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博士論文要旨

論文題目:憑依という振舞い:コモロにおける霊の人格と主体性に関する考察
著者:花渕 馨也 (HANABUCHI, Keiya)
博士号取得年月日:1999年6月24日

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1.主題と視点
 本論文は、1994年から1997年にかけてコモロ諸島・ムワリ島に住むコモロ人の社会において実施した延べ約2年半のフィールドワークに基づく、コモロ社会の「憑依」に関する民族誌的研究である。全体の構成は以下の通りである。

〔 序章 : 問いの射程 〕
1.憑依のパラドックス
2.従来の憑依研究
3.視点と方法
4.フィールド と ワーク
5.本稿の構成

〔 I 章 : 人間の世界 〕
・はじめに
1.インド洋の交差点
2.コモロの人々と生活
3.憑依の形態と変化

〔 II 章 : 憑依という領域 〕
・はじめに
1.憑依の領域
2.信念と実践
3.ジェンダーと憑依
4.ジャズィバとジニ:イスラムと憑依
5.儀礼の失敗:形式と革新

〔III章 : パラレル・ワールド 〕
・はじめに
1.個体性と社会性
2.ジニの世界
3.種族と親族
4.分布と移住の歴史
5.ジニの社会関係
6.個体性と個性
7.パラレル・ワールド

〔IV章 : ンゴマ:治療の過程 〕
・はじめに
1.憑依の理由
2.診断
3.治療
4.ンゴマ(饗宴)
5.ンゴマの論理
6.二度目のンゴマ

〔 V 章 : 共生関係:役割とふるまい 〕
・はじめに
1.共生関係
2.フンディの役割
3.ダダのセアンス
4.シェトァニを払う治療
5.共軛的な辻褄合わせ
6.役割とふるまい

〔 VI 章 : 三つのマウ 〕
・はじめに
1.欲望の構造
2.共生社会の構図
3.マウの規則
4.サリム・アベディのマウ:夫婦喧嘩の顛末
5.シディ・マリのマウ:無視されたジニ
6.ルヒ・ブン・スビヤニのマウ:最後の調停
7.身体状況の二重性

〔 終章 : まとめと課題 〕
1.憑依という存在様式


 まず序章において、憑依に関する従来の議論を検討した上で、本論文の主題と視点を明らかした。コモロ諸島に住むコモロ人の社会には、「ジニ」(djini)と呼ばれる霊的存在が見えない世界に住んでおり、たびたび人間に憑依するという信仰がある。ジニは足の先から人間の身体に入り込み、頭に上ってその身体を自由に操るとされており、その間人間の方は意識を失い、全く記憶が無くなるという。コモロ社会において、人々は一個の人格として現われるジニと密接な関係を持ちながら生活している。

 このように、霊的存在が何らかの形で人間の身体や意識を統御するという憑依現象は、様々な形態において人間社会に偏在する信仰であり、人類学においても様々なアプローチによる研究の蓄積がある。憑依における人格の交代という事態は、「一個の身体と結びついた同一の人格」というわれわれの常識に対し、「AがAであってAではない」という論理的パラドックスを突きつけるものである。しかし、浜本満(1988)が指摘するように、従来の憑依論が憑依という現象に特異な「主体帰属の揺れ動き」という事態が抱えるパラドックスを十分に捉えて来たとは思えない。多くの憑依研究では、憑依のふるまいは他の諸活動の代理や表象として扱われることで何らかの原因や目的による説明に還元されてしまい、憑依がそれ自体として築いている現実のあり方を捨象してしまっている。

 これに対しコモロ諸島・マオレ島の憑依について民族誌を書いたLambek(1981)は、憑依のふるまいを他の原因や目的に還元することのできない自律した文化領域として扱い、霊を一個の主体として憑依のふるまいを記述することによって、霊と人間との多様なコミュニケーションについて描き出している。本論文は、一方では、このLambekの視点を引き継ぎ、憑依のふるまいを「ふりをすること」の一種として扱うのではなく、まさにジニのふるまいとして記述し、それ自体を一つの企てと見なすことで、ジニと人間の相互関係がいかに独自な現実を構築しているかを明らかにすることを目指すものである。

 しかし、Lambekのように、霊を当該社会における所与の実体的存在として済ますこともまた、憑依という現象がその都度の一回的な出来事において秩序を構成するものであり、またそうした秩序の関係性が多分に不確定なものであるという、憑依のダイナミクスを分析の視野から取り逃がしてしまうことになるだろう。憑依に関する多くの民族誌的記述が示すように、憑依という現象には観察者がそこに偽装性を見出さずにはいられないような、主体帰属の曖昧さが存在することもまた事実である。憑依霊としてのふるまいの中に、表舞台には本来登場しないはずの人間の顔が見え隠れすることもしばしばあるのだ。憑依という現象がそうした主体帰属が揺れ動くという事態の矛盾を受容し、また産み出しているとしたなら、そうした事態が実際にいかにして起こりうるのかを綿密に検討することが必要であろう。そのため、本論文では、憑依が構築する秩序のリアリティを描く一方で、憑依という枠組みが論理的に矛盾をきたすような、ジニと人間の主体の交錯という事態に焦点を当てることで、そうしたリアリティの構築性を暴き、解体する議論へと踏み込む。

 本論文は、このような視点から、コモロにおける憑依の実態を明らかにするとともに、憑依という現象に特異な主体の存在様式の解明を目指したものである。


2.各章の議論

 各章では以下の議論を行った。

 I 章では、憑依の背景的状況を示すために、コモロ社会の歴史と社会組織に関する粗描を行った。アフリカ大陸とマダガスカル島に挟まれたモザンビーク海峡の北部に位置するコモロ諸島は、古くからインド洋をめぐる交易の中継地点であり、歴史過程の中で様々な民族や文化がそこで混淆し合ってきた。この地域に見られる憑依の現象は民族や社会を単位として存在するものというより、地域的、歴史的ネットワークの中での流動的な現象であり、コモロの憑依形態も東アフリカ海岸部やマダガスカルでそれぞれ見られる憑依現象と明らかに多くの共通性をもつものである。

 従来の憑依研究では、憑依が社会内の階級間の対立や外部との接触による社会変化の影響と密接な関係を持つことが指摘されてきた。しかし、筆者の調査ではコモロ社会においてそのような関係が顕著に見られないこともあり、本論文では社会的状況と憑依との関係についての議論を大幅に省くこととなった。むしろコモロの憑依の特徴は、憑依霊との関係が人間社会の状況に還元しえない秩序と問題系を作り上げている点にあり、その実態を明らかにするため本論文では憑依という現象内部の分析に議論を集中させる方針を採った。


 II 章では、イスラムと憑依の関係を中心に、憑依がコモロの社会的、文化的状況の中で置かれるている不安定な位置について検討し、憑依が現出する秩序がジニという対話的存在によって更新されるあり方について指摘した。

 コモロ社会において、霊の憑依は広く信じられ実践されている信仰であるが、それは日常的な常識に基づくような自明な領域なのではない。また、それは一貫した明確な体系をもつような知識なのでもなく、諸処に矛盾を孕みながらも個々の実践において再生産されていくような身体的知識である。そうした状況を、憑依の真偽に関する言説の対立をはじめとして、憑依に対する人々の様々な解釈や、個別の実践の中で揺れ動いている態度の概観によって示し、人々の憑依に対する関わりは、信仰という解釈の次元によって決定されるものではなく、否応無しに立ち現われる受苦的な身体的経験に根ざしていることを指摘した。

 特に憑依とイスラムの関係は、憑依をめぐる実践と解釈の状況を複雑なものとしている。イスラムが信仰されているコモロ社会において、ジニはコーランに登場するジン(djinn)と呼ばれる存在としてイスラムの世界観の内に位置づけられながら、イスラムの教義的解釈では一般にジニの憑依は否定されているという事情がある。こうしたイスラムと憑依の関係の一側面を、イスラム神秘主義教団のズィクル儀礼における憑依とイスラムの相互浸透という事例において明らかにし、イスラムから分離されながらも、ジニという人格的存在の語りを通じて、憑依はイスラムを内部化した自らの秩序を作り上げ、更新していることを示した。


 III章では、ジニという存在とその社会についての諸観念について検討した。ジニは人間に災いをもたらす野蛮な存在とされる一方で、人間の親しい友人となり益をもたらしてくれる隣人のような両義的存在である。ジニの世界は単に人間社会を反映した表象なのではなく、人間社会に隣接したパラレルなものとして存在しており、人間社会と同様に種族や親族によって社会的に関係づけられている。それぞれの種族は、独自の衣装や食習慣、音楽の好みなどをもち、異なる儀礼を要求する。地域ごとに登場するジニの種族は異なるが、筆者の調査地では9つの種族のジニが存在し、中でもダチムロニ族、ムガラ族、パトロシ族が最も頻繁に登場していた。それぞれの種族内でジニ同士の系譜関係が知られており、ジニのふるまいはそうした社会関係に規定されている。

 また、それぞれのジニは固有名をもつ一個の個体とみなされている。憑依の場では、同じジニが同時に複数の人間に憑依することはなく、また同じジニは、異なる人間の身体に憑依している時のことも記憶しているものとされるといった、一種の共軛的な辻褄合わせによってジニの同一性が保証されている。そのため、人間社会に頻繁に登場するジニの名前には、その個性について語りうる様々な出来事や関係が結び付いており、相互人格的な世界を濃密なものとしている。

 コモロの憑依現象の特徴は、このようにジニが固有名をもつ一個の個体とされ、また社会的関係をもっている点にあり、そうしたジニ社会の関係性が憑依のコンテクストを形作っていることにある。


 IV章では、ジニに憑依された人間の治療儀礼の過程について詳しい記述を行い、その過程が患者とジニの関係を結ぶことで、患者の身体を取り囲む社会関係を再編成し、新たな生活のコンテクストを準備するものであることを示した。

 ジニに憑依された人間は通常なんらかの病気に陥り、専門の治療師によって一連の治療を受けなければならない。ジニは病気や災いの経験を組織化するエージェントの一種として登場するものであるが、それは、患者の病気治療を、ジニを主体とした全く異なる次元の筋書きへと変換するものである。コモロにおいて病気の治療はジニとの関係の始まりにすぎない。この治療の過程は、ジニの要求に従って行なわれるものであり、患者のジニをすでに人間社会に登場している仲間のジニの集団に加入させるジニのイニシエーションという構造をもっている。治療は患者のジニが自らの名前を明かすことによって終了し、それによってジニは固有名をもつ一個の人格的主体として人間社会に登場することになる。また、それは同時に、患者がジニをもつ集団であるワナワリの一人となり、ジニとの関係を介した新しい社会的コンテクストを生きることでもある。

 本章では、こうした治療儀礼の基本的な過程を示すとともに、実際のンゴマの開催をめぐって起きたある事件を取り上げ、新しいジニのイニシエーションという治療儀礼の構造には、ジニの動機と同様に、新しいワナワリの加入という人間集団の社会的関係をめぐる動機が重なり合い、ジニと人間の主体が交錯した状況が見られることを明らかにした。


 V章では、治療儀礼を済ませた後のジニと人間の関係を規定する諸規則とその実際の展開、および、その関係が最も密接で、かつ公的なものとなる治療師とそのジニの活動について記述と分析を行った。

 ンゴマを済ませた患者はジニの座る「イス」と呼ばれるようになり、ジニは幾つかの日常的な禁忌や義務を自分のイスに課す代わりに、様々な災いからイスを守護し、その問題を解決するようになる。コモロ社会において、ジニとの関係はしばしば世代を超えて継承され、家族の一員であるかのような親密なものへと発展する。ジニと人間は一種の「共生」とも呼べるような関係を持つようになるのである。

 また、治療師のもつジニは自分のイスやその家族だけでなく、地域社会の人々と広く関係をもつようになり、治療師の身体を介して人間社会の様々な問題に関わるようになる。あるジニの治療活動の分析から明らかにしたのは、セアンスにおけるジニの語りやパフォーマンスが、日常的な自己や社会の制約から遊離した視点から出来事を関係づけ、不可視の世界に関する情報を可視化し、経験させるという憑依というコンテクストにおいて可能な創造性の仕組みである。

 さらに、この治療師とジニの関係についての検討から、ジニと人間の主体は明確に区別される一方で、治療師という役割による活動において、ちょうど俳優と役柄が同一視されて語られることがあるように、そのふるまいに帰属されるジニと治療師の主体が同一化される事態が生じていることを指摘した。


 VI章では、ジニと人間の共生社会というコンテクストにおいて起こった一連の出来事を取り上げ、その過程を語りを中心とした記述によって描くとともに、そうした出来事の展開において、これまで指摘してきたジニと人間の主体の交錯という事態が具体的にどのように展開しているのかを明らかにした。

 ジニは災因論的コンテクストやシャーマニズムのコンテクストにおいて一定の社会的役割を担いながらも、それに還元されない人格的主体として、個別の社会的状況に対向する存在であり、独自な社会的現実の構成に参与する存在とみなしうる主体である。コモロでは、人間社会に登場したジニ同士の社会関係と、ジニをもつワナワリ集団における社会関係とが複雑に絡み合う共生社会といったコンテクストが成立している。そうしたコンテクストは、その内部に社会的欲望や関心といったものを生じさせ、複数のジニと人間を巻き込んで展開する出来事を引き起こすこともある。筆者の調査したニュマシュワ村では、一方で、ムガラ族、ダチムロニ族、パトロシ族という三つの種族を代表するジニが相互に対立するという状況があり、また他方では、ムガラ族のジニをもつ治療師及びその取り巻きのワナワリの一派と、パトロシ族のジニをもつ治療師とその一派とが対立するという状況が存在した。そして、あるンゴマで起きた事件をきっかけとして表面化したムガラ族のジニとダチムロニ族の対立は、治療師間の対立の問題と絡み合いながら、次々と共生社会内部の対立を明るみに出すような出来事を生起させて行った。この出来事の経過を主に語りに関する詳細な記述によって追跡することにより、ジニと人間の関係が切り開く世界の実態を示し、ジニと人間との相互的なコミュニケーションがリアリティをもった現実を構築する仕組みについて明らかにするとともに、こうした出来事の展開において、ジニと人間の主体が交錯し合い、どちらの主体によるふるまいとも判別し難い状況が存在することを、身体状況の二重化という概念を用いて捉えた。


3.まとめと課題

 以上の各章での議論を受けて、終章では全体のまとめを行うとともに、今後の課題について示した。

 本論文では、憑依のふるまいを他の諸活動の代理や表象として捉えるのではなく、その都度の具体的な状況に対向する人格的ふるまいであり、それ自体として独自な秩序を構成するものとして捉える視点から、ジニと人間の相互関係の諸相について記述と分析を行い、それが他に還元しえない独自な社会的現実を構築していることを明らかにした。また、その一方で、憑依が展開する出来事に見られる主体性の交錯という事態に注目し、具体的な出来事においてジニと人間の主体が揺れ動く事態を明らかにし、それを、一つの身体を焦点として、ジニという人格的主体のコンテクストと、人間を主体とするコンテクストとが重なり合い、浸透し合っているという身体状況の二重化として捉えた。憑依は、ある種の便宜や経済性によって組織される日常のシステムから派生したノイズとしての、一個の自己同一的な主体においてあれかこれかを決定しえない不確定で、曖昧な事態を経験として組織化するとともに、かつそうした状況を産み出すものであると言えるかもしれない。しかし、本論文では、憑依現象一般の理解に通じると思われるこの問題の在処を指し示すに留まり、それに十分な解答を与えるには到らなかった。最後に、この問題を捉えるためには、憑依という枠組みがもつ構造的な脆さや曖昧さを、それが破綻する場合も含めたメタ・コンテクストにおいて捉えることの必要性を示唆し、今度の課題とした。

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