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博士論文要旨

論文題目:職場の知識形成と技術移転:「外国人研修制度」によるアジアへの技術移転の研究
著者:宣 元錫 (SUN, Won suk)
博士号取得年月日:2000年3月28日

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 本論文は、外国人研修生に焦点を当て「職場の知識形成による技術移転」の実体を明らかにすることを目的としている。この論文要旨では、本論文の内容を各章の順序に従って要約していきたい。

第1章 序論

 ここでは、本論に入る前にこの論文で解明しようとする研究課題、取り上げる研究対象、そして研究方法について簡単に整理する。

 本論文の研究課題は、簡単に言うと、外国人研修生に焦点を当て「職場の知識形成による技術移転」の実体を明らかにすることである。この研究課題の中の3つのキーワード「職場の知識形成」、「技術移転」、「外国人研修生」のそれぞれを説明することによって、本論文の射程と研究課題の意味を明確にすることがこの章の目的である。

 第1に、「職場の知識形成」から考えてみたい。本論文において職場は、個人の作業者や技術者にとって仕事を遂行する場としての意味にとどまらず、仕事能力を修得し、伝達する場としての意味もある。知識に関しては、その一般概念については第3章で議論することにして、ここでは、生産活動を支える全ての仕事能力を包括する上位概念を「知識」と呼び、知識を修得していくことを「知識形成」としておこう。

 従って、本論文は職場を個々人の仕事能力が形成される場として捉えるだけでなく、職場が労働者間の知識伝達の場としても機能していることに注目を加える。そして外国人研修生の研修においても職場の持つ知識伝達機能が大きな力を発揮している、というのが本論文の基本的な視点である。

 第2に、「技術移転」に関して、本輪文では主にアジア諸国に対する日本からの技術移転を分析する。開発途上国向けの技術移転については、政府主導の「技術協力」の観点もあるが、本論文では基本的に企業の事業活動という視点から技術移転を捉える。こうした視点からみると、日本企業のアジアへの技術移転は、日本企業のアジアでの事業展開の進展と深い関係がある。それは、量的増加傾向と質的「高度化」である。近年のアジアでの事業展開の大きな変化の一つは、日系企業のアジアへの進出目的が、人件費や部品コスト等の「生産コストの削減」のための進出という目的に代わって、アジアでの「市場の確保・拡大」と「需要多様化等のための市場近接地生産」を目的とする企業の割合が伸びたことである。具体的な企業活動においては、現地企業に対する技術移転を促進し、開発設計機能を移転するなど一貫生産体制の整備に一層力を入れている。このように技術移転が企業の海外事業展開に関する経営戦略の観点から実施されていることが明らかである。

 第3に、本論文で「外国人研修生」は、技術移転を目的に日本の職場で知識を形成するもっとも代表的な外国人グループとして取り上げられる。外国人研修生に関するこれまでの議論では、その活動内容が研修から逸脱した労働力としての活用がなされる傾向にあることが強調されてきた。そして「技能実習制度」の導入による制度の拡充がなされてからは「外国人労働者問題」の枠の中で一層政策論に論点を傾けた機論が展開されるようになった。だが、このような議論の流れに対しては二つの面で修正を加えなければならない。一つは、研修生を巡る状況は変化しており、単純労働の受け皿としての研修制度の悪用の是非といった従来型の議論だけでは不十分になってきたことである。二つは、制度悪用のケースがあるからといって、技術移転という本来的目的に沿った事例研究が等閑視されてよいわけではない。研修制度が持つ技術移転の側面や、そのための職場での知識形成という側面の研究はこれまであまりにも乏しかった。

 研究対象は、「外国人研修生」という人々のグループと、外国研修生を受け入れる企業と職場である。本論文において調査の基本単位は研修生を受け入れている職場である。実際に調査を実施した職場を選ぶ際にその選定の基準になったのが企業の規模(大企業と中小企業)と職場の作業類型(量産型と非量産型)である。本論文の問題域は30カ所をこえる団体と企業に対するヒヤリングの積み重ねの中から次第に練り上げられてきた。

 この間題意機を最終的に検定するためのインデプスサーベイを実施する職場として、大企業量産型職場には完成車メーカーH社のエンジン組立職場を、大企業非量産型職場には電子部品メーカーA社の開発設計メーカーを、そして中小企業量産型職場には自動車部品メーカーK社の部品組立職場を選定して調査を実施した。

 本研究をすすめる上でとられた基本的な研究方法は聞き取り調査である。また、聞き取りに加えて職場観察も実施した。さらに多方面から集めた関連資料も重要なデータになる。論文執筆のために、こうして集めたデータについて相互比較・検討しながら整理する作業を行った。

第2章 作業仮説と調査項目

 筆者は1996年以来4年間にわたって外国人研修生や技能実習生を受け入れている団体や企業を妨間し、職場見学とヒアリング調査を実施してきた。この間に訪問した団体と企業は33カ所に達した。このように訪問を重ねるうちに研修生がどのようにして技能や技術を身につけているのか。そして獲得された技能や技術が出身国の工場等でどのように活用されているのかという問題について関心を持つようになった。

 その問題意識は、研修生が職場で技能や技術を形成する方法は何かという「研修方法」と、研修生は研修を通して何を学ぶのか、必須の項目はあるのか、あるとすればそれは何かという「研修内容」に要約できる。

 とくに1998年の調査は、上述の問題意識を明確に意識しながら調査を行った。これら予備調査は本論文の作業仮説を作るための出発点となった。その6事例を簡単にまとめたのが図表2一1一2である(図表の番号は論文本体の番号と同じである)。

 図表 2一1一2 予備調査事例の概要

\ 企業規模 業種 受け入れ類型 送り出し期間 研修期間 研修職種 研修方法
W社 大 自動車(二輪) 企業単独型 現地法人 6ヶ月 溶接 OJT
S社 大 自動車(四輪) 企業単独型 合弁企業 1年 自動車部品加工 OJT

H社 大 自動車(四輪) 企業単独型 技術提携合弁企業 8ヶ月 エンジン組立 OJT

K社 中小 自動車部品 団体監理型 現地一般募集 最長3年 部品組立 OJT、一部OffJT

T社 中小 自動車部品 企業単独型 合弁企業 6ヶ月 部品加工 OJT

N社 中小 鋳物業 団体管理型 合弁企業 1年 技術管理部門 OJT



 これを「研修方法」と「研修内容」に分けて見ると、少なくとも教育訓練の形態という面ではOJTが主流であることは明らかである。反面、「研修内容」は「研修方法」と比べて多様である。だが、これまでの予備調査事例からは、「研修方法」の面で、外枠的な形態がOJTであることの他にそれ以上のことは何もわかっていない。とすると、「研修内容」に関する課題は明確である。技術特性に応じて多様な研修の内容を網羅的に記述するだけにとどまるのではなく、研修を実施しているどの職場でも観察可能な一般変数は何かまた多様なOJT「研修」を束ねてその特色を明らかにできる変数は何かを探すことが本論文での探求課題である。

 筆者はそうした変数が何であるかについて、まえに紹介した事例の中で徐々にその糸口をつかんでいくことを試みた。それを筆者は「生産慣行」と呼ぶことにしたい。多様な「研修内容」を貫いている共通項目とは「生産慣行を伝える」ということであると考えられる。

 以上の予備調査とそれに基づく考察から、本論文では「外国人研修生を対象に実施される職場のOJTによる研修は、研修を実施する職場の生産慣行を伝えるものである」、を作業仮説として設定した。そしてこの仮説に基づいて職場実態調査と理論的な考察を行った(これらの調査を「職場聞き取り調査」と名付けた)。その結果を述べる前に、この仮説を検証するために何を調査したのか、その調査項目について説明したい。

 職場の生産慣行をOJTを通じて研修生にどのように伝えているかを職場調査から検証しようとするならば、職場の中で実施される研修を正確にとらえなければならない。「研修」を「研修目的」→「研修過程」→「研修成果」→「研修結果の発揮」という4つのコンセプトでとらえると、真ん中の「研修過程」と「研修成果」が「職場開き取り調査」の中心になる。「研修成果」は、研修生が研修の結果何を得たのかという面に焦点を当てる。研修を通じて修得したものとも言える。

 「研修過程」は職場で実施される研修そのものであるが、今までの調査事例を学ぶ中で、技術研修、生産慣行研修、組織人研修の三つの側面を重要な要素として取り上げるのが適切であると考えるに至った。以上のような研修に関する概念枠組みは図表2一1一2のようにまとめることができる。

(図表2一1一2)

第3章 分析の枠組み

 この章では、技術移転についての具体的なデータや事例を分析する前提として、それにかかわる諸概念についての理論的検討をおこなう。

 はじめに技術とは何かについての議論から始めよう。本論文では技術を「社会的な必要のために人間が行う諸生産活動を目的に形成された知識の集合体」として定義する。

 知識についての考察は、人間が持つ知識には客観的知識と主観的知識という二つの種類があることを出発点とする。客観的知識とは、概念化された一般的な知識であり、科学的、理論的知識がその主要部分をなす。客観的知識を得るための方法は、「演繹的正当化主義(合理論)」と「経験的基礎づけ主義(経験論)」のニつのに整理することができる。主観的知識とは、特殊な知識ともよばれるもので、その場、その時の特殊な状況に関する知識であり、言語で記述したり、概念化するすることの難しい個別的な性質を持っている。

 主観的知識は客観的処方では表現しきれない多様で豊富な情報を含んでいる。その思惟と実際の認識論的問題を具体的に展開したのが、マイケル・ポラニーである。ポラニーは人間の知磯について再考するときの出発点を「われわれは語れること以上の多くのことを知ることができる」という命題から出発する。そして知識形成における人間による経験の能動的形成、あるいは統合の役割を強調し、これこそが知織の成立にとって欠くことのできない暗黙的な力である、と主張する。

 では、形式知と暗黙知という知識のニつの側面はそれぞれ排他的に対立するものなのか。この間題について、二つの知織は「相互循環的・補完的関係をもち、暗黙知と形式知との間の相転移を通じて時間とともに知織が拡張されていく」ものと把握する(図表3一2一1参照)。

(図表 3一2一1)

 技術移転の観点からみると、この暗黙知は「定義しきれない知識」の移転を可能にする媒介項の役割がある。いわゆる磯場の「慣行」もその一つある。この定義しきれない知識は暗黙知として人に体現される。そのため技術移転のためには人に体現する知識を職場での共通の体験を通じて伝達していくしか方法がない。そういう意味で人を介する技術移転は「ヒューマンウェア技術移転」と言える。

第4章 職場の知識形成と技術移転
  -「職場聞き取り調査」のケーススタデイー-

 この章は、これまでの議論をもとに行った「職場聞き取り調査」結果をケースごとにまとめたものである。ここでは、3ケースについて研修生受け入れの全体像と職場の知識形成の特色、そして研修過程の特質を比較、整理するための表を示す。その後、ケースごとに価単に説明を加えながら議論をすすめたい。

 H社の研修生受入れは、H社が中国の軍事用飛行機製造会社のK社に軽自動車の生産設備を売却することから始まる。H社にくる研修生は8ケ月間の全日程は来日直後の約1ケ月間の集中教育、職場ごとに実施される6ヶ月以上かかる職場研修、そして帰国直前の教育という3段階に構成されており、ほとんどの時間は職場の現場研修が占めている。

 研修生の研修過程のあり方は職場に固有の作業組織のあり方や知識形成を正確に把握することなしには理解することができない。H社の研修の最も特徴的なことは、作業組織の「分離と統合の混在」というものであり、研修生の研修過程にもそのまま適用され、同じ方式で研修が行われていた。エンジン組立職場の生産方式は、ライン作業に関しては、熟練者と非熟練者を完全に分離する方式を採用している。非熟練者は作業中の工程に固定し、熟練者は2時間単位のローブーション作業を実施し、ライン作業者の幅広い技能形成と熟練者間の技能の差を少なくし、さらには作業の標準化を進める効果を得ている。

 ライン作業者の技能形成に重要な意味をもつのが共通の基礎技術の修得 (エンジン組立研修)である。エンジン組立職場では、一部の工程だけを担当する作業者でも自分の作業とライン全体の作業を理解するためにエンジンの分解組立訓練を受けている。それは研修生にも同じ意味でそのまま適用される。研修生もライン作業のあいだに自分のラインを離れてエンジンの分解組立研修を受ける。

区分 H社 K社 A社

企業規模 大 中小 大

研修生受入れ類型 企業単独型 団体監理型 企業単独型

送り出し機関との関係 技術提携、部品工場合弁 現地一般募集 100%出資現地法人

研修期間 8ヶ月 技能実習を含め最長3年 1年

職場類型(仕事) 量産型(エンジン組立) 量産型(自動車部品組立) 非量産型(送受信ユニット開発設計)

技能・知識レベル (高に近い)中 (低に近い)中 高

技能・知識形成の方法 基本はOJT、多様なOffJTプログラム用意 専らOJT 基本はOJT、長期間のOffJTにより初期技術修得

職場の技術特性 自動化進展、品質管理の機械化進行中 部分的機械化 最先端の技術を駆使、絶えず最新ツールを導入

作業内容 機械操作、基礎的な設備管理、トラブル対応 高熟練を要する作業、単純反復作業、中間レベル熟練の作業の混合職場 同じ基礎技術を基にする開発設計

作業方式 非熟練者は工程を固定、熟練者は広い範囲のローテーション、共通の基礎技術修得 高熟練工程は固定、低熟練工程は多能工化 チーム別の分業、非常事態に限って職場内の協業

作業組織の特徴 分離と統合の混在 やや分離方式 分離方式

研修生の仕事と研修 非熟練者として工程は固定、基礎的な設備管理に参加、共通の基礎技術修得のために職場内研修 高熟練工程を除く多能工化、検査要因に選抜し固定配置、汎用知識として「品質管理」教育 チーム内での1人の技術者として仕事遂行、ベテラン技術者の技術指導、職場内でのOffJT(勉強会)参加



 さらに研修生は、保全に関しても、現場作業者でありながら'機械を触る'「生産慣行」を体験する。研修生に保全に関する実体験の機会を与えることによって、職場の生産方式をより深く理解させることを狙っているように見受けられた。

 研修の効果に関しては、研修終了後現地に派遣された日本人技術者の品質や改善要求についてその内容を真っ先に理解する役割を果たすなど、生産慣行について'暗黙知'伝達のためのキー・パーソンとしての機能を果たしていることが注目される。研修は具体的な技術修得と技能形成に限らず、現場作業を通してその職場の生産慣行を身につける効果を持っていることがわかる。

 K社は中小の自動車部品メーカーで、研修生の受入れは同業者の組合から受け入れる「団体監理型」である。K社の研修過程は、平常の職場の作業を順次経験していくことを基本としているが、研修生が仕事を覚えていく手順には一般の日本人作業者とは異なるいくつかの工夫が加えられている。ライン作業においては日本人作業者と同様、低熟練工程の多能工化が観察できるが、研修生の一部がいわゆる高熟練の職場(同期出荷職場)に選抜されることや「品質管理」という汎用技術に関するOffJTを受けることは、K社一般の知機形成とは異なる部分である。

 K社のライン作業は、商い技能が必要な工程は10年以上のベテラン社員が固定されていて、この工程は、専用工程になっている。またラインの完成品をチェックする最終の工程もチェック専門の作業者によって固定されている。研修生はこの二つの工程を除く他の全工程の作業をこなせるように技能を身につける。作業中の不良品の処理や、設備の不具合への対応も日本人作業者とほとんど変わらない。

 このような職場での技能形成に加えて、研修生は「品質管理」に関するOffJTを受ける。これは、他の日本人従業員の技能形成の仕組みと異なる体系である。こうした方式をとる理由としては次のニつが考えられる。第1に,K社のような中小企業の低熟練部門をまかなう労働力はかなり流動的であるが、それに比べて研修生は「計算できる」安定した労働力であり、K社はその側面を積極的に活用している。第2に,外国人研修生事業において研修生の生活指導は受入れ側をもっとも悩ます問題であるが、K社は研修生に対してOffJTなどを実施することで、研修生の生活管理も含めた労務管理の観点から研修生に組織人としての意識をもたせようとしているのである。

 結果的に、K社の研修はライン作業の一般的な技能形成の典型を示しているが、品質管理という汎用性のある技術に力を入れていることが特徴的である。このことは研修生とのインタビューからもうかがえた。研修生本人が「責任」という言葉で「品質管理」の大切を述べており、研修効果がかなり浸透していることがうかがえた。さらに規則を守ることもかなり意識していて、研修過程で職場の「規律」や「慣行」といった組織人としての基本素養についてもきっちりと研修を受け、それを内面化していることが確認できた。

 A社は韓国の現地法人から3人の技術者を研修生として受け入れている。A社の研修生受入れはA社の海外事業展開と深く結びついている。A社が掲げる海外事業展開の基本戦略は需要があるところでその市場に合った製品を生産する「メード・イン・マーケット」である。これは、韓国現地法人も同じであるが、今までの事業は韓国国内より海外向けの生産が大半を占めていた。ところが、韓国国内に市場を求めるためには、韓国市場にあう製品の開発と技術分野のバックアップが必要である。そうした要請に応えるために、現地法人の技術職場の開発設計部門を強化するとともに、それを成長が見込まれる高周波分野において実現しようとするのが研修の目的である。

 研修生を受け入れた職場はA社高周波事業部の携帯電話送受信ユニットを開発設計する職場である。この職場は、早い時期から新しい移動通信システムであるCDMA方式の技術をアメリカから導入し、製品を開発し、世界にその製品を出している。

 この職場の技術形成の仕組みは、初期技術を長期のOffJTを通して修得することから始められ、その後は内部のメンバーにより技術力向上に努めている。韓国への技術移転も研修生を介した初期技術の伝達というこの方式と全く同じ仕組みで行われていることが興味深い。

 ところで、A社の開発設計職場は技術職場の知識形成の面でも実に示唆に富む事例である。仕事は職場内部の小グループがブロジェクトチームとして独立して仕事をする。その小グループの中は1人のりーダーのもとで分業体制で作業を進めている。小グループはふだんは完全に独立しているが、どこかのグループが納期に間に合わないというような非常事態が発生するとグループ越えて応援するなど、協業態勢にはいる。しかし、こうした緊急時以外は職場の壁を越える交流や応援はほとんどない。職場作業組織ごとに分離独立させた仕事方式をとることによって職場固有の技術を内部に蓄積させているのである。

 A社の研修は、ほかの2社に比べて、純粋なOJTに近いものである。研修生はA社のほかの技術者と同様、分業方式で自分の仕事をこなすことで知織を形成していたと言える。

 A社の研修過程の特質を把握するためには技術職場の作業方式と知識形成の仕組みを理解することが不可欠であった。一般に技術職場に対しては、仕事の非定型性、不確定性(uncertainty)が原因で職場の実体を正確に捉えることが難しく、技術職場の知磯形成の仕組みは捉えにくいものと言われている。だが、今回の調査は技術職場の知識形成の仕組みについてある程度のイメージを描けるところまで到達することができた。その結果は以下のように簡単に要約できる。技術職場は独立した個人技術者の分業方式で仕事を遂行する。仕事に必要な知識は、個人的に修得するものもあるが、職場内で日々行われるOJTが基本になっている。したがって、技術者の知識形成も職場内の持ち場を明確に限定したうえでの体系的なOJTの実施が重要な意味を持っていることがはっきりと観察された。そしてそうした訓練方式は研修生を対象とした研修過程についても完全に共適していたのである。技術移転の概念から見ると、このような研修の仕組みは本論文の第3章で考察した"ヒューマンウェア技術移転"の典型的事例として評価できる。新しい技術を学ぶために技術者を技術の現場に送って、その技術者が技術を吸収し、戻ってくることで技術移転を実施するということである。図表4一3一10はその概念図である。

(図表 4一3一10)

第5章 結び

 本研究は、日本の職場で長い期間研修を受けている研修生について、その間異国の職場で言葉も文化も違う人々と入り交じって仕事をしながらいったい何を学ぶのかという初歩的な疑問から出発した。そして調査を重ねるうちに、研修生は単に物理的技能や技術のみを修得するのではないこと、また一部で批判されるように研修が単純労働の「隠れみの」として利用されているだけではないことに気づいた。では、何を学ぶのか。本研究では、物理的な技術(=技術研修)と「職場規律」や「労働慣行」のような組織人としての素養(=組織人研修)に加えて、「職場の生産慣行」を研修しているという作業仮説を立てて事例研究の積み上げを図った。

 三つのケーススタデイーを通じて明らかになったのは、これらの3つの研修要素の中で「職場の生産慣行」に関する研修こそが職場OJTの最終的な目標となっていることである。企業も研修生も「職場の生産惟行」の修得に最も大きな努力を払っていることが明らかになった。そして、その取 得のために職場集団がとっている方法は、本論文の第3章で検討した技術移転の方法に関する理論研究で用いられている用語で表現するならば、体験と実感による「暗黙知」の形成によるものであって、技術移転3ルートの一つ「ヒューマンウェア技術移転」の代表的ケースであることがわかった。

 さらには、研修による暗黙知の形成は、職場という条件と切り離すことができず、個々の職場に固有の知識形成の仕組みに専ら依存するということがケーススタディーを通じて発見された新たな事実であった。いずれのケースにあっても「職場の知識形成」という用語で包括できる仕組みを基に研修が実施されていることが発見された。つまり、職場の知識形成における職場ごとのさまざまな特色が、研修過程にもそのまま影響を与えた状況が明らかになったのだ。

 ところで、本論文で展開した職場調査による知織形成と研修過程の分析は、日本の製造業の職場が直面している問題点に関して重要な原因究明と解決のための糸口を与える意義を有している。現在の日本の生産職場で共通して聞こえるのは、今までの高生産性と高品質を実現してきた現場労働者の高い技能レベルと技能形成の仕組みの土台である職場が崩れ始めている、ということである。職場の土台が崩れ始めているとは、具体的には、以前と違って職場の作業者の同質性、均質性が期待できなくなりつつあり、その結果として職場の知識伝達機能が次第に衰退してきているということである。そういう意味で文化的基盤が異なる外国人を対象に実施する職場の知識伝達の方法は、日本の製造業が直面している「技能継承の危機」を解決するための糸口としても示唆するものがおおきい。何故なら外国人研修生を対象とする研修は同質性、均質性を前提としない知識伝達の一つの方向を示すものだからである。日本の製造業の生産職場の現状に関するさらなる探求を筆者の次の課題にしたい。

 最後に、本研究は限られた研究対象に対するケーススタディーによるものであるので、当然のことながら外国人研修制度による技術移転という本研究の本来的テーマそのものの探究に関してもいくつかの課題を残している。

 第1には、今回のケーススタディーでは取り上げることができなかったタイプの企業についてもインテンシブな職場調査を実施することによって本研究の結論の有効性をさらに倍加することである。

 第2には、研修事業のもう一つの当事者である送り出し側の研修目的、研修に至る過程、研修から得た技能・技術・知識が帰国後どのように現地の職場で発揮されるのか等をさらに検証しなければならない。本研究ではA社のケーススタディーによって送り出し・受入れ双方の現場に対してヒヤリング調査を行うことができた。このことは既存の調査では全く行われたことのない新しい試みであって、そこから得られた知見は本研究の結論を導き出すうえで決定的に重要な役割を果たした。こうした送り出し・受入れ双方にわたるトータルなケーススタデイーをさらに重ねる必要がある。

 第3には、職場の知識伝達がもたらす送り出し国での成果測定のための調査を実施する必要がある。研修成果をいかに測定するかは、人的資源開発の理論と実務の両面にわたる古くて新しい難問である。まして筆者が課題としているのは「人に体現された暗黙知」という外形的にとらえることの困難な対象である。効果測定を行うためにはきっちりとした設計で丹念にヒヤリングを行うことが不可欠である。

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