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博士論文要旨

論文題目:介護職の職務範囲と専門職性に関する研究-チームケアと多職種連携からの考察を中心として-
著者:高橋 幸裕 (TAKAHASHI,Yukihiro)
博士号取得年月日:2014年6月30日

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 歴史的に介護は家庭で担われてきたが、女性の社会進出や家族規模の縮小等を背景として高齢者を支えることが困難となってきた。その結果、介護サービスが必要とされるようになり、介護職にはその担い手として社会的要請と期待が寄せられるようになった。国は人口の高齢化に伴う介護問題に対応するために社会福祉士及び介護福祉士法の整備(介護職の国家資格化)、ゴールドプランの整備、介護保険制度の施行等を進めてきた。同時に、介護職のマンパワーが不足する傾向にあったことからそれを確保することが社会的な課題となってきた。介護職のマンパワーが不足する傾向にある理由は労働環境や労働条件が低いことである。これまでの先行研究や調査では、もっぱら介護労働者自身の意識や労働実態に関する検討がなされてきた。しかし、マンパワーは不足している傾向にある。それには別の要因があるのではないか。そこで介護職の社会的地位や評価が低い理由を明らかにすることで必要なのではないかと考えた。本研究は介護職における仕事の職務範囲や専門職性に関して考察を行った。
 介護職の社会的地位向上を実現するには介護に隣接する領域で、専門性が高い職業から学ぶことが必要である。その領域とは看護であり、職業は看護師 が該当する。女性が中心となっている職業であることが挙げられる。そして介護と看護の共通点はケアを提供する点にあり、その概念の根幹はつながっている。看護師と比較することがそのモデルが可能となると考えた。そこで看護師が医師の補助的役割からパートナーとして専門性を高めるまでの経緯について歴史的視点で振り返った。
 我が国における看護婦養成は明治期にナイチンゲールの思想に基づいて教育が始まった。当時、看護学校等の試験で求められた水準は読み、書き、そろばんの基礎ができることであった。看護婦は医師の補助として位置づけられており、高い専門性や知識・技術は求められてこなかった。看護婦に関する制度は1915(大正4)年に看護婦規則(内務省令第九号)が定められたのが最初とされる。看護婦の養成に関して全国で統一した制度として整備され、試験の合格者には都道府県知事免許が与えられた。だが、昭和期に入ると戦時体制が強化され、看護婦養成の水準は引き下げられていった。第二次世界大戦終了後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)看護課により疲弊した看護婦養成制度の立て直しや保健婦助産婦看護婦法(1948(昭和23)年)の制定がなされた。
看護婦の身分の確立以外に組織に関することは保健婦、助産婦、看護婦は別個の組織であったがGHQの指導の下、統一した組織へと再編が行われ、1946(昭和21)年に看護職として統一的な組織である日本産婆看護婦保健婦協会が発足したこと、1948(昭和23)年に厚生省医務局看護課が設置され行政に進出したことである。その結果、看護職として組織的基盤の強化と行政との結びつきを強めることが可能となった。
その後、看護職は政治にも進出し国会に代表を送り込むことになり、1960(昭和35)年に第1次池田内閣の厚生大臣に中山マサが入閣し政治的発言力が高まった。この少し前の1959(昭和34)年に看護職は組織力を生かして自らの看護政策を実現することを目的として、看護職の政治団体として日本看護連盟が設立された。これは現在も同じであり、看護系議員を国会へ送り込み続けている。
また、看護婦の養成は高等学校レベルの養成からさらに高度なレベルへと高められてきた。高等教育機関において看護に関する学科が最初に設置されたのは、1952(昭和27)年に高知女子大学家政学部看護学科であった。これ以降、全国各地の大学で看護学科が開設され看護婦養成の高等教育化が進んだ。現在は大学院博士課程の設置もなされるまでになっており、看護の専門性の明確化と領域の細分化がなされていった。
このように看護婦は自らの社会的影響力を高めるために行政、政治に進出、医療技術の発達や時代のニーズにより高等教育化を進めるなどして社会的影響力と専門性を高めてきた。しかし、労働環境や労働条件の改善は恒常的な課題の一つであった。1950(昭和25)年に厚生省が完全看護の実施を打ち出したことをきっかけとして、看護婦は1960(昭和35)年に病院ストライキを行い、労働運動を展開した。また、1963(昭和38)年には労働条件改善を目指してニッパチ運動を展開し、看護婦が置かれている状況について社会に広くアピールをした。
他方、医療技術の進歩とともに高度化するニーズに対し、日本看護協会はアメリカの専門看護制度を参考にキャリアを高める仕組みを整備した。いわゆる専門看護婦制度である。専門看護婦制度は1994(平成6)年に各専門領域に対して卓越した知識や技術を評価する仕組みとして創設された。専門看護婦は実践・相談・調整・倫理調整・教育・研究の役割が与えられ、医師のように臨床と研究が職務範囲として位置づけられたことで職務の拡大と専門性を高めて職業間格差を縮めることを目指した。
専門看護師制度以外に日本独自の制度として熟練した看護技術を評価する仕組みとして認定看護婦制度がある。これは1996(平成8)年に創設され、その役割は実践・指導・相談であり、医療現場における指導者としての活躍が期待されている。そして、1998(平成10)年に認定看護管理者制度が創設され、看護管理者として多様なヘルスケアニーズを持つ個人などに対して組織的看護サービスを提供することを目的としている。看護婦のキャリアラダーはこれらの制度の整備により専門性が高められ、病院の管理職(幹部)として昇進できるルートを確立することとなった。
看護婦が上述のような経緯をたどり、医師の補助からパートナーとして地位向上が図られてきたのに対して、介護職は行政、政治、組織等の状況がどのようになっているのかを比較検討した。介護職が職業として成立したのは、1956(昭和31)年に長野県事業として開始された家庭養護婦派遣事業である。ここで採用されたのは寡婦であり、募集の際に謳われたのは家庭の母親のする仕事と同じ専門的な仕事ではないということであった。すなわち、介護職としての専門性は求められておらず、家庭内の代理的役割であった。この家庭養護婦派遣事業開始以降、家庭養護婦たちはコミュニケーション方法や家庭ごとの対応方法に苦慮するなどして講習の実施を県に求めていることから分かるように、家庭養護婦は日常業務に必要な技術など専門的な知識が必要だということを早くから認識していた。このような制度は次第に全国へ広がりを見せるようになるが、介護職の役割は洗濯、掃除、炊事、縫い物、修繕、整理、身の周りの世話といった生活援助が中心であり、専門的な知識が必要だという行政側の認識は薄かった。
他方、介護職養成に関して全国各地で統一した養成の基準がなかったが、1982(昭和57)年にホームヘルプに関する研修カリキュラムである家庭奉仕員採用時研修(70時間)が整備された。研修時間が短いが統一した研修体制を有することができたのは職業教育を整備する上で必要なことである。その後、家庭奉仕員の養成カリキュラムが見直され、1987(昭和62)年に家庭奉仕員講習会推進事業における研修時間は360時間となり、1991(平成3)年からは1級(360時間)、2級(90時間)、3級(40時間)の段階的な研修制度に変更された。その背景はゴールドプランの実施により大量のマンパワーが必要とされたことにあり、介護職は質よりも量が重視されたからである。そして1995(平成7)年には1級(230時間)、2級(130時間)、3級(50時間)となった 。
このように整備されてきた訪問介護員の養成制度とは別のものとして、1987(昭和62)年に社会福祉士及び介護福祉士法が成立した。これを受けて名称独占の国家資格として介護福祉士(制度)が整備された。この介護福祉士は(介護職員基礎研修を含め)上述の資格とは関連しておらず、単独の資格として位置づけられている。そのため介護職として体系的なキャリアラダーが形成されておらず、看護師のような専門領域に特化した専門資格制度が未整備であることもあり、特定領域のスペシャリストとなりにくい課題がある。
翻って、介護職が社会的地位を高める要素として看護師と比較した場合、行政、政治、教育等についてはどのような状態なのか。行政の場合、厚生労働省には老健局が設置されており、そこには総務課、介護保険課、高齢者支援課、振興課、老人保健課が置かれている。老健局には介護課というものはなく、介護職として行政に携わる度合いが看護師よりも低い。また、政治において高齢者問題(介護問題)は各政党や福祉に関心のある議員による政策課題の一環として取り扱われているが、当事者として日本看護協会・日本看護連盟のような統一した組織基盤がないため、介護職は国会に代表者を送り込めていない。介護職は行政と政治の部分において当事者として直接携わることができていないため結びつきが看護職よりも弱く、社会的な影響力を十分に有することができていない状態である。それは統一的な職能団体がなく、職能団体が複数あるため、影響力が分散してしまっているのが理由と考えられる。また、看護職は保健師助産師看護師法に基づいて業務独占が規定されているが、介護職は社会福祉士及び介護福祉士法で名称独占の国家資格が規定されている。訪問介護員養成制度や介護福祉士制度の整備の影響もあって介護事業者からは有資格者が求められる傾向にあるが、無資格者でも介護市場に参入できることが職業としての専門性の高さに関する評価の差として生まれている。
このようなことを踏まえて、介護職の専門性を高めるためにはどうすればよいのか。介護職の専門性はどこにあるのかが課題となってくる。介護職の職務範囲は高齢者(利用者)の生活援助と身体介護に大別できる。掃除、洗濯等の家事全般と利用者の入浴介助やトイレ介助等のボディタッチを含めた支援(ケアの提供)である。介護職の専門性がこれまで明確になされてこなかったのはここにある。介護職の対象とする職務範囲が日常生活とほぼ重複しているため、非常に広くかつ可視化しにくかったからである。それゆえ、専門性が可視化しにくいことで介護職は家庭内での介護や家政婦との区別化をしていくことが難しかった。
介護職の歴史を振り返ると分かるように介護現場は在宅と施設に大別され、そこでは介護職は介護職として働き、医師は医師というように連携が十分ではなく、介護現場では介護職が単独でケアを提供してきた。また措置制度時代では介護職と医療職等の専門職との連携や考え方はあったが、それほど密ではなくそれぞれの職種が別個に必要なケアを行ってきた。2000(平成12)年4月に介護保険制度が運用されて以降、介護は利用者本位の下、措置ではなく権利を理念としてサービスを利用できるようになってから、介護職の働き方に変化が生じてきた。
介護保険制度が開始されて以降、介護支援専門員との連携が進められ、チームとしてのケア、チームケアが積極的に取り組まれるようになった。介護職は介護支援専門員と利用者の状態の変化や要望に関する情報の共有化を行い、それをケアプランに反映させる形で連携を深めっていった。こういったことから始まり、現在介護現場では医師、看護師、作業療法士、理学療法士、歯科医等の専門職が利用者を支援するためにチームとして総合的なケアを提供している。介護職の専門性は上述のように明確にされていない中でチームケアが介護にも取り入れられるようになったことから、その確立の足掛かりを得たとも言える。これはこの後すぐに述べる介護職の職務範囲を単独でケアを行うものを狭義の介護とした場合、各専門職と連携の上チームケアをマネジメントする領域まで含めると広義の介護と言える。
また、チームケアは多職種の分業と連携によって行われていることから、各職種の対象範囲や役割は柔軟に変動するのが特徴である。チームケアが行われる中で介護職はここで専門性を発揮している。本研究が行った調査では、介護職は利用者の日常生活や身体の状態を第1次的に認識することができる立場にいることが明らかになったからである。例えば、利用者の生活の変化は長期間、長時間かけて行わなければ明らかにできない。医師や看護師などは利用者と定期的にかつ短時間しか接しておらず、身体的な微妙な変化をつかみにくい。そのため、診察の判断材料を医師が得るために介護職に状況を尋ねることがあり、それを提供することができるという形である。そして、利用者が体調を崩した場合(救急搬送の場合等)はそれ以前の経過を医師や看護師、救急救命士に報告することもある。これにより応急処置の効果が高まることが可能となる。それ以外にも介護職を介して利用者のニーズや日常の状態について各専門職に伝えられることでより的確なケアを提供することが可能となる。つまり、介護職が利用者の状態を第1次的に把握し、各専門職に橋渡しをする役割の中心となる。こういった介護現場におけるチームケアのあり方を構造化すると①利用者の状態観察に始まり、②介護職から専門職への情報提供、③専門職から介護職へ情報提供、④専門職からの助言を踏まえて介護職から利用者へのケアへ反映させるということになる。すなわち、これが介護職の専門性である「介護の総合性」である。
介護職はチームケアで専門性を発揮している一方で、近年、人口の高齢化が進んできたことで医療依存度の高い利用者が増加する傾向にあることから、医療ケアを求められるようになった。介護職員等によるたんの吸引等の実施のための制度の在り方に関する検討会では、国会の審議と並行して医療ケアは医療行為の一部であることから医師法に抵触する恐れがあるとして取り扱いが議論された結果、2012(平成24)年の介護保険法改正により、たんの吸引と経管栄養に対して介護職が職務として行うことが定められた。これにより介護職の職務範囲が拡大された。
このように医療ケアを介護職が担うことに対して是非があるが、上述したように医療と介護におけるケアは根本がつながっており、厳格な区分と職種間の役割分担の下ではその間に落ち込んでしまう者への対応をどうするのかについても考えなくてはならない。介護の専門性を高めるためにもこの課題を克服する必要があり、海外の事例について検討を試みた。本研究では、スウェーデンとドイツを事例にして検討を行った。
スウェーデンのケアワーカーは介護職として准看護師資格保持者を要件としており、医療と介護に重点が置かれていることが特徴である。スウェーデンのケアワーカーは准看護師が担っていることで初期医療と看護に関する知識と技術があり、介護サービスを提供できることが専門性であると位置づけられている。他方、ドイツの介護職は看護法で位置づけられており、看護領域の一部としてみなされていることが特徴である。この看護法で位置づけられた介護の担い手は介護専門職(看護師、児童看護師、老人介護士によって構成された総称)と呼ばれている。老人介護士の養成は看護師との統合教育が試みられていることから、ドイツではスウェーデン同様に介護職が医療の一部を担う方向性が示されており、医療と介護の融合と職業としての専門性を高めようと教育に反映させようとしていることが特徴と言える。
海外の事例を踏まえると、日本の介護職が医療ケアとして医療の一部を担うことは不自然なことではない。ただ、医療ができるだけということでは介護職としての専門性を高めることにはつながらない。これまで見たように、介護職としてのチームとしてのマネジメント機能を高める、医療ケアを実施できるだけの知識と技術の獲得といったいわゆる職務範囲の拡大を進めていくことが求められる。
本研究で明らかになったことは介護職が看護師と比較したように社会的影響力を高めるためには様々な課題があり職業としての魅力を高める必要があったことを踏まえ、職業としての専門性を高めるためにはチームケアと多職種連携をキーワードとして介護現場のマネジメントをできるようになること、医療ケアを担えるだけの知識の技術を獲得することである。これに従って、介護職の社会的地位向上に関する戦略や方向性を示すことができたと考えている。

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