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博士論文要旨

論文題目:越境と境界線の社会学 -分析的境界領域としての19世紀末在米中国人-
著者:大井 由紀 (OI, Yuki)
博士号取得年月日:2009年7月8日

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本論文の問いは、「移民」とされる人びとと移住先社会の人びとが、どのように共に公共圏を築くことができるのか、その理論的土台を築くことである。しかしこうした公共圏は、社会科学の方法論的ナショナリズムゆえに、問題として立てることすら難しい。方法論的ナショナリズムとは、国民国家を最大の分析単位として自明視し、ある現象に対する関心が国境線の内側/外側という基準で決定される分析枠組みを指す。そして、国民国家を超える広い範囲にわたる現象に関しては、国家間関係という分析のかたちをとる。この枠組みのなかで、越境移動/国民国家や、より広い文脈でのグローバル/ナショナルは対立するものとして理解されてきており、越境する移民もまた、国民国家の「他者」と位置付けられてきた。
 方法論的ナショナリズムの枠組みにおいて移民は、送出・受入の両国家に完全に属さない国民国家の逸脱者である。こうした「他者」を移住先社会が排除することは、国家主権の行使として正当化される。また、排除されずに受入られたとしても、受入社会にとって好ましい考え方が優先され、その視点から移民は位置づけられてきている。そして移民研究や社会学も、移民と国民国家の対置という枠組みの妥当性を問わないまま、受入社会の同化や「移民」がもたらす社会・政治・経済への影響におもに関心を払ってきた。
 そこで本論文は、この与件を問うこと、つまり国民国家と移民の関係を再考することを課題とする。国民国家(ネーション・ステート)が形成されるプロセスと、「移民」が「他者」として構成されていったプロセスを重ね合わせて考えることを通し、両者の対置を乗り越え、方法論的ナショナリズム後の移民研究、社会学を検討し、そこから「公共圏」の問いにつなげる。
 具体的な事例としては、19世紀末の在米中国人に注目する。中国人は1840年代のカリフォルニアのゴールドラッシュを契機とし、アメリカへ集団移動するようになった。しかししだいに、言語や文化、習慣の「異質性」や、同化しようとしない態度、阿片・ギャンブル中毒という偏見ゆえに、アメリカ社会への「脅威」として構成されるようになった。エスニシティを理由に入国制限を規定した最初の「移民排斥法」(労働者階級の10年間にわたる入国全面禁止)は、中国人を対象として作成されたものだった。こうした在米中国人に着目することで、「誰がアメリカ市民になりうるか」というネーション(政治的共同体)概念の形成と、国境線および国内での移民管理というステート(主権)機能の形成を、同時に考察することができる。
 ではなぜ19世紀末で、中国人なのか?まず時期に関していえば、19世紀末はネーションとステートの形成を考えるうえで重要な時期であった。第一に、アメリカ社会における社会統合の様式が変化しつつあった。すわち、人種・宗教・信条により「非アメリカ的」と認識された移民集団を差別・排除するというよりは、英語の浸透や歴史教育による移民のアメリカナイゼーションを通した統合も目指されるようになった。つまり、排除・差別に加えて包摂が社会統合の様式として登場したことになる。別の言い方をすれば19世紀末は、「誰がアメリカ市民になれるのか」をめぐる境界線が包摂と排除と2通りあり、その意味で、「異質な者」に対する態度には非連続性がみられる。
 第二に、この時期はアメリカの主権が構成されていった時期としても重要である。アメリカでは、主権は州のものと連邦のものがあり、両者は拮抗・競合していた。それが看取できるのが、「誰がアメリカ市民」になることができるのか(ネーションの構成員)決定する権限―すなわちシティズンシップを付与する主体―、「誰がアメリカ国内に留まる資格があるのか」決定する権限―すなわち移民政策を実施する主体―である。移民政策とは、国境線上での出入国管理、国内での管理とあり、これは主権の一つの機能として理解されている。19世紀末には、シティズンシップを付与する主体としても、移民政策を実行に移す主体としても、州に対して連邦が優位になりつつあり、ネーションが埋め込まれるかたちでステートは構成されつつあった。
 つぎに、なぜ中国人なのか?第一に、全段落で述べたシティズンシップを付与する主体と、移民政策を実行する主体として、連邦が優位にたつ契機となったのは、両ケースともに在米中国人であったからである。つまり、在米中国人はネーション形成とステート形成の結節点といえる。
 第二に、国を制限する連邦政府レベルで初めての法律(ページ法:1875年)が施行されて以来、次々と排斥を目的とする法律が制度化された時期であった。その対象となったのが在米中国人であった。帰化の禁止や労働者の入国の全面禁止(1882年)、国内から追放する制度(1892年)が制定されていき、在米中国人は排斥諸法によって「ネーション」から「同化不可能な外国人」として排除されていた。そして、「移民の国」アメリカで、特定の集団の排斥―ネーションからの排除―を正当化するロジックとして、「主権」が用いられるようになっていった。つまり、主権の明確な定義がもともと存立していたうえで中国人が排斥されたのではなく、中国人を排斥していく過程で、「国家主権」がどういったものでるのか、構成されるようになっていった。
 このように19世紀末の在米中国人は、「ネーション」と「ステート」形成の結節点であった。と同時にまた、両プロセスの齟齬が現れる「場」でもあった。その齟齬は、第1世代に帰化を禁止したにもかかわらず、第2世代へは出生地主義に基づくシティズンシップを認めたことに表われている。中国人というエスニック集団をアメリカのネーションから排除するという排斥諸法の主旨を鑑みれば、アメリカ生まれとはいえ、中国人の子どもを生まれながらにして「アメリカ市民」として認定することは矛盾している。じっさい、付与に反対する論調も存在しており、排斥諸法でさまざまな規定が「例外」として実施されたことを考えると、出生地主義の国・アメリカであっても、シティズンシップ付与は当然とはいえない。こうしたシティズンシップ付与をめぐる第1世代と第2世代の非連続性について本論文では、ネーション(政治的共同体)形成がステート(主権機能)形成に埋め込まれながらも、両者がずれているところ、そのギャップ示すものとして位置付けている。
 このように19世紀末在米中国人は、ネーションとステート形成の結節点であると同時に、非連続性が現れる「場」であった。こうした非連続性が出現する「場」を、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)は「分析的境界領域(analytic borderlands)」と呼んでいる。これを受けて本論文では、在米中国人を分析的境界領域と位置付けたうえで、移民は最初から国民国家の他者化であるというよりは、ネーションとステートが形成されていくプロセスで「他者化」されたことを明らかにした。これを通して、国民国家と越境の対置を克服し、「移民と公共圏」がどのように可能となるのか考察した。
 具体的には下記の手順を踏んだ。
 第1・2章では中国人がその「異質性」ゆえに、アメリカのネーションから締め出された背景、そのプロセスと制度化の流れを追った。排斥諸法が制定されていくなかで、国境線上の排斥(入国制限)から国内からの追放へと、排除の質が変わっていったことに注目し、そして締め出しを正当化する論理が「移民の保護」から「主権」へと変化したことを指摘した。
 第3章では、社会統合の様式が排斥から包摂へ変化したことが、在米中国人にとり、どのような含意があったのか考察した。第1に、移民第1世代への帰化禁止と第2世代への出生地主義に基づくシティズンシップ付与の非連続性について論じた。そして、その背景にあったのが、「誰がアメリカ市民になりうるか」というネーションに関わる概念の変化ではなく、州の主権と連邦の主権の拮抗があったことを明らかにした。第2に、排斥と包摂のアンビバランスが現れた場として、1893年の世界コロンビアン博覧会(万博)における中国展について論じた。会場では、中国人は差別の理由とされてきた「異質さ」を脱政治化した「中国文化の展示」という自己表象を介して、アメリカ社会から理解と承認を獲得しようとした。しかし、「異質さ」は新奇な娯楽として消費の対象となり、馴致された。
 第4章では第1に、アメリカ社会で承認を得る方法として、帰化権をはじめとする諸権利を獲得し、差別と闘うために起こされたより直接的な政治行動について論じた。活動を通してアメリカ社会からの承認を求めるなかで、アメリカナイゼーション促進運動が起きただけではなく、出身国・清に対しても近代化を求めるようになった。つまり、アメリカナイゼーションが進むなか、トランスナショナリズム(国境を超えて形成される社会領域)が築かれた。その背景には、同化運動のなかで、氏族や出身地域を超えた「中国人」という新たな自己意識が惹起されただけでなく、「チャイニーズ・アメリカン」といういま一つ新たな自己意識があったことを指摘した。
 以上通して、国民国家形成は移民の存在を介して、重層的に進んでいたことがわかる。その過程で、移民が国民国家の「他者」として構成され、それを正当化する言説として「主権」が用いられるようになったことも、明らかになった。しかし、こうした重層性は方法論的ナショナリズムのなかで不可視にされる傾向にある。したがって、国民国家形成をめぐる重層性を可視化させること、別の言い方をすれば、国民国家のなかで明確に引かれている「境界線」の虚構性を露わにすることが、国民国家と移民の関係を再定義するうえで重要である。そして、移民が他者化されることのない移住先社会との「公共圏」の可能性は、こうした認識の変化、つまり方法論的ナショナリズムの克服にあると提起し、結論とした。

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