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博士論文要旨

論文題目:難民との友情―冷戦体制が作り出した難民保護レジーム―
著者:山岡 健次郎 (YAMAOKA, Kenjiro)
博士号取得年月日:2009年7月31日

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 本論「難民との友情―冷戦体制が作り出した難民保護レジーム―」は、二〇世紀に喫緊の課題となった“難民問題”に対して、これまでにない政治的な視座を提供しようとするものである。それによって、難民という存在に固着している私たち自身の認識を問い直していく。
 従来までの日本における難民に関する研究というのは主に、国際法などの法制度の観点から行われてきた。そうした研究においてはほとんど問題化されてこなかった、難民問題の政治的次元に本論は着目した。法制度の観点から見ているかぎりは正当なプロセスであって、事態は解決へと向かっていると認識されるような状況であっても、政治的な観点を導入するならば違った問題性が浮き彫りになることがある。本論では、これまでの難民研究が法制度の議論を中心に展開されてきたことによって、かえって不可視化されてきたそうした問題を取り上げた。
 とくに本論が中心的に論じたのが、難民という地位の歴史的な変容の過程である。従来までの議論では、そうした地位の変化はたいていの場合、国際法の発展の歴史として理解されてきた。政治的な観点が導入されることがあるとしてもそれは、国際法の人権や人道といった理念を妨げる各国政府の現実主義的な利害といった意味合いにとどまっていた。つまり、難民の地位の変容は、そうした理念と利害とのぶつかり合いの結果としての、“前進”あるいは“後退”として認識されてきた。いずれにしても、それは直線上の変化であった。
 しかし本論では、難民の地位の変容過程をそのように直進的に観念するという、そうした(いわば弁証法的な)認識の前提を摘出することを目指した。そして、私たちの中で問い直されることもなく自然化してしまっているそのような直進的な認識が、じつは二〇世紀後半以降の歴史によって作り上げられたものであることを論証した。
 本論では、冷戦体制の確立以前と以後とで難民の地位が決定的に変容したとみなす。ここで“難民の地位”というときそれは、法的な地位に尽きるものではない。より重要な契機として本論が着目するのが、難民と国民社会に生きる私たちとの関係性である。冷戦体制以前と以後とでは、私たちと難民との関係性は決定的に変容した。そのような事態を指してここでは、難民の地位の変容ということを言い立てている。
 二〇世紀の前半に、二つの世界大戦によってヨーロッパの内部において難民が大量に発生したとき、人々は無国籍者の発生という前代未聞の事態に驚き戸惑いを覚えたはずである。そのときにはいまだ、難民という存在と私たちとは地位によって明確に区分されてはいなかった。つまり、保護される難民と保護する私たちという関係性はいぜんとして確立していなかった。難民は、その他の人の移動に紛れ込んでいた。しかしそうであるがゆえに、いったんその無権利状態が明るみに出てしまうと、あとには破局が待ち受けていた。それとは対照的に、戦後に整備された難民保護レジームの中で難民は、明確に性格づけされていった。そのようにして、保護すべき存在へと変容していったのである。このことはまた、難民という存在が国民国家レジームへと解消されていく過程でもあった。つまりは、国民国家原理によってヨーロッパ世界から排出された難民という存在が、難民保護の実践によって国民国家レジームへと再統合されていったことを意味する。この、排除から再統合へという歴史を、本論では難民の存在論として展開していった。
 そしてここが、本論と従来からの難民研究との決定的な違いであるわけだが、本論では、難民という存在を対処すべき課題としてはみなさない。つまり、難民問題の解決は本論の目的ではないということである。本論ではむしろ、難民が課題として認識される、そうした認識枠組みがどのようにして作り上げられたのか、ということを問題化しようとする。すなわち、本論が問い直そうとする究極の目標は、難民その人ではなく、先に“私たち”と括られた人称代名詞の方である。難民の地位の変容というのは、じつは私たちの変化を反映している。そのことを論証した。
 冷戦体制を境にして、難民の地位が決定的に変容したことによって、難民と私たちとの友情は原理的な困難を抱えることとなった。難民は私たちにとって、遠くて抽象的な存在となっていった。戦後私たちは、難民保護という実践を、国家や国際社会という圏域に委譲した。結果として、難民条約の成立やUNHCRといった国際機関の設立、さらにはさまざまな地域的な難民保護の取り組みとして発展してきた。そうした実践によって確かに、これまでにも多くの難民が保護されてきたと言えよう。そのような成り行きはまた、法制度や配分的正義を中心的に問題化してきた従来までの難民問題に対する認識においては、“前進”であり“進歩”であると言えるであろう。
 しかしそのとき、すぐれて政治的な徳目であるところの友情という関係性は、隠蔽され疎外されてしまったのではないか。このように本論が設定する政治的な視座は、難民との友情という問題を提起するであろう。難民という存在を保護すべき存在としてのみ対処するのではなく、友情に値する存在とみなす、そのような展望を本論は切り開こうとする。

 以下、各章を簡潔に紹介する。
 序章「友情という展望」においては、本論の目的について論じた。政治思想家のハンナ・アレントが『全体主義の起源』第二巻「帝国主義」の最終章において展開した「国民国家の没落と人権の終焉」という論稿を手がかりにして、難民という存在が引き起こした原理的な困難へと立ち還った。またこのアレントの論稿は、近年さまざまな論者によってもあらためて採り上げられている。本論ではとくに、セイラ・ベンハビブとジョルジョ・アガンベンという二人の論者による対照的な読解に注目した。さらに、そうした論者との読解上の差異ということも明らかにしていった。くわえて、難民という文脈においてはほとんど採り上げられてこなかった、アレントの友情に関する論稿についても考察した。それによって、難民問題には友情にまつわる問題性が潜在していることを指摘した。
 第二章「国民と難民」においては、難民の存在論的起源を追及した。難民が難民であることは、国民が国民であることと無関係ではありえない、密接に関係しているということを理論的に論証した。主権国家同士の国際関係の成立が難民という存在を析出し、19世紀以降の国民国家化における国家-国民関係が難民の無権利状態を招来していったという歴史を、国家と難民、国家と国民、国民と難民、という三様の関係性から論じていった。それによって、国民国家という政治的組織化原理と難民発生とが不可分の関係性にあることが論証された。
 第三章「冷戦と難民」では、これまでにないあたらしい難民の定義が提出されるであろう。第二章で論じたように、難民とは本来、国民国家レジームが必然的に析出してしまう原理的な存在であったはずである。しかし戦後に発展した難民保護レジームにおいては、そうした存在が保護されるべき規範的な地位を獲得したことによって、原理的な困難は隠蔽されたままに、対処可能な実体的な存在へと変容していった。難民条約における難民の定義にしても、あるいは条約難民を批判したかたちで提出されるより拡張的な難民の定義にしても、いずれも難民を対処可能な実体的な存在であるとみなしていることに変わりはない。そこで本論では、戦後における地位の変容過程を踏まえたあたらしい難民の定義を提起することによって、難民に対する私たちの認識を問い直すための起点を作り出そうとした。さらにこのあたらしい定義は、戦後の難民保護レジームを分析するための道具立てとなるようにと工夫されている。
 第四章「難民という『事業』」では、第三章で作り出したあたらしい難民の定義を、具体的な事例分析に用いている。そこでは、一九五〇年代末から一九八〇年代前半にかけて行われた在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国事業」を採り上げた。一九七〇年代末にインドシナ難民がボート・ピープルとしてやって来るまでは、日本にはいわゆる“難民問題”は存在しないと考えられてきた。しかし本論の提起する難民に対するあたらしい視座によれば、一九五〇年代末からはじまった北朝鮮への「帰国事業」は“難民問題”として考えることができる。本論が考察する難民保護レジームというのは、単に法制度上の問題ではなく、認識に関わる問題としてある。そうした視座に基づくことによって、北朝鮮への「帰国事業」を冷戦体制が作り出した難民保護レジームとの関係性のなかで論じることが可能となった。またそれは結果として、日本における難民に関する言説を批判的に再検討することにもつながっていくであろう。
 第五章「移民と難民」では、戦後に確立した難民という地位がさらなる変容を遂げていく過程を追いかけた。とくに一九八〇年代以降、難民は移民をめぐる言説のなかで論じられるようになっていった。移民という存在と区別され対照されることで、難民という存在の意味内容も拡充されるようになってくる。グローバル化した世界の中で、人の移動には限界があるという意識が前景化してきたことによって、移動を区別する必要性が生じてきた。こうしてとくに北側先進諸国においては、「庇護希望者」や「不法移民」といったカテゴリーが問題視されはじめる。またそれと同時期に、学問分野としての難民研究が体系化されていった。そこには偶然の一致ではなく、構造的なつながりがある。“体制の学”として出発した難民研究がおよそ四半世紀の間にどのような発展を遂げていったのかを、Journal of Refugee Studiesという専門誌の議論を参照することで明らかにしていった。最後に、本論を通じて一貫して論じてきた難民の地位の変容過程について、主権との関係性から考察をくわえた。主権を固定的なものとして捉えるのではなく、柔軟にかたちを変える支配原理として捉えることで、難民の地位の変容が主権の変容のあり方と関連していることを論じた。

 以上のように、本論の第二章から第五章までは、ゆるやかな時系列としてつながっている。二〇世紀初頭から戦後、そして冷戦体制の確立、さらに一九六〇年代以降の第三世界での新興国家の独立と形成、冷戦体制の崩壊とその後、といったように歴史の動きと共に難民の地位が変容していった。しかし先にも述べたように、その変容過程は直線的で進歩主義的なものであるばかりではない。私たちとの関係性を疎外していく過程でもあった。そのことを、私たちの認識の変容として論じた。その意味では本論は、難民研究というよりはむしろ、「私たち」研究であると言えるかもしれない。難民という存在を媒介とし方法化していく、という道すじを本論では提起した。

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