博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:アニメ作画スタジオにおける経済活動と空間的秩序―職場のモラル・エコノミーの社会学的研究―
著者:松永 伸太朗 (MATSUNAGA, Shintaro)
博士号取得年月日:2018年3月20日

→審査要旨へ

序章 本研究の問題設定と構成 4
第1節 問題設定 4
第1項 アニメーターの労働問題とその合理性 4
第2項 労働者の合理性の探究 6
第3項 モラル・エコノミーの探究と例題としてのアニメーター 9
第4項 モラル・エコノミーの社会学的探究 12
第2節 本研究の構成 15
第1章 労働研究の対象としてのアニメーター 18
第1節 はじめに 18
第2節 商業アニメーション製作をめぐる企業間関係と制作工程 18
第3節 アニメーターの職務と労働条件 22
第4節 アニメーターをめぐる先行研究と本論文の立場 27
第5節 小括 30
第2章 先行研究と分析視角——職場のモラル・エコノミーの社会学的記述 32
第1節 はじめに 32
第2節 モラル・エコノミーに基づく労働研究とブラウォイの労働過程論 32
第3節 社会関係と経済的行為――ゼリザーの関係ワーク論 36
第4節 労働過程論と関係ワーク論の接合 41
第5節 本研究の立場――エスノメソドロジーと共有されたワークスペースの構成 45
第1項 エスノメソドロジーの方針 46
第2項 ワークプレイス研究と共有されたワークスペースの構成 48
第3項 実践を記述することの労働研究的意義 53
第6節 小括 55
第3章 X社というフィールド 58
第1節 はじめに 58
第2節 調査概要 58
第3節 X社の人員的構成 62
第4節 X社内の職場のデザイン 65
第5節 小括 71
第4章 生産活動――作画机の上での協働と個人的空間 73
第1節 問題設定 73
第2節 職務遂行における他社との関わり 73
第1項 仕事の依頼 74
第2項 作画打ち合わせ 75
第3項 制作進行による進捗の確認 76
第3節 個人的空間としての作画机 77
第1項 原画の作業机 77
第2項 第二原画の作業机 79
第3項 動画の作業机 79
第4節 作画と資料の参照を通じた空間の構造化 81
第5節 指示を受けつつ指示を与えること 86
第1項 第二原画における指示の追加 87
第2項 原画の追加 89
第6節 結論 92
第5章 労務管理――仕事の獲得・不安定性への対処・協働の達成 94
第1節 問題設定 94
第2節 報酬水準の交渉 94
第3節 仕事の不安定性への対処――「手空き」への対応 99
第4節 トラブル時における仕事の譲渡――協働の調整 102
第5節 結論 106
第6章 人材育成――技能形成の機会 107
第1節 問題設定 107
第2節 社長から若手への指導 107
第3節 先輩から後輩への指導 117
第4節 OBによる若手アニメーターへの偶発的な指導 122
第5節 引き渡し/学習の場としての上がり棚 125
第6節 結論 127
第7章 個人的空間への配慮と空間的秩序の遂行 129
第1節 問題設定 129
第2節 作画机以外のスペースにおける会話 129
第1項 キッチン側テーブル 130
第2項 応接室側テーブル 137
第3節 作画机についている他者への話しかけとその理由 143
第1項 電話の取り次ぎ 144
第2項 仕事上の相談 150
第3項 業務以外のやりとり 154
第4節 話しかけの中断 160
第5節 結論 165
終章 本研究の要約とインプリケーション 166
第1節 本研究の要約 166
第2節 本研究のインプリケーションと残された課題 169
参考文献 173

本論文の要約
 本研究は、東京都内にあるアニメーション制作会社X社を事例として、フリーランサーでありながら組織に集って働くアニメーター達の実践について、社会学的な観点から分析を行っていく試みである。この試みを通して、フリーランサーが組織に集まって働くことの意義について検討するとともに、労働の社会学的研究を展開していくための新たな一つの視点を提示することを目的としている。
 各章の概要は以下の通りである。
 序章では、労働研究における本研究の位置づけと、問題設定を行った。アニメーターは近年労働問題として取り上げられるようになっただけではなく、雇用形態上も業務上も組織に集って働く必要性が乏しいにもかかわらず大多数がスタジオに席を置いて働いており、雇用の不安定化と組織の関係を考察するうえで重要な対象である。また、アニメーターの労働は単に金銭獲得を目指した活動として捉えることが難しく、まずは労働者自身の合理性を記述するところから出発する必要がある。しかし既存の労働研究では、労働社会学を中心に労働者の合理性に注意を払っていたにもかかわらず、その合理性を捉える明確な理論・方法論が整備されておらず、しばしば労働者像を誤った仕方で捉えてしまうという問題を抱えていた。それを受けて、労働者の合理性を捉えることへの困難という問題点を乗り越えるものとして、経済学の中で提示された、人びとの経済活動における合理性が道徳や社会規範と分かちがたい形で存在していることを指摘する「モラル・エコノミー」という概念に着目した。そのモラル・エコノミー論に基づく労働研究を行う際、行動経済学が依拠する心理学的・認知主義な視点ではなく、第三者からも報告可能・観察可能な道徳・社会規範を捉える社会学的な視点で遂行していくための方向性があることを示し、本研究の問いとして「アニメーター達が集まる組織における経済活動は、どのような道徳・社会規範によって支えられているのか。そしてその道徳・社会規範はどのような実践の中で示されているのか」について解明するという問題設定を行った。
 第1章では、アニメーターという労働者について理解するための基本的な情報について整理したうえで、アニメーターの労働について対象を共有する先行研究をレビューして、本研究の立場について整理した。アニメーターの労働の歴史に焦点化した先行研究は、生産体制の強化に伴うアニメーターの雇用の不安定化について総じて論じており、本研究もその延長線上にあると位置づけられた。さらに現状のアニメーターの労働問題について扱った先行研究もあるが、職業としての規範に焦点化した研究はあるものの、その組織における規範を捉えた研究はなく、つまり職場のモラル・エコノミー論的分析を行った研究は未だにないことを指摘した。
 第2章では、職場のモラル・エコノミーについて論じるための方法論的議論についてレビューし、本研究の方針について提示した。既存研究で職場のモラル・エコノミーについて論じているといえる研究は、労働社会学と経済社会学の領域において見られる。本研究ではそれらのうち代表的といえるマイケル・ブラウォイの同意生産論やヴィヴィアナ・ゼリザーの関係ワーク論をレビューし、そしてこの両者の議論を組み合わせたアシュリー・ミアーズの議論を参照した。これらの議論は、モラル・エコノミーを記述する際に人びとの相互行為に照準を当てる点で重要であるが、その相互行為の記述の仕方が不十分に終わっており、この難点はエスノメソドロジーの視点を導入することで解決可能であることを示した。さらに本研究はさまざまな仕切りや道具が使用されるアニメーション制作会社における実践を捉えるという観点から、ルーシー・サッチマンによる「共有されたワークスペースの構成」という発想に依拠し、職場の成員が活動の中で空間的秩序を形作っていくことに焦点を当てることを述べた。加えて、このように実践を詳細に記述していく方針は規範的な議論の形成にとっても不可欠であることも指摘した。
 第3章では、本研究における研究対象である作画スタジオX社に対する調査内容と、X社についての基本情報を整理した。筆者は2017年1月から4月にかけて、合計37回、計164時間ほどのフィールドワークを行い、そこでなされている成員の活動をフィールドノートに記録し、その他にもアンケート調査、インタビュー調査、ビデオ撮影などを行った。X社は40名のスタッフを擁する作画スタジオだが、半数以上の者が出向している状態であり、40名全員がスタジオ内にいることはなかった。さらにアニメーターに加えて、経理担当者2名とマネージャー1名が配置されていた。また、空間的構成という点では、作画机を中心に仕切りや棚などによって視界が遮られる場が多く、これが本研究全体にとって重要な条件となることも指摘した。
 第4章からが分析の本編となる。第4章ではX社における作画机上でなされている活動について焦点を当てた。アニメーター達は勤務日の大半を作画机における作業をして過ごすが、そこでなされている各々の作業は、他社の大勢のスタッフとの協働の中でなされているものであり、それが作画机の上で完結するのはいかにしてかを扱った。その結果として、他社のスタッフと打ち合わせ等をする期間は作画作業の前後におけるあらかじめタイミングが定まった形でなされていること、そして作画机上では詳細な設定資料を参照しながら描くことにより絵柄の統一がなされていること、さらに後工程の者に対して独自にアニメーターが指示を描き加えるということが観察され、これらの活動によって協働がなされているとみることができた。さらに社内の空間的秩序という観点では、アニメーターが作画机という仕切られた空間で正面を向いて作画作業に対して身体的志向を示していることによって、作画机がそこに席を持つアニメーターの「個人的空間」となることを指摘した。
 第5章では、X社における労務管理の実践について扱った。とくに、アニメーター達の管理の役割を担っているマネージャーという労働者を対象とした。雇用形態上は個人事業主である者が集まっているX社であるが、それにもかかわらずX社においても労務管理といえる活動は頻繁になされていた。その労務管理はアニメーター達が独力でフリーランサーとして働いたときに生じがちな、仕事の獲得における不安定性の解決や、賃金交渉などをマネージャーが代行して行うという形でなされていた。さらに、X社では特定のアニメーターが事情により仕事をこなしきれなくなったときに、残された仕事を社内で配分するという措置が取られるが、この活動においてもマネージャーが中心的な役割を担っていた。このようにアニメーターに対する管理がマネージャーによってなされる一方で、実際にどの仕事を請け負うかなどに関する決定権はアニメーターの側にあり、あくまでフリーランス性を尊重した管理になっていることも明らかになった。
 第6章では、X社における人材育成の実践について明らかにした。X社においては、社長が「クリエーターを育てる」ことに重点を置いていると述べているように、近年多くの制作会社で課題となっている人材育成につながるような指導がしばしばなされていた。作画指導は、社長から若手や先輩から後輩に対して主になされるが、常に教えられる側が教える側のアニメーターの机に赴いて質問等を行い、指導もその場で常になされた。こうした点で、指導もX社の空間的秩序に配慮しながらなされた活動であるとみることができた。さらにこのような対面的指導とは別に、納品の場である上がり棚において、すでに納品された他のアニメーターの原画をその場で見るということがなされており、これも技能形成の機会となっていると同時に、空間的秩序に配慮した活動であることを指摘した。
 第7章では、社長やマネージャーに限らないX社のメンバーの話しかけや会話に伴う空間的秩序について分析した。作画机と比較して会話がよく起こるキッチン側テーブルと応接室側テーブルにおける会話の内容について分析し、それぞれの場において話されるべきトピックが制約されていることについて扱った。さらに作画机につくアニメーターへの話しかけにおいては、話しかけにおいて用件を示し、その用件が済み次第すぐ立ち去るという方法が用いられており、この方法を用いていれば必ずしも業務に関連しない話しかけでも許容されていること、そして話しかけが話しかける側の技法だけで成り立っているのではなく、作画机についているアニメーターの身体的志向とも関わっており、話しかけはどれも共同的に産出されたものであることを指摘した。これらの分析を通して、個人的空間への配慮が管理者によってだけなされているのではなく、成員皆にとっての課題としてあることを示した。そしてX社における空間的秩序は、職場にいる成員が不断に遂行しているものであり、そうであるがゆえに経済活動の基盤ともなっていることを指摘した。
 これらを受けて、本研究全体の議論を図式的にまとめると、以下の図のようになる。生産活動(第4章)・労務管理(第5章)・人材育成(第6章)といったX社の企業経営にかかわる経済活動が、成員達が他者の作業を中断させないという規範に志向した活動を通して遂行される空間的秩序を不断の基盤としながら行われていることを、その都度の実践に即して本研究では明らかにしている。



以上の議論から、本研究の問いである「アニメーター達が集まる組織における経済活動は、どのような道徳・社会規範によって支えられているのかという問い、そしてその道徳・社会規範はどのような実践の中で示されているのか」という問いに対しては、以下のような解答を与えた。
 X社における経済活動は、他者の作業に配慮をする規範によって支えられている。そしてその規範は、X社の成員が不断に空間的秩序(とくに個人的空間としての作画机)を遂行する中で示されている。
 本研究の議論は、学術的な水準と実践的な水準の両方において、以下の四点の貢献をもたらすものであるといえる。
第一に、社会におけるさまざまな経済活動と道徳・社会規範との結びつきを捉えるという点で有力な視点であったモラル・エコノミー論について、一つの社会学的な分析の指針を示すことができた。エスノメソドロジーの方針に基づいて実践を記述していくことが、その方法論的な規準として採用可能であることが示された。これによって、行動経済学的分析では捉えることのできない、労働研究における社会学独自の問題領域を定式化した。
 第二に、労働研究における本研究の貢献として、職場という分析単位を置いた際に、空間的秩序と成員によるその遂行という視点が、妥当な分析の方針として利用可能であることを示した点が挙げられる。既存の労働研究では、組織を扱うこと、職場を扱うこと、職業を扱うことになどのそれぞれの分析単位において、どのような理論・方法論が妥当なのかについての議論を必ずしも整備してこなかった。本研究は職場という単位において、この不足を補ったものと位置づけられる。
 第三に、本研究は今後さらに雇用の柔軟化・不安定化が進行した際に増加しうる働き方の一つである、フリーランサーの働き方を考えるうえでも示唆に富む。早期からフリーランス化を経験したアニメーターの職場を対象とし、そこでなされている労務管理がアニメーター自身の働き方にとって重要な意味を持つことを明らかにした。これによって、雇用形態の柔軟化が進むのならばなおさら、労務管理や人材育成という企業活動が重要性をもつことを示した。
 第四に、アニメーターの労働問題という観点においては、ビジネスの発展などを通して労働問題を解決しようという志向が近年の議論においては見られるが、本研究はそれに対して現場のアニメーター達の活動が必ずしもビジネスの論理で作動していないことについて指摘をした。これにより、ビジネスモデルを発展させることによる労働問題の解決には留保が必要であることを示した。アニメーターにとって重要であるのは、労働時間や仕事内容における自らの裁量が維持されることなどであって、ビジネスを発展さえることで労働問題の解決を試みるのであれば、これらの点を無視することなく構想される必要があること、そうでなければ現状の現場の論理と齟齬を起こしてしまうことを示唆した。

このページの一番上へ