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博士論文要旨

論文題目:日本近世漁村秩序の特質と変容
著者:中村 只吾 (NAKAMURA, Singo)
博士号取得年月日:2010年3月23日

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1.序章より
 本稿は、日本近世漁村の秩序とその変容について追究したものである。それも特に、生業に関わる知としての「生業知」や網元的存在を媒介として、村や地域で支配的な秩序認識のあり方と、階層関係・生産関係・所有関係などの実態面との関係性の側面から追究したものである。また、しばしば在地の漁業構造の停滞性や安定性・不変性がいわれてきた日本近世の漁村について、近世を通した長いスパンで動的側面にも注意を払いながら検討することで、その新たな姿を描こうとしたものである。検討の対象とするのは伊豆国内浦地域(現沼津市域)の漁村である。さらに、以上をふまえ、従来は不十分であったといえる農村や山村との議論の有効な接合点をも見出したいと考えた。このような課題設定に至った背景について、序章では下記のことなどを述べた。

①近世漁業・漁村史研究の動向から
 従来の日本近世漁業・漁村史研究の流れをふまえるに、漁村の内部構造の追究の不十分さが指摘でき、さらには、漁村内部の漁業構造(生産構造)について、かつてはその停滞性や近代漁業への発展の遅れがいわれ、近年では安定性・不変性がいわれていることへの疑義が生じてくる。村の内部構造をふまえた変化のあり方について新たな視角から追究するにあたり、本稿で注目するのが共同体規制の問題である。階層などにおいて多様な性質を持つ人々からなる漁村の内部構造(内部秩序)を明確に捉えるには、共同体規制のような理念的要素と、階層関係・生産関係・所有関係などの実態的要素との関係性およびその変容に注目する必要がある。近年の研究では、それら両要素の関係性という意味での内部矛盾・葛藤への視点が不足している。そこで本稿では、村や地域で支配的な秩序認識(共通認識・理念・制度など)のあり方と階層関係・生産関係・所有関係などの実態面との関係性を探ることにした。その際に媒介項の一つとするのが、生業に関わる知としての「生業知」である。それは現実的・実践的性質が強いものであると同時に、秩序認識という観念的部分に結びつく性質も多分に有していよう。「生業知」をそのように幅広くとらえることで、村の実態面と秩序認識面との関係性を探る上での有効な媒介項とし得る。いま一つは、網元的存在である。その村や地域で特徴的な集団漁業の中心的存在で、しばしば漁業以外の面においても目立った立場にいる彼等の存在や行動の形態は、村や地域の内部構造(内部秩序)の主要部分を規定している場合も多かろう。彼等の影響力と限界点およびそれらの変容を問うことは、村や地域の内部構造(内部秩序)における秩序認識面と、階層関係・所有関係・生産関係などの実態面との関係性を問う際にも有効な基準点となろう。

②伊豆国内浦地域に関する研究について
 上記の事柄をふまえた分析に際して適当だと思われるのが、本稿で対象とする伊豆国内浦地域の漁村である。この地域の村々では立網漁という集団漁業を特徴的な生業としていた。この漁は、網元的存在としての津元とその下で働く網子で組織される網組によって村の地先漁場で行われた。津元は、経済的な優位者であり、かつ村役人を兼ねることも多い、村の経済・政治における中心的存在であった。当地域の研究蓄積は厚いが、いまだ課題も多い。近世を通して津元が優位的立場を保持し、立網漁や津元―網子関係が特徴的であったことが当地域の中核的な問題といえるが、その背景をより深部から捉えるには、静かな変動の要素も掬いながら、近世を通じた段階的な把握を行う必要がある。そのためには、内部構造(内部秩序)への沈潜が有効であろう。そうした研究は従来数少なかった。いま一つには、内部構造(内部秩序)に関して、秩序認識面と、階層関係・生産関係・所有関係などの実態面とを意識的に弁別した検討が必要である。当地域では津元および立網漁の存在が特徴的であるが、村や地域の内部構造(内部秩序)におけるそれらの影響について、秩序認識面と実態面を弁別して検討することで、より多面的な評価が可能となり、新たな内浦地域像を描くとともに、近世を通して津元の優位的立場が存続し、立網漁や津元―網子関係が特徴的、という当地域の中核的な問題にも新たな見解を提示しうるであろう。また、先述した近世漁業・漁村史研究の課題を克服するためにも有効であろう。

③隣接分野としての生業論について
 さらに、農村・山村との議論の接合点を、近年の生業論との関連でみてみる。すると、生業論では、漁村や山村といった必ずしも農業を主要生業としない村々を対象とした検討も多くみえ、漁村は農村や山村とも議論を交えやすくなっている。しかし、そうした近年の生業論においても、近年の漁業・漁村史研究と同様、理念的要素と、階層関係・生産関係・所有関係などの実態的要素との関係性という意味での村内の矛盾・葛藤への関心は薄く、特に、上記のような実態面の追究が不十分である。生業論の視角から村を明確に捉えるには、秩序認識とそれら実態面の両者が相俟ったところにある村の枠組みとしての妥協点を見出してゆく必要がある。その際には「生業知」が効果的な媒介項となろう。

2.本論部分(第1章~第6章)の概要
 上記のような課題意識の下、17~19世紀、近世から明治初期までの伊豆国内浦地域について時期を追って取り上げる形で本稿は構成されている。以下、各章の概要を述べる。
 第1章では、近世漁業・漁村史全体の課題である内部構造(内部秩序)の解明という点について、17世紀の伊豆国内浦地域の長浜村・重寺村を対象に、当該期の津元(土豪)と網子(百姓)との関係を軸に、特に当該期の村落一般の重要課題としての土豪の特権的性格のあり方と小農自立の観点から検討した。検討に際しては、生産構造を主軸とした上で、それと認識面や村政といった他側面とを併せて考察するという方法をとり、村内における津元の優位性の実態、津元と網子の相互認識、津元・網子各々による村内秩序からの逸脱、村方騒動といった側面からの検討を行った。検討の結果、分析対象とした長浜村や重寺村のような漁村では、土豪の特権の推移や小農自立の動向は、津元の衰退・網子(百姓)の盛行という様相には直結せず、立網漁という主要生業にもとづく既存秩序を支える方向に帰着したという結論が得られた。その上で、当該期の両村の特徴は、生業面と村政面の組み合わせを活かした津元(土豪)と網子(百姓)の明確な棲み分けにより、津元の突出性にもとづく強固で固定的な秩序が形成されたという点にあるとした。
 第2章では、17世紀の漁業地域における領主の姿勢と地域秩序との関係について、伊豆国内浦およびその北隣の駿州五ヶ浦という二つの地域を対象に、両地域の役負担の状況や地域意識といった側面から検討を行った。この課題設定の背景には、従来の研究における、当該期の領主についての過小評価、地域の自律性の過大評価への疑問が存在する。検討の結果、①領主は単なる地域の「平和」の保護者ではなく、17世紀において地域の枠組みを固定し変化を抑制する存在でもあり、地域秩序の大枠の中・近世移行期における連続性には、地域の自律性のみでなく、このような変化に非寛容で固定的な領主の姿勢も多大に関与していたこと、②領主に規定された、役負担面を軸とした地域の枠組みが存在する一方で、生業や地理的環境に規定された枠組みも存在し、両側面が併存していた状況であったこと、が解明された。その上で、総じていえば、17世紀は領主による規定性と生業による規定性とがせめぎ合った結果、一定の妥協点が見出され、以後における領主・地域各々の位置関係や進む方向性をある程度決定づけた時期であると結論づけた。
 第3章では、近世漁村の停滞性・安定性・不変性といわれるものの内実について、村の内部構造とともに解明するにあたって、まさしく一見静態的な性質が顕著と思われる18世紀の伊豆国内浦長浜村を対象に、特に生業における所有の側面に注目して検討を行った。検討の結果、表面的な変動はあまりみられないものの、生業における所有の側面においては、経済面での流動性と(技術・労働面や由緒・家格にもとづく)認識面での固定性の乖離が明確化し並立、拮抗するという形で、秩序の変動に関する重要な要素が伏在していた、といった結論を得た。
 なお、上記の三つの章は、「生業知」を殊更に取り扱ったものではない。しかし、生業を軸としながら、所有・生産関係と意識・認識面との関係性、地域の秩序認識などに注目している点で、本稿全体の方向性と合致したものである。
 第4章は、本稿の方向性を最も反映した章である。大きくは、近世の漁村や漁業地域における結合や秩序存続の限界点を捉えること、秩序に関わる知識・認識・理念・慣行・体制等に依存した村や地域の構造をより深部から捉え、近世漁村の内部構造の停滞性・安定性・不変性といわれるものの内実をより確実に把握することを課題としている。そのために、19世紀の内浦地域の小海村・重須村を発生源とし、地域全体に関わる大きな問題となった地先海面の利用をめぐる争論を主軸として、「生業知」に基づく地域の秩序認識と、階層関係・生産関係・津元家の経営などの実態面との関係性およびその変容について検討を行った。検討の結果、①当該地域で支配的な秩序認識は、主要な受益者が津元に偏り、地理的範囲の限定性が大きいとともに、地域内の村落間でも捉え方に温度差があること、②すなわち、「生業知」や秩序認識の盛んな表出はそれらが明確・詳細であるほどに、受益の偏差(主要受益者の限定性)もより明確になるという構造にあること、③小海村・重須村を発生源として生じた争論は、そのような従来の秩序認識を大きく揺るがしたのであり、秩序認識の影響力の限界性や津元の立場の不安定性が前代よりも強く露呈されるようになったことを示していること、④それらの反面で、おおよそ従来の形態に即した形に落着したことは、秩序認識の有効性の根強さを示していること、⑤生産構造や経済的実態の面において、津元は地主・金融など漁業以外の経営の展開によって勢力を誇っている反面、当該地域での特徴的な生業である立網漁への関与の薄弱さが露呈しつつあり、自身の足場の大きな揺らぎを孕んでいた可能性があること、などの見解が導き出された。
 第5章は、本稿での中心的存在としての網元的存在である津元の性質を集中的に考察したものである。その経済的側面(漁業とその他の経営)および技術・労働的側面(漁業、なかでも主に立網漁)の両面について検討し、そのことにより、近世漁村の網元的存在の性質や近世漁村における技術・労働・所有の問題にも迫ろうとした。これは第3章において、津元が技術・労働面での一定度の実質に基づいた認識面の固定性によって立場の根幹を維持していたと指摘した点をさらに追究したものでもある。検討の結果、漁場利用規則などの現場作業に関わる事項、漁獲物分配方法、漁業関係の儀礼や役負担に関することなど漁業をめぐる総合的・多角的知識や、地主・金融経営などの漁業以外の活動といった間接的な仕方で、漁業の実働面への関与の薄弱さをカバーし、優位性の支えとしている津元の姿が見出された。また、これを所有の問題としてみた場合、津元の持つ知識とは、経済的所有(資本の所有)と技術・労働力所有との間に位置して両者をつなぐ働きをするが、後者自体にはなり得ずにその管轄・把握(直接所持者は網子)にとどまるものということになるとした。
 第6章では明治初期の伊豆国内浦地域を扱った。この時期の内浦地域では、激しい津元―網子間対立や雑税の廃止、海面官有といったことを経て、近世を通して存続した津元制度が廃止されるという大きな動きがみられる時期である。津元制度の廃止やそれをめぐる動向はなぜ生じ、内浦地域の村々にいかなる意味を持ったのか、などといった当該期の当地域の重要課題について、前章までの検討、特に第4章・第5章とのつながりをふまえながら検討した。また、従来の近代漁業・漁村史研究の動向を受けて、①在地に踏み込み、漁業の側面ばかりからみるのではなく村内の構造や「一部上層階層」の経営内容など、漁場や漁業の周辺部分も含めて精緻におさえてゆく、②近世には水産資源保全慣行を生んだような在地の、近代初頭における実態を、近世以来の流れをふまえながらおさえる、という課題意識を持ったものでもある。注目点は、第4章と同様、「生業知」に基づく内浦地域の秩序認識と、階層関係・生産関係・津元家の経営などの実態面との関係性およびその変容である。検討を通して、一つには、近世以来、津元による漁業への関与が間接的で薄弱であったことが、明治期に入ってからの網子による強烈な津元批判の一因となっていたこと、それにより秩序認識は効力を失い、秩序認識にも大きく支えられてきた津元の権威性は大幅に失墜していったことを指摘した。その反面で、津元の中には近世以来、漁業以外の経営も手広く展開してきたことで、漁業にばかり依存せずに経営を維持してゆけるだけの経済的基盤を有していた者も多かったと思われることも指摘した。さらに、長浜村のような激しい津元―網子間の対立を経て津元制度の廃止へと至った村ばかりではなく、重須村では比較的穏やかな変化を示していること、小海村では「商人渡世之者」の動きが特徴的であったことなど、村ごとに異なる変化の様子を描いた。そしてそのことは、津元制度廃止・津元の権威失墜の要因が、先行研究が指摘しているような、幕藩領主という後ろ盾の喪失や、自由民権思想を生じさせたような時代の新思潮の影響といった外的契機ばかりにはなかったことを意味している、すなわち、それら外的な要素を契機とした上で、近世以来の在地の緩やかな変動をふまえ、在地のさまざまな人々が各々の新たなあり方や新たな村・地域の秩序を模索していったがゆえの変化だといえる、と結論づけた。

3.終章より
 上記のような本論部分での検討結果が、関連研究分野の研究史において持つ意味について、終章では下記のことなどを述べた。

①伊豆国内浦地域史研究における位置づけ
 17世紀の村・地域における、立網漁および津元を軸とした秩序の成立以来、一貫してその枠組みの維持に向けて根強く効力を発揮し続けた秩序認識、そこにおさまりきらない部分を次第に拡大させ、ついには秩序認識の効力を失わせるに至った経済的実態、という形で17~19世紀の様子を描き得た。さらに、そのような両側面のバランスを語る上での焦点として、津元の漁業への関与の薄弱さ・間接性および、津元による「生業知」=漁業をめぐる総合的・多角的知識の保持に注目した点もまた特徴の一つである。すなわち、従来の研究では不十分であったと思われる、秩序認識面と階層関係・生産関係・所有関係などの実態面との区分をしながら17~19世紀の内浦地域を描いたこと、その際、後者については、従来未解明の点も多かった村の階層構造や所有関係、漁業以外の面も含めた津元家の経営といった経済的実態をおさえることで、段階的で緩やかな変化も捉えながら描いたことは、研究の進展に寄与し得た点である。また、津元のあり方について、秩序認識と結びついた漁業に関する総合的・多角的知識の保持という「生業知」の側面から、単なる経済力にとどまらない、漁業経営者としての「才能と権威」という津元の技術・労働的性質を突き詰めて検討した点でも新味を加え得た。なお、津元の持つ漁業をめぐる「生業知」は、自らの漁業に対する間接性を補完し、在地における優位的な立場を維持するため、役負担のあり方などの間接的・社会的要素も多分に内包した総合的・多角的知識であり、階層性を色濃く帯びてもいた。その点で、漁業の実労働者の網子が保持したと推測される、経験的・実践的・身体的性質が強い「生業知」とは異なる部分があると思われる。

②近世漁業・漁村史研究における位置づけ
 検討の結果みえたのは、停滞性・安定性・不変性を維持しようとする秩序認識面と、それを超えた動きを示そうとする階層関係・生産関係・所有関係などの実態面との乖離の様相である。そうした状況下で網元的存在としての津元は、秩序認識面を維持しようとする立場に属しており、彼等にとっての「生業知」とは、そのために活かされる性質が強かった。それはまた、自らの漁業への関与の薄弱さ・間接性を補完するためのものでもあった。網元的存在は、経済力でこそ卓越していたが、技術・労働面への食い込みが弱いという問題を抱えていたのである。すなわち、網元的存在のいる漁村について、彼等の利害と相即的な形で存在した秩序認識面をみれば、確かに停滞的・安定的・不変的にみえるが、その背後には認識面と実態面の乖離が大きさを増してゆく状況が存在していたということである。上記のようなことは内浦地域の漁村や津元に限らず、網元的存在がいる他地域の漁村にも少なからずみられる可能性はある。表面に表れやすい秩序認識面と、表立ってはみえづらい部分もある階層関係・生産関係・所有関係などの実態面とを分け、その上で、一見在地で漁業に根差しているかにみえる網元的存在の漁業経営の内実、漁業への関わり方の中身を突き詰めることで、在地の漁業構造(生産構造)の停滞性・安定性・不変性というべき部分と、その背後にある静かながら重要な変動の姿をともに捉えてゆける可能性がある。

③生業論における位置づけおよび今後の展望
 検討の結果得られた見解を端的に述べれば、村や地域の秩序は、認識や理念からなる世界と階層・所有関係などによる実態的世界の両者がその時々で強弱や濃淡のバランスを変動させつつ推移しているということである。どちらか一方のみを捉えるのではなく、両者を併せた見方をすることの必要性が確認されたことになる。古くから存在する視角で、今あらためて注目すべきなのが、共同体規制および階層関係・生産関係・所有関係という二つの観点であり、現段階では引き続きこの両者の関係性をみてゆくことが有効であろう。

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