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博士論文要旨

論文題目:アリス・ベーコンの「日本」と世紀転換期のアメリカ社会
著者:砂田 恵理加 (SUNADA, Erika)
博士号取得年月日:2012年3月14日

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 本博士論文では、明治時代に教師として来日したアメリカ人女性、アリス・ベーコン(Alice Mabel Bacon: 1858-1918) が描いた日本像に注目し、彼女が日本という異文化の表象を通じて、いかに変貌するアメリカ社会における「自己」を位置づけていたかを考察した。ベーコンにとって、日本という他者のイメージを強化し、時に再定義して新しい意味合いを与えていくことは、アメリカに生きる白人女性である自らのアイデンティティーを形成・維持することにつながっていた。
アリス・ベーコンは1858年、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイヴンに、奴隷制度に反対をしたことで知られる有力な牧師であるレナード・ベーコンの末娘として生まれた。彼女が14歳の時に、ベーコン家は日本初の官費女子留学生のひとり、山川捨松のホームステイ先となった。また、山川を通じ、同じく留学生として渡米していた少女たちで、のちに日本教育史上に名を残す津田梅子や永井繁子らとも親交を結んだ。この縁で、アリス・ベーコンは山川らが10年あまりの長い留学を終えて帰国した後来日し、延べ3年の間、日本の女子教育に貢献した。
同年代の日本少女らと知りあうという、当時としては特殊な経験をしたベーコンは、生涯独身のまま日米で教鞭を執り、数々の著作を発表し自立した生活を送った女性であった。アメリカでは解放奴隷の教育に取り組む一方、日本女性と、彼女たちが切り盛りする日本の家庭について長年執筆を続け、出版した。コルセットで締め上げられ、女性崇拝という形で家庭にとどまることを余儀なくされた、いわゆるヴィクトリア時代の白人ミドルクラスのアメリカ人女性のイメージと比べると、ベーコンはさまざまな意味で「ユニークな」人生を送った人物だと言える。
したがってベーコンを理解するためには、同時代のアメリカ女性史を念頭におきつつも、彼女の特殊性にも十分配慮をしなければならない。その意味で本論文は既存のアメリカ女性史研究の流れを個人史によって確認する作業ではない。ベーコンの人生は、同時代の女性文化から生まれたものであったのと同時に、その典型を代表するものではなかった。女性が単身で旅行することすら珍しかった当時、三度にわたり来日し、アメリカ社会で日本への反感が高まると、積極的に日本擁護のための文章を発表した。また、近代技術の利便性が広く受け入れられるようになると、それを頑なに拒絶し、「変わらないこと」に固執する一面を持っていた。社会の流れに意識的に抗い、その周縁に自らを位置させることでアイデンティティーを確立しようとする傾向は、晩年に向かうに従って強くなっていった。そのようなベーコンの「ユニーク」な生涯は、アメリカのミドルクラスの白人女性の人生の典型には当てはまらない一方で、当時の社会が経験していた変化を象徴するものでもあった。本論文は、彼女が描いた日本という他者像が、いかに変容する世紀転換期のアメリカ社会の一側面を映し出すものだったかを分析した、学際的な試みである。
本論文の執筆にあたっては、ベーコンが出版した日本論を歴史学的および文学的視点から丹念に読み解くことを基本とした。彼女が日本に関し書き残したものは、女性論などのノン・フィクション、日本の民話集、日々の生活について語ったエッセイなど、幅広いジャンルに渡る。これら一連の文章と関連する史資料を調査することで、ベーコンの著作に描かれた日本像の意義を考察した。ベーコンの伝記的資料のみならず、彼女の著述を可能にした津田や、後に大山巌夫人となる捨松などの友人の個人資料も参照した。
最も重要な一次資料はベーコンの日本に関する著作3冊、Japanese Girls and Women (1891)、A Japanese Interior (1893)、In the Land of the Gods (1905)である。これらの著作に含まれない、The Southern Workmanや The Outlookをはじめとする雑誌に発表したエッセイや、英語学習者や英語教師向けに日本で出版されていた雑誌に寄稿した記事なども史料とした。ベーコンの著作3冊は、それぞれ書かれた目的が異なっている。そのため、基本的には著作ごとに異なる章を設定し、分析をおこなった。第1章でベーコンの生い立ちを紹介し、彼女が生きたアメリカ社会の状況を考察したのち、第2章では、最初の著作であるJapanese Girls and Womenを取り上げた。この本は本人が見聞きしたことだけではなく、史資料の調査に基づいた著作である。ベーコンがなぜアメリカ人読者に日本を紹介する際、それを女性論としようとしたのかを中心に、この本の執筆過程で大きな影響力を発揮した津田や捨松らとの関係を含めて考察していく。そうすることで、白人女性が「他者」を表象することの意義を、オリエンタリズム論との関連から分析した。第3章で取り上げたA Japanese Interiorは、ベーコンが日本滞在中に見聞きしたものを故郷の人々に紹介した手紙を基にした書簡集である。ここでは彼女が書く和洋折衷の日本での生活の記述を分析することで、ベーコンの世界観における国と家庭性(domesticity)の関わりを考察した。この章で注目するのは、ひとつの国を家庭生活のあり方から語ろうとするベーコンの姿勢である。一国の家庭のあり方が、その国の文明と結びつけられて語られることは、決して珍しいことではない。特に19世紀には、女性の洗練と家庭内での女性の美徳の発揮が、文明の進歩と関連づけられて理解されていた。日本人の家庭生活を描くことで日本国民について説明をしようとしたA Japanese Interiorでは、「家庭性」としてのドメシティシティと「ネイションの内側」としてのドメシティシティの境界が時にあいまいに表現される。このようなドメスティック理解の中で、一般的に家政を取り仕切っていた女性たちの役割が必然的に大きくなることを考えれば、女性たちの家庭内での役割に注目したベーコンの日本論は、実は女性の国家との積極的な関わりを賞賛するものだと考えられる。
続く第4章で、ベーコンが津田の英語学校で日本人女学生たちに演じさせた、英語劇、 When Doctors Disagreeを取り上げた。日本の若い女性たちに特定の役割を演じさせることで、来るべき新しい時代の女性の役割を確認していた様子を読み解いていく。第5章では、ベーコンがIn the Land of the Godsで発表した日露戦争に関する短編を分析した。ベーコンはIn the Land of the Godsで取り上げた話を、日本の「民話」だとしているが、どれも口承で日本に伝えられてきた話を忠実に英語訳したものではない。ベーコンはこの短編集を1905年という時期に出版したのは、日露戦争をめぐりアメリカの対日世論がゆれていることが原因だとしている。アメリカで報道されていた日露戦争当時の日本イメージと比較することで、この著作を通じてベーコンが訴えようとしたことを考察した。終章では、ふたたびIn the Land of the Godsから、第8話のThe Peony Lantern という短編を取り上げた。この本の中でも、特にこの第8話についてはベーコンが参照した日本語の原本がどれなのかが明白であるので、あえてこの一話を取り上げて論じた。ベーコンが日本語の原作に加えた変更点を確認することで、彼女が日本の描写を通じてどのような世界観を示そうとしたのか、さらに理解を深めた。
以上により、先行研究が少ないこのアリス・ベーコンというユニークな女性の人生とその意義について考察した。同時に、ベーコンの日本論がどのような文化的な文脈の中で生み出され、維持されていったのかを考えていくことで、単に興味深い人物の個人史にとどまることなく、より広義なアメリカ社会理解や日米文化交流史理解に寄与するものとした。ベーコンが世に出したのは、当時の多くの読者にとっては、遠く離れた日本という国の女性たちについての著作だった。しかしそこには、間接的に同時代のアメリカ社会への批判がこめられていた。ベーコンが日本論を発表した世紀転換期のアメリカ社会では、近代化の名の下に、伝統的に「男性の領域」に属すると考えられていた、拝金主義や即物的な価値観が、かつてない勢いで広まり、宗教の権威が相対的に減じていた。こうした中、市場経済とは異なる原理を持つとされ、アメリカの良心の砦と考えられてきた、「女性の領域」である家庭の存在感が薄くなることを、彼女は危惧していた。また、同じころに脚光を浴びだした「新しい女性」と呼ばれた人々は、新たな女性のあり方を示すことで、それまでの女性たち、すなわち「古い女性」たちが担ってきた伝統的な女性の役割を否定していった。そのような社会変化の中でベーコンは、日本人女性を描き、彼女たちの人生や生活に心を寄せ、読者の共感が向かうような記述を重ねていた。アメリカの女性たちよりも「遅れた」環境の中で、けなげに、しかしたくましく生きる日本の女性たちを肯定的に描くことで、伝統的な女性の力や価値観を再評価し、日増しに男性的な価値観が重んじられるようになっていく同時代のアメリカ社会と対抗しようとしたのである。

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