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博士論文要旨

論文題目:自然の意味と制度―米国国立公園システムをめぐる価値の創造と組織の実践―
著者:寺崎 陽子 (TERASAKI, Yoko)
博士号取得年月日:2013年11月29日

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 アメリカ合衆国はその建国史において、壮大な自然景観を公共の利益のために保護する「国立公園(National Park)」という保護地域をつくり出した。本論文の目的は、このアメリカで誕生し、今日においては 400にも及ぶ保護地域や建造物を管理するまでに発展した国立公園政策を、近代国家における自然という価値の創造として捉え分析することにある。アメリカ社会にとって自然はどのような意味や価値をもち、どのように国家機関によって管理されるのか。本論文では、アメリカの建国史を背景としながら国立公園政策が形成されていった変遷に着目し、その歴史を通して浮き彫りとなる自然のさまざまな意味や価値を抽出すると同時に、自然の意味や価値が制度として国立公園政策に組み込まれるプロセスについて考察を加えた。自然は、美しく、神のように偉大であり、野生であり、自由であり、公共であり、時間であり、遺産であり、愛国の精神であり、楽しみであり、スピリチュアルであり、人間に活力を与えるものであり、資源であり、科学であり、そして真理でもあるとして捉えられてきた。このような自然の意味や価値がアメリカの建国史のなかでつくられ、合理性をもち、制度化される過程を描き出すことで、アメリカという近代国家における、集合的な価値生成の一端について論じた。
 本論文では、近代における価値生成という問題を議論するために、フランスの人類学者ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour)の近代論と、アメリカの社会学者ジョン・W・マイヤー(John W. Meyer)を代表とする新制度派組織論を参照した。ラトゥールが『虚構の「近代」..科学人類学は警告する』(1991=1993=2008)において提示した「二重の分離 (double separation)」――人間と非人間の分離と、「純化の働き」と「翻訳の働き」の分離 ――という視点を手がかりに、アメリカ国立公園システムをめぐる実践のなかで、どのように現実が「純化の働き」によって理解され、自然の意味や価値がつくり出されるのかを検証した。そしてまた、新制度派組織論の基本論文とされるマイヤーとブライアン・ローワン(Brian Rowan)の「制度化された組織..神話と儀礼としての公式構造」(1977)において提示された、官僚的組織における「分離( decoupling)」という特徴に着目し、ラトゥールによって明らかとなった概念上の分離が、どのようにして近代国家における官僚的組織によって支えられているのかを考察した。すなわち、マイヤーらの提示した官僚的組織の「分離(decoupling)」という特徴と、ラトゥールが示した近代における「二重の分離」という思考実践に、相似性を見いだし、両者の議論を参照しながら、アメリカ国立公園システムにおいて生成される自然の意味や価値について論じた。
 第一章では、アメリカにおける自然思想の源流をヘンリー・ D・ソロー(Henry D. Thoreau)に求め、彼の著述を通してロマン主義的な自然思想が、 19世紀半ばのアメリカ社会に現れてくる過程を追った。そのうえで、「国立公園の父」と称されるジョン・ミューア( John Muir)による自然保護運動から、 1916年に国立公園局( National Park Service)が内務省に設置されるまでをたどり、自然が審美や快楽、精神の休息といった価値を持つようになり、公共の資源としてアメリカ社会に現れてくるプロセスを記述した。 19世紀後半から 20世紀にかけてのアメリカにおいて、国立公園をめぐって語られる自然の価値は、ほとんど風景のことに限られ、自然のその美しさが、アメリカの土地の神秘性と希少性を高め、そしてそこで得られる身体的・精神的充足感が、国民の健康や生活の質の改善につながるとみなされ、自然の観光地化がはじまったのであった。そのために、世界で昀初の国立公園として知られるイエローストーン国立公園は、実際のところは鉄道会社のロビー活動によってつくられたものであったが、フロンティア精神を彷彿させる探検隊が、希有な自然景観を公共のために保護することを提案したという話にすり替えられ、国立公園の創造神話として語り継がれるのであった。ミューアの著述も、自然の美しさと楽しみを分かり易く伝え、急速な産業化と都市化を経験する人々に自然回帰を促したが、それは結局のところ、人間中心主義的な自然のレクリエーション利用を提言しただけであった。そのために、ミューアはヨセミテ国立公園のヘッチィヘッチィー渓谷のダム建設を阻止することはできなかったのである。自然景観を著しく変えてしまったこのダム建設は、国立公園の管理体制を市民が問うきっかけとなり、1916年の国立公園局の設立につながったといえる。しかし、国立公園局の理念もまた、国立公園の自然景観を後世に残すとしながら、それを人々の楽しみ( enjoyment)のために利用するというものであり、自然の保護と利用という、相反する目的を制度化したものであった。これはラトゥールが言うように、自然を超越的だとしながらも、それを社会に取り込み利用する近代の実践といえるであろう。すなわち、自然は人間をはるかに超える神秘だという信念と、自然は人間が支配し管理する事物だという観念が巧みに使い分けられることによって、「自然の美を護りながら、それを利用する」国立公園の誕生が可能となったのである。
 第二章では、世界大恐慌から第二次世界大戦までの、十数年余りという短い期間を取り上げ、戦争を目前としたアメリカにおいて、政府が国威発揚を仕掛けていくなかに、自然が取り込まれていくプロセスをたどった。深刻な不況にたいして国家主導の救済政策を掲げ、大差で大統領選に勝利したフランクリン・ルーズベルトが、彼のニューディール政策のなかでもペットプロジェクトとして知られる Civilian Conservation Corps(CCC)において、国立公園を「アメリカ的なもの」として称賛し、また CCCの青年たちが、愛国心を深めながら国家への奉仕に勤しみ、国家への忠誠を誓う軍隊のように育成されたことを明らかにした。このとき自然は、美しさやその壮大さにおいて国家のシンボルとなり、その楽しさと健全さにおいてアメリカの文化となったのである。CCCによって、国立公園に加え州立公園も多く作られ、自然公園はアメリカ国民にとって、ますます身近なものとなった。そうしたなかで、自然は人間にとって超越的な摂理を表象するものとしても参照され、ついには原子爆弾による破壊さえも正当化する語りが生みだされた。すなわち、アメリカを攻撃した日本を壊滅させることが、自然の道理とともに説明されたのであり、本章では人間と自然を分離し、自然の摂理によって真理を語ることが、いかに強力なレトリックをつくりだすのかを明らかにした。
 第三章では、アメリカが第二次世界大戦に参戦したことによって、国立公園局の状況が一変し、組織が弱体化してしまったなかで、戦後になってミッション 66という十カ年計画の公園開発事業が実行され、組織の立て直しが図られていくプロセスを記述した。戦後のアメリカは未曾有の経済成長を経験した。中産階級が急速に増加し、彼らは女性が家を守る伝統的な暮らしを重んじるなかで、豊かな消費社会を享受した。そして、こうした社会状況を背景に、国立公園で休日を過ごす人が急増したが、他方で、国立公園局は恒常的な予算不足と人員不足に悩まされ、深刻なジレンマに直面したのであった。そのジレンマとは、増え続けるビジターに対応したくてもできない、といった単純なものだけではなく、公園利用にたいする需要を満たそうとすれば、美しい自然景観を保つことが難しくなるという懸念からくるものでもあった。つまりそのジレンマは、かつてないほど公園の利用者が増え、また技術が発達したことで、国立公園におけるハイブリッド性が収拾つかないほど増幅し、自然を保護し利用するという矛盾を保つことができなくなったことを浮き彫りにしたのである。
 しかし、そうした「二重性」からくるジレンマも、同じ内務省に属する水利再生利用局が、ダイナソア国立記念物公園のエコパークと呼ばれる場所にダムの建設を計画したことをきっかけに、一時的に解消されたといえるであろう。すなわち、そのダム計画が原生自然を破壊するものだとして、全米で大きな論争となったことで、ウィルダネスという価値が広く再認識されたのである。さらに、国立公園を管理する国立公園局にも世論の注目が集まり、国立公園の劣悪な管理状態を改善させるために、ミッション 66という大規模な公園開発が施行されたのであった。しかし、国立公園局が計画したミッション 66とは、原生自然を適切に守るといいながら、巨大な道路を公園内につくり、近代的な建物を建設して、公園を「バケーションランド」にしてしまうものだったため、すぐに自然保護団体から厳しい批判を浴びることになる。このとき生じた自然保護団体と国立公園局の亀裂が埋まることはなく、自然保護活動という立場で一致していると思われた両者の間には、実際のところは大きな溝ができていたのであった。このように本章では、多くの人やモノが国立公園システムに関わりをもつようになったことで、何が国立公園の自然の美しさであるかといった合意形成をつくることが難しくなっていたことを提示したうえで、ミッション 66による抜本的な制度改革が、そうした自然の価値をめぐるハイブリッド性を再び覆い隠すのに役立つものだったと議論した。国立公園局がさまざまな制度を取り入れ、その組織構造を整えていくことで、厳しい評価基準をもつ自然保護団体からは批判されるが、しかしそれは同時に国立公園をとりまく他の多くの「文化的ルール」と適合し、合理性の承認に結びつくものでもあった。また、官僚的組織における「分離( decoupling)」という特徴によって、矛盾する自然の価値の間に「ギャップ」をつくり組織のなかで「緩やかに」保つことが可能となったのである。
 また、第三章の最後では、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)の出版を契機として、生態系の保全という観点からも国立公園の原生自然に価値が見いだされたことを示した。そして、新たな環境主義にたいする国民の支持が広がるなかで、 1964年に原生自然の厳格な保護を定めるウィルダネス法( Wilderness Act)が、自然保護団体のロビー活動によって制定され、国立公園局は自らが管理する自然にたいする権限を制限されるようになったことを指摘した。
第四章では、アメリカで 1960年代から 70年代にかけて環境主義が叫ばれたにもかかわらず、1980年代に入ると保守が台頭し、新自由主義が出現したことを背景に、かつてないほどに混在化する自然の価値や意味が、どのように実際に国立公園局の職員たちによって、理解され、そして語りうるのかを検証した。具体的には、インタープリテーションという国立公園局の職員たちがビジターにたいして行なう解説業務を取り上げ、フィールドワークで得たインタビュー資料などをもとに、自然の意味や価値がどのようにつくられ、そしてどうビジターに伝えられるのかについて考察した。インタープリテーションについては、さまざまな形で定義がなされているが、著名なインタープリテーションの解説書であるフリーマン・チルデン(Freeman Tilden)の『私たちの遺産を解説する(Interpreting Our Heritage)』を参照しながら、それは単純な知識の伝達ではなく、事象や事物の意味を解釈しようとする実践であり、ビジターにたいして「純化の働き」を促す役割を担い、国立公園のハイブリッド性を巧みに「切り分け」理解を促すことだと位置づけた。
 また、もともとアメリカ国立公園局では、インタープリテーションではなく、「教育」という言葉を使って、国立公園内における案内や解説活動が実施されていたことをとりあげ、それが、インタープリテーションという言葉に変わったのは、「教育」では表現できない、感性を育む側面が、国立公園における諸活動にはあると判断されたからであることを明らかにした。そして実際に、国立公園で実践されるインタープリテーションのなかには、事物や事象の裏側にある普遍的な価値を見いだしたり、あるいは感性にたいしても意味を付与したりすることを提示した。そうしたインタープリテーションの方法は、国立公園局においてマニュアル化され、そこでは感性にかかわる事柄もそのマニュアルに沿えば解説することが可能だとされるのであった。すなわち、感情も、普遍性も、順序だった論理構成に従ってストーリーをつくれば、自然の価値や意味として解説が可能だとされていたのである。
 最後に、本論文ではインタープリテーションが感覚的なものまで含んでいることに疑問を呈し、そうした思考実践は、理解し得ないものを見過ごしてしまうばかりか、理性にたいするあまりにも強い確信ではないかと問題提起した。そして、本論文において明らかとなった国立公園システムをめぐり生成されるさまざまな自然の意味や価値は、そうした近代的な理性によってつくりだされるものでもあったことを指摘した。すなわち、ラトゥールが提示した「純化の働き」によって自然の意味を理解し、「二重の分離」によって、自然を超越的としながらも、モノとして搾取することを可能としたのである。また、そうして生じる近代的理性における矛盾は、国立公園局という官僚的組織が多くの制度(「文化的ルール」)を取り込み、それらに「ギャップ」を持たせることで保たれていることを明らかにした。おそらく今日におけるグローバルな環境問題を読み解いていくためには、こうした理性にもとづく実践に関する、より微細な考察を展開し、深化させる必要があると考える。

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