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博士論文要旨

論文題目:ステレオタイプの抑制における代替思考方略の検討 ―ステレオタイプ内容モデルに注目して―
著者:田戸岡 好香 (TADO’OKA, Yoshika)
博士号取得年月日:2014年3月24日

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私たちは「女性は優しい」,「黒人は乱暴だ」といったように,相手の性別や年齢,職業,人種など,その人がどういった集団に属するかという情報を手がかりに他者を判断することがある。こうしたある集団に属する人たちに対する固定的な知識をステレオタイプという。ステレオタイプを用いて他者を判断することは,自分と異なる集団に所属する人々を理解する上で役立つことがあるが,ステレオタイプを当てはめて判断するだけでは,適切な対人関係を築いていくことはできない。また,平等主義的な規範の観点からも,他者を偏見の目で見ることは避けるべきことである。そこで,我々はそうしたステレオタイプを他者にあてはめて考えないように,抑制しようとすることがある。しかし,そうした抑制後にはかえってステレオタイプに基づいて人を判断する傾向が強まってしまうリバウンド効果という現象が指摘されている。本論文では,否定的なステレオタイプを避けることが難しい理由を明らかにした上で,ステレオタイプを避けるための抑制方略を検討した。
社会心理学では,ステレオタイプ的判断を避けるために,これまで大きく分けて2つのアプローチをとってきた。1つ目は,ステレオタイプはよくないものであるという講義を長期にわたって受けたり,ステレオタイプにあてはまらないような人物(e.g., 黒人の政治家)を繰り返し呈示するなど,長期的な訓練をすることで,ステレオタイプの内容そのものを変容させるというアプローチである。ただしこうした訓練には時間がかかり,即自的に行うことができない。2つ目はより短期的なアプローチで,ステレオタイプを意図的に統制する試みである。こうした統制においては,ステレオタイプ的な思考を考えないようにする抑制(suppression)というアプローチが行われやすいという指摘から,本研究では,ステレオタイプ抑制に注目することとした。
抑制は,ステレオタイプ的な対象に出会った時に行うため,対象が限定されず,即座に行うことができる。しかし,抑制した後に,ステレオタイプが思いつきやすくなり,後の判断や行動においてステレオタイプに依存する傾向が強まるリバウンド効果という現象が生起することがある。皮肉過程理論によれば,抑制対象が意識に侵入していないかをチェックする監視過程によって,抑制対象が頻繁に活性化するため,リバウンド効果が生起するという。実際,思考抑制の研究では,監視過程が働かないように,他の対象を考えさせる代替思考方略を用いると,抑制が容易になり,リバウンド効果が低減することが示されている。
他方,ステレオタイプ抑制の研究では,代替思考方略の限界が指摘されている。ステレオタイプ抑制は対人判断という文脈で行われる。対人判断は通常,判断対象について考えなければならないという特徴があるため,ステレオタイプ抑制では,当該ステレオタイプを持
たれている人物について考えながら,その人物の特定の側面だけを抑制する必要が生じる。そのため,ステレオタイプ抑制のために,ステレオタイプ(e.g., 「黒人は愚か」)とは反対の意味を持つ反ステレオタイプ(e.g., 「黒人は賢い」)が代替思考として用いられやすい。ただし,反ステレオタイプは,元来持っている知識とは反対の思考である。よって,抑制対象の表象に含まれないため,反ステレオタイプ的な思考を抑制対象と結びつけることが難しく,代替思考として生成することが困難であると考えられる。代替思考を容易に生成することができないと,抑制対象から注意をそらすことができないため,リバウンド効果が低減し難いと考えられる。
逆に,生成することが容易な代替思考を用いれば,ステレオタイプ抑制においてもリバウンド効果は低減できると考えられる。本論文では,そうした代替思考を提案するためには,ステレオタイプの表象の内容に注目することが重要であると考え,ステレオタイプ内容モデルを取り上げた。このモデルでは,ステレオタイプの内容は外集団との関係性から決定され,人柄と能力という二次元から捉えられると想定している。人柄はその集団が自分と競争関係にあるか否かで決定され,競争関係にある場合には「冷たい」とみなされ,協力関係にある場合には「温かい」とみなされる。同様に能力は,地位の上下関係にあるか否かで決定される。また,この二次元の評価はそれぞれ独立にポジティブもしくはネガティブな内容を形成するが,その中でも,一方の次元(e.g., 人柄)がポジティブなら,他方の次元(e.g., 能力)がネガティブになるという,両面価値的ステレオタイプが多くみられる。例えば,高齢者に対しては「無能だが温かい」という慈悲的ステレオタイプが抱かれ,反対に,キャリア女性に対しては,「有能だが冷たい」という嫉妬的ステレオタイプが抱かれる。
これまでの研究では,ステレオタイプをポジティブ‐ネガティブの一次元上で捉えた上で,ネガティブなステレオタイプの抑制が試みられてきた。そのため,代替思考として,その一次元上における反対のポジティブな特性(反ステレオタイプ)に研究の焦点が集まり,適切な代替思考が示されてこなかった。しかし,ステレオタイプ内容モデルに注目することで,リバウンド効果を低減させるのに有効な代替思考方略を提案できる可能性がある。ステレオタイプが二次元から構成されることを前提とすると,社会的に問題視されるネガティブな特性を抑制する際,他方の次元のポジティブな特性を代替思考として用いることができる。例えば,「無能だが温かい」というステレオタイプでは,「無能」を抑制する際には,他方の人柄次元の「温かい」というポジティブな特性を代替思考として用いることができる。この特性はステレオタイプの内容に含まれるため,容易に生成することができ,リバウンド効果が低減する可能性があるだろう。そこで本論文では,抑制する特性とは別の次元のポジティブな特性を代替思考とする別次元思考方略がリバウンド効果を低減させると想定した。

以上の議論をふまえ,本論文では7つの実証研究を実施した。
研究1から研究4では,「無能だが温かい」という慈悲的ステレオタイプを題材として別次元思考方略の効果を検討した。
研究1では,専業主婦を題材とし,ある専業主婦のプロフィールを呈示し,その仕事場面を記述するよう求めた。その際,抑制操作として,単純抑制条件では,専業主婦の「無能」というイメージに基づいて記述しないよう教示した。また,有能思考条件では,抑制教示に加え,反ステレオタイプである有能さについて考えるよう代替思考の操作をした。他方,抑制する次元とは別の次元の特性を考える温かさ思考条件では,専業主婦の温かさについて考えるよう教示した。統制条件には,こうした教示はしなかった。その後,リバウンド効果を測定するために,別の女性について印象評定を求めた。実験の結果,用いる代替思考によってリバウンド効果の生起が異なった。すなわち,反ステレオタイプを代替思考とした有能思考条件ではリバウンド効果が生起したが,別次元思考方略の温かさ思考条件ではリバウンド効果が低減した。これは,別次元思考方略の有効性を示していた。ただし,仮説とは異なり,単純抑制条件ではリバウンド効果が生起しなかった。研究1では先行研究と異なるパラダイムで実験を行ったことや,ステレオタイプの表出を意図的に統制した可能性があるなど,いくつかの限界点があった。
そこで,研究2から研究4ではそうした限界点を踏まえ,抑制後のステレオタイプの思いつきやすさ(アクセスビリティ)を測定した。また,別次元思考方略の一般化可能性を検討するため,高齢者に対する慈悲的ステレオタイプを題材とした。研究2では,統制条件と単純抑制条件を設けて,高齢者ステレオタイプにおいてリバウンド効果が生起することを確認した。先行研究のパラダイムを踏襲し,高齢者の写真を呈示した上で,その人物が働いている場面を記述するよう求めた。その際,単純抑制条件にのみ高齢者の無能さについて記述しないよう抑制教示をした。その後,ステレオタイプのアクセスビリティを測定した。実験の結果,単純抑制条件では,抑制時に代替思考として「有能」を用いており,抑制後にはリバウンド効果が生起していた。よって,ステレオタイプを効果的に抑制するためには,単純に抑制するだけでなく,より有効な方略が必要だということが示唆された。
研究3では,代替思考方略の効果を検討した。その結果,「高齢者は無能である」というステレオタイプを単純に抑制した場合,および反ステレオタイプの「有能」を考えた場合にはリバウンド効果が生起した。しかし,別次元思考方略として「温かさ」を考えた場合にはリバウンド効果が低減した。
研究4の目的は,別次元思考方略の有効性の頑健さを示すことであった。そこで,研究2・3で繰り返しリバウンド効果が確認された単純抑制条件と,別の次元のポジティブな特性を代替思考とする温かさ思考条件とを比較した。また,副次的に,代替思考の生成しにくさについても検討した。これまでの結果と一致して,温かさ思考条件は単純抑制条件よりもリバウンド効果が低減していた。さらに,温かさに関する思考は,有能さに関する思考よりも,抑制時に思いつきやすいことが示された。このことは,リバウンド効果を低減させるには,生成が容易な別次元思考を用いると効果的であるということを示唆している。
4つの実証研究の結果,単純に抑制した場合や,反ステレオタイプ(有能)を代替思考とした場合にはリバウンド効果が生起するが,抑制する特性とは別の次元のポジティブな特性を代替思考とすると,リバウンド効果が低減することが示された。このことから,抑制時に生成しやすい別次元思考方略の有効性が明らかになった。
つづいて,研究5から研究7では,両面価値的ステレオタイプのもう一方の内容である「有能だが冷たい」という嫉妬的ステレオタイプを題材として,抑制後のリバウンド効果を検討した。ステレオタイプ内容モデルによれば,エリートやキャリア女性といった集団は,有能だと認められながらも,「冷たい」という否定的なステレオタイプを抱かれ,差別の対象となることがある。ただし,私たちはいつも高地位者をネガティブに捉えるわけではない。例えば,自己に関連した領域で優れている他者の存在は自己評価に影響を及ぼすためネガティブな感情を抱く一方で,自己に関連していない領域においてはその他者の有能さを賞賛しネガティブな気持ちを抱かないと考えられている。すなわち,高地位者に対しては,自己と抑制対象の関係によってその内容は変動する可能性がある。ステレオタイプ内容モデルでは,人柄次元の内容は外集団との社会構造における競争関係の有無が規定すると考えられているが,能力次元を規定する地位関係とは異なり,自己と抑制対象との関係性によって個人的な競争意識が異なってくる可能性があるだろう。もし対象に対して競争意識がある場合には,嫉妬的ステレオタイプ対象の「冷たい」というステレオタイプ的特性が顕現化するため,競争意識がない場合に比べて,リバウンド効果が生起すると考えられる。以上のことから,嫉妬的ステレオタイプの抑制では外集団成員に対する競争意識がリバウンド効果の生起を調整することを研究5および研究6において示すことを目的とした。
研究5では,男性を参加者とし,キャリア女性を題材とした実験を行った。キャリア関連領域におけるネガティブなフィードバックを与えた後には,その領域で活躍するキャリア女性に対して競争意識を知覚すると考え,ネガティブなフィードバックをすることで競争意識の知覚を操作した。その後,キャリア女性が働く場面を記述する課題で抑制操作を行った。実験の結果,ネガティブフィードバックを与えられた場合には,抑制対象のキャリア女性に競争意識を感じ,リバウンド効果が生起することが確認された。他方,フィードバックを与えられず,競争意識を知覚しない場合には,リバウンド効果は生起しなかった。
さらに研究6では,エリート男性として,金融ディーラーの男性が働く場面を記述するよう求め,その際に抑制操作を行った。参加者が所属する学部を独立変数として,競争意識を感じるかどうかを測定した。実験の結果,商学部や経済学部のように,抑制対象である金融ディーラーと自分の専攻分野に関連がある場合には,金融ディーラーに対して競争意識を知覚しており,リバウンド効果が生起した。他方,無関連学部の参加者はリバウンド効果が生起しなかった。
以上2つの研究を通して,嫉妬的ステレオタイプの抑制においては,リバウンド効果が
生起する状況が特定的であることが明らかになった。そこで,研究7では,外集団に競争意識を知覚している状況であっても,別次元思考方略が有効なのかどうかを探ることを目的とした。嫉妬的ステレオタイプにおける別次元思考方略は,自分よりも高地位な対象を「有能だ」と考えることである。競争的な状況において外集団成員の有能さを強調することは,自分が搾取される可能性が強まるため,自己価値に対する脅威を与える可能性がある。人は脅威を感じるときには,不安に関連した思考のせいで,情報を一時的に保ちながら処理するためのワーキングメモリの機能が低下する。ワーキングメモリが低下した場合には,抑制において代替思考を考えることが難しくなるため,ポジティブなステレオタイプ(i.e., 有能)であっても考えにくく,リバウンド効果が低減しない可能性がある。よって,有能な外集団成員に脅威を感じる場合には,別次元思考方略を用いても抑制後のリバウンド効果が生起すると考えられる。ただし,自尊感情は脅威に対する緩衝材になることが知られており,自尊感情が高い場合には脅威に耐性があるため,抑制対象を有能であると認めることができるだろう。この場合,有能思考はステレオタイプなので生成しやすく,結果としてリバウンド効果が低減すると考えられる。すなわち,特に高自尊感情者において,別次元思考方略は有効な可能性があるだろう。このように,本方略は脅威を生じさせうるため,その有効性は限定されたものであるだろう。
研究7では,参加者の大学生にとって競争意識を感じやすい対象として,典型的な高学歴者である東大生を題材とした。就職活動場面で東大生とグループワークを行うというシナリオを提示し,その東大生について記述するよう求めた。その際,抑制教示を与える(単純抑制条件)か,抑制教示とともに,反ステレオタイプである温かさを考える(温かさ思考条件)か,別次元の有能さを考える(有能思考条件)ように教示した。統制条件にはこうした教示はしなかった。その後,リバウンド効果を測定した。実験の結果,低自尊感情者においては,単純抑制条件および温かさ思考条件でリバウンド効果が生起した。さらに,有能思考条件においてもリバウンド効果が生起した。他方,高自尊感情者においては,有能思考をすることでリバウンド効果が低減した。また,高自尊感情者では,代替思考として有能さを考えることが他の代替思考よりも容易であることも明らかになった。これらの結果から,別次元思考方略は一定の有効性が見いだされた。昨今は受験戦争や成果・業績を求められるような競争的な状況が多く,外集団成員からの脅威を知覚する状況は頻繁に生じうる。そのため,こうした現状を前提として,本方略の有効範囲と限界点を示すことは,より現実に即したステレオタイプ抑制を考える上で重要な知見となるだろう。

以上7つの研究から,両面価値的ステレオタイプの一方の次元のネガティブな特性を抑制する際の別次元思考方略の有効性を検討した。実証研究の知見をまとめると,(1)慈悲的ステレオタイプの「無能」という特性を抑制する際には,単純に抑制しても,反ステレオタイプの「有能」を考えてもリバウンド効果が生起するが,「温かい」と考える別次元思考方略を用いれば,リバウンド効果が低減することが示された。他方,これまで検討され
てこなかった嫉妬的ステレオタイプの「冷たい」という特性の抑制では,(2)外集団に競争意識を知覚する時にリバウンド効果が生起すること,および(3)嫉妬的ステレオタイプにおける別次元思考方略は,脅威を高める場合があるものの,一定の有効性が示されること,が明らかになった。
本論文の意義は以下の三点に集約される。第一に,ステレオタイプ抑制研究に示唆を与える。ステレオタイプ抑制研究では,これまで代替思考方略の限界が指摘されており,低偏見者や抑制の動機づけが高い者だけがリバウンド効果を低減できると考えられてきた。しかし,本研究の知見から,リバウンド効果の低減のためには,個人差ではなく,代替思考の内容に注目することが重要であるということが示された。また,これまでは外集団成員と自己の関係性に注意を払ってこなかった。ステレオタイプ抑制は対人認知の際にこそ必要なものであるということを考慮すると,本研究で示した認知者と抑制対象との関係という要因を検討することには意義があると思われる。今後も対人認知としてのステレオタイプ抑制という点を考慮し,さらに抑制対象者との関係性など,対人関係のダイナミクスを考慮した上での研究を行うことが期待されるだろう。
二点目に,関連領域に与える示唆もあるだろう。別次元思考方略は,低地位者に対しては有効であったが,高地位者の場合には有能さが認知者に脅威を与えるために,本方略の有効範囲が限定された。こうした方略の有効性に,高/低地位者間で非対称性があるのは,高地位者との上方比較が,自己価値への脅威をもたらすためである。これまで慈悲的ステレオタイプと嫉妬的ステレオタイプは両面価値的ステレオタイプとして一括りに扱われてきたが,その内容は,我々に及ぼす影響の強さという点で大きく異なると考えられる。すなわち,高地位な外集団成員は有能であるがゆえに,我々を搾取しようとしているのか,協力関係にあるのか,といった点は認知者の利益に直接関わってくる。本研究の結果は,こうした低地位者と高地位者が我々に与える影響を理解する上でも示唆を与えており,関連領域の研究にも新たな視座を与えたといえるだろう。
また,本研究には社会的な意義もあると考えられる。近年では働く意欲のある高齢者が多いにもかかわらず,その雇用は制限されたものになっている。これは高齢者に対する「無能である」というステレオタイプが影響を及ぼしている可能性があり,別次元思考方略によってネガティブなステレオタイプを避けられるという知見は雇用における現状を変える可能性があるかもしれない。また,女性の社会進出を例にとっても,競争社会の現代において,本研究で取り上げたような外集団への競争意識を知覚する状況は少なくない。本研究の知見は,競争状況においてステレオタイプを避けようとする行為自体が,結果的に偏見を維持させてしまう危険性を示唆している。一方で,別次元思考方略の有効性を示したことは,雇用や労働場面における差別の解消に寄与する部分があるだろう。

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