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博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:米国の海外基地政策と安保改定
著者:山本 章子 (YAMAMOTO, Akiko)
博士号取得年月日:2015年11月30日

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1. 先行研究と博士論文の視角
本論文は、1953年から1960年まで米国の政権を担ったアイゼンハワー政権が、どのような政策的意図および背景から1960年の日米安保条約改定(以下、安保改定)を行ったのか、解明することを目的としている。
安保改定に関する先行研究は、日米二国間関係の枠組みの中で、安保改定に関する米国側の動機を説明してきた。
すなわち、当時の日本は、サンフランシスコ講和条約によって主権を回復した後、1955年に保守合同によって誕生した自由民主党が政権の座についていた。だが、米国から見て、同党初代総裁となった鳩山一郎とその後任の石橋湛山は、反米主義的な傾向を持つ政治家であり、日ソ国交回復や中国との貿易関係を推進することで米国の冷戦政策に非協力的な姿勢をとっていた。また、日本国内で独立後も駐留する在日米軍を実質的な米国の占領継続の象徴と見なす世論が強まっており、野党が国会で米軍基地の拡張や米兵犯罪、米軍基地への核兵器の持ち込みに対する批判を展開していることを、アイゼンハワー政権は問題視していた。そうした状況において、1957年に親米派と目されていた岸信介が首相となると、米国は、日本の親米保守政権の安定化を図ると同時に、日本国内の対米不満を緩和するために、岸首相の求める安保改定を受け入れたというのが、先行研究の一致した見解である。
これに対して本論文は、アイゼンハワー政権の安全保障戦略であるニュールックにおいて、海外基地群が不可欠な存在であったことを指摘した上で、同政権の包括的な海外基地政策の中に安保改定を位置づけようとする研究である。
安保改定に関する先行研究のみならず、アイゼンハワー政権論に関する先行研究でも、ニュールックにおける海外基地群の役割は必ずしも十分に論じられてこなかった。ニュールックとは、冷戦が長期化するという想定のもと、軍事予算の肥大が国家財政を破綻させることを回避するため、人件費のかさむ陸上兵力を最大限削減する代わりに、核兵器に極度に依存することでソ連に対する抑止を行うという戦略である。
本論文では、世界中のどこからでもソ連への核攻撃を行うことが可能だという威嚇効果を高めるため、海外基地群の存在はニュールックにとって不可欠であったことに着目する。それだけではない。アイゼンハワー政権発足からまもなく、ソ連が水爆の開発に成功し、米ソの核による対峙が「手詰まり」に陥ると、同政権は、米ソ核戦争よりも共産主義勢力による局地侵略の可能性が今後は高まると考えた。そして、海外基地群は、現地の米軍が局地侵略を受けて即時出撃する拠点、同盟国の軍事行動を支援する拠点としても重視されたのである。
これらをふまえて本論文では、アイゼンハワー政権にとって海外基地群が安全保障戦略の前提となっていたために、米軍基地を受け入れる同盟国側の不満や反発を緩和・解消し、海外基地群を安定的に維持・運用することが喫緊の課題であったことを指摘する。
また、既存のアイゼンハワー政権論は、アイゼンハワー大統領とダレス国務長官のリーダーシップに関心を集中させ、それ以外の政策決定者が果たした役割を体系的に論じてこなかった。安保改定の先行研究も、ダレスとその下の国務省の対日認識にばかり注目してきた。先行研究は、ダレスと信頼関係の厚いマッカーサー駐日大使が岸を高く評価して、安保改定の必要性を早い時期から強く主張していたことを強調し、ダレスの判断に影響を与えたアクターとしてマッカーサーの役割の重要性を主張する。また、安保改定を最終的に決断したのはダレスだとし、彼の判断に決定的な影響を与えた出来事として、「沖縄飛び地返還構想」の挫折や第二次台湾海峡危機の勃発などの要因を推測してきた。
しかし、実際には、米国の安全保障政策の決定過程で重要な役割を果たすのは、外交交渉を司る国務長官・国務省よりもむしろ国防総省・米統合参謀本部(以下JCS)である。特に、陸海空三軍と国防総省の間で安全保障政策のとりまとめや調整を行うJCSは、三軍を従わせ、国防総省の決定に強い影響力を及ぼすキープレイヤーといえる。
そこで本論文は、これまで先行研究で「安保改定に反対する軍部」としてひとまとめにされてきた国防総省・JCS・陸海空三軍・地域軍が、それぞれ安保改定に対してどのような方針・要求を持ち、どのような動機から最終的に安保改定を受け入れたのかを解明する。それによって、安保改定実現に至る国務省の検討過程を集中的に明らかにしてきた先行研究の議論を補い、アイゼンハワー政権における安保改定の検討過程を包括的に理解することが、本論文の狙いである。

2. 博士論文の概要
(1) 目次
序論
第1章 極東米軍再編と在日・在沖米軍基地
第2章 米国の海外基地政策の再検討
第3章 ナッシュ・レポートとスプートニク・ショック
第4章 安保改定交渉の帰結
結論
文献リスト
(2) 各章の要約
第1章では、1950年代の極東米軍再編を通じ、在日・在沖米軍基地を取り巻く環境がどのように変化したのかを概観した。端的にいうと、米国政府のアジア冷戦上の脅威が、朝鮮半島からインドシナ・台湾へと移ったことと、日本本土の反基地感情との相互作用によって、海兵隊が本土から沖縄へと再配備され、アジア有事への即応態勢を採るようになった過程を論じた。また、海兵隊の沖縄集結と前後して、空軍・海軍も沖縄からの出撃態勢を整えるようになり、在沖米軍基地が出撃基地として位置づけられるようになっていったことを論証した。同時に、在日米軍基地の役割が、朝鮮戦争半島への出撃地から、アジア太平洋地域全体の兵站・補給基地へと変化していったことも指摘した。
重要な点は、こうした在日・在沖米軍基地の役割の変化が、安保改定の実現を可能にする環境要因となったことである。極東米軍再編の結果、在日米軍基地の後方支援基地としての性格が強まったことで、第3章で後述するように、米軍部が安保改定を容認する際、日本側が求める安保改定の条件は在日米軍基地の実質的運用に影響を与えない、という判断が生まれることになるのである。
 第2章では、米国政府が安保改定を検討し始めた背景と、初期の検討段階における課題を明らかにした。すなわち、米軍基地を受け入れている同盟国の間で、基地協定に対する不満が高まったことから、アイゼンハワー大統領は、海外基地問題の包括的な現状分析・対策を検討するために、ナッシュ・レポートの作成を命じた。これに対して極東軍は、同レポートが在日米軍基地の現状維持を変更するような提言を打ち出すことを恐れ、日本側の要望を度外視した、米軍の利益を最大限追求した安保改定に関する研究を開始する。同章では、こうした一連の動きが、国務省に危機感を抱かせ、日本側の望む安保改定を真剣に検討する契機となったことを説明した。ただし、国務省と岸内閣が、旧安保の見直しを志向するようになっても、米軍部が安保改定の条件として、日本の防衛力増強や、一度撤退した基地への有事の再入権(entry and re-entry rights)の確保を主張している間は、日米両政府は交渉に入れなかった。
 第3章では、米国政府が安保改定を決断するに至るまでの過程を解明した。この過程に大きな影響を与えたのは、1957年にソ連が米国に先んじて人工衛星の打ち上げに成功したという事件、いわゆるスプートニク・ショックである。すなわち、一つには、スプートニク・ショックによって、日本国内の核戦争への巻き込まれの恐怖が高まったことから、日本政府は、安保改定を通じて事前協議制度を創設することで、国内の不安を緩和する必要性を認識するようになった。もう一つには、ナッシュ・レポート検討の過程で、スプートニク・ショックで一層不安定となった極東基地群を他地域へと分散移転させる必要性が、米国政府内で指摘されるようになった。在日米軍基地を維持したい軍部は、同基地の移転を阻止すべく、一転して日本の望む内容での安保改定を受け入れる。また、その際に、JCSは、在日米軍基地の役割をそれ以前よりも限定的に再定義することになる。
 最も重要な点は、アイゼンハワー政権が安保改定を決断する際の障害であった米軍部が、安保改定を容認する契機となったのが、極東米軍基地群の分散移転案をめぐる米国政府内の議論であったことである。前述したように、在日米軍基地の重要性の低下は、米軍部が安保改定を受け入れる環境要因となった。だが、米国政府内の海外基地政策の再検討こそが、米軍部を最終的な決断に踏み切らせる促進要因となったのである。
 最後に、第4章では、安保改定交渉を、交渉が最も難航した、日米行政協定を全面的に改定して新たに日米地位協定とすることと、事前協議制度の対象を取り決めることとを中心に再検討した。その中で、在日・在沖米軍基地の役割の変化が、安保改定交渉の趨勢をどのように左右したかも説明した。

3. 使用した史資料
本論文においては、米国政府の史料の分析を中心に、歴史的事実を再構成する手法を用いた。ただし、アイゼンハワー政権の対日政策よりも幅広い冷戦戦略の再検討が中心になるため、国会図書館憲政資料室が所蔵する米国政府の対日政策文書や、公刊されている『アメリカ合衆国対日政策文書集成』のシリーズはほとんど活用できなかった。
したがって、第一に、米国国立公文書館が所蔵する国務省文書(RG 59)とりわけ国務省政策企画室報告書、国務省在外公館記録群(RG 84)、統合参謀本部文書(RG 218)、米国国家安全保障会議文書・議事録(RG 273)、陸軍参謀本部記録群(RG 319)、国防長官室記録群(RG 330)を調査・収集した。第二に、アイゼンハワー大統領図書館が所蔵するホワイトハウス・中央ファイル、ダレス文書、ホワイトハウス国家安全保障担当特別補佐官文書、ウィルソン文書を活用した。
 また、沖縄県公文書館に存在する、プリンストン大学マッド図書館所蔵のダレス文書の複写等も活用した。
 2010年、2011年には、民主党政権の密約調査をきっかけに、外務省が沖縄関係史料、安保改定関係史料を大量に公開したため、日本政府の外交史料も補足的に用いた。
 日米両政府の安保改定関係史料、特に米軍部の史料はいまだに非公開のものが多い。そのため、オーストラリア政府が当時、安保改定交渉の情報収集を行っていたことから、オーストラリア国立公文書館の日米関係文書も利用した。
 その他、刊行された史料として、Foreign Relations of United StatesやHistory of Joint Chiefs of Staffのシリーズ、The United States Marines: A Historyなどの部隊史等も活用した。

4.結論
先行研究はこれまで、重光葵・岸信介といった日本の政治指導者達が、対等な日米関係を求めて安保改定を模索したことを評価しつつも、安保改定交渉を主導したのはむしろ米国の方であったと結論づけてきた。先行研究は一方では、米国政府、特に米国駐日大使館が、保守勢力を統合し安定政権を成立させた岸信介の政治的指導力を認めたことが、安保改定の実現につながったことを評価する。だが、他方では、安保改定によって創設された事前協議制が形式的なものにとどまったことや、旧安保が相互防衛条約にならなかったことを、対米対等性の獲得の失敗として批判してきた。
これに対して本論文では、極東米軍再編の結果、在日米軍基地の役割が主に兵站・補給基地へと変化したことによって、米軍部が、在日米軍基地の新たな役割の範囲内での安保改定に同意することが可能になったという結論に至った。在日米軍基地が朝鮮戦争時のように出撃基地としての役割を重視されなくなったことで、日本政府が安保改定の目的として米国側に求めた事前協議制の実現によっても、在日米軍基地の運用には支障をきたさないという米国側の判断が生まれたのである。日本政府は事前協議制によって、米軍が日本側の同意なしに戦闘作戦行動や核の持ち込みができない、という制度的形式を整えることを意図していた。だが、米国側はむしろ、日本本土に駐留する米軍が紛争地への直接出撃や核攻撃を行う可能性が、朝鮮有事をのぞいて低く、事前協議制の適用を要する事態が起こりそうにないがゆえに、事前協議制の創設に同意したのであった。

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