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博士論文要旨

論文題目:アメリカにおける難民の保護とセクシュアリティ―性的マイノリティの難民と庇護希望者の包摂と排除―
著者:工藤 晴子 (KUDO, Haruko)
博士号取得年月日:2019年3月18日

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1.章立て
序章 セクシュアリティと難民・強制移動
第1節 研究の問いと背景
第2節 用語、論文の構成、分析資料
第 1 章 難民・強制移動研究とクィア移住研究
第1節 クィアとしての難民とはなにか
第2節 難民・強制移動研究とセクシュアリティ
第3節 セクシュアリティ研究と難民 ・強制移動
第 2 章 アメリカにおける移民・難民政策と性的マイノリティの歴史と政治
第1節 ジェンダー、セクシュアリティと入国管理
第2節 難民政策のターニングポイント ─1980 年マリエル・ボートリフト事件
第3節 「ホモセクシュアル・マリエルズ」から「特定の社会的集団の構成員」へ
第 3 章 性的マイノリティの難民の保護と排除
第1節 セクシュアリティと保護/排除のディスコース
第2節 2010年以降の外交政策としての「LGBT難民と庇護希望者」
第3節 第三国定住受け入れ政策のなかの「LGBT難民」
第4節 性的マイノリティの難民とは誰か―1980年から2014年の新聞言説から
第5節 国境の厳格化による排除
第 4 章 難民の語りの構築
第1節 調査地とインタビュー
第2節 移動のパターンと庇護へのアクセス
第3節 難民の語りの構築
第4節 権利とアイデンティティについて「学び」語る─ニューヨーク市の事例から
第5節 「非正規移民」から難民へ─サンフランシスコ・ベイエリアの事例から
第 5 章 難民の語りのクィアな可能性
第1節 「寛容なアメリカ」対「ホモフォビックな出身国」
第2節 ホームはどこにあるのか
第3節 庇護国アメリカと「LGBTコミュニティ」の包摂の幻想と排除
終章

2.要約
 本論文は、異性愛規範にあてはまらないジェンダー・アイデンティティや表現、性的指向を理由に、安心して暮らすための諸条件、権利、環境から排除されて難民となる人々と、アメリカにおけるそうした難民の保護の枠組みに注目する。このテーマを難民・強制移動研究とクィア研究の双方の視点から捉えることで、難民政策のなかで性的マイノリティの人々の保護という問題がどのように構築されてきたのかを理解し、その枠組みと言説のなかに、包摂される人々と取りこぼされる人々がいることを明らかにすることを目的とする。国家の移民・難民政策とセクシュアリティの政治のなかで性的マイノリティの人々がどのように位置づけられているのか。難民問題の構造的な枠組みと個人の経験とがどのように結びついているのか。アメリカを事例に、難民・移民政策と性的マイノリティの権利に関する言説と、難民自身の移動の過程についての経験、認識、表現をあわせて分析することで、これらの問いに答える。
 第1章では本論文の位置づけを説明する。まず、「クィア」ということばの背景とその意味を確認しながら、本研究がクィア研究として制度や言説の中に生じる周辺化の問題や境界を生む規範を問いながら、その周辺化への抵抗を目指すという立場にあることを示す。難民・強制移動研究において性的マイノリティの問題には難民条約のより柔軟な解釈の促進という文脈で取り上げられる一方で、クィア移住研究では、本質主義的アイデンティティの概念を支える難民申請制度に対する批判という議論がなされてきた。しかし、どちらも法的な文脈での分析とアイデンティティ・カテゴリーの問題に留まり、それぞれの分野で展開されてきた議論がどのように関わり合うのかは明らかではなかった。本論文は2 つの研究領域を交差させることで、性的マイノリティの難民の保護が促進されるべきではあるが、その保護の枠組みがさらなる周辺化を生んでしまう、というジレンマを乗り越えることを目指す。
 第2章ではアメリカの移民・難民政策のセクシュアリティ、特に政策と同性愛との関わりの歴史を概観し、その変遷をたどる。移民・入国管理政策において、セクシュアリティに関わる規範は望ましくない非市民を見つけ出し、区別し、排除するツールとして機能してきた。非規範的なジェンダーとセクシュアリティをもつ外国人は、倒錯者、犯罪者、精神異常者、病人といった異なるカテゴリーに振り分けられながら、入国拒否と退去の対象となり、こうした排除のカテゴリーはごく最近まで存在していた。この排除の機能は、アメリカの難民法制定と時期を同じくして起きた1980年「マリエル・ボートリフト事件」にもみられた。この事件はアメリカの難民政策の転換点として、第三国3定住と庇護申請を明確に区別し、難民の保護と管理の問題を外交政策ではなく、国内の安全保障の問題として形成していく。当時のキューバ難民の受け入れと定住において、逸脱者としてスティグマ化された同性愛者は、アメリカにとってもキューバにとっても望ましくない集団としてみなされ、表象されていた。しかし、外交政策と国内政治の間にあったこのゲイのキューバ難民のひとりが、その曖昧な滞在資格が期限切れとなるのをきっかけに難民認定申請を行い、退去強制を逃れることに成功する。この一件の司法判断は、後のアメリカにおける性的マイノリティの難民に対する認定の基盤ともいえる判例となる。
 第3章では、入国管理における排除のためのツールであった「逸脱した」セクシュアリティが、2010年以降のアメリカの人権外交のなかで新しい役割を与えられ、新しい問題を構築するようすを考察する。Katyal の「置換モデル」を手がかりとして性的マイノリティの権利保護の文脈で用いられる欧米中心的なセクシュアリティ概念を検討すると、そうした支配的なパラダイムに当てはまらない人々を排除する可能性があることがわかる。この支配的な概念に基づいて性的マイノリティの保護の運動が展開していくなかで、国家の性の政治と結びつき、異性愛規範を踏襲するような規範が生じていることは、「新しい同性愛規範」(Duggan)批判によって指摘され、さらに人種主義的なナショナリズムとの共犯関係を結んでいることが「ホモナショナリズム」(Puar)と
してクィア・ポリティクスに関わる研究から指摘される。
 こうした批判はLGBTの人権を促進しようとする外交政策についても考察の手がかりを与えてくれる。2010年以降、外交政策における「LGBT難民と庇護希望者」という新しいカテゴリーが、アメリカの進歩性とホモフォビックな国々を他者として名指す政治の言説のなかで構築されていく。オバマ政権下にうたわれた「LGBT難民と庇護希望者」の保護は、結局のところ、国内問題として扱われる庇護申請ではなく、国際法上の義務やモラルの問題の影響を受けず、誰をどのくらい受け入れるかという国家の裁量の余地の大きい第三国定住の枠組みで展開されている。こうした枠組の中では「LGBT難民」の脆弱性が、女性、子どもと並んで強調される。
 また、1980年から2014年までの新聞報道の分析からは、特定の時期において、どのような性的マイノリティの難民の、どのような物語が報道対象となってきたかがわかる。
1980年代の南フロリダのキューバ難民から始まり、1990年代2000年代のメキシコ出身者の難民認定申請、2010年以降のロシア、ウガンダ、ナイジェリア出身者へと報道が注目する難民と物語は移り変わる。ここには、保護の対象としてみなされるようになった難民と、みなされなくなった難民がいることが示される。さらに、特定の移民の入国を制限するためになされている国境の厳格化のための政策は、性的マイノリティの難民にも影響を与えている。特に、外交政策の「LGBT難民と庇護希望者」の保護の言説にも現れず、新聞報道からも消えていったメキシコ出身者がこうした政策の影響を最も受け、排除の対象となってきた。
 第4章と第5章はともに性的マイノリティの難民の人々へのインタビュー調査に基づいた分析である。第4章は性的マイノリティの保護の包摂の側面に関わる言説や概念が難民の語りにはどのように現れてくるのか、また、非正規移民として排除の対象にもなりうる人々には難民申請がどのように経験されているのかについて、ニューヨーク市とサンフランシスコ・ベイエリアでの調査をもとに明らかにする。どちらの調査地域も移民・難民がアメリカへ入国する際の入り口としての役割を歴史的、地理的に担うと同時に、性的マイノリティの運動の拠点としての歴史をもつコミュニティが存在する。調査は、難民申請の経験者54人と性的マイノリティの難民支援に関連する活動やサービスを行うNGO団体職員や弁護士、法科大学院教授、通訳、心理カウンセラーら29人に
対する個別の半構造化インタビューを中心に行った。インタビュー分析からは、モビリティや移動のパターンは複数あるが、ベイエリアの調査で出会ったメキシコ出身者には入国から申請まで比較的長い時間をアメリカで過ごしてきたという共通点がみられ、メキシコ出身者以外は入国後一年申請期限を超えない期間で申請を行うという傾向があることがわかる。ニューヨーク市での調査では、申請まで時間がかかったケースと入国後間もなく申請したケースとが入り混じっている。難民の背景は多様であるが、難民の語りが、語り手、聞き手、書き手の相互行為から生み出され、習得され、構築されるものであることがどちらの調査のケースにも共通している。
 第4章後半はそれぞれの調査地で見出した難民の語りの特徴を分析する。ニューヨークの難民の事例からは、アイデンティティとしての本質的なセクシュアリティのカテゴリーを習得し、権利の概念に結びつける様子がみられた。こうしたセクシュアリティに関する概念を使いこなすことで、性的マイノリティの人々を保護するという難民認定制度の包摂としての役割は機能しやすくなるといえるだろう。これまでの研究ではその代償として、難民の人々の主体性や声が奪われてしまうという問題が指摘されてきたが、法的な文脈を離れ、難民申請のプロセスを振り返る人々の語りからは、かれらは難民申請者としての語りが、あくまで期待されていた語りであることとに自覚的で、セクシュアリティの概念とも流動的な関係を維持していることがわかる。難民申請やアイデンテ
ィティ・カテゴリーを主体的に解釈するかれらは、支配的なセクシュアリティの概念と承認の権力関係を前に従属的な立場に留まっているわけではない。
 一方、ベイエリアのメキシコ出身者の事例では、難民申請者は過去のローカルで個人的な経験を、アイデンティティ・カテゴリーを用いたセクシュアリティの経験として語り直し、さらにレイプの経験によって現在でもトラウマに苦しむ「傷ついた身体」を専門家にPTSDとして証明させるというパターンがみられた。こうした難民申請の準備を通して自らを「非正規移民」ではなく、理解可能な性的マイノリティのアイデンティティをもった、暴力の被害者として提示し直すことが可能になることがわかる。こうした語りは、「移民」が「難民になる」ことは主体的且つ構築的な過程であることを教えてくれる。これは国際的保護の対象を選別し庇護の責任とノン・ルフルマン原則を回避するために執拗に問われる「難民」と「移民」の分類がそもそも現実にそぐわないこと、そして「難民とは誰か」という難民研究の古典的な問いに対しても、移動という抵抗を実践する者という一つの例を提示しうる。
 第5章では、難民の保護における、法的な地位を認定するという包摂の側面と、入国管理の対象としての排除、支配的なセクシュアリティの概念の採用による周辺化といった側面から生じるジレンマを乗り越えるために、難民の語りがもつクィアな可能性を探る。難民は、庇護国の寛容さと先進性との対比で、出身国を後進的で力的な存在として描くというコロニアルな語りを難民申請制度から要求される。「寛容なアメリカ」対「ホモフォビックな出身国」という関係を、インタビュー協力者のホームをめぐる語りから読み解くと、難民自身にとって出身国と庇護国アメリカに対する認識は流動的で、二項対立では捉えられないことがわかる。
 また、インタビュー協力者は自由で寛容なはずの庇護国アメリカ社会のなかで、そして「LGBTコミュニティ」のなかで生じる人種差別と市民/非市民の境界線を指摘する。難民の地位を認定されることでかれらが日常の生活で直面する抑圧の複数の層がなくなるわけではなく、かれらの生にはセクシュアリティ、ジェンダー、言語、国籍、人種、階級によって生じる格差や差別や不平等がつきまとっているといえる。こうした難民の人々の語りは、性的マイノリティを受け入れる「自由で寛容な」LGBTコミュニティやアメリカという幻想のなかの排除、抑圧、差別をあぶり出す。このように排除と包摂の境界線とを行き来しながら模索を続ける人々を、クィアな存在ととみなすことができ、かれらの経験と認識に基づく語りを可視化し、積み重ねていくことで、難民の受け入れと難民の地位の認定制度の持つ他者化と排除への抵抗を試みることができる。
 終章ではこれまでの議論と得られた知見、結論を整理し、今後の研究課題として、2014年以降の変化、特に2017年トランプ政権以降「LGBTのチャンピオン」の座を降りたように見えるアメリカで起きている変化を追うこと、第三国定住を進める側からみた性的マイノリティの難民保護を、移り変わる国家の外交政策のなかで捉えることを挙げ、本論文を締めくくる。

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