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博士論文要旨

論文題目:戦後期の日本における消費財デザインのモダニズム研究 ――ポストモダンとの関係に注目して――
著者:小川 勝 (OGAWA, Masaru)
博士号取得年月日:2011年3月23日

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序章;デザインにおける戦後モダニズム研究の流れ

「1980年代からしばらくの間、ポストモダンという華麗な思想が消費の分析に用いられ、消費文化の理解が進んだような印象を与えた。しかし、その後予測通りに現実が進んだとはいえず、ポストモダン消費論は注目を集めなくなった。」(間々田隆夫『第三の消費社会論』ミネルヴァ書房、2007年、ⅰ頁)

 商品のある生活・消費文化への関心は、間々田の指摘するように一時的には高まったが、今日、その高まりの時期の言説(「ポストモダン消費論」)は注目を集めているとは言えない。それは、消費は非合理的な行為か否か、イメージ重視か機能重視か、といった枠組みの設定からは有益な結論がえられなかったことによると思われる。そうした枠組みから離れ、社会が「ポストモダン」と言われるようになる以前の、商品に関わる人びとの態度のあり方から見直していくことが、商品・消費の文化を理解することに求められると考えられる。
 そこで本稿では、商品の作り手・受け手を結びつける“デザイン”の営みに注目し、戦後日本の1950年代から1970年代までの資料をもとに、ポストモダン以前のモダニズムの取り組みから考えていくことにした。
 序論では、今日までのデザイン研究の流れを振りかえった。長期的な議論の変化を追うために、日本デザイン学会の論文・記事を参照した。日本デザイン学会は1953年に設立されて今日に至る学会であり、長期的な変化をみるにふさわしい。
 戦後の1950年代・1960年代が学会誌に取り上げられるのは1980年代であるが、最初はこの時期の活動が回顧される程度であり、モダニズムの特徴が分析される段階ではなかった。1980年代後半になると、デザインの関係者にも社会をポストモダンと捉える認識が広まるようになった。環境問題の深刻化や地域社会・家族の変容など新たな社会問題の発生に対して戦後期と同じ取り組みを続けるのは困難であることは認識されていたが、ポストモダンの社会は混乱したもの・理念のないものと捉えられ、そこから逆算して戦後のモダニズムが合理的なもの・理念のあるもの、と対比的に理解されていた。
 これに対し、近年のデザイン史研究は近代化自体が合理的・非合理的な両方の側面を持つ複雑な性質のものであることを示している。神野由紀は、明治・大正期の雑誌メディアを通じて、合理的な精神性をもつ「紳士」になるためにどんな商品が必要か、という屈折した男性の欲求を分析している(神野「近代日本における消費と男性」『デザイン学研究特集号』第16-1巻第61号、2008年)。
 また、デザインのモダニズム研究は美術館・博物館においても行われている。戦後期のモダニズム関連の展覧会ではデザインの機能美が重視されたが、近年では、モダニズムの機械的な側面よりも人間性を強調するものが多くなっている。

第1章 商品の「機能」と近代デザインにおける「機能主義」

 第1章では、モダニズムの特徴とされる「機能主義」概念を取り上げた。
 商品は消費者がなんらかの目的に使用するために購入するものであるので、商品が一定の機能をもっていることは自明であるようにみえる。しかし機能は客観的に規定されるものではなく、時代や文化で変化しうるものであり、これは消費社会論などが明らかにしてきたことであった。
 近代デザインの特徴とされる機能主義は、デザインが機能的であることに特別な意味を見出そうとしたものととらえることができる。デ・ザーコによれば、機能主義は西洋の伝統に位置づけられ、物の制作姿勢の道徳性を示すもの、機械的な構造と美を同一視するもの、人間が制作したものに自然界の優れた形態との共通点を見出そうとするもの、といった思想上の特徴を持つ。
 機能主義は、建築の用語として戦前には日本に伝わっていたと考えられるが、機能主義が日本のデザイン実践に取り入れられたのは戦後、1950年代のことであった。ステレオタイプな日本らしさを脱し、椅子式の生活など西洋の生活様式を日本に取り入れていく上で、「機能」がデザインに指針をもたらした点は、メリットであった。
 勝見勝や剣持勇などの評論家・デザイナーは機能の概念化を試みているが、1950年代以前には海外の機能主義批判が既に始まっており、日本には機能主義の肯定的・否定的な言説がもとにもたらされた状態であった。機能主義批判の主な論点は、「機能」が普遍的なのかどうか、機能を重視するだけで美的になるのか、また、機能主義は人間らしさを喪失させるのではないか、といった点であった。
 勝見は、機能が産業家とっての利益から考えられているとし、消費者のために生産工学の可能性をぎりぎりまで追求することで得られる造形が美しいと考えた。これは戦後モダニストに共通する、機能主義を批判しながらもそれを放棄しなかった、複雑な立ち位置と考えられる。

第2章 1950年代における日本のグッドデザイン運動

 第2章では、戦後モダニズムの担い手たち(美術家・建築家・デザイナー・評論家・研究員など)からの、社会や消費者に対するアプローチを取り上げた。戦後モダニストはデザインの社会的性格を示すために、同じ造形的行為である芸術との差を指摘する。芸術は個性の表現であるが、デザインは社会の中で使用される物の製作に関わる点が強調された。
 しかし、戦後モダニストは社会や消費者の意識は不十分で、変わるべきだと考えていたため、盛んに提案を行い、その点で啓蒙的であった。企業は売り上げを重視するので、物の構造から根本的に考え直すことをせず、表面的な装飾に終始する。消費者については、保守的で近代デザインを理解する力に乏しく動きが鈍いという捉え方と、流行に左右されやすく流動的で不安定という捉え方がみられるが、いずれにせよ望ましくない状態と考えられていた。デザイナーは、企業に対してはデザイナーが生産の根本の部分から関わることを認めさせること、消費者に対しては消費者が適切に商品を選びとる能力を身につけられるように働きかけることなど、知識人としての役割があることが自認されていた。
 良いデザインの基準を示す試みもなされている。1960年の『美術手帖』(第176号)ではグッドデザインの紹介を特集し、図版を使って良さの基準を示そうとした。ここから分かることは、材料・構造の性質に忠実であれば、物は丈夫であり、単純で分かりやすく、価格がやすくなり、かつ美しい、というデザインのあり方である。

第3章 消費財デザインにおけるモダニズム実践の難しさ―『リビングデザイン』を読む

 第3章では『リビングデザイン』(美術出版社、1955~1958年)という雑誌を中心に、戦後モダニズムをめぐる、デザイナーと消費者との関係を考察した。
 『リビングデザイン』は戦後の生活・産業の近代化をすすめていたモダニズムの運動家たちが中心となって創刊した雑誌である。この雑誌では「リビングデザイン」とはインテリアの紹介ではなく、生活の中にあるものの造形として捉えられていた。
 『リビングデザイン』は海外のモダニズムの理論家に依拠しながら、産業界には、著作権に対する意識を高めるべきこと、専門家の協働によりデザインの仕事を行うこと、消費者のためのデザインを行うことなどを提唱した。また、消費者に対しては造形に対する基礎知識を持つこと、生活を効率化し簡素な美を目指すことを呼びかけた。
 読者は戦後日本社会に唯一のデザイン雑誌(当時)が出来たことは評価するものの、より専門的な内容を求める人と大衆向けの内容に変えることを求める人とに反応が別れた。『リビングデザイン』は読者の声に答えるべく記事・紙面構成の変更を行ったが、編集方針を定めることができず、最終的には『リビングデザイン』の定期刊行は維持できなかった。
 『リビングデザイン』は、日本のモダンデザインが知的な美術史と実際的な商業との間でどのような困難に直面していたのかを良く表しており、日常生活とデザインとの関係を知る上で有益な資料である。

第4章 デザインにおける戦後モダニズムとポストモダン―世界インダストリアルデザイン会議・京都大会を中心に

 第4章では、1970年代に入り、デザインを取り巻く環境の変化とモダニズムの対応にいて、国際会議の議論を資料に検討した。
 国際インダストリアルデザイン協議会(ICSID,イクシッド)の大会として、1959年から世界インダストリアルデザイン会議が開催されており、第1回からヨーロッパを中心に開催されてきたが、第8回(1973年)には京都で開催された。初期の大会は、大衆の啓蒙や商業主義への批判など、モダニズムの特徴をよく表すものであった。第5回・第6回の大会では、科学の役割が強調されるようになった。
 京都での大会以前に日本で行われたデザインの国際会議には、世界デザイン会議(1960年)がある。これは日本のデザイン関係者にとっては、日本の経済成長がいかに世界レベルに達したかを世界にアピールする場であった。1960年から10年あまり経ち、日本も世界と問題を共有するに至ったとデザイン関係者には考えられ、京都大会も外の視線が意識されていた。
 京都大会のテーマは「人の心と物の世界」(Soul and Material Things)とされた。西洋に対して東洋の精神性が強調されたともいえるが、日本の場合、関心が本質論に向かいやすい状況が存在していた。それは、経済成長のなかで、デザインが「エンジニアリング」のような技術になってしまったのではないかという思いであった。
 1960年の世界デザイン会議の参加者の一部は1973年の京都大会にも加わっている。彼らの発言を読むと、世界デザイン会議の発言からは、普遍的な「文明」や原理の重視といった関心を読み取ることができる。京都大会になると、一部の人の知識・情報を用いて文明で世界を統一するのではなく、各人が自由に情報にアクセスできるようにすること、原理を守ることよりも変化に対応すること、などをよしとする発言がみられるようになった。
 京都大会の講演(梅棹忠夫・ボードリヤール)にも特徴がみられる。梅棹は現代の「目的」は多様化して優先順位を決め難くなっており、目的が相対化していることを指摘した。ボードリヤールは、デザイナーが生産機構や消費者をコントロールできる/すべきという発想を批判した。知識人の地位に対する批判は、デザインに限らず、モダニズム批判のポイントである。
 すべての人びとが快適で良好な生活環境を享受できるようにするということはモダニズムが常に持っていた姿勢であった。「消費者のために」という姿勢を徹底化することで、知識人が大衆に一方的に働きかけるという方向から、生産者と消費者の垣根を低くするという方向に変わっていく。モダニズムが社会に対応していこうとすることで、モダニズムが変容していったと考えられる。

結論

 社会のために、という意識は良いものであるが、この点が強調すると、理論を空洞化する恐れがある。物の正当性を問う作業が行われなくなると、残る評価基準は売り上げのみになりかねない。全ての消費者に対応できるような単一の商品を供給することは困難である。ローカルな問題の解決に生産者・消費者・デザイナーが協力して取り組むこと、そうした取り組みを積極的に社会に伝え、他の場所でまたそれを参照できるようにすること、などが、モダニズムがもっていた「社会のために」という意識を現代的に生かすことになると思われる。「美しさとは、実用性の上に付加されるものではなく、実用性そのものの掘り下げ方にある」(池辺陽「二番目からは美しい」『デザインの鍵』丸善、1979年、92頁)。問題の取り組みへの共感が、デザインの「美しい」という評価を形成するといえよう。

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