博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:社会転換と中国社会の構造変動―「新階層」の変動過程を中心に―
著者:李 暁魁 (LI,Xiaokui)
博士号取得年月日:2015年3月20日

→審査要旨へ

本論文の目的は、1978年の改革開放政策の開始から2013年3月の第18回党大会に至るまでの、中国における社会構造の転換について「新階層」の変動過程の文脈から議論することにある。1978年から2013年までの35年の間に起こった構造変動の最も大きな特徴は以下の点にある。中国の社会関係における政治的身分関係から市場的契約関係への転換に伴う多様な「新階層」の形成、分化そして再形成である。本論文は、この「新階層」に焦点を当てながら、社会転換期における中国社会の構造変動の特徴を明らかにすることを主要なテーマとしている。
このテーマを扱う基本的な問題意識として、以下のことが挙げられる。すなわち、「新階層」現象に焦点をあてて研究することにより、中国における社会転換の一般性及び特殊性の双方を理解することができる。中国の社会転換はグローバル化を背景にした全く新しい展開であるが、中国の社会転換にはあらゆる発展途上国でみられる一般的特徴がみられる。だがそれと同時に、改革の目的や人口動態、改革の漸進性、伝統勢力の存在など種々の要素が複雑に絡み合っているため、大きな特殊性があることも見逃してはならない。
「新階層」現象にはこの特殊性がよく表れている。「新階層」現象は中国改革の漸進性と政治権力構造の変遷の複雑性を如実に表していると考えられる。例えば「官商」(政府の公務員でもあり企業の経営者でもあること)の特徴には、遅れて近代化した国に特有の社会構造の変遷および政治構造とくに身分制度の下での権力の分配関係など、一連の中国社会の転換過程にもたされた問題が集約されている。したがって、中国の社会転換の特殊性および一般性を理解するためには、「新階層」現象が生まれた原因とその背景に集約されている矛盾を明らかにし、この矛盾が改革と社会転換に与える影響を分析することが必要である。本論文はそのための一つの試論である。
本論文は八章によって構成され、大きく三つの部分に分かれる。第一の部分は序章と第1章の2章からなっている。第一の部分は、主に本論文が社会転換と社会の構造変動の問題およびなぜ「新階層」の問題に焦点にあてて取り上げるのか、その問題意識を説明し、また本論文の理論的な枠組みを説明することに重点を置く。第二の部分は第2章、第3章、第4章と第5章から構成されている。第二の部分は第一の部分に提示された理論的な枠組みに基づき、中国の社会転換期に生じた「新階層」、すなわち、「官商階層」と「農工階層」を詳しく分析し、その形成の背景、プロセス、特徴と発生要因を解明したものである。そして第三の部分は第6章と終章からなっている。第6章では主に「新階層」が中国社会に与えた影響を分析し、終章では本論文の成果と問題点を取り上げる。以下では各章についてその主な内容を要約する。
序章は、本論文の問題意識と先行研究について整理したものである。まず、新階層現象の背景には中国の社会転換期に見られる構造的な変化が存在することを指摘し、新階層の発生と変化の特質を把握する必要があることを説明した。この新階層の問題を研究するにあたっては、本論文はマルクスやヴェーバーの階級・階層理論などを再検討するとともに、中国の特殊性を考慮に入れた新しい理論についても検討をする必要がある。そこで論文の出発点として、中国社会の構造転換に関する先行研究に関して、中国国内および海外の先行研究について整理を行った。そして最後に、社会転換や階層など本論文で用いられる重要な概念を規定した。
第1章では、序章の議論を踏まえて、本論文の理論的な枠組みを検討した。まず、社会構造理論のうち、特に、マルクスの社会構造理論(分業論、三つの社会形態論、階級闘争論)とヴェーバーの多元的社会階層論を再検討して、中国社会の構造変動分析に対する理論的な根拠を見つけ出そうとした。そして、マルクスとヴェーバーの議論を念頭に置きつつ、新階層出現の要因を中国の社会転換過程における社会分業という要因と「二重型経済構造」の存在に求めることができること、また、経済構造の転換は高度成長をもたらした一方、社会的地位と政治的地位の格差を拡大したことを指摘した。
次に、社会転換に関連する諸理論を扱い、ルイスの二重構造理論、ノースの制度変動理論、林毅夫の誘致性制度変動説及び経路依存理論などについても検討をした。また、社会転換の二類型についても検討した。ここでいう二類型は特に旧ソ連を中心に採用されたショック療法、つまり本論文で言う「急進型転換モデル」と中国で採用された「漸進型転換モデル」を指している。急進型社会転換の特徴は経済領域及び政治体制における急激な変革である。
こうした検討を踏まえつつ、以下の諸点を指摘した。旧ソ連がとったショック療法に対して、中国は漸進型転換モデルを実施した。漸進型社会転換は発展変化の分段改革を通して徐々に目標を達成する過程である。改革は段階に分け漸次的に行われた。中国の漸進型改革はまずある地域で試験を試み成果を収めた後、その成果を他の地域に広げることに特徴がみられる。経済発展と民主化の発展順位において、漸進型社会転換は市場経済を優先的に発展させた後、徐々に政治の民主化を推し進める社会転換方式でもある。
また、中国の社会転換はまず、伝統的農業社会から始まり、近代的工業社会への移行が行われていった。社会転換の過程において古い制度と新しい制度が併存し、経済発展と社会分化に重要な影響を与えた。特に政府主導により現れた「経路依存」の現象は、中国の社会転換に大きな影響を及ぼした。新階層はこうした中国の社会転換の過程で現れた過渡的な産物である。それは、他の転換国家に現われた問題と類似するところがある(例えば、ロシアの社会転換期における国有資産の私有化の過程での官と商の結合、フィリピンのマルコスによる家族権力)。但し、中国の国情により、その社会転換には特殊性を見出すことができる。7億人に上る農村人口、都市と農村の分離制度、何千年にわたって培われた古い慣習などにより、中国の社会転換は他の国の社会転換と直接比較することはできない。このため、新しい分析の手法と理論が必要である。
そうした新しい分析の手法と理論は、「官商階層」の形成に示されるように、中国の社会転換における政治構造の重要性も無視してはならない。このため、第1章では、イーストンの政治構造理論も再検討し、新階層による政府の政策および社会への影響を解明する方法を提示しようと試みた。
第2章は、序章と第1章で述べた問題意識と一定の理論的な枠組みに基づき、中国の社会転換期の歴史を考察し、中国の社会階層にどのような変化が表れたかを分析したものである。いわば「新階層」の形成の歴史的背景の分析である。まず、計画経済体制の下での社会階層の存在要因とその変化を分析した。次に、計画経済体制から市場経済体制に移行する過程における中国の階級・階層構造の変動について検討をした。最後に、社会転換と社会構造分化を中心に1978年以降の中国社会を分析の対象とし、中国の産業構造の変動と経済構造の多様性について分析を加えた。この時期における中国社会構造の変化を本論文では「政治的身分から経済的(市場的)契約へ」の過渡的転換期として位置付けた。新階層はこうした「政治的身分」と「経済的(市場的)契約」という二重の特徴を持っている。この時期、旧い階級・階層構造が持続的に分化され、新階層(農工階層と官商階層)が形成された。
第3章と第4章は新階層についての実証分析であり、本論文の最も重要な部分をなしている。主に農工階層と官商階層というそれぞれ異なる階層を取り上げて分析を加えた。
第3章は、新階層のうち、特に農工階層を中心に分析した。農工階層は伝統的な農民階層から生まれたものであるが、まず、第1節では社会転換と新階層について分析し、新階層および農工階層の概念を整理した。第2節では社会転換に伴う郷鎮企業工員階層を分析対象とした。郷鎮企業の変化が郷鎮企業工員の変化をもたらした。また、市場化と制度構造の妥協が社会階級・階層の構造変化の根本的な要因であることを主張した。第3節は農民工について分析し、農民工階層の形成、変化を分析したうえでその特徴を指摘した。また、農民工階層が長期にわたって存続している要因として、第一に、都市と農村を隔離する戸籍制度の存在、第二に、「体制外」と「体制内」の二重構造、第三に、計画経済体制と市場経済体制の併存が挙げられた。農民工階層は現在1億6,000万人に達しており、中国経済に大きな影響をもたらす新しい階層である。
第4章は、第3章と同様に実証分析である。分析対象は農工階層と全く異なる官商階層である。まず、官商階層がなぜ生まれたのか、その理由として、第一に、官商階層は中国社会構造の変化に伴って生じたものであり、第二に、社会転換の過程に生み出された官商階層は「政治的身分」と「市場的契約」という二重の特徴を持っていることを指摘した。この官商階層は社会転換および経済・政治体制の改革の進行に伴い、徐々に発達し、その形態を変化させていった新しい階層である。そうした官商階層の社会経済的状況も重点的に分析した。
第5章は、上述の分析を踏まえ、新階層がなぜ生まれたのか、その社会構造の変化要因を分析した。社会変動をもたらした原因は以下の点に求めることができる。第一に、政治体制の変動という原因、第二に、社会階層間の構造変化という要因である。この二つの原因から、中国の社会構造の転換過程は、政治構造と社会構造が相互に影響しながらも、調整していく過程だということが分かる。それゆえ、社会転換期に生じた政治構造と階層構造との間の矛盾も重要な要因として考えられる。具体的にいえば、従来の社会階層から分化してきた様々な新たな社会階層においては、職業、収入、社会的地位が大きく異なっており、またそれに伴って所得格差も拡大した。そして、この格差を市場経済体制と計画経済体制との間に見られる制度構造上の矛盾であるとみることができる。
第6章は、新階層が中国の社会構造にどのような影響を及ぼしたかを中心に分析した。社会資源の配置と所有状況の違いにより、農工階層と官商階層が社会転換、構造変動、政治体制に与える影響もそれぞれ異なっている。農工階層は、農民階級から分化して、中国社会の工業化、都市化、市場化の発展に大きく貢献した。但し、農工階層の存在は、中国の工業化及び都市化の発展にマイナスの影響を及ぼすことになりかねない。他方、官商階層は、政治権力と市場資本の結合により生まれたものであり、中国社会構造、政治構造と経済構造に大きくマイナスの影響を与えている。こうした点を踏まえつつ、この章では新階層による社会転換への影響、社会構造への影響、政治改革への影響等に関して論じた。
終章では、本論文の研究成果と問題点を取り上げ要約を行った。本論文の最大の成果は、社会転換・社会構造・政治構造に関する一定の理論的な検討を踏まえて、中国における社会構造の転換および階級・階層構造の分化によって生み出された新階層に焦点を当てて分析を行った点にある。新階層の出現は中国の改革において、一定の必然性を持つものであった。1978年以降、30年間にわたる改革開放の歴史を見ると、新階層は社会の安定を図り、改革の進展を進める上で、大きな役割を果たす一方で、負の側面ももっていることが本論文により明らかとなった。
新階層の将来を展望すれば、中国の改革が漸進主義的な方式をとっているため、今後も新階層は中国の社会に長期にわたって存在していくことになると考えられる。本論文の成果を踏まえると、次のような見通しを引き出すことができる。農工階層は社会転換の過程において初めて出現したものであり、その規模も非常に大きく、また形成の過程も相当長期にわたっている。都市と農村の間に存在する二重経済構造が短期間には解消されないという前提の下、農工階層は社会階級・階層の分化過程における特殊な集団として、長期にわたり存在し続けることになると予想される。政府はこのような状況を正確に把握し、特に農民工の利益をいかに保護するかを重視して社会政策を策定すべきである。官僚と企業家が結合して生まれた「官商」階層について、政府はこれまでに様々な政策を打ち出し、その存在を禁止してきた。その効果は徐々に表れている。しかし、「官商」階層の変化過程を明確に把握することはなお難しい。この点は今後の課題として残されている。政府権力と資本とを結び付ける利害の一致がある限り、「官商」階層がなくなることはないと予想される。したがって、人事幹部制度の改革を今後も継続し、幹部を公務員に変えることが望ましいと考えられる。

このページの一番上へ