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博士論文要旨

論文題目:近代産業化過程の養蚕業における民俗的想像力―蚕を育てる技術・感覚・信仰―
著者:沢辺 満智子 (SAWABE, Machiko)
博士号取得年月日:2017年3月21日

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養蚕は、明治政府設立期から昭和初期において国策に位置付けられた産業労働でもあったが、同時に人々の日常生活にも深く根ざしながら展開し、民俗的な蚕神を祀る習俗や信仰などにも結びついている。本研究で扱う蚕の民俗神・金色姫は、国家神道イデオロギーを全面に押し出す明治政府からは弾圧されたにもかかわらず、近代産業化政策下の養蚕業において消えることなく、根強く生き続けた。本研究はこの疑問に答えるために、人々の民俗的想像力が、日本の近代化政策下にいかなる様相を見せるのかを、養蚕業を通じて考察することを目的とする。
養蚕に関する民俗調査はこれまでに豊富な蓄積がなされてきたが、民俗の収集や記録に奔走し、なぜ養蚕における民俗領域が近代化過程においても根強く維持されたのかについては十分に答えていなかったと言える。この点を明らかにするために、本研究は蚕糸業という日本の近代産業化政策下に位置付けられた産業を、その産業労働に携わった人々(=養蚕農家)の技術的実践、そこに結びつく人や蚕、モノのネットワークを見つめることから捉え返そうとするものであり、その研究アプローチは、多くを人類学的手法に頼る。同時に、本研究が接近を試みる近代産業化政策下に展開する、養蚕農家の人々によって伝承される民話や民俗信仰は、長年民俗学の研究対象とされてきた領域であり、民俗学的調査によってこれまでに蓄積されてきた資料を使いながら展開される。その意味で、本研究は民俗学が研究対象としてきた事柄を、人類学的手法を使って再考する試みであるとも言えよう。
技術的実践、そこに結びつく人や蚕、モノのネットワークを見つめることから養蚕業を捉え返すと述べたが、本研究では、この実践を巡るネットワークに知能や技能だけでなく、物語や神話といった観念世界も生成し得るものとして考える。養蚕の物語や神話がいかに技術的実践のネットワークの中で作られ、そこに埋め込まれ、そして働いているのかを考察するものであり、そしてこの一連の働きを民俗的想像力と呼ぶ。その上で、本研究が注目するのは、技術的実践が伴う身体感覚である。身体感覚に注目する理由は、感覚が単に身体のマテリアルな問題にとどまらず、それが心の問題、観念にも関係すると考えるからである。人類学者デイヴィット・ハウズによれば、感覚とは、心と身体、概念とモノ、自己と環境を媒介するものである。人々がそれぞれに暮らす文化圏で、いかに他者や環境と関係しあっているのか、その関係性のあり方が感覚に現れるのであり、よって異なる時代や環境に生きるのであれば、当然ながら感覚も異なって形成される。従来、感覚は、心理学や神経生物学などで論じられ、生物学的機能から捉えられる傾向があったが、近年、感覚に着目した人類学的研究が蓄積されつつある。本研究は、感覚の人類学的アプローチに依拠しながら、蚕を育てていた養蚕農家の人々の経験世界に接近しようと試みる。蚕を育てるという実践の中で、人々は自らの身体感覚をいかに意味付け、価値づけるのか、という問題であり、ここに、養蚕の技術的領域と民俗信仰的領域を接合しながら考察する地平が現れると考えた。

 序章で、上述のような本研究の課題と手法を述べた上で、1章では明治政府設立期から昭和初期において蚕糸産業が国策として位置付けられる中で、国が蚕という虫をめぐっていかに強固な中央集権制度制度を形成したのかを概観した。
 開国以前まで日本の地場産業の域を超えなかった養蚕業は、開国以降に主要輸出品として生糸が位置付けられると、中央集権的制度のもとに急速に再編されていく。その際、特に重要視されたのは、養蚕業の要である蚕種(蚕の卵)をいかに国家管理下におくかであった。明治政府は、設立当初、まだ蚕種生産や養蚕についての十分な知識がなかったため、当時その分野で最も知識を持っていた農村部の有力蚕種家を中央集権制度に取り込んだ。その後、国家主導による急速な科学知流入により、これまで農村部に蓄積されていた経験知を徐々に国家による科学的知に取って代わらせ、究極的には国家は科学知を通じて蚕種の統一品種化を試み、それは大正期にメンデルの優性の法則を応用した一代交雑種の誕生により実現される。こうした急激な蚕糸業の再編過程においては、諸々の軋轢が生じていたはずであるが、政府はそこに天皇を頂点とする国家神道イデオロギーを持ち込むことによって解決しようとし、宮中養蚕の開始や蚕糸関係施設への行啓を通じた皇室と蚕糸業の密接な関係性を強調することにより、養蚕・製糸業の奨励をより徹底させようとした。宮中養蚕の世話役、奉仕者についても、蚕糸業の再編に伴い、初期の田島家といった有力な蚕種家から国の科学研究機関である東京蚕業講習所などに取って代わられた。

2章では、1章で見たような蚕糸業の国策産業化政策が進められていく中で、養蚕業を実践する農村社会がいかなる社会構造の変化を経験したかを概観した。蚕の命が国家管理下におかれていく過程とは、養蚕の知を担っていた農村からその知が失われていく過程でもあった。
政府は、養蚕技術についても従来の飼育者の人肌や勘といった経験知に頼るような技術から、数値化と標準化しようと試み、それは明治22年に「養蚕標準表」として公表された。しかしながら、明治中期以降に農家の絶大な信頼を得て発展した高山社の養蚕方法とは「居心」や「感覚の快否」といった感覚を通じて個々の状況に応じて実践を組み立てる身体が必要とされ、「一定の標準なく又尺度なし」としている。この指導方法とは近世に発行された蚕書『養蚕秘録』が、飼育者が「心よし」と感じる環境を適切に作り上げるための経験の積み重ねこそが肝要と説いたものと同様であり、近代化過程においても前近代と同様な身体感覚を駆使した技術的実践が持続された。
一方、大製糸会社は、国家の科学的知を基礎として、また、潤沢な資金により蚕種生産の事業化にも乗り出し、農村における蚕種生産は淘汰され、農村は製糸会社に繭という原料を供給する部門として再編されていくこととなる。また、大正期になると各県により養蚕組合の設立奨励活動が進められ、製糸会社は養蚕組合との間に特約取引を結ぶことにより、養蚕農家をより独占的に傘下に収めた。そんな中、大手製糸会社鐘紡は、自社の製糸・紡績工場運営の知見にもとづき昭和初期に養蚕工場を立ち上げたが、蚕の大量死により失敗に終わる。蚕を育てるという領域までは完全なる傘下に置かれることなく、一貫して養蚕農家のプライベート領域において実践され続ける。
このプライベート領域に展開される人間と蚕との関係は、人間が飼育者として蚕を従属的な立場に置くのではなく、むしろ人間こそ「お蚕さま」に仕える従属的で受動的な存在として現れる。蚕は飼育者の身体を拘束するだけでなく、精神面においても同様であった。蚕が無事に繭となるように、つまり死なずに生育するようにという命への不安と表裏一体にある成長への願いが、蚕に感覚や感情を見出す養蚕農家の人々の想像力につながり、それが養蚕技術の向上を支えた。科学知による技術発展は、寒期を除く年間を通じての養蚕を可能としたため、益々農家の生活リズムは蚕に拘束されることとなり、そのことは、養蚕に横たわる感情面の発露の機がより多く求められることになり、3章で見ていくような蚕神への信仰活性化に繋がった。

3章では、近代化政策下のおける養蚕の民俗領域として蚕神・金色姫を取り上げて、金色姫がどのような時期、場面において、いかに信仰されていたのかを調べることにより、近代化過程における民俗的想像力の原動力やその変遷を分析した。
茨城県つくば市神郡にある蚕影神社は、養蚕業が盛んであった戦前までは東北南部から関東甲信地方に信仰圏を持ち、特に養蚕農家女性達に篤く信仰され、大正期頃までは女性講中によって金色姫を唄った「蚕影和讃」が各地で詠唱されていた。「蚕影和讃」の内容は、蚕影神社の縁起として伝わる金色姫物語の他にも養蚕実践上の注意点なども含まれており、信仰内容と養蚕の技術的実践が重ねられていた。
国家神道イデオロギーを全面に押し出す明治政府は、明治初期の廃仏毀釈政策下で、在来的な民俗神である金色姫を弾圧の対象とした。しかし、金色姫は近代化の過程を通じて根強く生き続ける。本研究ではこの要因に、蚕を前にして展開される日々の技術的実践が、身体感覚を媒介として、蚕に対する信仰実践と重っていたことを指摘した。つまり、神話や民話といった観念世界が、養蚕という技術的実践に先立ってあるのではなく、それらは養蚕技術に伴う身体感覚と常に結合しながら練り上げられていたため、養蚕の実践者、特に農村の女性達に根強く信仰され続けたと述べた。蚕は弱い生物で、刻々と変わる環境や病気によってはすぐに死んでしまい、また、4度の脱皮や変態がある。これら蚕や繭のマテリアリティが保有する様態や感性的特徴は、飼育者の身体感覚に働きかけ、それを基軸に飼育者は技術的実践を組み立てるが、同時にそれは観念的世界を誘発させる上でも重要であった。また国策からは弾圧、または無視され続けた金色姫であったが、製糸会社は農村に入り込む際に金色姫を活用し、また農村地帯の有力者層も、金色姫を宮中養蚕と結びつけ、富国強兵開祖神などの国策に寄与する神として祀るなど、ローカルなレベルで必ずしも金色姫は国家に対立した存在ではなかったことも指摘した。

 終章では、全体の統括を行った。近代化政策下に位置付けられた養蚕業は、強固な国策産業ではあったが、蚕という弱い命を起点とするその労働は決して均一化、機械化されたものにはなり得ず、むしろ極めて経験知に依拠した身体感覚を必要とする、状況に応じて個別的で多様な身体性を必要とする労働であり続けた。養蚕業に残り続ける経験知に依拠した身体感覚とは、前近代からある在来的な蚕神・金色姫という一民俗神を想起させる起点となり、ここに養蚕の技術的実践と信仰実践とが重なる部分を持ち続けた。明治政府からは弾圧、または無視され続けたにもかかわらず、金色姫は、蚕を育てる農家の身体と不可分に結びつきながら存在しため、ローカルなレベルで根強く生き続け、養蚕業の活性化に伴い信仰も活性化した。結果的に、金色姫を信仰し続ける民俗的想像力とは、国策を推進する上での大きな原動力となっていた。これらの点を指摘した上で、最後に今後の課題を提示した。
 

【本論文の構成】
目次
序章
はじめに
1節 本研究の位置付け
1-1 近代産業化過程における労働の問題
1-2 近代化と民俗的想像力の問題
1-3 問題へのアプローチ―身体感覚を手がかりとして
2節 論文の構成
3節 蚕の生態

1章 国策産業としての養蚕−蚕を巡る制度・科学・イデオロギー
1節 日本養蚕史概観—19世紀の開国以前まで
2節 幕末から明治初期の蚕糸政策—国策産業への道程
2-1 養蚕の国策化—養蚕在来知識の国家管理制度
2-2 宮中養蚕の開始—皇室と蚕をめぐるイデオロギー
3節 明治中期から昭和初期の蚕糸政策—蚕種統制の始まり
3-1 蚕種の科学化—蚕病予防から蚕種統一へ
3-2 優生学と一代交雑種の誕生
3-3 再編される宮中養蚕—皇室と科学知との接近 
4節 昭和戦時体制下の蚕糸政策—蚕種統制の強化から蚕糸業衰退まで
小括 国家が管理する命—その身体をめぐって

2章 蚕を育てる技術と身体-近代養蚕農村への再編 
1節 明治養蚕技術の再編と展開
1-1 蚕書にみる養蚕技術の再編-在来知と科学知
1-2 標準化の試み-養蚕標準表の導入
1-3 留保される標準化-高山社の指導法と居心
1-4 蚕を育てる身体-明治以前と明治以後を繋ぐもの
2節 養蚕専業へと再編される農村
2-1 蚕種生産と中心の移動-農村・政府・製糸会社 
2-2 組織化と養蚕の実践-養蚕組合と特約取引
2-3 鐘紡の養蚕工場構想とその限界 
3節 家-蚕が育てられる場所
3-1 近代養蚕農家-家と人、家と蚕の身体性 
3-2 蚕母-接近する農家女性と蚕の身体
3-3 感情を持つ蚕—信仰の起点
小括 育て手としての養蚕農村

3章 金色姫物語の近代―養蚕における民俗的想像力の諸相
1節 近代養蚕業と信仰
1-1 近代化政策における民俗領域
1-2 養蚕の神々
2節 蚕影信仰と金色姫
2-1 養蚕信仰の中心・蚕影神社—縁起・信仰圏・金色姫物語
2-2 民俗神としての蚕神・金色姫
2-3 金色姫の社会的地位
2-4.民俗的想像力と金色姫の親和性
3節 金色姫物語と女性たち
3-1 女性たちの金色姫
3-2 命を宿す女性の身体—蚕と子のアナロジー
3-3 女性救済の金色姫—富士講と蚕和讃にみる女性の身体
4節 育てる身体実践と金色姫信仰
4−1 育てる身体と金色姫物語—蚕の命と金色姫の命
4-2 蚕の変態と生/死の認識—フィールドノートからー
5節 女性たちの金色姫から国民の金色姫へ
5-1 動員される神々-国策産業と金色姫
5-2 養蚕組合と金色姫信仰
5-3 富国強兵開祖神
小括 金色姫という民俗的想像力

終章
1節 本研究のまとめ
2節 本研究の今後の課題

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