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博士論文要旨

論文題目:日本の外国人研修・技能実習制度の構造とその変容に関する社会学的研究-韓国の外国人産業技術研修制度との比較を通じて-
著者:李 惠珍 (LEE, Hyejin)
博士号取得年月日:2013年3月22日

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本研究は、日本の外国人労働者の受け入れにおいて、公式な政策と実態の間に乖離が存在すると批判されながらも、「単純労働に従事することを目的とする外国人労働者は受け入れていない」と表明し続けるという、日本の外国人労働者政策における「虚構」の構造がどのようなメカニズムによって維持・再生産されているのか、という問いを提示し、それに応答することを目指すものである。そのために、日本の外国人労働者政策の「虚構」を成立させている日系人、あるいは「不法滞在・就労者」なども含めた、外国人受け入れの全体構造を射程に入れながらも、特に「外国人研修・技能実習制度」に焦点をあてて、その制度変容のプロセスを経時的に分析する。本研究が外国人研修制度に焦点を絞った理由は、①「単純労働に従事する外国人は受け入れない」とする外国人労働者の受け入れに関する基本方針と、「外国人労働者は必要である」とする人手不足に悩む産業界の要求という、相反する2つの視点をいずれも満足させるために、日本政府が目的意識をもって採用した送り出し国と日本を有機的に結ぶ一体化した制度枠組みが、2009年の入管法改正によって制度の「完成」形態にまで近づいたこと、②「顔の見えない定住化」(梶田・丹野・樋口2005)が象徴するように、日系人、とりわけ日系ブラジル人の越境労働の自己完結的な「囲い込み」の構造は先行研究の蓄積によって明らかにされてきたのに対して、外国人研修・技能実習制度については制度の実態・問題点を指摘し、課題を提示するにとどまり、研修生の越境労働を可能とする制度的仕組みや、それが作用するメカニズムをも視野に入れた本格的な学術研究が存在しないからである。そこで筆者は、本研究における根本的な問いが日本の外国人研修・技能実習制度が「完成」形態にまで近づいたのはなぜかという問いを追及することで達成できると考えているために、ヨーロッパ諸国の経験との差異を強調する従来のアプローチではなく、外国人労働者の流入形態における同時代性と共通性のみならず、研修制度の導入・拡大という外国人労働者受け入れの制度的経験を共有しながらも、結果的には異なる方向へ向かっていった韓国を比較対象として取り上げ、比較分析を行う。
一方、本研究では、外国人研修生を、南北格差に表象される貧しい国から出稼ぎにきた「構造的犠牲者」または、不公正で搾取的なブローカシステムにより強制された「奴隷的主体」ないし「労働人身売買の被害者」としてとらえる「構造決定論」の視点に立つのか、それとは反対に、個人の主観や心理的動機を重視して越境労働という選択をした「自由な主体」としてとらえる「主意主義」の視点に立つのか、という二項対立図式のいずれかに陥らないことに注意を払いながら論を進めていく。というのは、①研修生の越境は、両政府によって設定された外国人研修制度に関わる法的・行政的規制と、それをもとに構築された送り出し・受け入れシステムによって運営されている一方、②外国人研修生は、このシステムの上に用意されている諸手続きやルールを引き受けることで、その仕組みに埋め込まれながらも、他方では日常の不公正さや不自由さへの不満を、制度を担う者のみならず、制度に直接的なかかわりを持たない制度外部にいる者に対して自己提示するパフォーマンスを行うなか、相対的交渉力を向上させたり、制度の強制・制約条件に対抗したりすることで、制度を変化させていくこともできるからである。つまり、この一連の過程を連続・循環した過程としてとらえることができなければ、日本と韓国の外国人研修・技能実習制度に関する制度変容のプロセスを正確にとらえることはできず、さらには日本の外国人労働者政策の背後にある「虚構」の構造や、その構造を再生産・強化していくメカニズムを解明することもできないのである。
そこで、本研究では、「両国の外国人研修制度がどのような仕組みのもとで運用されているのか、そこにおける違いは何か」という制度の構造的側面と、「制度化プロセスの背後にある諸アクターにおける制度の捉え方と認識はどのようなものなのか」というアクターに焦点を当てた側面という、2つの研究課題を設定し、それに応えていくことを目指す。その際、第1部「韓国における移住労働者と外国人産業研修制度の構造と変容」と、第2部「日本における移住労働者と外国人産業研修制度の構造と変容」という2つの部分に切り分け、それぞれの部では、提示した2つの研究課題に沿って考察を行うこととなる。
まず、「韓国における移住労働者と外国人産業研修制度の構造と変容」を検討していく第1部の第1章においては、韓国における外国人労働者の流入と定着について概観し、外国人の「不法」就労と、製造業を中心とした人手不足という2つ問題を新たな研修制度の創成・拡大をもって解決しようとした韓国政府の政策の「意図せざる結果」として、非正規滞在移住労働者と研修生との間に相互交渉・浸透する関係が形成されたことを示す。そして、韓国において外国人産業技術研修制度が創設され、拡大され、やがては廃止されたプロセスを経時的に分析する。とりわけ韓国政府が、「研修」において事実上は「就労」の要素が混在しがちであるという曖昧さと、それがもたらす帰結について必ずしも明確に認識していなかったことにより、日本に比べればかなり単純な仕組みが作り出されたことを提示する。また、こうした韓国における外国人研修制度の単純な制度の仕組みが、制度を担うアクターが自己利害に基づいてそれぞれ相対的に独立して活動することを可能にしたことを論じる。さらに、その緩い制度仕組みは、制度的ルールにアクターを埋め込むことができなかっただけでなく、アクター同士を相互拘束・管理させるような力を作用させることもできなかったことを明らかにする。その結果、受け入れ企業の提供する作業場と寮に固定され、強制貯金や、保証金といった拘束装置に縛られていたはずの研修生が、そのような拘束と自由の剥奪に抵抗し、自らを自律した「能動的な主体」としてとらえ、他者のもつ情報・知識を利用することで「不自由で安価な保護なき労働者」としての現状を識別し、「離脱」(exit)という行為戦略を選択することができたことを検証する。
続く第2章においては、韓国において研修生によって選択された「離脱」戦略が、「労働者」として位置づけられず、そもそも職業選択の自由や雇用主を選択する自由が認められていない、研修生にとって不自由を強いる拘束的な装置から「解放」されるきっかけになったことを示す。また、研修生個人によって選択された「離脱」という行為の実践が、居住・労働する場・空間を超えて韓国の社会、労働市場の実質的な構成員として、外国人労働者政策の対象として、研修生を常に「可視化」させるものとして機能したことを論じる。そして、研修制度からの研修生の解放が、研修制度の制度的ルールの拘束力をさらに衰退させ、制度的枠組みの正統性をめぐるコンフリクトへと結びついていくプロセスにおいて重要な役割を果たした移住労働者支援運動に注目する。移住労働者支援団体が、移住労働者の抱える問題を引き起こす根本的な原因を、外国人が労働者として働いているにかかわらず彼(女)らを労働者ではないとする韓国の外国人労働者政策における虚構に求めただけでなく、虚構を象徴する研修制度に対抗しうる代替的なシンボル的要素としての「労働許可制度」の導入を明確かつ具体的な政策的枠組みとして提示する形で運動を展開していったことが、制度変革のダイナミズムを生み出すのに大きな役割を果たしたことを明らかにする。
続いて、「日本における移住労働者と外国人産業研修制度の構造と変容」を論じていく第2部においては、2009年の入管法改正で在留資格「技能実習」の新設という法改正を経ながらも、韓国とは反対に、従来の外国人労働者政策の枠組みが維持された日本について考察を行う。
まず、第3章では、日本における越境労働の特徴を明らかにし、外国人労働者の労働市場への参入と定着過程を概観する。また、日本国内の労働力不足を解消する存在として、あるいは日本企業の労働力のフレキシブルな利用戦略に呼応する労働力として日本の産業・労働市場に組み込まれている日系人、研修生・技能実習生、未登録労働者が、それぞれ異なる越境・滞在の形態へと固定的に埋め込まれていったために、相互交渉する関係を構築することができず、分断されていることを示す。そして、労働市場の参入定着過程というマクロレベルの議論から離れて、メゾレベルの受け入れ団体、受け入れ企業に着目して、日本の外国人研修・技能実習制度の仕組みと基本構造における独自のパターンについて分析する。日本の外国人研修・技能実習制度が、①研修生の募集や事前教育を担当する海外における送り出し機関と、②送り出し機関から派遣される研修生と受け入れ企業とを仲介し、研修生を監理する役割を担う受け入れ機関(受け入れ企業を「会員」とする団体)、③研修生を受け入れて、研修、就労の場となる受け入れ企業という3者が、密接かつ有機的に結びついて研修生を重層的に拘束することで、国境を越えて成立していることを示す。また、日本政府が「研修」という越境ルートのもつ労働力輸入の側面と、それが実態として既成事実化していることを認識したからこそ、法規範と現実の乖離を追認する枠組みを成立させ、その乖離をコントロールするための重層的な拘束装置を組み入れる作業を入念に行ったことによって、研修生の自由を重層的に拘束・剥奪する制度の仕組みが作り出されたことを、入管法において在留資格「研修」が明文化される以前にまで遡って歴史的に追っていくことで検証する。そして、「重層的な拘束・剥奪」の仕組みに埋め込まれた研修生が、その「自由・自律性」を重層的に剥奪されているがゆえに、彼(女)らの多くが自らのおかれた劣悪な状況・待遇を甘受するという選択をとる傾向があることを示す。その現状を受容するような研修生の行為戦略によって、結果的に、研修生が居住・労働する場・空間のみならず、制度の外部にいる日本人、他の外国人などにも「不可視的存在」であり続けていることを明らかにする。
第4章では、日本において研修制度の「重層的な拘束・剥奪」の制度的仕組みに埋め込まれ、その不公正な状況を甘受していた研修生が、残業等の賃金未払いや研修手当からのピンハネなど、履行されるべき約束・契約が守られていない場合に直面した時には、そうした状況の改善を求めて、異議申し立てを行うという対抗行為を選択することもあることを示す。しかし、研修生による「不満」の表出が、研修生問題を社会問題化し、研修生という存在を「可視化」したきっかけであったものの、帰国直前という問題解決の時限性と、問題の解決を求める対象が個別の受け入れ企業であるという対立をめぐる範囲の限定性を特徴とすることを明らかにする。その結果、研修生による不満の表出および問題提起が、特定の職場において特定の研修生・技能実習生に発生した「個別」のケースとして寸断され、集合化された要求へと結びつかず、研修生の可視化が「一時的」なものとして体現されてしまうことを指摘する。一方、韓国と同様に日本においても、支援運動による研修生・制度問題への取り組みが、日本政府の「外国人労働者受け入れ」の虚構構造を象徴する外国人研修・技能実習制度の制度的枠組みと、その受け入れの問題を、正面から問いかける動き・流れを作り出すのに果たした役割に注目する。しかし、研修生・制度問題に対する支援運動の取り組みが、研修制度をめぐる論議が初めて公的な場を通じてなされることとなった2009年の入管法改正においては、研修制度の変革においては有効な取り組みを見せることができなかったことを述べる。この点について、日本の移住労働者運動の支配的スローガンである多文化共生という概念と関連付けながら、2009年の入管法案をめぐる支援運動の議題設定と、その動員について検討していく。それを通じて、「一時的な可視化」という日本社会における研修生の表れ方は変わることなく再生産されるという現状と、現行の研修制度における制度的枠組みやルールに対抗しうる代案の提示と動員において有効な取り組みを見せることができなかった支援運動の限界によって、2009年の制度改正は歯止めのかかることなく、監理団体や受け入れ企業による研修生に対する行き過ぎた支配体制を法律的に後押しすることで現行体制を維持強化する方向で行われたことを指摘する。
 最終章では、第1部における韓国に対する考察と対比させながら、日本の外国人研修・技能実習制度が成立する「虚構」の構造を再生産する論理、メカニズムについて答えていく。そのためにまず、外国人研修制度の現実の実態と、在留資格「研修」に対する入管当局(あるいは日本政府)の法解釈という歴史的文脈に依存する「重層的な拘束・剥奪」の仕組みと、その仕組みに制約される研修生の行為戦略を提示する。そのうえで、研修生・制度問題に取り組む支援運動の運動フレームや動員戦略が、外国人研修生の「一時的な可視化」という特徴を結果的に再生産させていることを指摘する。

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