博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:ジャン=ジャック・ルソーにおける〈方法〉の問題
著者:淵田 仁 (HUCHIDA, Masashi)
博士号取得年月日:2017年12月13日

→審査要旨へ

 本論文は十八世紀の哲学者ジャン=ジャック・ルソーのテクスト読解にもとづき、彼
の思想のなかで〈方法méthode〉にまつわる問題がいかに機能してるのかを哲学や文学
というジャンルを越えて明らかにするものである。
これまで、ルソーの思想は理性よりも感情に根ざしたもの、あるいは非体系的なもの、
矛盾に満ち溢れたものと解される傾向にあったと言える。そうした解釈は、彼の思想の
結果、すなわち見かけ上の体系性の非一貫性によって導かれたものである。本論文では、
この解釈を再検討すべく、ルソーが〈いかに思考していたか〉という〈方法の問題〉か
ら彼の認識論、歴史記述、文体論を検討することを目的とする。しかし、本論文での作
業はルソーの方法的体系性、統一性を追求しようとするものではない。むしろ、一見す
ると体系性を希求するかのようなルソーの〈山師的態度〉を通じて、私たちは啓蒙期フ
ランスの状況を見つめ直すことができると考える。そのための鍵となるのが、〈方法〉
という視角である。
デカルトの時代以後の啓蒙の世紀も、やはり〈方法の世紀〉であった。勃興する科学
的言説や新しい世界観の到来を前に、啓蒙の人々は〈考え方〉そのものの変更を余儀な
くされていた。そのなかで代表的な方法が「分析的方法méthode analytique」であった。
認識対象を分割し、再構成することでその認識対象を理解しようとする態度は、アリス
トテレス以来古典的な哲学的方法であったが、十八世紀においてはコンディヤックにお
いて体系化され、学問の基礎としての地位を有するようになった。しかし、ルソーの言
説を追っていくと、分析に対する疑念を至るところで確認することができる。これまで
の研究では、この点に対して単なる理性/感情の対比によって後者にルソーが与したと
解されてきたが、本論文ではより詳しくルソーの批判の理由を検討した。そして、この
問題は認識論に留まらず、彼の歴史記述や自伝的テクストにまで及んでいることが明ら
かとなった。言い換えれば、ルソーの思想は同時代の思考方法との知的格闘であった。
このように、本論文ではルソーというフィルターを通じて、啓蒙期における思考の方法
を巡る問題圏を明らかにすることで、新しい啓蒙思想の一側面を抽出することに成功し
たのである。
本論文の独自性は、体系か矛盾かという二項対立を乗り越える形でルソーの新しい側
面を描き出した点に存する。そのためには、作品を断片的に読解する作業が必要であっ
た。方法的観点から断片的にテクストを見ていくことは、同時代で緩やかに共有されて
いた問題構成を論争的視点から俯瞰することを可能にしてくれる。何が問題か、ではな
く、問題にどう答えるか。これこそが本論文が採用した〈方法〉である。一見すると、
哲学的内容を二次的に取り扱っているように見えるだろう。しかし、哲学的な言説の新
しさとは言説そのもののオリジナリティに宿るのではなく、その語り口、言い方、示し
方に存すると本論文では考える。
本論文の結論は以下の通りである。まず、コンディヤックやホッブズに対する批判は
徹底的に方法的問題に根ざすものであった。自らの言説における方法の不在を演出しな
がらも、ルソーは彼らの方法に対し激しい批判を繰り広げた。そして、それは単なる批
判ではなかった。むしろ、認識論的水準で展開される批判であった。ゆえに、ルソーを
単に非合理主義やロマン主義と解釈することは差し控えねばならない。かつ、ルソーは
批判を展開するだけではなく、新しい叙述の方法を創出しようとしていたし、あるいは
彼らの方法を自らのものとして我有化することもあった。言い換えれば、ルソーの言説
とは方法を中心に展開される思考の運動である。ルソーをひとつの〈主義イズム〉のなかに押
し込めることは多くの点を見落とすことになってしまう。この意味において、〈方法〉
からルソーを読み解くことが重要なのである。
本論文は二部から構成される。
〈いかに認識するか〉̶̶第一部「認識の方法」において私たちはこの問題について
議論した。私たちがある事態を適切に把握には、どのような思考の運動が必要不可欠と
なるのか。十八世紀フランスにおいてこの認識論の問いに回答を与えたのがコンディヤ
ックの「分析的方法」であった。この方法は、経験から得た観念を分解–再構成の二重
の操作によって認識することを目指す。ゆえに、分析的方法は言語によってなされるこ
とになる。このように考えれば、分析的方法とは分析対象についての推論を連続的な連
なりとして循環的に構築する方法であると言える。だがこうした分析的方法は、経験論
であるにもかかわらず、経験に先立つア・プリオリな原理を必然的に抱え込まざるを得
なくなる。それが〈自同性原理〉であり、分析的方法を打ち立てた後にコンディヤック
はこの原理の正当性を主張せざるを得なくなったのである。以上が第一章の内容であっ
た。
次に第二章では、分析的方法に対するルソーの批判の理論的内実を明らかにするため
の準備作業として、ルソーの人間論を能力論の観点から検討した。分析的方法は人間の
能力にとっては本性的なものではなく、経験によってその方法を獲得することは不可能
であるということを、ルソーは理性概念の二重性や『エミール』で展開される発達論の
なかの断絶を強調することで示していた。こうした断絶は、『エミール』に存在する論
理的記述と小説的記述の並存状況から生み出される。すなわち、エミールの成長譚とい
う小説的言説は経験論という理論的基礎を有してはいるが、その経験論的帰結は破綻せ
ざるを得ない。ゆえに、彼のテクストに見られる様々な破綻の痕跡は、ルソー自身の破
綻ではなく、むしろ啓蒙の思考から生まれる破綻である。
第三章では、主に『道徳書簡』の読解を通じて、分析的方法を批判するルソーの論拠
を検討した。ルソーが分析的方法を批判する理由は二つに区別できよう。まず、分析的
方法は真理の源泉として見為し得ないという理由による。ルソーが真理の要件として見
なすのは「内的感覚」であった。だが、これは単なる感覚論的語彙ではない。内的感覚
によって打ち立てられた真理は、パスカルらの伝統からルソーが受け継いだ真理観に属
するものであり、分析的方法によって発見される真理とは区別される。もうひとつの理
由が、第一章で確認した分析的方法の正当性を担保する自同性原理へのルソーの懐疑で
ある。人間はつねに二つの事柄の同一性を認識できるわけではない、というのがルソー
の主張である。哲学者たちは自同性を根拠に推論(分析的方法)を展開していくが、つ
ねに人間の能力は些細な事柄や微妙な差異というのを取り逃してしまう。自同性を根拠
に分析的方法を実行することは、誤謬の始まりである。
以上の三章をもって、私たちはルソーにおける分析的方法批判の論理を内在的に明ら
かにした。ルソーの哲学を理性か感覚かという二元論に留まって思考する限り、ルソー
の哲学の射程は明らかにはならない。むしろ、認識の生成を語る啓蒙の方法そのものへ
の全面的懐疑がルソーの思想の根底には存在するのである。しかしだとすれば、ルソー
はいかに生成を記述することができると考えたのか。こうして私たちは第二部の主題で
ある歴史へと議論の焦点を絞ったのであった。
〈いかに歴史を描くか〉̶̶第二部「歴史の方法」では、『エミール』歴史教育論の
分析を蝶番にし、そこから二つの歴史の語りを巡る問題圏を検討した。
第四章では、歴史の語り手の問題、すなわち歴史家の形象を『エミール』の読解から
明らかにした。ルソーは歴史の有用性を徳の涵養という点においてしか見ていないとい
う通説を批判的に検証した。そこから、私たちはルソーが歴史家の語りの方法を重要視
しているということを明らかにした。いかなる点で歴史家の語りが重要であるのかとい
えば、それはエミールに気づかれないように彼を道徳的世界へと誘うようなという意味
においてである。つまり、歴史家は端的に事実を語っているだけとエミールに思わせな
がらも、暗黙裡に彼を誘導する。これが教育においてルソーが重視した歴史の語りであ
った。ところでこの種の語りの方法は、『エミール』に限らず、別のテクストにおいて
も見いだすことができる。それが『人間不平等起源論』と一連の自伝的テクストであっ
た。
第五章「『人間不平等起源論』における歴史記述」で、私たちは歴史家ルソーの方法
の解明にせまった。起源論という論述スタイルが隆盛を極めていた十八世紀フランスに
おいて、ルソーの起源論は異様な作品であると言える。多くの研究が指摘しているよう
に、この作品の方法は発生論的方法や系譜的方法と呼ばれるもので記述されていると見
なされてきたが、その方法の内実について言及されることはなかった。ルソーの起源論
の大きな特徴のひとつが、因果関係に基づく歴史記述の放棄である。不平等起源論』は
断絶的な各段階の記述するのみで、歴史が変動する原因=起源については沈黙を守った。
その理由は二つある。ひとつがホッブズや自然法学者たちの分析的方法に基づく自然状
態論を批判する点にある。第一部で検討したように分析的方法は推論の連鎖によって基
礎的な要素を発見するものであるが、ホッブズらのそれも人間を分析し、その分析結果
から自然状態を構築し、そこから現在を再構成することを目的とした。ルソーがこうし
た思考方式に対して批判したということは第三章ですでに確認した。ゆえに、ルソーは
内的感覚によって自然状態を措定し、そこから現在への移行を新しい方法で記述するこ
とを目指したのである。そして私たちはその新しい方法の思想的源泉がビュフォンの地
球論であるということを示した。ビュフォンから着想を得ることで、ルソーの歴史の語
りは因果的説明ではなく、文体的な技法を用いつつ諸事実を提示していくというものに
なった。ここに私たちはエミールと歴史家の関係性と同種のものを見いだすだろう。こ
のように考えた場合、『不平等起源論』を単に分析的方法とは異なる発生論的方法と呼
ぶことは、このテクストに賭けられた本質を見誤ることになってしまうのである。
第六章では自伝という一種の歴史書においてルソーが用いた方法を解明した。対象と
して取り上げたテクストは「マルゼルブへの手紙」、『ボーモンへの手紙』そして『告白』
である。これらテクストそれぞれにおいて「歴史histoire」に託されたものは異なってい
た。「マルゼルブへの手紙」において、ルソーは矛盾するルソーをマルゼルブ(そして
読者)に認識してもらうために、彼自身が事実と称する個人的歴史を年代記的に語った。
だが、『ボーモンへの手紙』になるとこの方法では自己語りは困難になる。なぜならば、
パリ大司教ボーモンによってルソーのイメージは歪められてしまったがために、事実を
語ったところで他者に信用されないという事態に陥ってしまったからである。事実を語
るという誠実さを単にアピールするだけでは充分ではなくなった。このような問題を前
にルソーは「すべてを語る」という方法に賭けて『告白』を執筆した。「すべてを語る」
は、読者に〈すべてを読め〉という要請を強いることになる。読者はただ闇雲にすべて
を読まねばならないわけではなかった。ルソーが要求したのは、〈分析的方法によって
すべてを読め〉であった。この方法によってこそ、読者たちはルソー自身を正しく知る
ことができる。なぜならば、世紀の精神とも言える分析的方法であれば、〈私〉のすべ
てが語れているテクストから再構成することで、真正な〈私〉を認識することができる
からである。少なくともルソーは、こうした読者の方法に賭けていた。自らが批判した
分析的方法の使用をあえて読者に要求するという最大の皮肉とも言えるような仕方で、
ルソーは読者に自己を理解させようとしたのであった。

このページの一番上へ