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博士論文要旨

論文題目:ピエール・ブルデューにおける社会学的思考の生成
著者:磯 直樹 (ISO, Naoki)
博士号取得年月日:2013年3月22日

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社会学とは何か。ピエール・ブルデューの思索を手がかりに、この問いを社会学における理論と調査の関係という観点から探求するのが本論文の大きな目的である。アングロサクソン圏の社会調査家にとっての「理論」とは、実質的に中範囲の理論を意味することが多い。しかし、ブルデューはマートン流の中範囲の理論に批判的であった。これとは異なる方法で理論と調査の統合を試みたブルデューから学ぶことで、理論と調査をつなげる方法を多元化することが可能になる。以上のような理由からブルデューの社会学を主題に掲げるため、本論文における焦点が当てられる問題は、ブルデューにおける「理論」とはどのようなものか、そして、彼はどのように理論と調査を統合したのかという問いである。このような問いを、次のような2つの観点から考察していく。その一つは、ハビトゥス、資本、界という3つの基礎概念に焦点を合わせ、これらの概念の展開を追うことでブルデューの社会学的思考の生成過程を追うことである。

第1章では、ブルデューにとってのアルジェリア経験の意味を考察する。兵役でアルジェリアに行かされるという経験から、ブルデューは当時のフランス知識人のアルジェリア戦争への関わり方に憤りを感じるとともに、アルジェリア社会に研究対象として関心を持つようになる。ブルデューのアルジェリア研究の代表作である『デラシヌマン』は、フランスの植民地当局による強制移住政策によって根を絶たれるアルジェリアの農民の社会状況を描いた経験的研究であるが、これはフランス知識人への批判を意図したものでもあった。このように、ブルデューはアルジェリア社会について研究しつつ、アルジェリア論を公刊していくが、これが彼の専門を社会学と人類学(民族学)へと方向づける契機になる。また、アルジェリアで行った一連のフィールドワークは、ブルデューに自らの故郷であるベアルン地方に対して研究上の関心を持たせるきっかけにもなる。

第2章では、はじめにブルデューが元々は哲学を専攻していたことを確認しつつ、1950年代から60年代にかけての哲学、社会学、人類学の序列について考察する。ブルデューが専門を哲学から人類学、そして社会学へと移していくのは、単に彼の研究上の関心が変わったからではなかった。制度的な水準ではレイモン・アロンによる導きが大きかったし、象徴的な水準においては、レヴィ=ストロースが人類学に威信を与えたことが大きかった。ブルデューはレイモン・アロンの率いていたヨーロッパ社会学センターの実質的な代表を任され、社会調査の共同研究も開始する。このようにして、ブルデューは質的調査と量的調査の方法を受容し、自ら実践していくようになる。研究対象は多岐にわたり、ベアルン地方の農村調査、美術館の調査、教育と格差に関する調査などであった。この時期に行った調査が、70年代以降の研究にもつながり、理論的洞察の支えになる。

第3章では、60年代のブルデューが、経験的研究を通じてどのような理論を構想しようと試みていたのかを考察する。60年代前半からハビトゥス概念は用いられるが、独自の概念として体系化する試みは、60年代後半から始まる。資本概念と界概念も同様で、独自の意味で用いられるようになるのは60年代後半からである。このようにして、60年代には後のブルデューにおける基礎概念となる諸概念の萌芽を見ることができる。しかしながら、それら諸概念はそれぞれ独立的に用いられ、まだ相互の連関が考えられていなかった。また、60年代のブルデューの著作は、理論研究と調査研究が、それぞれ別の論文で扱われるのが一般的であった。つまり、理論と調査が分けて考えられていた。両者の統合の試みが本格的に始まるのは1970年の『再生産』においてである。この著作ではしかし、その試みは十分に成功せず、ブルデュー独自の理論枠組みも60年代後半のままであった。

 第4章では、『再生産』と『ディスタンクシオン』の間にある理論と方法の差異を決定づける、70年代における3つの基礎概念の展開について考察する。1972年の『プラティク理論の素描』において、方法としての二重の認識論的切断が論じられる。これは、研究対象を対象化するとともに、対象化する主体である研究者自体を対象化することを求めるものである。「ディスポジションの体系」としてのハビトゥス概念は、この『プラティク理論の素描』において以上のような方法とともに基本的な枠組みが完成させられることになる。1970年代には、界概念の展開とともに、ハビトゥスと資本が界概念とセットで考えられるようになる。こうして、ハビトゥスは界の内と外で異なる理論的役割を担い、1970年前後までは理念型的な分析概念として考えられていた資本概念は界概念と結びつくことで動態性を強く帯びるようになる。これら3概念の関係は、『ディスタンクシオン』において体系的な理論枠組みになり、ブルデューの社会学の骨格を成すようになる。これらはまた、体系的に定義されつつ、体系的な仕方で経験的に活用される「開かれた概念」として用いられている。ブルデューの基礎概念は理論と調査をつなげる試みの一環として構想されているが、そのような試みを支えるのが独自の認識論である。その認識論でまず重視されるのが「対象の構成」である。これは、対象を客観的に認識するために感覚とは一線を画し、感覚的認識と科学的認識の間に切断を行うこと、及び対象にアプローチする方法の選択と技術的な手続き全体における理論の関わりを意味している。このような対象の構成に加え、科学的認識をより十全なものにするために反省性が要請される。このような認識論と反省性に支えられて可能になるのが彼の考えるような理論のあるべき姿である。そのような理論とは、理論のさまざまな矛盾、不統一、欠落を説明することができる原理とされる。

 第5章では、ブルデューの階級論が考察される。『ディスタンクシオン』以降のブルデューの「階級」分析は、ハビトゥス、資本、界の理論的関係が結晶されることで初めて可能になった。また、これら3つの概念だけでは分析が不可能なナショナルな社会単位を対象にした分析を可能にし、個別具体的な調査研究をより大きな枠組みに位置づけることを可能にする。このようなブルデューの「階級」分析とはいかなるものかを考察するのが、本章の課題である。ブルデューの社会学において、階級分析は重要な位置付けにある。しかしながら、本稿で論じるように、ブルデューによれば「社会階級」なるものは実在しない。実在するのは社会空間であり、差異の空間であるという。階級分析を行いつつも「社会階級」の実在を否定するという、この一見分かりにくい論理構造によってブルデューの「階級」分析は構成されている。ブルデューは個別具体的な階級分析はするものの、階級の一般的な定義は決して提示しない。なぜかというと、彼が「階級というものをくっきりと形を取った、固くしまった実在として現実の中に存在する、明確に画定された集団ととらえるような、実在論的表象と手を切ろうとした」からである。「人間は一つの社会空間の中に位置しており、[中略]このきわめて複雑な空間の中に占める位置によって実践の論理を理解することができる」という観点から、ブルデューは階級分析を試みた。

 第6章では、『ディスタンクシオン』、『実践感覚』、『ホモ・アカデミクス』を中心に、ブルデューの問題設定が考察される。ブルデューの主著はいかなる問題設定によって構成されているのかが問われつつ、そのような問題設定を可能にした理論と方法の意義が再確認される。『ディスタンクシオン』と『実践感覚』は相互補完的な関係になるよう構想されており、ブルデューの社会学の到達点を示している。本論文全体の議論は、反省性の実践として一つの到達点を示す『ホモ・アカデミクス』へと向かう。ブルデューにおいて、理論と調査の統合の試みは反省性の実践と不可分であるが、反省性の理論は『ホモ・アカデミクス』以降、さらに展開させられていく。本章はその展開の可能性を示唆することで、締め括られる。

以上6章分の考察から明らかになることは、一つにはブルデューにおける理論と調査の統合の試みにおいて3つの基礎概念が肝要であったということであるが、同時に、その試みは反省性を伴う構想であるということである。ブルデューにおける社会学的思考の生成過程において要請され続けたもの、それが次第に反省性という概念として明確されていき、『ホモ・アカデミクス』において具現化するのである。前章で言及したように、ブルデューにおける反省性の実践は生涯にわたって続けられ、この著作はその一つの通過点である。本論文で示したのは、反省性の実践がある到達点に達するためには3つの基礎概念が要請され、これらの概念は理論と調査を統合する試みが続けられる中で構想されたものであったということである。 ブルデューが強調しているのは、彼の考える反省性はナルシシズムとは相容れないということ、そして個人だけでなく大学界や知識人界の分析を行わねばならないということである。「客観化されなければならないのは、それぞれ独自の人生を歩みながら研究を行なっている諸個人について(だけ)ではなく」と述べられていることの背景にあるのは、ブルデューが重視する関係論的思考である。つまり、諸個人はそれぞれが自律的で独立した存在としてあるのではなく、相互に関係し合い、依存し合っていると考える立場である。ハビトゥス、資本、界などの諸概念は、このような関係論的思考に依りながら諸個人を捉える理論枠組みとしても構想されたのであった。そして、これらの概念を用いることによって初めて、ブルデューの反省性の実践は十全なものとなるのである。

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