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博士論文要旨

論文題目:21世紀フランスのエリート形成における言語資本―名門グランゼコール学生・卒業生と親、準備学級教師の語りから―
著者:山崎 晶子 (YAMAZAKI, Akiko)
博士号取得年月日:2018年11月30日

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1.章立て
はじめに
序章
 第1節 問いと研究背景
 第2節 先行研究と本論文の位置づけ、独自性
 第3節 本論文における「エリート」と「言語資本」
 第4節 研究方法
 第5節 論文構成
第一部 現代フランスのエリート形成におけるフランス語の位置づけ
第1章 グランゼコール入学試験におけるフランス語の重視度
 第1節 ENS文科入学試験における係数
 第2節 ポリテクニック入学試験における係数
 第3節 HEC入学試験における係数
 第4節 まとめ
第2章 入学試験において求められるフランス語の言語運用能力
 第1節 ENS A/Lのプログラムと入学試験
 第2節 ポリテクニック入学試験におけるフランス語試験
 第3節 まとめ
第3章 エリート選抜におけるフランス語の位置づけ―プレパ教師の語りより
 第1節 プレパとは
 第2節 調査の概要
 第3節 プレパ教師によるエリート選抜におけるフランス語の位置づけ
 第4節 まとめ
第4章 エリート形成におけるフランス語の位置づけ―エリートの語りより
 第1節 調査概要
 第2節 理系エリートによるフランス語の位置づけ
 第3節 文系エリートによるフランス語の位置づけ
 第4節 まとめ
第一部結論 現代のエリート形成におけるフランス語の重要性の保持
第二部 フランス語の言語資本の獲得とエリート選抜における機能
第5章 言語資本の獲得方法・獲得過程―エリートのライフストーリーより
 第1節 ライフストーリー・インタビュー調査の概要
 第2節 親が教師であるエリートたちの言語資本の獲得
 第3節 親が教師ではないエリートたちの言語資本の獲得
 第4節 まとめ
第6章 家庭における言語資本の獲得―親へのインタビューより
 第1節 教師である親による子供の言語資本の獲得への関与
 第2節 教師以外の職業を持つ親による子供の言語資本の獲得への関与
 第3節 まとめ
第7章 学校における言語資本の獲得−プレパにおける教育実践
 第1節 プレパ教師による言語資本の獲得に向けた教育実践
 第2節 中等教育におけるフランス語教育のプログラム
 第3節 まとめ
第8章 エリート選抜試験における言語資本の投資と機能
 第1節 文系エリートによる入学試験における言語資本の投資と機能
 第2節 理系エリートによる入学試験における言語資本の投資と機能
 第3節 まとめ
第二部結論 家庭により獲得される土台、学校により与えられるテクニック
終章 21世紀の言語資本とは何か
 第1節 本論文の二つの問いから見えたこと
 第2節 言語資本に対する捉え方
 第3節 21世紀の言語資本とは何か
 第4節 今後の課題
補章1 インタビュー調査について
 第1節 調査に関する詳細
 第2節 インタビューの方法と分析方法の選択
 第3節 調査における困難、限界
補章2 その他補足説明
参考文献
終わりに
2.問題関心
 21世紀フランスにおける言語資本とは何か。本論文は、個人のエリート形成における言語資本に着目し、現代フランスのエリート選抜過程においてフランス語が占める位置づけ、家庭と学校における言語資本の具体的な獲得過程、グランゼコール入学試験における言語資本の機能について複数の質的調査を実施し、分析した結果から、この問いを明らかにするものである。
 フランスでは官民問わず上級職に就くためには名門グランゼコール修了が必須と言われている。名門グランゼコールに入学するためにはグランゼコール準備学級(以下プレパと呼ぶ)を経ることが主なルートである。本論文における「エリート」とは度重なる熾烈な選抜を勝ち抜き、名門グランゼコールの入学試験に成功した人々を指す。
 名門グランゼコール入学試験において重視される能力の一つとして、卓越したフランス語の言語運用能力、すなわち言語資本が挙げられる。しかし、さまざまな社会変化を経た21世紀のフランスにおいても、フランス語の高い言語運用能力は変わらず言語資本としてエリート形成において重視されているのだろうか。そうだとしたら、その能力はどこで、いかに獲得され、エリート形成に資するのだろうか。以上の問題関心に基づいた本論文における問いは以下の二つである。
(1) 現代フランスのエリート形成過程において、フランス語の卓越した言語運用能力は変わらず重視されているのか。
(2) 現代フランスの学校教育/家庭教育または学校外活動においてエリート形成に資する言語運用能力=言語資本はいかに獲得され、エリート形成に資するのか。
 本論文はこの二つの問いを経て、現代フランスのエリート選抜過程においてフランス語が占める位置づけを明らかにした上で、家庭と学校における言語資本の獲得を具体化する。さらに、それがグランゼコール入学試験でいかに資本として機能したかを示す。最後に、それらの結果から、21世紀フランスにおける言語資本とは何であるかを明示する。
3.各章要約
序章では、上記問題関心と同様の問いと研究背景に加え、先行研究レビューと本論文の独自性、主要用語の定義、研究方法について述べた。
第一部では本論文における二つの問いのうち(1)について検証した。
第1章では、グランゼコール入学試験におけるフランス語の重視度調査として実施した名門グランゼコール入学試験のフランス語係数調査の結果について示した。各グランゼコールでは入学試験の全ての科目に係数を付している。人文系、理系、商業系3校の係数調査の結果、どの専攻においても科目としてのフランス語は、他の科目と同程度の係数であり、科目ごとの係数だけでは重視度は高いとは言えなかった。しかし、理系の口述試験全体の係数が筆記試験の倍であったり、専門科目でもフランス語の能力が求められる科目名が並んでいたりするなど、専攻を問わず、ほとんどの科目でフランス語の能力が求められていることが判明した。
第2章では、入学試験で求められるフランス語の能力を具体的に示すためにエコール・ノルマル・シュペリウール(ENS)のフランス語試験の講評について検討した。また理系の難関校であるエコール・ポリテクニックの入学試験におけるフランス語において求められる能力について、ポリテクニック卒業生の論考を手掛かりに示した。ENSの講評には平均以上という評価を得ることの難しさと深く、幅広い教養がないと入学試験に太刀打ちできないことが示されていた。教養を背景とした言語運用能力を資本として入学試験に投じ、それを答案や面接で余裕を持って表すことが難関校で求められる言語資本であるということが明らかになった。また、ポリテクニックにおけるフランス語については、試験内容が極端な教養主義に陥りすぎないものであるならば、理系エリートにとって適切に書く能力は必要であるため、入学試験におけるフランス語試験は重要であるという意見が示された。
第3章では、プレパ教師たちがフランス語をいかに位置づけて教育しているのかをインタビュー調査への回答から検証した。結果は、文系理系ともにプレパ教師全員がフランス語の言語運用能力は入学試験の成功のために重要であると答えた。なぜなら、どの科目であっても回答するのはフランス語であり、その際に、正書法や文法のミスをおかすことなく、適切な表現で回答されることが求められているからである。また、教師たちはフランス語の重要性をエリートたちのその後にも結びつけて語った。フランス語の能力が重要なのはグランゼコール合格のためだけではない。正しいフランス語で話すことは人前に立ち、人々を導く立場にあるエリートたちにとって必要不可欠な能力であるからである。
第4章では、エリート自身がエリート形成過程におけるフランス語の重要性をいかに捉えていたかについてインタビュー調査結果をもとに検証した。文系と理系に分けて、エリートたちへのインタビューにおける語りの中からフランス語の重要性に関する語りを抽出し、分析した。結果、文系でも理系でもフランス語の言語運用能力は重要であると認識されていたが、理系と文系では、それぞれ求められるレベルの差があることが判明した。すなわち、理系の「重要だが、数学ほど重要かどうか。専攻や学校による」という語り、文系の「重要だが、それだけでは人と差別化できない。高いレベルの能力の習得が必要」という語りの差である。
以上の第一部における分析と考察の結果、第一部の結論として、現代フランスのエリート形成においてもフランス語は重要性を保っていることが確認された。
第二部では、本論文の二つの問いのうち(2)について検証した。
第5章では、7名のエリートのライフストーリーから、言語資本となりうるフランス語の能力の獲得方法と獲得過程について分析した。親が教師であるか、親が教師以外の職業であるかによって分類して語りを分析し、それぞれの言語資本の獲得方法、獲得過程を具体的に示した。結果をいくつかのポイントに分けて示す。まず、親の職業と言語資本獲得の関係である。親が教師である場合、保育学校前に読むことを学ばせるなど早期教育を行ったり、本を無制限に買い与えたり、読む本を指定したりするなど戦略的に言語資本を獲得させていたことが共通点である。一方、教師以外の親は早期教育は行っていなかったが、子供に読書を勧めていた。次に読書である。親の職業にかかわらず、ほぼ全員から言語資本の獲得は読書によるという回答があった。特に多く読んだ人ほど高い言語運用能力を獲得している。読書の中身は古典以外にマンガや若者向け書籍なども含み多様なレベルであった。また、親が読書をさせたか、させなかったかが言語資本の獲得に影響を与えることが判明した。一方、学校教育で獲得した言語資本として語られたのは、家庭では学ぶことが難しい書く実践や口述による実践に関するものである。学校教育では、文法や正書法に関する土台としての教育と、それ以降のテクスト解釈、レジュメ、ディセルタシオンなどの形式に沿って思考を示す書く訓練やコルにおける口述訓練により、技術的な言語運用能力が獲得されることが語られた。このように家庭では読書を中心に教養的な言語資本を獲得し、学校では技術的な言語資本を獲得したことが示された。
第6章では、エリートたちの親へのインタビューから、親はどのように子供の言語資本の獲得に関与したのかについて分析し、家庭内における言語資本の獲得方法を具体的に明らかにした。また、教育方針や学校教育と家庭教育の重要性に関する考え方など、子供のエリート形成に影響したのではないかと考えられる語りについても分析を行った。言語資本の獲得に関する話は、子供の語りと同様に読書を中心としたものであった。量や質の差こそあれ、全ての親が子供に本を与え、読書をさせていた。読み聞かせもほとんどの親が行っていた。外国人の親や養子を育てる大家族の親など家族の形は多様であり、親たちの教育方針や考え方も多様であった。共通点は、エリート形成にこだわらず、子供たちが自立して幸せな人生を歩むことができるように、安心して勉学に励むことができる家庭環境を整えたり、進路相談に乗ったりするなどさまざまな形で子供を支えていたということである。
第7章では、プレパ教師へのインタビュー調査から、プレパではどのように入学試験に成功しうるフランス語を訓練しているのか、その教育実践について具体的に示した。また、プレパ前の学校教育におけるフランス語教育について確認するために、中等教育の学習指導要領を検証した。プレパでは、フランス文学教師はもちろんのこと、それ以外の教科でもフランス語の正書法、文法のような基礎事項を含め、論証の仕方やそのための適切な語彙の用い方に至るまで、日常的に授業内外でフランス語の教育が行われていることが明らかになった。それらに取りこぼしがあると入学試験において不利になるからである。特にプレパ独自の訓練であるコルは、プレパにおいて獲得される言語資本としてエリート形成に大きな役割を果たしていることが窺えた。一方、中等教育であるコレージュとリセにおけるフランス語教育においては、読み書きの訓練、思考の構築の訓練等を経て段階的にフランス語の能力を獲得させることが目指されていることが明らかになった。そしてプレパはプレパ前までに蓄積された能力を使ってグランゼコール入学試験の成功に導くために必要な訓練をし、能力を磨き、完成させる場であることが判明した。すなわち、入学試験で機能する言語資本は、家庭教育と学校教育が両輪になり、相互補完的に獲得されるものだと言えるのではないかと考えられた。
第8章では、エリートたちが言語資本をいかに入学試験の場で投資し、機能させたかということについて、ライフストーリーの語りの中から具体的に示した。この分析のために文系理系に分けて、さらに20代と40代の世代間比較を行った。文系の40代はレトリックや深い教養をもとにした洗練された表現が差別化された能力として現れ、資本として入学試験での成功に寄与していると語った。一方、20代は「自然さ」「明晰さ」を評価基準として挙げた。理系では正書法や文法的間違いをしないなどの「正しい」フランス語の言語運用能力が入学試験にて評価されたことが共通していた。また、読書によって教養を身につけ、それを正しく表現する力が評価されると語った。さらに20代は口述試験において「謙虚さ」が求められ、「わかりやすさ」が評価される能力であると述べた。ここから考えられるのは、現代のエリートに求められる言語資本は変化しているのではないかということである。ここまで言語資本=一般人には真似できないような卓越性を含んだ言語運用能力だと捉え、そのような定義のもとに調査、分析を進めてきたが、卓越性よりも「わかりやすさ」が言語資本として求められるように変化してきている可能性が示唆された。
第二部の結論は次の通りである。言語資本の獲得は、家庭教育と学校教育の双方によってなされる。家庭教育では読書を中心とした読む力とそれによって得られる教養、語彙、表現などの言語資本の土台となる部分である。一方、学校教育ではその土台の上に、書く実践、話す実践などを豊富な訓練によって行い、家庭で得られた土台となった言語資本に含まれた知識、教養をアウトプットするための技術を獲得させる。
終章では、二つの問いに対する本論文の結論を示した上で、そこから見えた現代のエリート形成における言語資本の重要性と言語資本の捉え方に関する世代間の相違を明らかにした。最後にここまでの検証、考察結果から「21世紀の言語資本」とは何かについて論じた。本論文における言語資本の獲得過程を通して見えたのは、言語資本には二つの種類があるということである。つまり、家庭教育で獲得した土台の知識の上に、学校ではさまざまな形式の文章の作り方や論証の仕方などを訓練によって技術的な言語資本として身につける。その両方で言語資本を形成しているのである。これを「教養的言語資本」と「技術的言語資本」と呼ぶことにする。さらに本調査で判明したことは、21世紀のエリートたちは言語資本として必ずしも家の蔵書の内容や親が話す格調高い会話内容を受け継いでいるわけではないということである。大衆小説、若者向け文学を多く読んできた20代のエリートたちはいずれも家の蔵書の内容を受け継いでいるわけではない。一方、40代のエリートはいずれも親から渡された古典を読んできており、家には図書館と呼べるほどの蔵書がある。また、言語資本の捉え方にも相違がある。20代のエリートたちは言語資本として機能する能力は、洗練や卓越ではなく自然さ、明晰さ、謙虚さを伴う能力であると語った。すなわち、「21世紀の言語資本」とは、家庭教育によって獲得される教養的言語資本と学校教育によって獲得される技術的言語資本から成る。この二つの資本は名門グランゼコール入学試験の成功に向けて投資され、エリート形成に資するフランス語の言語運用能力である。レトリック、洗練された表現などを用いる卓越した言語運用能力も言語資本として機能しうるが、現在では大衆にも届くわかりやすい表現を用いる能力も言語資本として機能しうるようになっている。このように言語資本の概念、言語資本の獲得過程、言語資本の機能は大きく変化している。しかし、中身は変化していても、エリート形成においてフランス語の言語資本が重要なことには変わりない。なぜならあらゆる科目、専攻において、読む、理解する、思考する、回答するベースはフランス語だからである。
また補章において全てのインタビュー調査の詳細や論文に関わる補足説明等を行った。

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