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博士論文要旨

論文題目:ICTの利用にみるオルタナティブな<学び>の資源とネットワーク —草の根電子ネットワーキング活動の社会的機能—
著者:石田 千晃 (ISHIDA, Chiaki)
博士号取得年月日:2012年3月14日

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 本論文は、ICT(Information Communication Technology)技術の進展と普及の中で、人間が、何を生きるための情報資源としていけばよいのか、特に今現在、困難な状況におかれていたり、その困難に立ち向かっていたりする人々にとって、いかなる情報資源と情報ネットワークが困難な事態の改善に効くのかという問題意識の下、人間の知識の資源となってきた活字情報、および、比較的新しい知識源であるICT情報が持つ社会的な意味合いと、これらの情報が媒介する社会関係について考察したものである。特に、本論文では、「媒介」という視点から、近代に中立・正統なものとしての地位を確立させ、中心と周縁を作り出してきた<知>の体系では解決しにくい現代的諸問題に対して、人々が、他者との関係を築き上げながら課題に向き合い、状況を改善していく活動が、如何に可能なのか、また、その際にオンラインネットワークはどのような点で有効で逆にどのような点に限界があるのかを検証することから、上記の問いへの解答を試みた。
 本論文の先行研究は以下の4点に設定した。まず、(1)インターネットを新たな社会的公共圏として扱う研究に着目した。これらの研究に特徴的なのは、近代社会の中で優位な地位を築いてきた国家や企業の論理では片付けられない課題に取り組む人々の関係創出空間として、重要な先行研究として位置づけていることである。次に、(2)新たな社会的空間としてのデジタルな空間が、人間の生き方、自己形成に及ぼす影響に着目する研究を取り上げた。(2)はインターネットが人間の思想、ひいては社会思想を構築していく過程を扱う研究群である。さらに、(3)ICTが人々をつなぐ緩やかなネットワークとして、新たな親密圏や互酬的空間として機能するという議論の社会的、研究的な着目度の高さを取り上げ、最後に(4)ICTを利用した新しい学習形態を扱う研究領域と本研究の位置づけについて述べた。
 上記4点は、いずれも、21世紀的な情報通信ツールであるICTの社会的意味・意義を検証した研究ではあるが、次の2点が不足していた。まず、西欧近代化とともに、発展し進化し、知の勢力を築いてきたシステムが引き起こす「生きづらさ」を解きほぐしていこうとする視点である。本論文では、上記の解読に、人間が生まれてから死ぬまでの過程において他者や世界システムといった外世界とどのような関係を築くのかという視点、特に、それぞれの時代を代表し人間の生き方を規定する狭義の<メディア>の性質を検証しつつ、人間の発達を文脈と非文脈の相互作用の意味を総合的に読み解く方法をとった。具体的には、近代化のプロセスの中で、人間の束を管理する方法として使われてきた情報の取得源(印刷技術)と伝達経路(近代教育)の性質を押さえつつ、デジタル情報がもたらした狭義の<メディア>の意味変容を重ねて論じていった。
 次に、先行研究に不足していたのが、ICTによる情報交換を集団行為として分析する視点である。これには、主に、アルベルト・メルッチが位置づけた「市民運動」(関嘉寛が位置づけた「市民活動」)の定義を重ね検証した。ICTを利用した草の根ネットワークの活動は、目には見えないが自分たちの生活を規定している存在をあらわにするきっかけを共有する極めて政治的な活動であり、かつ、今日の集合行為の社会的・文化的側面、可視的行為の水面下のネットワークでもある。ICTを使ったネットワークが集団行為としてどのような社会的意味合いを持っているのかを、主に分析対象の「空間に対する意味づけ」の議論からおこなった。
 本論文の分析対象となったのは、外国籍、及び、外国にルーツを持つ子どもたちを支援する人々の電子ネットワークである(広域ネットワークA)。広域ネットワークAのメンバーは、子ども期を過ごす人間に対し、近代的な教育システムの下、家庭外の場所で特殊専門的なアプローチを行う人々である。これらの人々が日々の実践活動の中で抱える悩みや苦しみを、ICTネットワークを通じて共有し、新しい文脈を生成していく過程から、近代的な<教育>=狭義の<メディア>の枠組みを可視化・相対化しつつ乗り越えていく様相を析出した。
 その際に主に取った方法は、参与観察法である。特定の事象を変数化し分析する質問紙調査、インタビューによる質的調査は分析対象の特定の事象を切り取ってしまう傾向にあるため、本研究においては、中心的な手法として用いなかった。本研究においては、10年間にわたるML上のやりとりの内容やその中での人々の相互作用による「空間作り」を包括的に分析した。やりとりされた内容分析に関しては、広域ネットワークAの10年間のオンラインデータの蓄積から、一定の規則に基づき、ネットワークの質を形作るような中心的な議論を取り上げ、質的に分析した。
 本論の成果は以下の4点である。まず、第一に、近代化の過程で形成された狭義の<メディア>が規定する枠組み、特に<教育>という規制メディアが引き起こしている諸課題に向き合う人々のICTを用いた実践活動からオルタナティブな<学び>の特徴を析出したことである。ここからは、日常的な問題を、それを取り囲む社会状況とすりあわせながら、現場の問題を少しずつ超えていく知のあり方が、リトル・ナラティブによる誤謬推理とそれに基づく知の運用方法であり、ICTを用いたグラスルーツネットワークにおけるオルタナティブな知の1形態であることが明らかになった。本研究では、オルタナティブな知が、エリートが卓越的に取得してきた支配的な言葉の運用によるもののみではなく、普通の人達による日常活動を文字化し、ICTを使って横の繋がりを付ける長期的な活動の中から生まれていることが明らかになった。広域ネットワークAの事例から言えるのは、インターネットが持つ間接性が、文脈的知も非文脈的知も相対化させる新たなツールとして機能しうるということであった。しかし、インターネットの特徴である「主客融合」や「多対多」によって生まれた機械的特徴を利用するだけだけではなく、人間がその空間に対して意味づけを行いながら、文脈情報と非文脈情報を有機的に連関させることが重要であることもわかった。その空間に対する意味づけ活動の如何によっては、それがオルタナティブな文化圏として機能しない「情報の生産—消費」の単純回路に陥る可能性があることもわかった。
 第二に、上記のようなデジタル情報が散発的に横滑りする空間(ポスト・モダンな情報の流通)になることを回避しているのが、「空間そのものをどのように特徴づけていくか」という人為的な介入であることがわかった。この分析から、本論文では、比較的古くから存在するメーリングリストのオンライン空間が、私事的な生活空間に閉じず、日常的な小さな問題を大きなシステムにフィードバックをし、改善を迫る装置として機能する一つの方途を示唆できたと考える。近年のSNSの普及に見受けられるように、今後は、匿名性をとらないサイバーネットワークが増えていくことが予想される。このような現代的状況をふまえても、本研究は長期にわたる非匿名の草の根電子ネットワークの社会的機能とその性質遷移を検証し、重要な視点を提供したと考える。
 第三に、機関Bによる情報のストックの実践(データベース化)から、電子情報の蓄積に関する考察も行った。これは、「電子空間に蓄積された情報が誰のものなのか」という電子コモンズ問題も絡む大きな問題である。データベースは、様々な関係者から「情報の質が高い」と言われていた広域ネットワークAの過去のやりとりの資源化を試みたもので、それによって、自分に関心の近い情報を取り出し、新しい人との関係構築や、議論の呼び水となることが期待されていた。しかし、日々流れていくという「フロー」の性質が強いメーリングリストの情報を貯めておくことには、メンバーの間に大きな心的壁があることもわかった。これには、発信者当人の思惑とは異なるところで、当人の者として流通する非意味情報の暴力性と自己の物語に対するドラマトゥルギーを示していた。しかし、吉田が指摘するようにサイバースペースのやりとりが、特定のメンバーの中の私事として閉じてしまうと、大きなシステムに対するフィードバック(時には批判)が行いにくくなることも予測される。「プライバシーと公共性を広域ネットワークAのような非匿名の草の根電子ネットワークで如何にバランスよく保つことができるのか」に関する検討は、筆者の今後の課題である。中でも、草の根オンライン・コミュニティにおいて黙って発言しない人々(ROM)がどういう意図でそのネットワークに参加しており、当該社会的分野におけるどの部分でどのくらいの影響力を持ち合わせているのかに関して、社会学的見地からの調査が必要である。その際に、ROMの中でルーマンがいう「規制メディア」のメカニズムが、インターネット空間で生成されていくプロセスも注意深く見守る必要がある。しばしば「何をICT空間で話題としてよいのか、または、悪いのか」に関して感情的なやりとりが行われるように、空間の利用の仕方に対して、今後も様々な人々のせめぎ合いが強く働くことが予測される。こうした下地が作られていく過程を注意深く見守る必要がある。なぜならば、その下地(枠組みの萌芽)を見定めることで、新たな規制メディアとして働くデジタル空間やそれを操る人、組織との交渉が可能になるからである。小さな気づきを既存の枠組みと照らし合わせ、論点を探り、その課程によって公共的な共通性を創り出していくことに、ICTのネットワークがどれほど有効であるのか、その際に、大量に流通するデジタル情報を如何に活かしうるのかは、今後も問い続ける必要がある。
 第四に、現代社会において不利な状況に置かれがちな文化的マイノリティの人々の存在と、その生き方を規定している社会構造に敏感な教育実践者・支援者達のICTを媒介した情報共有活動が、近現代が創り出したフォーマルな教育活動(文化伝達活動)とは異なるオルタナティブな<学び>の性質を持つことを質的な事例分析により論証した。この<学び>は、見習うべき「何か」に到達するための活動に100%が占められるものでもなく、無意識に進むイン・フォーマルな学びとも異なっている。特に理論的検証の部分に絡めて言えば、1.物理的な「情報の伝達」の発展経緯から(印刷技術からICTへの移行)2.そこに織り込まれる情報の枠組み(メディアの変遷)、さらには、3.<教育>という特殊な枠組みの中に織り込まれた世代をまたぐ情報伝達行為の特徴を重ね合わせ考察したことによって、オルタナティブな<学び>の意味・意義を浮き彫りにすることができた。本論文でみてきたオルタナティブな<学び>とは、狭義の<規制メディア>によってつくられた社会的構造(枠)のために<生きる空間>を失っている人々の存在を可視化するプロセスそのものであった。情報をめぐる歴史的かつ理論的な検証を前半部分に入れることによって、情報のフローとストックが、人間の生きる過程に深く関わりを持ち、個人の生き方や外界との関係の持ち方に大きな影響をもたらすことを再確認することができた。
 ICTが生活環境としてさらに浸透していくと予測される将来の社会において、如何にオルタナティブな知の産出活動が可能なのは今後も問い続ける必要がある。なぜならば、全体を通してみてきたように、ICTの空間が相互監視の空間となり、人々がそこを流れる表面的な情報を消費するだけになれば、その情報フロー・ストックの枠組みそのものを見直すという活動は存在しなくなってしまうためである。そして、日常生活のあらゆるところに浸透しつつあるICT情報が、人の信念を形成したり信念を改訂したりする働きを今後も注意深く検証し続ける必要があるだろう。

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