表した二つの団体の活動を検討し、両者の差異を明らかにした。戦後、大阪では地域や職場に数多くの演劇サークルが結成され、多くの劇が発表された。大阪府職劇研は組合主催の文化祭を背景として結成され、資金や稽古場所の確保などの問題をクリアしながら研究発表や移動公演を続けた。活動を通じてメンバーたちは連帯感を感じ、演劇の「ルール」を身に着けていった。他方、国鉄東灘では第4回国民文化全国集会の前年に職場闘争がはじまり、闘争を通じて文化運動が発展していった。そのため、二つの団体の間には大きな差異が存在した。大阪府職劇研の作品が長い文化活動を背景として作られたのに対し、国鉄東灘は活動経験こそ短いものの、職場の闘争を通じて作品が作られた。
 第8章では大阪府職劇研の上演作品に対する評価の変遷と、第4回国民文化全国集会での発表作品に対する参加者の発話や態度表明の差異を通じた討論の形成可能性を検討した。大阪府職劇研は知識人の助言を受けながら社会の矛盾を描いた演劇を作り、知識人からも評価された。国民文化全国集会では、参加者は発表者と場所と時間を共有して作品を鑑賞した。そして、集会を通じて発表作品に対する多様な発話や態度表明が現われた。普段労働者の作品に触れる機会の少ない学生たちは作品への共感や称賛を表明した。これに対し作品に対して社会の矛盾の構造的把握を求めた文化運動関係者たちの態度表明は、作品の比較や評価の側面が強くなり、大阪府職劇研の作品は高く評価された。そして労働者は大衆集会での作品観賞を、闘争の現場で作品を通じて一体感を醸成する経験とは異なるものとして経験した。
 参加者の発話や態度表明は、参加者の属する社会層や運動における作品の位置づけの差異、作品を発表した団体の差異や活動経験の差異の影響を受けていた。その中には発表作品や発表方法への異議も含まれており、討論が形成される可能性があった。ただしそれらが十分に生かされることはなかった。集会では参加者が作品のコンセプトを理解/共有して作品を鑑賞したとは言い難かった。また、作品発表を通じて提起された問題は分科会のような形で討論に付されることはなかった。

5.本論文の成果と課題
 本論文では国民文化全国集会を中心とする、敗戦から1950年代にかけて開催された大衆集会を対象として、その民主主義や公共性を検討した。敗戦から1950年代前半は、多様な形で社会各層による討論集会が開催された。討論集会開催の際、主催者は人々に討論を呼びかけ、主催者側と参加者側の討論集会という運動方法に対する期待が一致した。集会の開催を通じてこうした期待は広く共有されていった。一方で討論集会を採用することは、他の方法を重視する人々からの対抗的な問題提起の可能性を常にはらんでいた。
 1950年代後半に開催された国民文化全国集会はこうした蓄積の上に開催された。分科会討論は水平的な討論を目指し、人々の認識を変化させ、多様な主体形成を実現していた。ただし、集会のコミュニケーションは不均等であった。それを規定していたのが、人々の空間的な立ち位置、知識人の持つ「文化資本」と司会者として参加者への発話を求める権限であった。集会討論には理念としての水平性と実態としての権力性が存在していた。
 そして知識人の言説や討論過程、作品の観賞は、参加者に不均等な形で作用した。知識人の言説や集会に対して参加者は、知識人の言説との文化的な距離や集会での発話機会に応じて異なる発話や態度表明をした。また、作品を鑑賞した参加者の態度表明には、作品発表を担った団体の差異や、参加者の社会階層や運動に対して持つ「掛け金」と発表作品との文化的な距離が影響を与えていた。集会は参加者が時として主催者の知識人が用いている言葉を流用しながら、対抗的な発話や態度表明を通じて主体形成をする場でもあった。それは更なる討論が形成される可能性でもある。
 本論文では討論集会という手法が複数の運動を通じて形成されていく過程と、集会における理念としての水平性と実態における権力性、及び知識人の言説やサークルの作品が参加者に対して与える不均等な影響と、参加者の時として対抗的な発話や態度表明を通じた主体形成を明かにした。集会は政党政派の論理に回収されない、多様な参加者の主体形成が存在したが、それは権力作用を含むコミュニケーションを通じてであり、知識人の言説や討論過程、発表作品が及ぼした不均等な影響を通じてであった。以上の点はハーバーマスの公共性論やコミュニケーション論に限定されず、言語的コミュニケーションに関するブルデューやバトラーといった複数の理論を組み合わせ、参照することで見えて来るものである。ハーバーマスをはじめとする公共性論はしばしば公共性の条件など規範的側面を重視する。本論文で示した視点は、そうした議論に対して発話者間の権力関係や参加者の間にある差異という視点を入れることで、討論の場を批判的かつより実態に即した立体的な形で検討することを可能とする視点を示すものである。
 本論文の課題としては、(1)第3章で扱った個々の運動をより深めること、(2)原水禁大会など同時代の大衆集会や1960年代以降の運動を含む討論や公共性の幅広い文脈での検討、(3)本論文で扱った以外の演劇サークルや職場の文化運動など、関西地方の文化運動の掘り下げ、(4)演劇運動を対象としたコミュニケーションの多角的検討の4点があげられる。特に(4)については言語的コミュニケーションに限定されない形のコミュニケーション論を組み込む形での分析が必要であると考える。

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