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博士論文要旨

論文題目:技術者の行為主体性とその規範―日本のエレクトロニクス企業における製品開発過程を事例として―
著者:長谷部 弘道 (HASEBE, Hiromichi)
博士号取得年月日:2013年3月22日

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 本研究は、日本のエレクトロニクス企業における技術者の活動に焦点をあて、特に技術者の自律的活動を許容するような規範が、実際の技術開発活動のなかで個々の技術者に影響を与えるメカニズムを、社会学的な見地から説明することをその試みの中心としている。
 技術をめぐる研究において、その主体的な担い手である技術者に焦点を当てた研究は、これまで十分に蓄積されてきたとはいえない。こうした状況は、日本においては特に技術論論争など、技術をめぐる研究が独特に展開してきたことにも由来する。なかでも技術者の「規範」をめぐる社会科学的研究は,厳密な理論的検討を前提としたものではなく、既存の説明枠組みを踏襲したもの,すなわち人間に対して外側から圧力(規範的圧力)を加えるような外在的な要因として取り扱われてきた。あるいは、こうした「規範」ないしは「文化」に関する言説は、ただそのメカニズムに説明を施さないまま、曖昧なタームを充てがうだけ、という処理がなされてきた。
 こうした方法論の側面、および実証の側面の双方において多くの課題を残す研究状況の中で、本研究は大きく分けて、①方法論的課題と②実証的課題という二つの課題を軸に展開される。

1.本論における方法論的課題
 第一に、方法論的課題についてであるが、当該分野において、規範概念に関する理論的検討は十全に行われてきたとは言いがたい。特に技術史や技術に関係する経営学の領域においては、社会構成主義という方法論的枠組みが広く採用されてきたが,「技術者の自律的活動を許容する規範」を主たるトピックとして扱った研究は、管見の限り存在しない。本論では、こうした議論の文脈がなぜ生じたのかという問いに立脚しながら、まず社会構成主義研究の妥当性をめぐる方法論的な検討を行った。これらの検討によって明らかとなったのは、社会構成主義はそもそも「メカニズム分析」のためのツールとしてではなく、本質主義、あるいは決定論的視座と呼ばれる諸主張に対するアンチテーゼのための枠組みとして用いられてきということである。つまり、本質主義への対抗という議論の文脈ゆえに、既存研究にはいわゆる「大きな物語」を超克するという目的を持った研究上の性質を帯び、そのために純粋なメカニズム分析の際には重要となる行為主体という「構成要素」に関する言及が十全には行われてこなかったのである。加えて、場合によってはそうした主体自体も構成されるものだとする「極端な社会構成主義」さえ台頭するような状況が生じていた。したがって文脈上、社会構成主義研究においては、行為主体やその行為の前提となる規範といった概念は、その説明枠組みの範疇に組み込まれてこなかったのである。
 そこで、こうした社会構成主義研究における課題を克服する説明枠組みとして、本論では批判的実在論において展開される議論、より具体的に言えばElder-Vass(2010, 2012)による実在的因果効力理論を参照し 、規範に関する理論的検討を行った。Elder-Vassは、科学哲学において科学それ自体の実在論を展開したBhaskar(1975)を引用しつつ 、社会的事象を構成するパーツの実在性を再検討し、このうえで、規範が我々の行為に影響を及ぼすメカニズムを、「規範サークル」という概念を用いて説明しようと試みている。Elder-Vassによれば、規範は、それ自体が一人歩きして我々の行為に影響を及ぼすのではなく、同じくそうした規範を行為の前提とする人々のサークルのなかで、各々が行為の前提としてその規範を遵守・施行することによって、効力を発揮している。したがって規範は、規範サークルというかたちで、我々の行為が織りなす社会的事象の一つ一つのパーツが織りなす関係性に、実在的な因果的効力を発揮する「構造的構成要素 structural elements」なのだということができる。
 また、この規範サークルは、我々が日常の社会生活のなかで遵守・施行し、自明のものとする「直近の規範サークル proximal norm circle 」、自明としているとまではいかなくても、受け入れる態度を表明することができるような「想定の規範サークル imagined norm circle 」、そしてその主体がどのようにそれを受け止めようが客観的に認知され、遵守・施行を要求されるような「実体的規範サークル actual norm circle 」という、三つの存在論的な位相をもっている。この三つの位相は、我々がこれを実証する際に、以下の三つの方向性を指し示してくれる。一つは、「直近の規範サークル」に着目し、行為者の言説をその主たる分析対象に設定することで、規範の実態を実証するというものである。二つ目は、「実体的規範サークル」に着目し、社内規定やルールといった、明文化された規範に関する文書をその主たる分析対象とし、実証を試みるものである。そして三つ目は、「想定の規範サークル」に着目する方向性である。これはあくまで「想定されるもの」としての規範サークルであり、この場合、単に言説的な分析のみからも、あるいは文書等の物的証拠に依拠した分析のみからも実証することは難しく、その両方のアプローチを併用しつつ、社会科学における蓋然性をめぐる問題を自覚しながらその傾向を物語っていくことが最善であるように思われる。
 本研究では、特にソニーにおける「技術者の自律的活動を許容する規範」という、「想定の規範サークル」の実証を通して、人間主体に因果的な効力を発揮する規範を、社会的事象の構成要素として組み込みうるということを、方法論的課題において主張した。


2.本論における実証的課題
 第二に、実証的課題についてである。「技術者の自律的活動を許容する規範」をめぐる実証的な経験研究の蓄積は極めて少ない状況にある。特に技術者研究において規範を取り扱った研究としては,のちに「現場主義」研究として労働史の分野で引き継がれていくこととなる森川英正による職場規範への言及が先駆的である 。森川は,職場における技術者たちの労働の実態を例に挙げながら,「技術者たるもの,研究,設計や作業マニュアルの制定,変更といったデスクワークに終始するようなことでは,技術者の風上にも置けない」といった規範の存在を指摘し、これを「現場主義」と表現している.ただ、この「現場主義」規範に関する説明には,それが実際にどのように機能したかについての十分な考察が伴っているわけではない。ともすれば、そのフレームに拘った強引な実態分析を行うことで,必ずしも規範の影響によらないような社会的事実をも「現場主義」として説明してしまう危険さえある。
 こうした危険性を回避するために、森川以降の研究には、この「現場主義」規範を職場内の人間関係の現れ方に置き換えて分析を行うアプローチをとるものがある。例えば山下充は、「現場主義」を「規範」としてではなく,「個人が仕事に向かう態度についての傾向」として取り扱い,これを前提として作業者と技術者の社会的関係の特徴を説明しようと試みている 。しかしこのアプローチは、個々人がなぜそのような態度の傾向を示すようになったのかという、規範概念がもつミクロとマクロを繋ぐ相互補完的特徴の説明を、保留状態のままにしている。こうしたアプローチは、個人的態度がなぜ個人において完結せず、共有されたのか、またそれがなぜ一つの職場のみならず他の多くの工場、他の多くの産業においても確認されうるのかという規範が持つメカニズムに対する問いを、未解決のままに残してしまうのである。
このように、技術者の規範についての考察は、特に労働史・職場史の分野において、長らく回避あるいは保留にされたままの状況にある。しかし一方で、エレクトロニクス産業における経済史研究のいくつかにおいては、「技術者の自律的活動を許容する」ような事象が、ボトムアップ型の戦略形成に関する事例というかたちで,特に技術や市場の動向の予測が困難になる1980年代後半以降,国内外で活発に議論されるようになってきている。たとえば橋本寿朗は,日本の半導体産業において研究・生産組織に本流の技術方針とは異なる「異端」の活動を暗黙裡に認めたことが,結果的に功を奏し,その後の多様な半導体製品の展開を可能としたと指摘する 。また、平本厚は、日本のエレクトロニクス企業の多くが、新規に事業を展開していく際に、こうした「技術者の自律的活動を許容する」ような事例がみられることを指摘している 。武石彰・青島矢一・軽部大(2012)らは、革新的技術活動が具体的にどのようにして実現するのかという問いに立脚して 国内の革新的技術活動に対して贈られる「大河内賞」を事例分析し、そのなかの要因の一つにやはり同様の事例を挙げている 。
 ただ、こうした事例をいかに分析するかをめぐっては、論者によって多様な方法に則った説明がなされている。例えば橋本は、こうした事象を人的資源管理施策の帰結として説明しているのに対して、平本は組織構造的な要因と企業文化的要因という二つの側面からこれを説明している。また武石・青島・軽部においては、こうした事象は多様な「資源動員の正当化」のプロセスの一つとして取り扱われているのみで、規範そのもののメカニズムを明らかしているわけではない。
 こうしたそれぞれの分析のあり方について、仮にそれが橋本のいうように単なる人的資源管理施策の一環であるならば、半導体産業の事例は本研究の取り扱う対象とはなり得ない。一方、平本がいうように、こうした実態は企業文化と組織構造とによるという説明は一見説得的だが、それらが個々の技術者らに具体的にどのようなメカニズムで影響したのかという説明は、「文化、構造」というブラックボックス的なタームの導入によって回避されている。このように、経済学(経済史)や経営学における先行研究においては、「技術者の自律的活動を許容する」ような実態を事実として記述しつつも、規範それ自体のメカニズムへの言及に踏み込んでいるとはいえないのである。
 そこで本論では、戦後急成長したエレクトロニクス企業の一つであるソニーの技術者たち、および彼らの技術開発活動を、四つの具体的な事例を通じて観察した。特に、これらの技術者、あるいはかつて技術者であった技術リーダーたちが、自律的な活動を実践していく背景に着目し、そこに共有されていた「技術者の自律的活動を許容する」規範に特に焦点を当て、1で検討した方法論的枠組みを用いてそのメカニズム分析を試みた。

3.規範サークルをめぐる四つの事例
 本論における方法論的枠組みについては、特に第三章において,Elder-Vassの分析枠組みをベースとしつつ、以降に続く4つの事例を分析する際の,より具体的な説明枠組みとして説明を試みている.このなかで,「直近の規範サークル」,「想定の規範サークル」,「実体的規範サークル」という三つの位相について言及し,本論でその研究対象とする「技術者の自律的活動を許容する規範」を「想定の規範サークル」としての位相に位置づけている.また一方で、組織における公式の役割・役職・階層を遵守・施行する規範サークルを、実体的規範サークルという位相に位置づけ、「技術者の自律的活動を許容する」規範サークルとのバランスの変容過程を説明しようと試みている。
 ただし、それぞれの規範が最も効力を発揮しうる位相は、規範ごとに変わってくる。例えば、自律的活動を許容する規範サークルは、自律的活動が前提であるため、公式の「決まり」となってしまっては意味が無い。よって、この規範についてはあくまで「想定の規範サークル」という位相が、最も適切に効力を発揮しうる位相であるということができる。なお、直近の規範サークルは、第一章のオーディオ愛好家的ネットワークを事例に取り扱った、アマチュアイズム、ないしは技術者個々人が技術的経験を経ることによって経験蓄積し、獲得してきた個々のワークエートスのことを意味する。これは、目標とそれを達成できていない現実との間を「いかに、どのように見事に埋めるか」ということに対する真摯さを意味している。
 続く四章から七章までの4章にわたる事例研究は、具体的に規範サークルがどのように形成され、また実際の技術開発活動に影響するのか、その実態についての記述を行っている.
 一つ目の事例では,ソニーの設立から1960年代までにおける,テープレコーダー,トランジスタラジオ・テレビ,VTRといった初期のソニーにおける技術開発を観察した(第四章)。これによって、設立初期のソニーの製品開発において,「技術者の自律的活動を許容する規範」が,井深によって起草された設立趣意書にゆるやかに沿うかたちで「想定の規範サークル」を形成し,それらが具体的な製品開発に影響を及ぼす過程を考察している.
 二つ目の事例では,このようにして形成された「技術者の自律的活動を許容する」という「想定の規範サークル」が,技術者,技術リーダー,経営者といった諸主体間の関係性,およびそれらの主体の主体性にどのように影響を及ぼすのかについて考察を行った。特に、1970年代初頭におけるPCM録音技術の実用化のプロセスを事例とし,そのメカニズムに迫った考察を行った(第五章).ここでは特に、技術者や技術リーダーといった技術に携わる諸行為主体が,規範サークルの影響を遵守・施行しながらいかに主体性を発揮したかを、その考察の中心としている。
 三つ目の事例では,1979年に発売されたウォークマンの開発の経緯を観察した(第六章).ここでは、技術に携わる諸行為主体を中心として構成される規範サークルの因果効力のほかに,先行して存在する人工物や蓄積された知識という他の実在物にも影響を受けながら,諸主体は製品開発に主体的に介入する、という動態的プロセスに着目している.一般に技術革新と呼ばれる製品開発のメカニズムを説明するためには、行為主体性に影響を及ぼす規範サークルの因果効力,および物理的因果効力を考慮に入れることが必要不可欠であり、またそのことによって初めて、こうしたプロセスのメカニズムの説明が可能となるのであり、本章はこうした問題意識が背景にある。
 四つ目の事例では,1983年にソニーで施行された全社的な組織改革以降の規範サークルの因果効力の変容について考察した(第七章)。特に、エンジニアリングワークステーション「NEWS」と家庭用ゲーム機「プレイステーション」という二つの新しい事業が,組織改革が行われた1983年以降、インフォーマルなプロセスを経て実現しているという点に着目した.この章では,特定の規範サークル内の因果効力(ここでは役割・役職・階層を遵守するような組織内規範)が強く働く状況にあっても,技術リーダーや技術者たちはなお主体的に,他の規範サークルの因果効力(ここでは技術者の自律的活動を許容する規範)を、自らが関わるプロジェクトの事業化を正当化するために駆使しつつ,製品開発にあたることが可能なのだという視点に立つ。このうえで、二つの事例がそれぞれどのようなプロセスを通してこうした規範サークルの因果効力を引き受けながら新規事業を実現したのか、そのメカニズムを明らかにした。

3.本論の意義と今後の課題
 これらの四つの事例の検討を通して明らかとなったのは、ソニーにおいては、企業組織を構成するパーツとしての個々の技術者たちが、規範サークルの因果効力を受け止め、その効力を活用しながら、結果的に優れた技術開発を達成するに至るメカニズムを社会学的に説明することに成功したということである。この点において、本研究は新たな議論の展開の契機となる可能性を有しており、大きな意義があるといえる。
 さらにいえば、本論の試みと成果は、社会構成主義の説明枠組みでは期待できないということを強調しておこう。近年の経営学におけるイノベーション研究においては、イノベーションの発生のメカニズムを解き明かすべく社会構成主義の枠組みが用いられる傾向があるが、こうした研究にもやはり社会構成主義が引き継いできた主体概念の欠落、ないしは不足が散見される。このことは結果的にその目的であるイノベーションの発生メカニズムのプロセスの一部分をブラックボックスのままにしている。本研究はこうした主体性概念の欠落を問題意識の根幹の一つとして据え、その超克を一つの目的としてきた。
 今後の課題としては、引き続き資料の探索を通して本研究で取り扱ったソニーの歴史研究についての実証的精度を高めていくことに加え、本研究においてはソニー一社に限定して展開してきた「技術者の自律的活動を許容する規範」に関する研究を、より広範なエレクトロニクス産業全体に広げて展開することが重要である。さらに、日本の技術者に関する、技術的活動における自律性規範の実態を、その生成の地盤となる教育機関や企業組織、およびそれらの背景にある制度や組織のシステムとともに明らかにしていく必要があるといえるだろう。

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